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2024年から贖いの業の2000周年(33 - 2033)のノベナの年(2024-2033)が始まります

38年間病気を患っていた男がイエズスによって治される:本当に恐れるべきは体の病気ではなく、永遠の死をもたらす霊魂の病気である

2020年03月14日 | お説教・霊的講話
アヴェ・マリア・インマクラータ!

2020年3月6日(初金)四旬節の四季の斎日 金曜日のミサ
聖ピオ十世会司祭 小野田神父説教

聖母の汚れなき御心聖堂にようこそ。
今日は2020年3月6日、3月の初金曜日のミサを捧げています。

今日は、日本に疫病があるといわれていますが日本でミサを捧げる事ができて、そして皆さんもいらっしゃる事ができて、とても深く天主様に感謝しております。

今日のこのミサでは、このコロナウイルスの疫病が一刻も早く終息しますように、特別のお祈りを付け加えています。そして今日初金のこのミサの直後に、私たちは聖時間を捧げて、私たちが毎日予定通りに、毎回ミサを捧げる事ができますように、司祭が安全に来てミサを捧げる事ができますように、その御恵みを乞い願いたいと思っています。

そして明日もミサがありますし、それから来週の主日にも夕方からミサがあります。どうぞいらして下さい。

また、少し寒いかもしれませんが、時々侍者が空気の入れ替えの為に、窓を開けたりします。どうぞご了承下さい。そしてご理解を感謝致します。

聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。

愛する兄弟の皆さん、今日は四旬節の四季の斎日の金曜日のミサをしております。この福音では、「38年間病気を患っていた男が、イエズス様によって治される」という奇跡の有名な話を読みます。

そこで今日、
⑴第1に、簡単に、この福音の史実が意味しているところを黙想し、

⑵次に、では2020年の私たちに一体どのような意味があるのか?
私たちはこの福音を読んで、何を、どのような決心をしなければならないのか?という事を黙想致しましょう。

⑴第1に、この福音、非常に有名なので皆さんもご存知の事です。旧約時代には不思議な、新約時代を表す影となる、予言する、前兆となる、特別な池(probatica piscina)がありました。

それは、天使がこの水を時々動かすのです。そしてその水が動いた時に最初に入った、その水に入った人は、どんな病気でも綺麗に治りました。癩病であろうが、目が見えない人であろうが、耳が聞こえない人であろうが、足が歩けない人であろうが、どんな病気でも、あっという間に綺麗に治りました。

そこでたくさんの人が、その水が動くか、動かないかを、ずっと見張って待っていました。動くと誰かが助けて、あるいは自分で入って行ったのです。

もちろんこれは、将来来たる、新約時代の「洗礼」の象りでした。洗礼の水によって、洗礼の水に私たちが浸かる時、どのような罪であったとしても、ものすごい想像もできないほど罪に汚れた霊魂であったとしても、洗礼の水によって綺麗に、健康な霊魂になるという事です。洗礼の水の罪を赦す力は天使が動かすからではなくて「天主の御子が特別に与えた力によって、秘蹟の力によって、私たちの罪が綺麗に赦される」という事の影でした、前兆でした。

そして今日その、そこの有名な癒やしの池に、ベザダの池にイエズス様がやって来ます。聖ヨハネが書いているこの池の名前のスペルは、古代の写本では一致せず、Bezatha とか Bethesda とか Belsetha とか Bethsaida があります。ラテン語の聖書では Bethsaida ですが、ギリシア語ではΒηθεσδά (Bethesda)です。Bethesdaが正しいとすると、beth(家)+ hasad(優しい)= 憐れみの家、という意味になります。

「38年、病を患っていた」というのは、聖アウグスティヌスによれば、「罪人の象りだ」と言います。「なぜかというと、『40』というのは完成された数であって、イエズス様もモーゼもエリアも、40日間断食して、そして『4つの福音』と、10の天主の掟『十戒』を掛けたものであって、完成された数に2つ足りない、愛徳の、『天主を愛し』『隣人を愛する』というその2つが足りない、罪の、罪人の象りである。38年。」

38年してようやく、苦しんだ後に、イエズス様が「何を望むか?」
「私は、治りたいのです。」
するとイエズス様は仰います、「立ち上がれ。そして床を取って行け。歩け。」

イエズス様はまず彼の肉体を、そして霊魂を癒します。なぜ霊魂も癒されたかというと、後にイエズス様が、「もう、もはや罪を犯すな」と言ったところによって、それが表れます。

⑵では今日、この史実、奇跡を黙想して、私たちは一体どのような事を思うべきでしょうか?

どうしても、この病の男の話が出てきた時に、今世界中を騒がせているコロナウイルスの事に、私は思いが行きました。それで私の黙想を少し分かち合うのを許して下さい。

教父たちによると、このヨハネの5章の箇所を見て、「多くの人は、病について、病を治す為には全力を尽くす。良い医者を探し、良い、健康の為にはどのような苦労をかけても、犠牲を払っても、この池の元にやって来て、治す。病が治る為に一生懸命になっている事が分かる」というようなことを言っています。確かに、それは昔も現代も変わりません。

もしもコロナウィルスが危険だとあれば、学校も全国で休みますし、企業もあたかも有事であるかのように自宅で勤務だし、あるいは空港も、ビックリしたのですけれどもガラガラですし、旅行する人もいませんし、そして自分の健康を守る為に、どのような事でも、犠牲も払いたい。例えマスクが何万円もしても買う、あるいは行列をしても買う、等となります。野球の選手も観客なしに野球をしたりとかするそうです。

私たちは、この健康の為にこれほど犠牲をするのを見て、そして教父たちの次のコメントにも思いが行きます。つまり、この肉体の健康、肉体の病気というのは実は、霊魂の病気に比べれば何でもない。実は私たちは、霊魂の病気こそを恐れなければならないのではないか。コロナウィルスよりも、霊魂が病にかかってしまう事、疫病に汚染されてしまう事こそを恐れなければならない。なぜかというと、これは私たちに、永遠の死をもたらすからです。

健康管理をすることは良いことです。そこで、もしも私たちがコロナウイルスを防止する為に、学校には行かない、人のいるような所には行かない、密室では窓を開ける、電車であっても冷たくても窓を開ける等とするとしたら、あるいはどんなに遠くても良いお医者さんのある所に行く、あるいは病気の危険がある人を14日間隔離する、等と、私たちがそのような事をするならば、では罪を、罪という病にかからない為に、罪を避ける為に、私たちはどれほどもっと熱心に、犠牲と知恵を使って避けなければならないでしょうか?

罪の危険のある、あの場所には行かない。罪の危険がある、あのインターネットには行かない。あるいは罪を犯してしまうような機会を避ける、あるいはあの人が多く集まるような所を避ける、など私たちはしなければならないのではないでしょうか?

そのような事ができるように、イエズス様は既に模範を示して下さいました。40日間、私たちの為に率先して、その必要性は全くなかったのですけれども、御自分にとってはその必要はなかったのですけれども、私たちに模範を見せる為に、砂漠に行かれて、私たちを愛するが為に、私たちに代わって、まずお祈りと犠牲とをされました。

私たちは、イエズス様が私たちの霊魂をどれほど愛して下さる医者であるか、私たちを癒そうとして下さっている方か、という事を、この四旬節にますます自覚致します。

今日、初金のミサを捧げていますが、是非良い遷善の決心を立てましょう。

天主の御恵みと御助けによって、この四旬節を良く、イエズス様の為に捧げる事ができますように。

罪という疫病、伝染病を避ける事ができるように、その危ない所に近付かないように、また罪を忌み憎む、コロナウィルスよりも更に憎む、その天主のその愛を私たちに乞い求めましょう。

マリア様に是非お願い致しましょう。どうぞ私たちにも、その四旬節を良く過ごす御恵みを、私たちの為にお祈りして下さるように、お祈りしましょう。

聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。



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