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【ロザリオの十字軍】クリスマスまで教皇様のための百万環(五百万連)の霊的花束

2008年12月08日 | ロザリオの十字軍
アヴェ・マリア!

愛する兄弟姉妹の皆様、

 天主の御母聖マリアの無原罪の御宿りの祝日、おめでとうございます。

(この無原罪の御宿りの祝日に合わせて、是非、「マニラの eそよ風」第384号聖母無原罪の御やどり 罪の汚れなき霊魂の清さ をご覧下さい。)

 さて、アジア管区長のクチュール神父様の御意向に合わせて、日本のロザリオの十字軍による教皇様のための霊的花束は、8月1日から12月8日まで延長されましたが、さらに、フェレー司教様の全世界での聖ピオ十世会のロザリオの十字軍による霊的花束に合わせて、8月1日から12月25日(私たちの主イエズス・キリストの御降誕祭)まで延長されております

 フェレー司教様はこういわれています

この新しい困難に立ち向かって、私たちはもう一度皆様の寛大さに訴えたいと思います。トリエント・ミサが戻ってくることを勝ち得たという私たちの最初のロザリオの十字軍の成功を見て、私たちは今度、聖母マリア様の御取り次ぎにより破門の教令の撤回を勝ち得るために、新しい百万環(一環は五連)の花束を聖母マリア様にお捧げしたいと思います。

 そこで十一月一日より私たちの主イエズス・キリストの御降誕の祝日まで、私たちは刷新された熱意を持って、歴史のこの難しい時代にあって、教皇様がイエズスの聖心の望みに従って全教会の善のためにその偉大なる役職を忠実に執行し給うように心して祈ります。私たちは、教皇様からのそのような [破門撤回の] ジェスチャーは、神秘体の上に、聖伝の典礼の自由の時と同じような深い効果を及ぼすことだろうと、確信しています。


 フェレー司教様の「友人と恩人の皆様への手紙 第73号」を御覧になっても分かる通り、聖ピオ十世会の意向は、

(1)天主の御母聖マリアから、不正義で無効ないわゆる「破門」ということの撤回を得ることです。これは聖ピオ十世会のためというよりは、カトリックの聖伝の名誉のためです。何故なら、私たちはこのいわゆる「破門」といわれているものが最初から全く無効であることをよく知っているからです。この「破門」が全く無効であったと宣言されるべきであるのは、むしろ、これによりルフェーブル大司教様において全カトリック聖伝が「破門」されているかのように排斥され蔑視され捨て去られているからです。全カトリック教会が、二千年間のカトリックの聖伝を愛し尊重しこれを大切に守るために、「破門」のレッテルが撤回されることがカトリック教会の未来にとって極めて大切だからです。

(2)さらに、第二バチカン公会議とその全ての誤謬(間違ったエキュメニズム、共産主義に反対せずに沈黙していること、司教団体主義、自由主義の精神など)に対してなされる、反論、神学的議論などは、カトリック聖伝の名前を持ってなされる全ての論点は、単に「破門」のレッテルだけをもって全く無視されているからです。人々はこのレッテルだけにとらわれ、カトリック信仰そのもの、私たちの主張の内容を振り向こうともしないからです。何故なら、このレッテルのために、多くの人々が、聖にして母なる教会の古き良き時代に唯一戻らせることが出来る生ける水の泉に来ることを恐れているからです。

(3)教会の危機という難しい時代にあって、教皇様がイエズスの聖心の望みに従って全教会の善のためにその偉大なる役職を忠実に執行し給うためです。カトリック教会の危機の時に、教会は必ずロザリオの祈りをもってその危機を乗り越えてきました。教皇様はカトリック聖伝とその過去を「破門」することができません。教皇様は御自分の職務に忠実であろうとする限り、たとえその他の司教たちが反対しようとも、カトリックの全聖伝に忠実でなければなりません。しかし、現実は、この間違ったレッテルのために、教会の極めて多くの成員たちは、教会の過去と教会の聖伝とから遠ざけられてしまっています。ですから、私たちは全カトリック教会のために、教皇様の仕事をこのロザリオの十字軍によって支えたいと思うのです。

(この三つの点については、イタリア管区の霊的花束のパンフレットを参考にしました。)

 愛する兄弟姉妹の皆様のご支援とお祈り、熱い関心とご協力に心から感謝しております。

 クリスマスまでの間、どうぞ、引き続き、熱心なロザリオの祈りをお願い致します。

 またこの無原罪の御宿りにあわせて、2005年の無原罪の御宿りの祝日にお届けした、「マニラの eそよ風」第400号 クリスト教と共産主義 (田中耕太郎) もあわせてお読み下さい。


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 以前申し上げました通り、無原罪の御宿りの祝日を記念して、しばらくの間、このブログにコメントの書き込み(承認制)が出来るようにいたしました。

 特に愛する兄弟姉妹の皆様のお祈りについてご報告をお聞かせ下されば、他の兄弟姉妹の皆様にも励みになると思いますので、よろしくお願いします。天主に感謝!

 また、愛する兄弟姉妹の皆様の中には、私にだけ連絡したいこともあるかも知れません。その時には【小野田神父宛て】あるいは【乞非公開】としてお書き下さるようにお願いいたします。ただし、メールによる御返事のご希望には、必ずしもお答えすることが出来るとは限りませんのでよろしくお願いします。また、皆のための善のためにそれらでも公開することもあり得るのであらかじめご了承ください。

 兄弟姉妹の皆様からのコメントの中で、兄弟姉妹の皆様と分かち合うと良いだろうと思われるものについては、「承認」して愛する兄弟姉妹の皆様にも読めるようにしたいと思います。ただし、ここでコメントが「承認」されたということは、私(トマス小野田圭志神父)の主張と一致するということを意味するわけではないので、ご理解をお願いいたします。

 またこのコメントの欄は、愛する兄弟姉妹の皆様と私(トマス小野田圭志神父)とのコミュニケーションの可能性を広げる一つの別のオプションとして、単なる足がかりの一つとしてのみ提供しているものですから、いろいろな手段の長所と短所とをご理解の上で、ご利用して下さるようにお願いいたします。

 このブログについても然りですが、あっという間に流れるように目から消えていってしまうようなこのコメント欄は、人間と人間との顔と顔とを合わせた生の声を通した暖かい人間らしいよりよい理解に取って代わるものでもありませんし、ましてやブログでの「対話」が効果良く人間の生活の回心へと導いてくれるものでもありません。

 私たちも、アシジの聖フランシスコに倣って「慰めらるるを求めずして慰むることを、理解さるることよりも理解することを、愛さるることよりも愛することを」願い求めましょう。

 コメントをご投稿の際には、必ず、一度「めでたし」の祈り(天使祝詞)を一度唱えてから、投稿のボタンをクリックなさって下さい。よろしくお願いします。この天使祝詞を唱えることだけは必ずお守り下さるようにお願いいたします。

 コメントのお名前の欄は、このバーチュアルな世界においても、なるべく人間らしい態度、より生身の人間であることの自覚を維持したいとおもっておりますので、また、以前のコメントでも何度かご要望がありましたので、出来るならば、記号や数字だけのお名前よりも、お呼びしやすい霊名とか良い意味のあるお名前で書き込みして下さると大変嬉しく存じます。

 ご要望ばかりで大変失礼致しました。

愛する兄弟姉妹の皆様のうえに天主様の祝福が豊かにありますように!

トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭) sac. cath. ind.

ああ主よわれをしておんみの平和の道具とならしめたまえ
われをして憎しみあるところに愛をもたらしめたまえ
争いあるところにゆるしを
分裂あるところに一致を
疑いあるところに信仰を
誤りあるところに真理を
絶望あるところに希望を
悲しみあるところによろこびを
闇あるところに光をもたらしめたまえ
ああ主よわれをして慰めらるるを求めずして慰むることを求めしめ
理解さるることよりも理解することを
愛さるることよりも愛することを求めしめたまえ
そはわれらは自ら与うるがゆえに受けゆるすがゆえにゆるされ
おのが身をすてて死するがゆえに永遠の生命を得るものなればなり


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