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秋田巡礼-お説教-2018年5月4日(初金) シュテーリン神父様―聖モニカの「祈りを諦めないこと」について

2018年06月05日 | お説教・霊的講話
2018年5月4日(初金)秋田巡礼 至聖なるイエズスの聖心の随意ミサ 聖モニカの祝日
シュテーリン神父様御説教
同時通訳:小野田圭志神父



聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。

巡礼の第2日目です、今日は聖モニカの祝日です。この聖モニカは、「祈りにおける忠実さ」「祈りを諦めない事」について、私たちに模範を示しています。

まず聖モニカは祈りによって、自分の夫の回心を勝ち取りました。しかしその当時、自分の息子である聖アウグスチノのカトリック的な教育を授ける事はできませんでした。もちろん聖モニカはできるだけの事をしましたけれども、しかし夫は異教徒で、夫の影響を非常に強く受けていました。またその周囲の状況も、聖アウグスチノにふさわしい教育を授けるには難しいものでした。そこで聖モニカの置かれている状況は、私たちの置かれている状況と非常に似通っています、今日(こんにち)。

私たちの子供たちは、もちろんできる限りカトリックの教育を与えたいと思います。けれどもその周囲が、周りの雰囲気が、環境が良くないので、悪い影響を受けています。 子供が大きくなれば大きくなるほど、友人の悪い影響を受けたり、学校の環境の悪い影響を受けたり、あるいは勉強の過程での悪い影響を受けたりして、霊的に子供が失われているという事で、父兄の悲しみを私たちはよく聞きます。

今日聖モニカの模範によって私たちに、天主様が何を私たちに教えようとしているかというのは、とても興味深いものです。

非常に重要な意向の為に、皆さんお祈りをして、お祈りをして、お祈りをして、一生懸命お祈りをして、1年経ったとします。しかし1年の後に、お祈りが聞き入れられたとは思えず、却って状況がますます悪くなっているとします。皆さんはもしかしたら、「あぁ、天主様は私の事を忘れてしまった。マリア様は私の事を何も聞いてくれていない」と言うかもしれません。「私の祈りは聞き入れられる価値がない。私はふさわしくない。」「一生懸命1年お祈りしたにも関わらず、何も聞き入れられない。天国は何かドアが閉まっているように思える」として、多くの人はもうお祈りなどやめてしまおう、と思ってしまうかもしれません。

聖モニカの模範を見て下さい。10年、聖モニカは祈ります。10年祈って、祈れば祈るほど、その祈りの効果の反対に、ますます子供は悪くなっていきます。まず、息子の聖アウグスティヌスは傲慢になります。ラテン語が上手くできるという事で、雄弁な話ができるという事で、傲慢になります。そしてその友達の影響で、異教のセクトに入ってしまいます。セクトにはまってしまったのみならず、不道徳的な生活も始めます。ある女性と同棲して、そして子供をもうけます。聖モニカは一生懸命お祈りして、天主を愛する女性ですが、母親ですが、その自分の目の前で、子供がそういう状態に陥っているのを見るのです。

「10年、11年、12年、一生懸命こうやってお祈りしているのに、状況はますますひどい。どうやって、なぜ私はこのまま続けて祈る事ができるだろうか。」12年のお祈りをした後に、「きっと私が悪いんだ。私が何か悪い事をしたに違いない。私のやり方が間違っているんだ。」皆さんでも同じように考えたように、聖モニカも同じように考えました。

聖モニカはもうお祈りをやめてしまおうと思う前に、司祭に相談に行きました。聖モニカはミラノの司教様である聖アンブロジオの元に行って、相談します。すると聖アンブロジオは聖モニカを慰めます。聖アンブロジオが言うには、「お祈りを続けなさい。なぜならば、それほど多くの祈りと涙の子供は、決して失われる事がない。」

そして聖モニカはそれに従順に従って、お祈りを続けます。6年更に続けました。18年間、聖なる女性が、罪人ではなく聖なる母親が、祈りに祈り、祈りを重ねました。

すると聖アウグスティヌスは回心します。その回心も、単なる生ぬるい回心ではなくて、大回心を遂げて、そして教会史上に残る大聖人になり、教会博士にもなる大聖人になりました。聖アウグスティヌスは回心の後に本を書きます。そして「自分の回心は、自分の母親のお祈りと涙のおかげであった」といって記しています。

私は年老いた母が実家におります。私は同じ事を母に負っています。母は健康を害していて、色々な所を痛がっています。ところで私が母の元に行って、「母さん、大丈夫ですか?」と聞くと、すると母の答えは、「どうもお前の償いの為に必要としているようだ」と言います。私たちが天国に行くと、天国に行って初めて、私たちの母親たちがどれほど私たちの為に祈りや犠牲を捧げていて下さったか、という事を知る事でしょう。

では聖モニカに話を戻ると、一体なぜ天主様は聖モニカに対して、そんなに残酷に取り扱ったのでしょうか?18年間という人生の最も大切な花咲く時代を、そのように残酷に夢を取り去るような話をしてしまったのでしょうか?

18年間、聖モニカは本当の喜びがありませんでした。もしも自分の子供が地獄に今落ちようとしている、という事を知っていたら、どうやって聖モニカが本当に喜ぶ事ができたでしょうか。愛する息子であるアウグスティヌスが目の前に現れた時に、そのアウグスティヌスのその自堕落な生活、あるいは天主を知らない生活を見て、どれほど悲しんだ事でしょうか。

ですから私たちは自問自答します、「主よ、一体なぜこのような聖なる人々が、こんなに立派な方々が、聖なる方々が、主を愛する方々が苦しむのを許すのですか?苦しまなければならないようにされるのですか?」

もしも、私たちが得るべき結果が大きければ大きいほど、それを得るべき手段も偉大なものでなければなりません。もしも良い自転車を買いたいと思うならば、それにふさわしい値を払わなければなりません。もしも立派な車を買おうとするならば、更にそれにふさわしい値を払わなければなりません。聖アウグスティヌスは偉大な素晴らしい聖人になると天主は知っていました。したがって、それにふさわしい値を払うように、聖モニカに要求したのでした。

もしも皆さんがお祈りをして、お祈りが聞き入れて下さらないように、聞き入れられないように思われた時に、もしもそれが聞き入れられないように見えれば見えたほど、「それはより良い事だ」と思って下さい。「どうも天主様は、より良いものを私たちに準備している。」ですからその為に、より多くのものを支払わなければならない事を知って下さい。聖アウグスティヌスの回心の事を見て下さい。ほんのちょっとの事で、ほんの一瞬で聖アウグスティヌスは大回心を遂げます。 昨日見たように、メキシコで一年、たった一年で全国を全く回心させました。

もしも皆さんの祈りを聞き入れてそれをその通りにするのを待たせるならば、皆さんを待たせるならば、天主様には特別の大きな意向があるからです。

もしも私たちの祈りがすぐ聞き入れられたとしたら、もちろん人間的にはとても嬉しい事ですが、それは私たちを傲慢にさせます。「私の祈りのおかげで彼は回心した。俺がやった」と傲慢になるに違いありません。そうしてしまったら、傲慢によって私たちは多くの功徳を失ってしまいます。

私たちの祈り続ける事によって、待たせる事によって、私たちをますます謙遜にさせてくれます。更にそうする事によって、私たちが天主を信頼する事、天主に委ねている事を確かめます。そこでそうする事によって待たせる事によって、私たちの徳をますます大きくさせます。

もしも聖モニカのお祈りを長く待たせずに、すぐに天主様が聞き入れて下さったとしたら、聖モニカは聖人になっていなかったかもしれません。

テストをしてみましょう。ある意向の為にお祈りします。子供がいて、その子供は天主を信じる事をやめてしまって、どこかに行ってしまった。自分の子供の為に毎日3環ロザリオを唱えて、そして多くの連祷も唱えて、一生懸命お祈りします。6ヶ月の後に、子供が回心した。皆さんは非常に喜ぶ事でしょう。ではその6ヶ月の後に、子供が回心した後に、同じ程度でお祈りを続けるでしょうか?皆さんやめてしまいます。もう動機がないからです。「子供がもう回心したので、お祈りをやめて別の事をしよう。」そこで天主様が皆さんを待たせて、更に待たせて、皆さんを更に堅忍させて、徳に積ませるのです。

聖モニカは、一生懸命お祈りをしましたけれども、そのお祈りの実りとして、ただ聖アウグスティヌスの回心を勝ち取ったのみならず、他の多くの罪人たちの回心をも勝ち取りました。聖モニカが一生懸命毎日捧げた祈りを、イエズス様やマリア様がそれを使って、他の失われた子供たちの為に使っていました。

きっと毎日聖モニカが捧げた祈りは、毎日、毎日、日ごと10人の失われた子供たちの回心の為に使われていたかもしれません。するともしも単純に計算すると、1年の間には約4000人の人たちを回心させた事になります。10年では4万人です。そこで18年では約10万人の人を回心させた事になります。

天国に行くと聖モニカは、「あぁ、自分の子供は大聖人になっている!」という事に気が付く事でしょう。そして自分の子供が後に何百万人という人々を回心させて、多くの善を、より多くの人々に施しているのを見る事でしょう。聖アウグスティヌスのやっている善は今でも、21世紀でも続いています。特に今でも聖アウグスティヌスの「告白録」等という書いた本を読んで回心した人もたくさんいます。映画の中で最も美しい映画の1つに、聖アウグスティヌスの回心の映画があります。もしも皆さんが携帯で何か変なものを見ようとした時には、その事を考えて下さい。何か読むのが嫌だ、という人はその映画を勧めます。

聖モニカの話に戻りますと、天国に行った聖モニカは、天主様からその祈りの効果を見せられた時に、きっと驚いた事でしょう。天国に入った時に、聖モニカの周りに10万人の人々が歓迎して待っている、と。世界中から来た霊魂が待っている。そして聖モニカの元に10万の人々が続々やって来て、手を握って手に接吻をして、「お母さん!」「お母さん!」と言っているのです。「なぜですか?」と言うと、「あぁ、なぜかというと、イエズス様とそしてマリア様の後で、あなたのお祈りのおかげで、私は天主の命を頂いて、回心の御恵みを頂いたからです。命を与える方を、私はお母さんと呼ぶのです。」

そして10万人の霊魂たちは永遠に渡って、終わりなく、自分の回心の為に祈った聖モニカを母親として讃美して、感謝して、称える事でしょう。たった1人の霊魂を天国に回心させて、天国の永遠の命を受ける事ができたとしたら、この地上の何百万人の最高の子供よりも更に価値があります。

もしかしたら小野田神父は、日本での15万人の霊魂たちの霊的なお父さんかもしれません。なぜかというと、小野田神父がこの地上にいる間、日本の回心の為に聖モニカのように一生懸命お祈りしているからです。ただ1つの問題は、小野田神父はまだ聖モニカのように聖徳に達していないことです。しかしきっと小野田神父が天国に入った時には、その時には、15万人の日本人の霊魂が、「救われました!」と言って近寄ってくる事でしょう、「お父さん!」と。

これが冗談ではなくて、本当の現実の話です。こうやって天主様は、私たちの祈りを必ず聞いて下さるので、私たちは祈り続けなければならないという事です。

もしも私がする事ができるなら、聖モニカを日本の守護の聖人としたいと思います。なぜかというと、皆さんは日本の回心の為に一生懸命毎日いつも祈っているにも関わらず、何の効果もないかのように見えるからです。私たちはもう何年も何年も日本の為に祈っているのですけども、でも私たちのミサには、来る人はほんの20人か30人です。ですからそのような時には、聖モニカを私たちの模範として、守護の聖人として真似なければなりません。

ですから今日は聖モニカをお連れして、秋田の聖母の元に行きましょう。そしてマリア様に申し上げましょう、「マリア様、マリア様がお望みの期間、もしもお望みならば死ぬまで、ずっと祈り続けます。私の祈りの功徳、そしてその効果は、あなたに任せます。聖モニカのように、私も全く盲目的にあなたに信頼します。それは私の祈りと、この私のこの巡礼は必ず実りを結ぶという事です。私が想像したよりも更に多くの実りを結ぶ、という事を信頼しています。」

では、私たちがいつも祈っているその回心の為の、ある霊魂の回心のその為に、私たちの意向を全てイエズス様の聖心にお委ね致しましょう。なぜかというと、今日は初金だからです。イエズス様の聖心は、聖モニカがこれほど寛大に祈り、犠牲を捧げたのを見て、とっても喜びに満ちていました。 皆さんの堅忍と忍耐と、そして寛大さで、イエズス様の聖心を喜ばせて下さい。

聖父と聖子と聖霊の御名によりて、アーメン。

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