Credidimus Caritati 私たちは天主の愛を信じた

2024年から贖いの業の2000周年(33 - 2033)のノベナの年(2024-2033)が始まります

【訃報】ハヤット神父様

2009年01月15日 | トマス小野田神父(SSPX)のひとり言
アヴェ・マリア!

愛する兄弟姉妹の皆様、
 ハヤット神父様が1月14日にご霊魂を天主様にお返しになりました。86歳。
 愛する兄弟姉妹の皆様のお祈りをお願い申し上げます。

Requiescat in pace.

文責:トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)

教皇様へのロザリオの霊的花束の数は、今のところ 5429 環

2009年01月14日 | ロザリオの十字軍
アヴェ・マリア!

愛する兄弟姉妹の皆様、

 愛する兄弟姉妹の皆様からメール以外で報告を受けたもの(810環と200環)を含めると、教皇様へのロザリオの霊的花束の数は、今のところ 5429 環となっています。

 日本では「ロザリオの十字軍」は2008年8月から10月にかけて教皇様に4000環のロザリオの祈りを霊的花束としてお捧げするという意向をもっていましたが、それがフェレー司教様のご要請により昨年のクリスマスまで延長され、4000環というロザリオの祈りを遙かに超えた、5429環にまでなりました。ここには現れていないまだまだ多くの愛する兄弟姉妹の皆様のご協力があったと信じています。ご報告がまだの方は、是非、私のところにご連絡をお願い申し上げます。

 これは私にとって兄弟姉妹の皆様からの大きなプレゼントです。教皇様もお喜びになることでしょう。

 日本で聖伝のミサに与る方が、一日も早く250名に到達しますように!

 またロザリオの十字軍の会員の兄弟姉妹の皆様は、是非、つづけて、次の意向と特別の意向のために最低、毎日ロザリオを1連唱え続けて下さい。よろしくお願いします。

■意向

日本が国として回心し、イエズス・キリストをまことの天主と認め礼拝し、日本がまことの天主イエズス・キリストの創立した母なるカトリック教会の愛する子となりますように。
日本において無神論、拝金主義、不倫不道徳が撲滅されますように。
日本のあらゆる小教区で40年前の通り聖伝のミサが復活しますように。
ルフェーブル大司教様と4名の司教様たちにかけられた「破門」が全く無効であったと教会法と正義に基づいてこれが撤回されますように

■特別の意向
日本において聖ピオ十世会の聖伝のミサに与る方々の数が250名を超すように。

(これは、日本のあらゆる小教区で40年前の通り聖伝のミサが復活するための第1のステップです。)

 愛する兄弟姉妹の皆様に、天主様から新年の祝福が豊かにありますように!

追記: 十字軍にはどなたでも参加できます。  

● ロザリオの十字軍の会員の義務ではありませんが、ロザリオの祈りの報告を「従軍司祭」であるトマス小野田圭志神父にご報告して下さると、うれしく思います。(この結果を励ましのために兄弟姉妹の皆様にもお知らせすることに使わせて頂くかも知れません。宜しくご理解をお願い申し上げます。)

トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭) sac. cath. ind.

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【関連記事】

男らしさとは

2009年01月13日 | トマス小野田神父(SSPX)のひとり言
アヴェ・マリア!

愛する兄弟の皆様、
 いかがお過ごしでしょうか?

 聖伝の典礼では、主のご公現後第一主日は、聖家族の祝日です。

 そこで、私たちは家族について、家族の頭、家長について、黙想してみました。

 家長は男です。聖家族では、家長は聖ヨセフでした。いかに聖徳があったとしても天主の御母聖マリアが家長ではありませんでした。カトリック教会は男が家長であると教えています。

 男と女とは違っています。違う男女が家族を作ります。家族が一つであること(一性)は、ブドウの木が一つであること(一性)のようなものです。燃え滓の灰の固まりの一性ではありません。男は男として女は女として違いながら一つです。だから、男が男として家長でなければなりません。

 男らしさとは何でしょうか?男らしさとは、女性にいたずらすることではありません。動物のオスのように行動することではありません。

 男らしさとは、酒を浴びるように呑むことでもなければ、黙ってビールを飲むことでもなければ、博打やギャンブルやエロゲーム、コンピュータゲーム、車などメカにのめり込むことでもありません。男らしさとは、ヤクザのように暴力に訴えることでもなければ、スポーツに我を忘れることでもありません。スポーツは子供のことで、健康維持以外のために、大人の男がのめり込むことではありません。

 男は、男の使命を自覚しなければなりません。天主は、最初、男を作りました。アダムです。そしてこのアダムに掟を与えて、天主と人間との関係を規定しました。これが宗教です。婚姻の関係の以前に、アダムには宗教が与えられているのです。

 「宗教は女と子供のことだ、弱い人々のことだ」とは全くウソです。アブラハム、モーゼ、イザヤ、ヨハネ、太祖の面々は、その顎髭といい、女々しさとは正反対です。

 私たちの主イエズス・キリストの命をかけた男らしさ、このことは私たちに男らしさとは何かを教えています。

 男の使命とは、天主の名誉と栄光のために働くことです。天主のために、皆にとっての善(共通善)のために働くことです。男が男らしく、高い使命に燃えて天主のために忠実に誠実に働く時、あるいは、天主は彼らを司祭に選び、あるいは彼らの幾名かは天主の使命を果たすために助け手なる女性を見つけ、聖なる婚姻の秘蹟で結ばれることでしょう。その聖なる家族に天主様は子供を贈り物として与えてくださることでしょう。

 男が、天主を無視する、真の宗教を知らない、天主を求めないとすると、おうおうにして、男らしさを誤解し、あるいは女々しくなってしまいます。

 信念も無い、原理原則も無い、信仰も無い男。だから、妥協し融通がきくことになり、自分の都合と情欲と利益とのために、立場をコロコロ変える人となってしまいます。

 アダムが罪を犯して、天主に逆らった時、人間の下にあった全てが逆らい始めたのです。男が、天主に逆らう時、女は男の地位を奪おうとすることでしょう。しかし、男が母親になれないように、女は男にもなれず、ついには母親にもなれなくなってしまうのです。

 ユダヤの民は、天主から選ばれて、イエズス・キリストを救世主として認めたのち、世界を指導する国となるはずでした。しかし、ユダヤの指導者がイエズス・キリストを拒否したのちは、イエズス・キリストを認めたローマにフランスにヨーロッパに指導権が移りました。

 ヨーロッパが、革命でイエズス・キリストを拒否したのちは、ヨーロッパは失墜の一途です。だから、イエズス・キリストを忘れたイタリアはヘタリアと揶揄されるまでになり下がってしまったのです。

 すでに1871年、フランスのピー枢機卿はこう言っていました。「悪しき生活の時代、男らしくない男の時代に今生きているのではないだろうか?何故か?何故ならイエズス・キリストが不在であるからだ。人々が、本当のキリスト教信者となるところではどこでも、多くの男がいる。しかしいつでも、どこでも、キリスト教が廃れると男も廃れる。」

主よ、我らに本当の男を、本当の男らしい大人の男を、数多く与え給え!我ら男性を、本当の男らしい男となし給え!

天主の御母聖マリアよ、我らのために祈り給え!

零下10度が連日続くソウルにて、

文責:トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)

大人になるとは

2009年01月12日 | トマス小野田神父(SSPX)のひとり言
アヴェ・マリア!

愛する兄弟の皆様、
そして特に、成人式を迎えた愛する兄弟の皆様、
 おめでとうございます。

 成人するとは、大人になるとは何か考えてみました。

 大人になるとは、もう子供ではないということですから、成熟した責任者ということです。何故なら子供は無責任ですから。子供は受けるだけですが、大人は与えます。大人は新しい生命を生み出し、親になります。子供たちのために、皆のために、国のために、天主のために、考え、祈り、働くのです。

 動物、植物が、成熟したとは、実をつけることです。人間も大人になるとは、成熟したということで、実を結ぶ、自分の受けたもの信仰・真理・生命・伝統・文化を他者に後世に伝える、ということです。

 未来の世代である子供たちに永遠の命を伝え、私たちが受け継いだ遺産を伝え委ねる、これが成熟した責任ある大人の仕事です。

 今日、成人式を迎えた愛する兄弟の皆様に自覚していただきたいことです。何故なら、今日では、子供じみた人々が多く見受けられるからです。何故なら、未熟な人たちは、実を結び、後世に伝えるということを考えない、あるいは、否定しようとするからです。

 何故先進国といわれる国だけ!に、女性の乳癌が多く見受けられるのでしょうか?何故ならそのような国では、女性が避妊薬を飲むからです。実を結ばないように、快楽だけを追求しているからです。今日では、父親が家族のため、国のため、天主のために自分を犠牲とすること、母親が子供たちのために自分を犠牲にするということよりは、今、自分さえ面白おかしく過ごせるならそれで良いという人々があるからです。

 そう考えると、アダルトというポルノを見るような人は、実は、本当の大人らしくない人だと分かります。

 愛する兄弟の皆様、天主は私たちが豊かにたわわに実を結ぶように、成熟するように、実り多いことを望んでおられます。そのために、自分の個人的な楽しみ快楽よりも、天主のために犠牲を捧げる覚悟をしてください。

 自分を天主に与え、家族のために与え、妻のために子供たちのために日本と郷土のために自分を与える覚悟をなさって下さい。

 私たち一人一人が天主から受けた聖なる使命、受けた遺産を伝えるという使命を遂行する責任を自覚して下さい。婚姻の秘蹟で結ばれることを恐れないでください。子供たちという天主からの贈り物を多く受けることを恐れないでください。犠牲を恐れないでください。私たちが受け継いだ遺産を、特に信仰の遺産を大切に伝えてください。私たちから実りを奪う、未熟な子供じみた考えに警戒して下さい。私たちには、カトリック教会のため、日本のため、世界のために、本当の大人らしい大人が必要です。

 願わくは、私たちが人生の終わりに、受けたものを伝えた Tradidi et quod accepi、と言うことができますように!

 数百万というブログとWebの中から、今日、この文章を読んでくださって愛する兄弟の皆様に感謝いたします。

天主の御母聖マリアよ、我らのために祈り給え!

聖母マリアよ、天主の聖母よ、日本の新しい成人式を迎えた愛する兄弟姉妹らを導き給え!彼らのために祈り給え!

文責:トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)

教皇様へのロザリオの霊的花束の数は、今のところ 4419 環

2009年01月12日 | ロザリオの十字軍
アヴェ・マリア!

愛する兄弟姉妹の皆様、

 愛する兄弟姉妹の皆様からメールで報告を受けた教皇様へのロザリオの霊的花束の数は、今のところ 4419 環となっています。

これは私にとって兄弟姉妹の皆様からの大きなプレゼントです。教皇様もお喜びになることでしょう。

 日本で聖伝のミサに与る方が、一日も早く250名に到達しますように!

 まだまだ多くの兄弟姉妹の皆様がなさっていた下さったと思います。ご報告がまだの方は、是非、私のところにご連絡をお願い申し上げます。

 愛する兄弟姉妹の皆様に、天主様から新年の祝福が豊かにありますように!

トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭) sac. cath. ind.

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小野田神父様

年が明けてしまってからでなんですが……。
改めて、主の御降誕をお喜び申し上げます。

 昨年は、本当に本当に神父様にはお世話になりました。・・・

ロザリオ十字軍の霊的花束、2環お捧げしました。・・・

今年もどうぞよろしくお願い申し上げます。

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+Ave Maria☆☆☆

小野田神父様、明けましておめでとうございます。
天主様の光栄ために生きる一年となりますように、
本年も私達をお導きくださいませ。どうぞよろしくお願い致します。

今年最初のブログを拝見いたしました。
ローマでの美しい習慣を初めてしりました。
日本で、お正月に絵踏みをする習慣があったと、初めて知りました。
早速インターネットで踏み絵の画像を調べましたところ
『絵踏みの時には、男も女も晴着を着、また遊女が絵踏みをするのを見物する催しもあった・・・』と書かれていました。言葉も出ませんでした。
ダウンロードした踏み絵(4種類)は、彫り物だったのですが
天主イエズス様と聖母マリア様のお顔は、磨耗して、つるつるの、のっぺらぼうになっていました。
どれほど多くの人に踏まれたのでしょうか。そしてどれほど侮辱をお受けになったのでしょうか。

日本の絵踏みの償いとして、「踏み絵への接吻」、
小野田神父様のご発想に感動いたしました。
我が家では、本年(本日)より、小野田神父様の御意向に従い
お正月の絵踏みの償いを始めさせていただきます。
ダウンロードした踏み絵に、天主イエズス様と聖母マリア様への
愛と敬意をこめて接吻させていただきます。罪人である私たちですが・・・。

日本に聖ピオ10世会の教会ができ、小野田神父様がその主任司祭として
私達をお導きくださったらどんなにかすばらしいでしょう。
汚れなき聖母の御心よ、罪人なる私たちの祈りを聞き入れてください。
天主の聖母マリア様、小野田神父様のご活動を、ご健康をお守りください。

※恐縮ですが、我が家の馬小屋の写真です。・・・



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トマス小野田圭志神父様

十主の平安

アヴェ・マリア
我主御割禮の大祝日おめでとうございます
明けまして おめでとうございます

素晴らしい素晴らしい、新年の夢と祈り有難うございました!
感激しました!
幼きイエズスさまが、是非ぜひ、トマス小野田圭志神父様の、私達にも嬉しい夢を、
実現おさせ下さいますように聖母マリア様にロザリオで!!♪♪お願い致します
幕末までね、、、知りませんでした、、、

愛らしい幼きイエズスさまに御降誕下さいました瞬間より毎日、接吻させて頂いておりますが、聖母マリア様、聖ヨゼフ様にも毎日、そうさせて頂こうと思います・・・・

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教皇様への霊的花束 (フランシスコ・パウロ)

神父様のブログでいつも癒されます。とても感謝です。
昨12月25日をもって189環お捧げいたしました。別のアドレスと二重になったかも知れません、お許しください。

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ご公現の黙想

2009年01月11日 | トマス小野田神父(SSPX)のひとり言
アヴェ・マリア!

愛する兄弟の皆様

 1月6日は私たちの主のご公現の祝日でした。

 イザヤの預言にこうあります。

「立ち上がれ、照らされよ、エルサレムよ、何故ならお前の光は来たから、主の栄光はお前の上に昇ったからだ。」

Surge illuminare Jerusalem: quia venit lumen tuum et gloria Domini super te orta est.

 エルサレムよ、恐れるな、正義の太陽イエズス・キリストは来た、世の光はお前の上に輝いた、カトリック信仰の光に素直に照らされよ、信仰に立て!

 王なる博士たちは、ヘロデ王の豪華な宮殿で、ヘロデの子供たちを王と礼拝しませんでした。王なる博士たちは、少し前に生まれたヘロデの王子、銀の寝床に臥させられた王子を等閑に付したのでした。

 しかも、ユダヤの王を探して、貧しいベトレヘムまで行き、馬小屋で、馬草桶に寝る幼子を見いだしたのです。王のしるしは?宮殿は?玉座は?朝臣は?王なる博士たちが見たのは、馬小屋、馬草桶、貧しい聖母マリアと聖ヨセフ、ボロ布にくるまったイエズス・キリストでした。

 私たちも博士たちの信仰にならいましょう。聖ピオ5世教皇様の大勅令『クォー・プリームム』の確かな光に導かれて、カトリック信仰に照らされて、私たちは教皇様に尋ねました。「カトリックの聖伝のミサ聖祭は本当に禁止されたのですか?」ベネディクト16世教皇様は、ついに答えました。「それは、禁止されていない、カトリックが過去愛したものは、今もいつも、いつまでも、愛し続けなければならない。」

 では、カトリック教会が過去愛し続けてきた聖伝のミサ聖祭を探して、私たちは児童会館にそれを見いだします。しかし、教会の建物は?看板は?

 王なる博士たちには、貧しさが目障りではありませんでした。馬小屋が目障りではありませんでした。なんという信仰!

 真の天主様が、貧しさに苦しみ、枕する家とて無く、ついには同族の王(国民の生命の安寧を義務とする)から命さえ狙われ、ユダヤの地さえ離れなければならなかったとは!イエズス・キリストの生命を守るために、聖ヨセフはユダヤを去ってエジプトにさえ行かれたとは! 

 そのような幼子を、この王なる博士たちは礼拝したのです!!なんという信仰!

 カトリック教会の2000年の聖伝のミサ聖祭が突然、「禁止」され、亡きものにされようとされ、捧げる教会さえ奪われ、委託された霊魂の中にイエズス・キリストの生命を保たせるために、ガレージで、貸し会議室で、児童会館で、ミサ聖祭をしなければならないとは!

 他方で教会の建物の中では、新しい教えが説かれ、聖母マリアの童貞性が否まれ、ご聖体がぞんざいに扱われているのです。全て宗教は同じだ、みんな全て救われる、一番大切なのは人間だ、人権だ、と説かれています。

 東の国から遙々、大遠征をしてやって来た博士たち!真の天主様をただ一度でも礼拝するために!イエズス・キリストに贈り物を捧げるために!軽蔑と揶揄とあざ笑いを恐れなかった博士たち!なんという偉大な信仰!

 それにひきかえ、私たちはイエズス・キリストに最高の礼拝を捧げるのに、人の目を気にして、世間体を気にして、批判を恐れています。みんながやっているから、と。

 おそらく、羊飼いたちの素晴らしい話しを聞いたベトレヘムの人々もそうだったかもしれません。「天使たち?救い主?馬小屋に?」それなりの理由があったことでしょう。誰も聖家族を迎える家はありませんでした。それどころか、羊飼いたちはあざ笑いを受けたかもしれません。

 そして東の王なる博士たちの到来。しかし、彼らは動きませんでした。もしかしたら、ヘロデ王が動くのを待っていたのかもしれません。しかし、ヘロデ王はイエズス・キリストを亡きものにするために策略しただけでした。

 ベトレヘムの人々が気付く時には、すでに、聖家族は夜中に姿を消してしまっていたのです。

 東の王なる博士たちは、星に導かれて正義の太陽なるイエズス・キリストまでたどり着いたのです。願わくは私たちも、過去の不可謬の教えと聖伝のミサ聖祭に導かれて、聖伝のカトリック信仰を守り、私たちイエズス・キリストに最高の礼拝を捧げることが出来ますように!日出ずる大和の国に、正義の太陽なるイエズス・キリストが燦然と輝きますように!

 王なる博士たちにならって、私たちもイエズス・キリストに、愛の黄金と祈りの乳香と犠牲の没薬を捧げることが出来ますように!

天主の御母聖マリアよ、我らのために祈り給え!

文責:トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)

ロザリオの十字軍

2009年01月09日 | ロザリオの十字軍
アヴェ・マリア!

愛する兄弟の皆様、

 ベネディクト16世教皇様への霊的花束の報告を受け付けております。愛する兄弟の皆様からのご連絡を待っております。まだまだたくさんの報告をお待ちしております。よろしくお願いいたします。

天主様の祝福が豊かにありますように!

文責:トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)

麻生内閣総理大臣 平成二十一年 年頭所感を読んで

2009年01月08日 | カトリックとは
アヴェ・マリア!

愛する兄弟姉妹の皆様、

 麻生内閣総理大臣 平成二十一年 年頭所感を読みました。

====引用開始====

 新年あけましておめでとうございます。
 今年は、平成二十一年。今上陛下、御即位二十年であります。国民とともに、心からお祝い申し上げたいと存じます。

 この二十年間、日本は、平和と繁栄を続けてまいりました。バブル崩壊、金融危機など、いくつかの困難にも見舞われましたが、国民の力によって、見事に乗り越えてきました。

 しかし、アメリカ発の百年に一度と言われる世界的な金融・経済危機が生じています。日本だけが、この「つなみ」から逃れることはできません。しかし、適切な対応をすることにより、被害を最小に抑えることはできます。

 国民の皆さんの、景気や生活に対する不安。これを取り除くため、政府は、全力を尽くします。そして、世界の中で、最も早くこの不況から脱するのは、日本です。

 振り返れば、日本人は、これまでも、自らの選択と努力によって、日本という国を保守し、変化させながら、発展させてきました。近代に入ってからも、二度の大きな危機に直面しながら、そのたびに、新たな道を切り拓き、驚異的な成功をおさめてきました。

 百四十年前。明治の先人たちは、戊辰戦争という内戦の中で、新年を迎えました。しかし、殖産興業を推し進め、欧米列強に屈することなく、肩を並べるまでになりました。

 次に、六十年前。昭和の先人たちは、戦争によってすべてを失い、占領下の新年を迎えました。しかし、その後の革新的な努力によって、世界第二位の経済大国をつくりあげました。

 「日本」は、「日本人」は、その底力に、もっと自信を持っていい。これまでと同様に、日本という国は、ピンチをチャンスに変える。困難を必ず乗り越えることができると、私は信じています。

 私が目指す日本は、「活力」ある日本。「安心」して暮らせる日本です。日本は、これからも、強く明るい国であらねばなりません。

 五十年後、百年後の日本が、そして世界が、どうなっているか。未来を予測することは、困難です。

 しかし、未来を創るのは、私たち自身です。日本や世界が「どうなるか」ではなく、私たち自身が「どうするか」です。

 受け身では、だめです。望むべき未来を切り拓く。そのために、行動を起こさなければなりません。

 私は、決して逃げません。
国民の皆さんと共に、着実に歩みを進めていきます。

 新年にあたり、あらためて、国民の皆さんのご理解とご支援を、お願い申し上げます。

 本年が、皆さんお一人お一人にとって、すばらしい一年となりますよう、心よりお祈り申し上げる次第です。



平成二十一年一月一日

内閣総理大臣 麻生太郎

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 私は、カトリック教会の偉大な指導者であったルフェーブル大司教さまのことを思い出しました。
 カトリック教会は二〇〇〇年間、繁栄を続けてまいりました。異端の危機、戦争など、いくつかの困難にも見舞われましたが、天主様の御助けと聖人達の努力によって、見事に乗り越えてきました。
 しかし、第二バチカン公会議以来の世界的な教会の危機、信仰の危機が生じています。日本だけが、この「つなみ」から逃れることはできません。しかし、適切な対応をすることにより、被害を最小に抑えることはできます。

 司祭や司教さまのせいで教会はこのまま「どうなるか」ではなく、私たち自身がカトリック信仰を守らなければなりません。私たち自身はカトリック信仰を守るために何ができるか「どうするか」です。

 受け身では、だめです。大切な信仰を守り抜く。そのために、行動を起こさなければなりません。私たちは決して逃げてはなりません。

 ルフェーブル大司教さまは、決して逃げませんでした。着実に信仰を守っていきました。

 ルフェーブル大司教さまの御言葉をお聞き下さい。

「私たちは、心の底から全霊を上げてカトリックのローマに、すなわちカトリック信仰の保護者でありこの信仰を維持するために必要な聖伝の保護者である永遠のローマ、知恵と真理の師であるローマによりすがる。

 私たちは、しかしながら、第二バチカン公会議とそれに由来して公会議後の全ての改革において明らかに現れた公会議新近代主義と新プロテスタント主義の傾向を持つローマに従うのを拒否し、常に拒否した。実に、これら全ての改革はカトリック教会の瓦解と司祭職の崩壊、いけにえと秘蹟の無化、修道生活の消滅、大学・神学校・公教要理における自然主義とテイヤール主義、教会の荘厳教導権によって何度も排斥された自由主義とプロテスタント主義とに由来する教育のために貢献したし、今でも貢献し続けている。

 たとえ位階制度の最も高い地位に上げられたものであれ、いかなる権威といえども、十九世紀もの長きにわたって教会の教導職によって明らかに表明され、宣言された私たちのカトリック信仰を棄てる、あるいは減少させるように強制することは出来ない。

 聖パウロはこう言っている。「私たち自身であるにせよ、天からの天使であるにせよ、私たちがあなたたちに伝えたのとはちがう福音を告げる者にはのろいあれ。」(ガラチア1:8)

 これが今日、教皇様が私たちに繰り返し言われることではないだろうか。そしてもしも万が一、教皇様の言葉と行動において、また聖座の諸聖省の文書において、一つでも [過去の教導権との] 矛盾が現れるなら、その時私たちは、常に教えられていたことを選び、私たちは教会を破壊する革新に耳を閉じる。

 Lex credendi(信仰の法)を変更することなく les orandi(祈りの法)を深く変更させることは出来ない。新しいミサは新しい要理と新しい司祭職に対応し、新しい神学校、新しい大学、カリスマ運動的教会、聖霊降臨運動的な教会、また正統と常なる教導職とに対立する全てに対応している。

 この改革は、自由主義と近代主義とに由来するが故に、その全てに毒が含まれている。これは異端から生み出され異端へと辿り着く。良心的で忠実な全てのカトリック信者にとってこの改革を受け入れ、なにがしらであれそれに従うことは出来ない。

 私たちの霊魂の救いのために、教会とカトリックの教えとに忠実である唯一の態度は、改革を受け入れることを断固として拒否することである。

 それ故、いかなる反乱も、苦々しさも、憎悪もなく、私たちは常なる教導職の星の導きの元、司祭養成の事業を続ける。私たちは聖なるカトリック教会のために、教皇様のために、そして未来の世代のために、これよりも偉大な奉仕をすることが出来ないと確信している。

 それ故、聖伝の真理の光が永遠のローマの空を暗くしている暗闇を追い払う日を待ちながら、私たちは、永遠の教会によって過去信じられていたこと、信仰と道徳と礼拝、公教要理の教え、司祭の養成、教会の諸施設において実践されていたこと、公会議の近代主義の影響を受ける前に出版された本の中に法定化されたことを全て固く保持する。

 天主の聖寵と、童貞聖マリア・聖ヨゼフ・聖ピオ十世の御助けによって、こうすることによって、私たちはローマ・カトリック教会に忠実であり、ペトロの全ての後継者に忠実に留まり、fideles dispensatores mysteriorum Domini Nostri Jesu Christi in Spiritu Santo(聖霊において私たちの主イエズス・キリストの玄義の忠実な奉仕者)となることができると確信している。アーメン。」
私たちはカトリックのローマに、聖伝の保護者である永遠のローマによりすがる

「私たちは今、本当に劇的な状況にいます。私たちは、選ばなければなりません。敢えて言えば見かけ上の不従順か、あるいは私たちの信仰を捨てるかのどちらかです。ところで、教皇様は私たちに信仰を捨てるようにと命じることは出来ません。それは不可能です。ですから私たちは、信仰を捨てないことを選びます。なぜなら、そうすることによって私たちは間違うことがないからです。なぜなら、教会が2000年間教えてきたのです。教会がその間ずっと誤っていたと言うことはありえません。全くありえません。」
ルフェーブル大司教の説教 1976年6月29日

 ルフェーブル大司教さまは、聖伝のミサが禁止されたと全世界が騙されていたとき、一人で聖ピオ五世の大勅令を信じていました。

「聖伝のミサは禁止されていないし、禁止され得ないのです。・・・ このことから、もしもある司祭が、聖伝のミサのためにカトリック教会法典の制裁を受けたとしたら、或いは破門されたとしたら、この排斥は絶対的に無効です。・・・ 私たちは、聖伝のミサを全く良心の平安の内に捧げることが出来ますし、カトリック信徒たちも、何らの心配もなく、これこそが信仰を維持するための最善の方法であるという確信の内にこれに与ることが出来ます。
教会がどうなってしまったのか分からなくなってしまったカトリック信者たちへ ルフェーブル大司教の公開書簡 その20

「私たちは教会から離れたくありません。その全く反対です。私たちは、カトリック教会を続けたいのです! 自分の過去と断絶してしまった教会、それはカトリック教会ではありません。・・・ 将来、真理が再び明らかになることでしょう。私たちはそれを確信しています。それ以外では有り得ないからです。天主様は、ご自分の教会をお見捨てにはならないからです。」
(ジュネーブにおいての説教1978年5月15日)

 新年にあたり、あらためて、愛する兄弟姉妹の皆様のご理解とご支援とお祈りを、お願い申し上げます。

 本年が、愛する兄弟姉妹の皆様のお一人お一人にとって、天主様の祝福に満たされたよき一年となりますよう、心よりお祈り申し上げます。

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ラッツィンガーは、第三の秘密で聖母が悪しき公会議があると警告していると言った

2009年01月08日 | カトリック・ニュースなど
アヴェ・マリア!

愛する兄弟姉妹の皆様、

 ファチマ・クルセイダーの興味深い記事をご紹介します。

ファチマ・クルーセイダー
聖母の要求を果たさないための差し迫った懲罰
The Fatima Crusader Issue 80, Summer 2005
より
ポール・クレイマー神父、B.Ph., S.T.B., M. Div., S.T.L.(Cand.)


====引用開始====


 ・・・教皇ヨハネ・パウロ二世の親密な友人であり、また個人的にヨーゼフ・ラッツィンガー枢機卿を知っている一人の神学校教授は同じ印象を持った -- これは第三の秘密ではない、と。それは[第三の秘密では]あり得ない。

 そしてそれゆえ彼は、バチカンに行ったとき、ラッツィンガー枢機卿を訪ねた。そして彼に会った。彼は婉曲な物言いをしなかった。彼は言った:「これは不可能である!これは第三の秘密全体ではあり得ない!」と。そして彼はラッツィンガーに然りか否かを彼に答えるよう強く要求した。

「これは事柄全体ですか?これは事柄全体ですか、それともそうではないのですか?それは全体ではあり得ない。さあ、私に言ってください!」

 ラッツィンガーは認めた「確かに、それはそれの全体ではなかった。」

 この教授は私が個人的に知っている一人の司祭であり、そして私が知っている多くの人々がこの司祭を個人的に知っている。彼はさらに答を求めて迫った、自分は引き下がらないだろう、と。そして彼は詰問した。

「秘密には何があるのですか?もしそれがそれの全部でないならば、それでは、そこには何があるのですか?」

 ラッツィンガーの答はそれを明らかにしている。彼らがそれをそのように長年にわたって隠していた理由にはもはや何の不思議もない。そしてなぜバチカンの職員たちは、教皇ヨハネ二十三世の治世の間、彼らの新聞社向け発表において「それは決して公表されないであろう」と言ったのか?

 ラッツィンガーは、第三の秘密において、聖母が悪しき公会議があるでしょうと警告しておられる、と言った。そして聖母は諸々の変化に対して警告なさった。聖母は典礼における諸々の変化、ミサにおける諸々の変化に対して警告なさった。これは第三の秘密において明白に述べられている。

 しかしながら、ラッツィンガー枢機卿のような人々は第二バチカン公会議の言葉が神の言葉に相当すると信じている。彼らは公会議のうちに何らかの悪があると信じることができない。そしてそれゆえ、彼らはファチマのメッセージを信じないことを選ぶのである。

 そしてこれはラッツィンガー枢機卿がファチマの聖母の御出現はシスター・ルチアの想像の中に呼び出された何物かであると示唆した理由である。・・・


 第二バチカン公会議において、われわれは非カトリックおよび非キリスト教のすべての諸宗教が善なるものとして記述されているのを見る。公会議後の教会(Conciliar Church すなわち、すべての時代のカトリック教会ではないもの)においては、すべての諸宗教が善なるもの、そして真なるものとして考えられている。公会議後の教会に従えば、彼らはいくつかの誤謬を持つという不幸に苦しんでおり、そして善と混合されたいくつかの悪がある、しかし彼らは善であり、そして彼らは真である、と。

 それは新しいエキュメニカル教会:すなわち、ローマ・プロテスタント・公会議・エキュメニカル教会の偽りの教説である。ローマ・カトリック教会は常に一つの異なった教えを持ち続けてきた。ただ一つの真の宗教が存在する。ただ一つの真の教会が存在する。ただ一つの真の信仰が存在する。そしてそれはカトリックである。他のすべての諸宗教は偽りの諸宗教である。他のすべての諸教会は偽りの諸宗教である。それは常にカトリック教会の教えそして信仰であった。

 それゆえここにわれわれは、教皇ピオ十二世によって告げられたように、教会史における最大の異端となりつつあるものの始まり -- 世界がかつて見た最も大きな苦しみをもたらすであろうものの始まり -- をすでに見ているのである。

サタンの支配下の教皇?

 マラキ・マルタン(マラカイ・マルティン Malachi Martin)は、アート・ベル・ショーにおける彼の最後のインタビューの中で、一人の反教皇について話した。オーストラリアから電話で呼び出しをする一人の電話をかけてきた人がいた。そして彼は一人のイエズス会士が彼に、第三の秘密において、言ってみれば、完全に悪魔の支配下に置かれた一人の教皇が出るであろうということが明らかにされていると彼に明らかにしたと言った。マラキは答えた。「それは文字通り、第三の秘密の内容のように響く」と。

 教皇聖ピオ十世は、彼が一つの幻視を見たと言われた。そして彼はその幻視の中で、彼の後継者が彼の兄弟たちの死体の上を飛んで行くのを見られた。そしてこの教皇は国外追放の身とならなければならないであろう、ということを見られた。彼は身を隠すことになるであろう、彼は自分の身分を隠すために変装しなければならないであろう。彼は引退して暮らすであろう。しかしそれから彼は発見されるであろう。そして彼は残酷な死を遂げるであろう、という幻視である。

 私は、われわれが、これらの預言はベネディクト十六世のこの教皇在位期間において実現されるかもしれないと、安全に結論することができる、と思う。私がこのことをなぜ信じるか、その一つの理由は、私がローマの聖痕を持った人、アントニオ・ルフィニを個人的に知ったからである。私は彼をほとんど20年の間知っていた。彼は1955年に目に見える聖痕を受けた。そして彼は教皇ピオ十二世によって非常に高く尊敬された、それでピオ十二世はルフィニが聖痕を受けたその地点に一つのチャペルを建てることを認可した。

 私はルフィニに単刀直入に尋ねた:「ロシアの奉献についてはどうですか?ロシアを奉献なさるのは教皇ヨハネ・パウロ二世でしょうか?」

 ルフィニはこう答えた:「いいえ、それはヨハネ・パウロ二世ではないでしょう。それは彼のすぐ次の教皇ではないでしょう。しかしその後の教皇、彼はロシアを奉献する教皇でしょう。」

 そのことはヨハネ・パウロ二世と彼の第二番目の後継者との間に、中間のただ一つの教皇在位を残す。彼は教皇ピオ十世が幻視において見られた教皇、懲罰の教皇であろう。聖母がその御出現の一つの中で言われたように、「ローマは一つの大きな革命を経験するでしょう。」それは、バチカンに大量殺戮、大虐殺がある時であろう。そして教皇は変装してローマを逃れるであろう。


「暗闇の偽りの教会」

 これは、聖母が、教皇は迫害されるでしょうと言われたとき、意味されていたことである。教会は迫害されるであろう。聖痕を受けたアウグスティノ会の修道女、アンナ・カタリナ・エンメリッヒは偽りの教会、彼女が「暗闇の偽りの教会」と呼ぶものを記述している。

 正教会とプロテスタンティズムの諸々の誤謬はその偽りの教会によって採用されるであろう。それは一つのエキュメニカルな教会となるであろう。なぜなら、反教皇が世界によって -- 信徒によってではなく、世界によって -- 世俗的世界と世俗的諸政府によって認められるであろう。

 反教皇はその「教会」の合法的な教皇として、そしてバチカン国家の合法的な長として認められるであろう。その「教会」はすべての偽りの諸宗教と結びつけられるであろう。それらはフリーメーソンの傘という普遍性の下で一緒に結びつけられるであろう。その混成のエキュメニカルな合体においていわゆる文明化された世界の認められた宗教が存在するであろう。これは、世界がかつて見たことがないような大迫害の時代にわれわれが入って行くであろう仕方である。・・・

====引用終了====



共産主義の狂気:『収容所群島』(ソルジェニーツィン)から:なぜ隣人を訴えるのか

2009年01月06日 | 共産主義
アヴェ・マリア!

愛する兄弟姉妹の皆様、

 ファチマ・クルセイダーの興味深い記事をご紹介します。

ファチマ・クルーセイダー
講演者の抜粋:ロシアは迫害の仕方を世界に教えた by デイヴィッド・アレン・ホワイト、PH.D.
The Fatima Crusader Issue 84, Winter 2006


 [ロシアから]広められたこれらの誤謬の二三の他の点についてこれから述べましょう。私は『収容所群島』からのいくつかの抜粋を読もうと思います。というのは、それらはロシアが広めている諸々の誤謬:すなわち、無神論、物質主義、偽りのユートピア - を非常に明白に描写しているからです。そしてここにもう一つのことがあります。ソルジェニーツィンから引用します:
「ここにそれが現実に起こったように、あの時代からの一つの場面描写がある。ある地区党委員会がモスクワ地区において開かれていた。その委員会は一人の最近逮捕された書記に取って代わった地区党委員会の新しい書記がその議長を務めた。会議の終わりに同志スターリンに対する賛辞が求められた。もちろん、全員が立ち上がった(ちょうど会議の間スターリンの名に言及されるたびに全員がさっと立ち上がったのと同じように)。小さなホールは「一つの熱烈な大喝采にまで高まる嵐のような拍手」で反響した。

「3分間、4分間、5分間『一つの熱烈な大喝采にまで高まる嵐のような拍手』は続いた。しかし両方の手のひらは痛くなり、持ち上げた両腕はすでに痛んでいた。そして老人たちは極度の疲労から息を切らしてハアハア言っていた。それは本当にスターリンを崇拝していた人々にとってすらこの上なく愚かなことになっていた。」

「しかしながら誰が敢えて最初に[その拍手]を止めるであろうか?地区党委員会書記は最初に拍手を止めることができたであろう。彼は演壇に立っていた。そして大喝采を求めたのは彼であった。しかし彼は新人であった。彼は逮捕された一人の男に取って代わったのであった。彼は恐れていた!結局のところ、NKVD [ KGB の前身]の職員たちは、皆が拍手喝采をしているホールに立っており、誰が最初に[拍手を]止めるかを見守っていたのであった。」

「そして指導者には未知のあの薄暗い小さなホールの中でその拍手は続いた - 6分、7分、8分も! 彼らはだめになってしまった!彼らはやっつけられてしまった!彼らは今や心臓麻痺で倒れるまで止めることができなかった。混雑していたホールの後ろの方では彼らはもちろん少しばかり人を欺いて、あまり頻繁にでなく、あまり力強くでなく、それほど熱心にでなく拍手することができたが、誰もが彼らを見ることができたあの上の最高会議常任幹部会と一緒ではどうだろうか?」

「自主的で強い精神の持ち主である地方の製紙会社の取締役は最高会議常任幹部会と一緒に立っていた。その状況のあらゆる虚偽とあらゆる不可能性に気がついていても、彼はなお拍手を続けていた!9分間!非常な悲しみのうちに彼は地方党委員会書記を見守った。しかし書記は敢えて拍手を止めようとはしなかった。狂気!最後の人間に!彼らの顔に見せかけの熱狂をたたえ、かすかな希望をもってお互いに顔を見合わせながら、地方の指導者たちは、彼らが立っているところで倒れるまで、担架でホールの外に運び出されるまで、ただただ拍手をし続けていた。そしてそのときでさえ残された者たちはたじろがないのであった...」・・・

 ここでの誤りは何でしょうか?一つの異なった種類の集団主義です。それは、われわれが実際一つの群に中の羊であるという考えです。そしてわれわれはわれわれを脅えさせる人には誰でも従うでしょう。われわれは強くて、自主的で、真実を語る人々、偽りの下で生活することの不条理について真正の感覚を持っている人々には従わないでしょう。われわれはただ同調するだけでしょう。

 集団農場を形成する以外に集団を形成する他の仕方があります。そしておそらくロシアが世界中に広めてきた最もぞっとさせる集団主義は、そこでわれわれが皆何かあることをすることを恐れて同じことを考え、同じことを行う、集団的な思想と行動です。

 今私はあなたたちに一つのシリーズを読んでいます。これは再び『収容所群島』から、人々がどんな廉で逮捕されるようになるかそのことについてです。そして私がこのようにする一つの理由はただわれわれが重大な迫害のために準備する必要があるということを非常にはっきりさせるためです。

ロシアが世界に教えたことは何でしょうか?迫害の仕方です。私は再びソルジェニーツィンを引用します:

「自分の針を取っておこうとしたある仕立屋は針を失わないようにとそれを壁に貼ってあった新聞の上に突き刺した。そしてたまたまその針をカゴナヴィッチ(あるソビエトの政府高官)の眼に突き刺した。客の一人がこのことを目撃した。第58項、10年[の刑](テロリズム)。」

「ある運送業者から商品を受け取った女子販売員はそれを一枚の新聞紙の上に置くように指示した。他の紙がなかったからである。沢山の石鹸が同志スターリンの額の上に落ちた。第58項、10年[の刑](テロリズム)。」

「村のクラブ・マネージャーが同志スターリンの胸像を買いに彼のガードマンと一緒に出かけた。彼らはそれを購入した。胸像は大きくて重かった。彼らはそれを二人で一緒に樽に入れて運ぶべきであった。しかしマネージャーの地位は彼にそうすることを許さなかった。『よし、お前がそれをゆっくりと持って行くように工夫しろ』。そして彼は先に行ってしまった。年老いたガードマンはそれをどのようにしたらよいか長い間考えたが考え出すことができなかった。彼はそれを脇に抱えて運ぼうと努めたけれども、胸像に腕をまわすことはできなかった。前面にそれを抱えようと努めたけれども、彼の背中に痛みを与えた。そして彼はバランスを崩して後方へ投げ出された。最後に彼はどうすればよいか、その方法を考え出した。彼は自分のベルトをはずし、同志スターリンのために首縄を作り、それを自分の首にまわし、このようにして胸像を肩にかつぎ、村を通り抜けた。よろしい、それについて議論すべきことは何もなかった。それは明々白々なケースであった。第58項、テロリズム、10年。」

「耳が聞こえず口のきけない一人の大工が反革命煽動のために宣告を受けた。どのようにしてか?彼はあるクラブで床に横たわっていた。あらゆるものが一つの大きなホールから取り除かれていた。そしてそこにはどこにも釘あるいは鈎はなかった。彼が仕事をしている間、彼は自分のジャケットと制帽をレーニンの胸像に引っかけた。誰かが入って来てそれを見た。第58項、10年。」注2)

 これは何頁にもわたって続きます。そしてそれはまったくぞっとさせるものです。しかしあなたたちは、何百万、何千万の人々がどのように収容所に送られたかを理解するようになります。そしてあなたたちはまたなぜ人々が彼らの隣人たちを訴えるか、その理由を理解します。
 もし私があなたを訴えるべきであったとすれば、そのときそれは私がよい人物であるということを意味します。それゆえ、私はあなたが私を訴える前にあなたを訴えなければならないのです。そしてあなたたちは病的でキリスト教的愛にまったく反する一つの思想体系を発展させるのです。

 汝の隣人を汝自身と同じように愛するなかれ、汝の隣人を、汝の隣人が汝を訴えることができる前に訴え、汝の隣人を逮捕せしめよ。

 ところでこの狂気をわれわれは何か正気でないあるものとして見るかもしれませんが、しかし私は、ここから飛行機で帰国なさるあなたたちの誰もが西欧に広まっているロシアのこの誤謬を経験されたのだと、あなたたちに告げたいと思います。私は旅行しているときに80歳くらいの年輩の女性が空港で裸にされて検査されるために連れて行かれるのを見ました。そして私がここへ来る途中で、22歳の女性が私が金属探知器をやり過ごしたと言い張ったときズボンを下げることを強制されました。そして彼らは私のどこからもいかなる金属も見つけることはできませんでした。これは狂気です。そしてそれがなされている理由は、われわれが不服を言わないように、そして何であれ彼らがわれわれに課そうとしていることに慣れるように、われわれを一つの群に変えることなのです。そしてわれわれはそうしつつあるのです。それは誤りです。それはロシアから来ています。それは単なる始まりにすぎないのです。

【関連記事】

国連は世界平和のための誤った解決:国連は共産党が計画したもの

2009年01月06日 | カトリック・ニュースなど
アヴェ・マリア!

愛する兄弟姉妹の皆様、

 ファチマ・クルセイダーの興味深い記事をご紹介します。

ファチマ・クルーセイダー
国連:世界平和のための誤った解決
The Fatima Crusader Issue 84, Winter 2006


国連は「社会学的な支配のため」に共産党が計画したもの

 共産党のかつてのメンバーは国連の「クレムリンのある黒幕が...国連を一つの平和維持の組織として考えたことは決してない」ということを証言しました。

 彼は国連が「社会学的な支配のため」に共産党が計画したものであったと言いました。それは、その目的が「西欧への共産主義の浸透」である一つの「トロイの馬」です。実際、国連の詳細な計画はレーニンによって描かれ、スターリンによって拡大され、そしてフルシチョフによって洗練されました。

 共産主義者たちは、国連がそこから「彼らが全世界の人々に彼らの政府の頭越しに説教することができる、ソビエト宣伝のための最も重要な演壇の一つ」であると公然と主張しました。

 ソビエトの人々は国連本部は合衆国にあるべきだと主張しました。ここから彼らのスパイたちは[国連]代表やスタッフとしてのポーズを取りながらアメリカ社会に潜入するために彼らの外交官特権を用いることができました。 FBI の元長官、J.エドガー・フーバーは「国連に割当てられた共産党の外交官たちがこの国におけるロシア諜報活動の主力を代表していると述べました。」

 合衆国共産党の一人の元指導者はアメリカの共産主義者たち - 彼らの多くは政府要人でした - がまた国連の計画と創出において主要な役割を持っていたということを認めました。上院査問委員会の議長はこう述べました:「...今日国連においてはそこのアメリカ人公務員の間にはこの委員会がこれまでに直面した共産主義者たちの最大の集中が存在する...これらの人々は高い地位を占めている...ほとんどすべての人は合衆国政府において高いそして微妙な地位にある公務員であった。」

 委員会は政府が彼らは共産主義者であること、そして彼らを意識的に国連へ転任させていることを知っていると考えていました。どの組織においても最初のメンバーたちはその組織がその上に建てられた原理に従って働くようにする人々です。それゆえに注意深い計画が全体主義的なフリーメーソン的帝国をきっぱりと確立する道の上に国連をしっかりと据えることに置かれました。

 著名なソビエトのスパイ、そして外交関係委員会(Council on Foreign Relations=CFR)のメンバーであったアルジャー・ヒスはルーズベルトの顧問でした。彼はまたサン・フランシスコに国連会議を創設する事務総長であり、そして国連憲章を書くのを助けました。もう一人の著名な重要人物は財務省の長官補佐であったハリー・デクスター・ホワイトでした。フリーメーソンであったハリー・トルーマンの支持によって彼は国連国際通貨基金(United Nations International Monetary Fund = IMF)の設立を助けました。

 IMF は世界政府に帰着するであろう世界通貨の「[世界的]発券銀行のための枠組み」です。IMF とその姉妹である国連機関、世界銀行は CFR すなわち(フリーメーソンの)イルミナーティ(Illuminati)です。人道主義的援助を装って世界銀行は主としてアメリカの税金を社会主義と共産主義を広めるために貸し付けています。

 すべての国連事務総長たちは反キリスト者であり反西欧の人々でした。彼らは世界の市民であり、自分自身の国に対する忠誠を越える反キリスト教的な一つの世界政府というフリーメーソンの理想に忠誠を尽くす人々です。

 U.S. News & World Report は次のように述べました:「...国連における行政官の半数もの多くの人々は共産主義者であるか、あるいは彼らが望むことを喜んでする人々である。」

 1955年に合衆国における共産主義政治闘争に関わった一人のかつての共産主義者は公にこう認めました:「...共産主義者たちが国連を支配しており、そしてそのすべての価値のためにそれを使っているということには何の疑いもあり得ない...[国連の]特別機関のほとんどは...実際彼らによって操作されている。

 もし世界を支配する権威が共産主義の化身であるならば、人はどうして共産主義は死んだと言うことができるでしょうか?

 以下の諸機関がその目標と方法論において完全に共産主義的であるということを見るためには、人はただ大多数の国連特別機関を研究するだけで十分です。

 すなわち、ユニセフ、世界保健機構( WHO )そしてユネスコ、子どもたちやフェミニストたちに家庭を破壊する諸権利を与えている諸々の条約や会議、諸宗教連合機構( United Religions Organization=URO)、そしていわゆる平和維持活動などがそうです。

 てっとり早いいくつかの例を挙げましょう:世界保健機構の長は人間行動を変えるために子どもたちの教育において「正邪の概念の根絶」を求めました。諸宗教連合機構(URO)は国連の無神論的、オカルト的な一つの世界宗教の組織です。それは地球人口をその90%まで除去する(編集者注:すなわち、50億人を除去する)ことを望んでいるマルクス主義者のミハイル・ゴルバチョフがその共同設立者になっている組織です。ユネスコは世界政府と優生学のビジョンに基づいて設立されました。

 共産主義は「歴史上の戦争の大部分を全部合わせたよりももっと多くの死者と破壊とを犯して来ました。」その諸々の政策は数千万の家族を破壊し、家庭や国家を滅ぼして来ました。そしてそれは異なった衣を着ながら、その大虐殺の道において野放しのままに歩み続けています。平和ということによって国連は、前の国連事務総長ウ・タントによって認められたように、その中で共産主義者による世界の支配権奪取に対するすべての反対が除かれる共産主義的平和を意味しています。

 国連憲章の仕上げの前にあるアメリカの上院議員はこう予言しました:「[国連]憲章の採択は...戦争の永続化を意味するであろう。」

 ジョージ・オーウェルが彼の書物『1984年』において警告しましたように、われわれは皆、われわれが平和のうちに生きることを望むならば、いつかビッグ・ブラザーを愛するでしょう。彼はこう述べています。平和省が戦争に関わり合っていると同時に、この時期の間のスローガンは「戦争は平和である」となるであろう、と。

 これはまさに、国際「平和維持」軍が「平和を作る」という新しい職業についての定義説明の下で戦争を遂行しているときにわれわれが今日見ていることではないでしょうか?しかし国連の大規模な宣伝機構とメディア統制は人々が真理を知ることを妨げています。1961年にアメリカ国連大使で CFR 委員長のアドレー・スティーヴンソンは国連報道部に国連の意図について嘘を言い、事実以上によく見せる姿を描くように教えました。

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ファチマ・クルーセイダー
特別差込:聖母が要求なさっているのはロシアの奉献である


 ポルトガル生まれのマヌエル・ロチャ神父(Father Manuel Rocha)は、上述のインタビューのためのウォルシュ教授の指定された通訳であった。彼は、もしロシアの奉献が間に合うようになされないならば、われわれすべてが危機に瀕するということをいっそう明らかにさえする一つの細目を報告している。ウォルシュ氏が上に報告したことに続けてわれわれは次のことを引用する:

「しかし彼女(シスター・ルチア)は一度ならず、そしてよく考えた上で強調してこう言った:「聖母が望んでおられることは教皇と世界のすべての司教たちがある特別の日に聖母の汚れなき御心にロシアを奉献なさるということです。もしこのことがなされるならば、聖母はロシアを回心させられるでしょう。そして平和が訪れるでしょう。もしこのことがなされないならば、ロシアの諸々の誤謬が世界のあらゆる国々に広まるでしょう。」

(ウォルシュ教授)「このことはあなたの意見では例外なしにあらゆる国が共産主義によって制覇されるだろうということを意味するのですか?」

(シスター・ルチア)「そうです!」(Our Lady of Fatima,1947, p.226)

“Does this mean, in your opinion, that every country, without exception, will be overcome by Communism?”
(Sister Lucy) “YES!”

 ロチャ神父はウォルシュ氏がシスター・ルチアの答えについてはっきりさせたいと望んで、次の質問をつけ加えてもう一度繰り返し尋ねたということを証言した:

「そしてそのことはアメリカ合衆国もまた[そうだ]ということを意味するのですか?」

シスター・ルチアは再び答えた:「そうです!」
(このことはThe Wonders She Performs,1986, p.160 という書物において報告されている。)

“and does that mean the United States of American too?”
Sister Lucy again answered, “YES!”


イエズス・キリストの聖名

2009年01月05日 | トマス小野田神父(SSPX)のひとり言
アヴェ・マリア!

愛する兄弟の皆様、

 1月は、私たちの主イエズス・キリストの聖名の聖月です。

 聖ペトロの言葉です。
「私たちが救われるべき名は、人間たちに、天の下、その名以外与えられなかった」.
Nec enim aliud nomen est sub caelo datum hominibus in quo oporteat nos salvos fieri.

 聖パウロの言葉です。
「イエズスの名に、全ての膝は、天の者たちの膝、地上の者たちの膝、地獄の者たちの膝は屈められる。」
In nomine Iesu omne genu flectatur caelestium terrestrium et infernorum.

イエズスよ、我らを救い給え!

愛する兄弟の皆様に天主様の祝福が豊かにありますように!

トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)

聖ピオ十世会(SSPX)アメリカ管区、カンザス・シティーで司祭叙階式(2008年)

2009年01月02日 | 聖ピオ十世会関連のニュースなど
アヴェ・マリア!

愛する兄弟姉妹の皆様、

 昨年末にアメリカの聖ピオ十世会(SSPX)のカンザス・シティーの聖ヴィンセンシオ・ア・パウロ教会で司祭叙階式が行われました。その写真を幾つかご紹介します。

The ordination of Rev. Fr. Benjamin Campbell to the holy priesthood and Mr. Jordan Fahnstock to the Subdiaconate by His Excellency Richard N. Williamson. Ceremony at St. Vincent de Paul Church, Kansas City, MO.


アメリカの聖ピオ十世会(SSPX)のカンザス・シティーの聖ヴィンセンシオ・ア・パウロ教会で司祭叙階式 2008年12月

アメリカの聖ピオ十世会(SSPX)のカンザス・シティーの聖ヴィンセンシオ・ア・パウロ教会で司祭叙階式 2008年12月

アメリカの聖ピオ十世会(SSPX)のカンザス・シティーの聖ヴィンセンシオ・ア・パウロ教会で司祭叙階式 2008年12月

アメリカの聖ピオ十世会(SSPX)のカンザス・シティーの聖ヴィンセンシオ・ア・パウロ教会で司祭叙階式 2008年12月

アメリカの聖ピオ十世会(SSPX)のカンザス・シティーの聖ヴィンセンシオ・ア・パウロ教会で司祭叙階式 2008年12月

アメリカの聖ピオ十世会(SSPX)のカンザス・シティーの聖ヴィンセンシオ・ア・パウロ教会で司祭叙階式 2008年12月

アメリカの聖ピオ十世会(SSPX)のカンザス・シティーの聖ヴィンセンシオ・ア・パウロ教会で司祭叙階式 2008年12月

アメリカの聖ピオ十世会(SSPX)のカンザス・シティーの聖ヴィンセンシオ・ア・パウロ教会で司祭叙階式 2008年12月

アメリカの聖ピオ十世会(SSPX)のカンザス・シティーの聖ヴィンセンシオ・ア・パウロ教会で司祭叙階式 2008年12月

アメリカの聖ピオ十世会(SSPX)のカンザス・シティーの聖ヴィンセンシオ・ア・パウロ教会で司祭叙階式 2008年12月

アメリカの聖ピオ十世会(SSPX)のカンザス・シティーの聖ヴィンセンシオ・ア・パウロ教会で司祭叙階式 2008年12月

アメリカの聖ピオ十世会(SSPX)のカンザス・シティーの聖ヴィンセンシオ・ア・パウロ教会で司祭叙階式 2008年12月

アメリカの聖ピオ十世会(SSPX)のカンザス・シティーの聖ヴィンセンシオ・ア・パウロ教会で司祭叙階式 2008年12月


詳しくは、


Amanda Simpson's Albums
SSPX Ordinations 2008 Kansas City, MO

をご覧下さい。

【関連記事】



本当に幸福な新年を

2009年01月02日 | トマス小野田神父(SSPX)のひとり言
アヴェ・マリア!

愛する兄弟の皆様、

 Happy new year! と私たちは普通に新年の喜びを祝います。ところが今年はルルドの聖母マリア様のことを考えました。

 天主の御母聖マリア様は、ルルドで聖ベルナデッタにこう約束しました。

「私はあなたにこの世での幸せを約束しませんが、来世での幸せを約束します。」

 天主の御母聖マリアが、ご自分の愛する娘ベルナデッタに約束も出来なかった幸福を、私たちが新年に願うことが出来るのか、と思ったのです。

 実際に、聖ベルナデッタは、病気、不信、軽蔑、無理解、疲労、無視など、多くの苦しみと悲しみを経験しました。彼女はこの世の中の普通に願うような幸福とは無縁でした。

 しかし、聖ベルナデッタは、この世の全ての苦しみを雄々しく、寛大に、愛を込めて、捧げました。天国の永遠の幸福のために捧げました。

 ルルドの美しい貴婦人、天主の御母聖マリアは、愛する娘であるベルナデッタに、おもしろおかしく楽しく、苦労も悲しみもない人生を願うこともせず、約束もしませんでした。この世での成功や名誉、名声を願わず、また約束しませんでした。

 天主の御母聖マリアは、むしろ、十字架を、苦しみを、いけにえを、ベルナデッタに願い約束したのです。何故なら、十字架こそが唯一の希望、天国への道、キリスト教信者の生涯の輝きだからです。

Tota vita Christi Crux fuit et martyrium.
Et tu tibi quaeris requiem et gaudium?

キリストの全生涯は十字架と殉教だった。
それでもお前は自分のために休憩と順境・随喜を求めるのか?

 ルルドの聖母マリアは、人生の中心に十字架の木を植え、十字架の木を立て、私たち自身をイエズス・キリストと共にいけにえとして捧げることを教えてくれているのです。

Si libenter Crucem portas portabit te
et ducet te
ad desideratum finem
ubi scilicet finis
patiendi erit
quamvis hic non erit.

もしもお前が喜んで十字架を担うなら、
十字架はお前を担い導くだろう、
お前を望みの最終のところへ、
つまり、苦しみが終わるところへ、
ただし、終りがないところへ、
ただしここ、この世にはないところへ。

 ルルドの聖母マリアは、聖ベルナデッタを通して私たちに、本当のキリスト教精神を教えているのです。

 十字架は、死と苦しみとは、原罪という罪の結果です。罪の罰です。

 しかしながら、私たちの主イエズス・キリストは、十字架を通して、購いの手段・命への道・本当の幸せへと至る唯一の希望に変え給うたのです。

 そうです。天主の御母聖マリアは、ウソの幸福ではなく、真の本当の幸福を願っておられるのです。だからこそこう言ったのです。

「私はこの世での幸せは約束しません。しかし、来世での幸せを約束します。」

 ルルドの聖母マリア様は、私たちに本当に幸福な新年を願っておられることでしょう。

 私たちがイエズス・キリストをますます愛する新年を。イエズス・キリストの十字架を愛し望み受け入れ担う新年を。罪と罪の機会を避ける本当に幸福な新年を。

ルルドの聖母マリアよ、我らのために祈り給え!

無原罪の御宿りよ、我らのために祈り給え!

ラ・サレットの聖母マリアよ、我らのために祈り給え!

アルスの聖司祭よ、我らに天国への道を示し給え!

アルスの聖司祭よ、我らのために祈り給え!

文責:トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)

新年の夢と祈り

2009年01月01日 | トマス小野田神父(SSPX)のひとり言
アヴェ・マリア!

愛する兄弟の皆様、

 新2009年明けましておめでとうございます。

 昨年2008年には日本の188名殉教者の列福があったことを天主様に感謝します。

 私には、クリスマスの夢と言うか望みがあります。もし、日本で教会を持って働くことができたらクリスマスの季節にしたいことがあります。

 それは、ローマのクリスマスの美しい習慣を真似したいと言うことです。ローマでは、クリスマスのあと1月6日ごろまで、ミサ聖祭のあと、赤ちゃんのイエズス・キリストのお人形に聖体拝領の柵にひざまづいて接吻します。それを、是非、日本でもやりたいと思います。

 そして1月1日には赤ちゃんのイエズス・キリストのお人形の代わりに、過去の絵踏みの償いに、踏み絵にされた聖画に接吻して、それを「インカルチャーレーション」としたいと思います。

 何故なら、過去二百数十年以上、1626年(寛永5年)に始まって、1641年(寛永18年)からは幕末まで、日本中で一人残らず、絵踏みが毎年正月の1月1日に行事として行われたからです。

 その償いをやはり1月1日に接吻することによってなすのが相応しいと思うからです。

 私たちは、日本の国旗である日の丸がどこでであれ、踏みにじられるのを見ると、心が痛みます。

 私たちの主イエズス・キリストは、天主の御母聖マリアの御影が私たちの祖先によって、いやいやながらであったとしても、日本全国津津うらうら、毎年正月に踏みにじられるのをどれほど心苦しく思ったことでしょうか。

 私たちの主イエズス・キリストを私たちに伝えようとした聖フランシスコ・ザビエルは「日本は私の喜び、日本人は私の親しい友」と断じてはばからなかったのですが、秀吉と徳川の日本は、イエズス・キリストを血生臭い迫害をもって取り扱ったのでした。悲しいかな!!

 だからこそ、少なくとも私たちは、毎年正月に、踏みにじられた御影に接吻を捧げたいと思うのです。そしてそれを代々、千代に八千代に、日本が日本として続く限り、さざれ石が巌となって苔が結ぶまで、私たちの主イエズス・キリストへの接吻が繰り返し毎年正月行事として続くことを願っています。

 そして私たちの主イエズス・キリストが尊ばれる限り、私たちの生まれ育った愛する郷土、祖国日本は、平和を楽しむことでしょう。

 さもなければ、キリスト教を迫害していた徳川幕府が消滅さた時のように、「九条の眠りを覚ますテロリスト、たった一度で夜も寝られず」、という恐ろしい時代が来るかもしれません。何故なら、本当の平和はイエズス・キリストだけが私たちに与えることが出来るからです。さもなければ「やがて死ぬ気配は見えず蝉の声」と詠まれたごとくになってしまうことでしょう。

 天主様の御恵みによって、このイエズス・キリストへの接吻が正月の年中行事となるという夢が叶いますように!

天主の御母聖マリア、我らのために祈り給え!

聖フランシスコ・サベリオ、我らのために祈り給え!

日本の尊き殉教者、我らのために祈り給え!

愛する兄弟の皆様の上に天主様の新年の祝福が豊かにありますように!

文責:トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)

--このブログを聖マリアの汚れなき御心に捧げます--

アヴェ・マリア・インマクラータ!
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