Credidimus Caritati 私たちは天主の愛を信じた

2024年から贖いの業の2000周年(33 - 2033)のノベナの年(2024-2033)が始まります

2020年3月29日:御受難の主日(一級 紫)の羅和テキストをご紹介いたします

2020年03月23日 | カトリックとは

アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様、
2020年3月29日は、聖伝の典礼暦によると、御受難の主日でこの日から十字架に紫の布を被せます。今年は、コロナウイルス(武漢ウイルス)の影響で、私たちの行動は多くの制限を受けています。それでも、聖伝のミサが捧げられ続けていることを深く天主に感謝しております。日本でコロナウイルスの影響が縮小しますように、日常の生活が戻りますように、日々祈りを捧げております。
大阪では、ミサの時には、御聖体拝領の時にかならずStella Caeliを歌っています。

2020年3月29日には、東京と大阪で聖伝のミサが追加されました。
東京でのミサの直後(感謝の祈りの後)に、新型コロナウイルスの終息を懇願して御聖体降福式を行い、諸聖人の連祷を祈る予定です。

御受難の主日(一級 紫)の羅和テキストをご紹介いたします。 
四旬節の初めから、公教会は、信者が救い主なるキリストの御心を心とするようにと勧めた。聖週間の大ドラマが近づくにつれて、信者は、より一層典礼に注目し、より深く潜心し、キリストの受難にあずからねばならない。本日より始まる季節を「受難節」という。

ミサ聖祭
これより、洗礼志願者と公の罪びととのことは、もう二義的なものになり、聖書、讃美歌、祈りのうちに思い出されるのは、ただ、「苦しむキリスト」である。
典礼は、昨日、ラザロの復活の一節を告げた。歴史的に見れば、ユダヤの上流階級の人に、キリスト殺害の決意を抱かせたのは、このラザロの奇蹟であった。
公教会は、典礼において、選ばれた民がキリストを全く捨てたここ何日かの間のキリストの御心を、われらに思い出させようとする。本日は、<入祭文>から<聖体拝領誦>に至るまで、この世のいけにえに上ろうと決心したイエズスの御心を実現する。

Dominica 1a Passionis 御受難の主日
I Classis 一級
Statio ad S. Petrum 指定巡礼聖堂。聖ペトロ大聖堂
¶ Ab hac Dominica usque ad Feriam V in Cena Domini inclusive, in Missis de Tempore non dicitur Psalmus Iúdica ante Confessionem, neque Glória Patri ad Introitum et post Psalmum Lavábo 【本日より、ミサ聖祭には、「天主よ、私を弁護し…」(Judica me)の祈りを省略し、入祭文の詩篇の後の「願わくは…」<栄誦>をも省略する(祝日のミサにはある)。同じく、「手を洗って…」(Lavabo)「私に水を注いで…」の後の「願わくは…」も省略する。】  (聖木曜日まで、「栄誦」をとなえない。聖人祝日の場合にはある。)
Ant. ad Introitum. Introitus. Ps. 42, 1-2. 入祭文 詩篇  42ノ1-2
Iúdica me, Deus, et discérne causam meam de gente non sancta : ab homine iníquo et dolóso éripe me : quia tu es Deus meus et fortitúdo mea. 天主よ、私を裁きて、聖ならぬ国民に対し、私の訴えを定め、不義と欺瞞との人々より私を救い出し給え。なぜなら、天主よ、御身は私の力なればなり。
Ps. ibid., 3. 詩篇42ノ3
Emítte lucem tuam et veritátem tuam : ipsa me de duxérunt et adduxérunt in montem sanctum tuum et in tabernácula tua. 御身の光明と御身の真理とを送り給え。それらは私を導いて、御身の聖なる山、御身の幕屋に至らせるであろう。
Iúdica me, Deus, et discérne causam meam de gente non sancta : ab homine iníquo et dolóso éripe me : quia tu es Deus meus et fortitúdo mea. 天主よ、私を裁きて、聖ならぬ国民に対し、私の訴えを定め、不義と欺瞞との人々より私を救い出し給え。なぜなら、天主よ、御身は私の力なればなり。
Oratio. 集祷文
Quǽsumus, omnípotens Deus, familiam tuam propítius réspice : ut, te largiénte, regátur in córpore ; et, te servánte, custodiátur in mente. Per Dóminum. 全能の天主よ、願わくは、主の家族を、御あわれみをもて顧み給え。なお御慈悲によって彼らが、身体を保護され、御保護によって霊的生活をも守られんことを。天主として、(…)。
Léctio Epístolæ beáti Páuli Apóstoli ad Hebrǽos. 使徒聖パウロのヘブライ人への書簡の朗読。
Hebr. 9, 11-15. ヘブライ  9ノ11-15
Fratres : Christus assístens Pontifex futurórum bonórum, per ámplius et perféctius tabernáculum non manufáctum, id est, non huius creatiónis : neque per sánguinem hircórum aut vitulórum, sed per próprium sánguinem introívit semel in Sancta, ætérna redemptióne invénta. Si enim sanguis hircórum et taurórum, et cinis vítulæ aspérsus, inquinátos sanctíficat ad emundatiónem carnis : quanto magis sanguis Christi, qui per Spíritum Sanctum semetípsum óbtulit immaculátum Deo, emundábit consciéntiam nostram ab opéribus mórtuis, ad serviéndum Deo vivénti ? Et ideo novi Testaménti mediátor est : ut, morte intercedénte, in redemptiónem eárum prævaricatiónum, quæ erant sub prióri Testaménto, repromissiónem accípiant, qui vocáti sunt ætérnæ hereditátis, in Christo Iesu, Dómino nostro. 兄弟たちよ、キリストは、将来の恵みの大司祭としてこられたのであって、人の手でつくられなかったもの、つまり世がつくったものではない、さらに偉大な、さらに完全な幕屋を通り、山羊と子牛の血を用いず、自分自身の血をもって、ただ一度だけで永久に至聖所にはいり、永遠のあがないをなしとげられた。山羊と牡牛の血、牝牛の灰などを、汚れた人々にそそいでその肉体をきよめるのなら、ましてや永遠の聖霊によって、汚れのないご自分を天主にささげられたキリストのおん血が、私たちの良心を死の業からきよめて、生きる天主に奉仕させ得ないことがあろうか。そのためにかれは、新しい契約の仲立ちであって、前の契約のときの違反をあがなうために死なれた。それは、選ばれた人々に、約束された永遠の遺産をうけつがせるためである。
Graduale. Ps. 142, 9 et 10. 詩篇 142ノ9,10;
Eripe me, Dómine, de inimícis meis : doce me fácere voluntátem tuam. 主よ、私を、私の敵より救い出し給え。御身の御旨を行うことを私に教え給え。
V/. Ps. 17, 48-49.Liberátor meus, Dómine, de géntibus iracúndis : ab insurgéntibus in me exaltábis me : a viro iníquo erípies me. V/. 詩篇17ノ48,49 怒り狂う民より私を救い出すのは、主よ、御身にてまします。御身は、私に反して立った者に、私を勝たせ、不敬の者の手より私を救い給う。
Tractus. Ps. 128, 1-4. 詠誦 詩篇 128ノ1-4
Sæpe expugnavérunt me a iuventúte mea. 彼らは、私の若い時から、絶えず私に対して戦い続けた。
V/. Dicat nunc Israël : sæpe expugnavérunt me a iuventúte mea. V/. イスラエルは今、言うであろう、私の若い時から、絶えず私に対して戦い続けたと。
V/. Etenim non potuérunt mihi : supra dorsum meum fabricavérunt peccatóres. V/. しかし、彼らは勝つことができなかった。罪びとは私の背中を打ち叩いた。
V/. Prolongavérunt iniquitátes suas : Dóminus iustus cóncidit cervíces peccatórum. V/. 彼らは長らくその悪を続けた。正義なる主は、罪びとの頭を落とし給うた。
+ Sequéntia sancti Evangélii secúndum Ioánnem. ヨハネによる聖福音の続誦。
Ioann. 8, 46-59. ヨハネ 8ノ46-59
In illo témpore : Dicébat Iesus turbis Iudæórum : Quis ex vobis árguet me de peccáto ? Si veritátem dico vobis, quare non créditis mihi ? Qui ex Deo est, verba Dei audit. Proptérea vos non audítis, quia ex Deo non estis. Respondérunt ergo Iudǽi et dixérunt ei : Nonne bene dícimus nos, quia Samaritánus es tu, et dæmónium habes ? Respóndit Iesus : Ego dæmónium non hábeo, sed honorífico Patrem meum, et vos inhonorástis me. Ego autem non quæro glóriam meam : est, qui quærat et iúdicet. Amen, amen, dico vobis : si quis sermónem meum serváverit, mortem non vidébit in ætérnum. Dixérunt ergo Iudǽi : Nunc cognóvimus, quia dæmónium habes. Abraham mórtuus est et Prophétæ ; et tu dicis : Si quis sermónem meum serváverit, non gustábit mortem in ætérnum. Numquid tu maior es patre nostro Abraham, qui mórtuus est ? et Prophétæ mórtui sunt. Quem teípsum facis ? Respóndit Iesus : Si ego glorífico meípsum, glória mea nihil est : est Pater meus, qui gloríficat me, quem vos dícitis, quia Deus vester est, et non cognovístis eum : ego autem novi eum : et si díxero, quia non scio eum, ero símilis vobis, mendax. Sed scio eum et sermónem eius servo. Abraham pater vester exsultávit, ut vidéret diem meum : vidit, et gavísus est. Dixérunt ergo Iudǽi ad eum : Quinquagínta annos nondum habes, et Abraham vidísti ? Dixit eis Iesus : Amen, amen, dico vobis, antequam Abraham fíeret, ego sum. Tulérunt ergo lápides, ut iácerent in eum : Iesus autem abscóndit se, et exívit de templo. そのとき、イエズスは、ユダヤの群衆に仰せられた。「私に罪があると確認できる人が、あなたたちの中にあるか?私が真理を知らせているのに、なぜ信じょうとしないのか?天主からの人は天主のみことばを聞くが、あなたたちは天主からの人ではないから、私のことばを聞こうとしないのだ」とおおせられた。ユダヤ人たちが、「あなたはサマリア人で、悪魔につかれている、と私たちがいったのはもっともなことだった」といった。そこでイエズスは、「私は悪魔につかれてはいない。私は、私の父を尊んでいるのに、あなたたちは私を軽蔑している。私は自分の光栄を求めていないが、それを求めて、そして裁いてくださる方がある。まことにまことに私はいう。私のことばを守るなら、永遠に死なないだろう」とおおせられた。ユダヤ人たちは、「いまこそ、私たちは、あなたが悪魔につかれていると知った。アブラハムも死に、預言者たちも死んだのに、あなたは"私のことばをまもるなら、永遠に死なない"といっている。あなたは、私たちの父アブラハムよりも偉大な人なのですか。彼も死に、預言者たちも死んだのに、あなたは自分をなにものだと思っているのですか」といった。イエズスは、「私が、自分に光栄を帰するなら、私の光栄はむなしい。しかし、私に光栄を与えてくださるのは、あなたたちがわれらの天主とよんでいる私のおん父である。あなたたちはそのお方を知らないが、私は知っている。知っていないといえば、私もあなたたちのようにうそつきになる。だが私はそのお方を知り、そのみことばを守っている。あなたたちの父アブラハムは、私の日を見たいと思って喜びにあふれ、そしてそれを見て喜んだ」とおおせられた。ユダヤ人たちが、「あなたは、まだ五十歳にもならないのに、アブラハムを見たのですか?」といったので、イエズスは、「まことにまことに私はいう。アブラハムが存在する以前に、私は存在している」とおおせられた。そのときかれらは、石をとって投げようとしたが、イエズスは、ひそかに神殿を立ち去られた。
Credo 信経
Ant. ad Offertorium. Ps.118, 17 et 107. 奉献文 詩篇 118ノ17と 107
Confitébor tibi, Dómine, in toto corde meo : retríbue servo tuo : vivam, et custódiam sermónes tuos : vivífica me secúndum verbum tuum, Dómine. 主よ、私は、心を尽くして御身をほめ讃えよう。御身の下僕に報い給え、私は生き、そして、御言葉を守るであろう。御身の御言葉に従って、私を活かし給え。
Secreta. 密誦
Hæc múnera, quǽsumus Dómine, ei víncula nostræ pravitátis absólvant, et tuæ nobis misericórdiæ dona concílient. Per Dóminum. 主よ、願わくは、この供え物が、われらの不義の鎖を解き、御慈悲の恵みを下さんことを。天主として、(…)。
Præfatio de Cruce  序誦 聖十字架の序誦
VERE dignum et justum est, æquum et salutáre, nos tibi semper et ubíque grátias ágere, Dómine, sancte Pater, omnípotens ætérne Deus: Qui salútem humáni géneris in ligno crucis constituísti: ut, unde mors oriebátur, inde vita resúrgeret: et qui in ligno vincébat, in ligno quoque vincerétur: per Christum Dóminum nostrum. Per quem majestátem tuam laudant Angeli, adórant Dominatiónes, tremunt Potestátes. Cœli cœlorúmque Virtútes, ac beáta Séraphim, sócia exsultatióne concélebrant. Cum quibus et nostras voces ut admítti júbeas, deprecámur, súpplici confessióne dicéntes: Sanctus,... 主よ、聖なる父よ、全能永遠の天主よ、われらが、いつも、どこにても、主に感謝を捧げるのは、実にふさわしく正しいことであり、われらの義務と救いである。なぜなら、御身は、十字架の木において人類の贖いを成し遂げ給うたからである。それは、死が始まったところから、再び生命がよみがえり、木(エデンの)に勝った者(悪魔)が、木(十字架の)によって敗られるためであった。彼によって、天使らは、主のみいずをほめたたえ、主天使は礼拝し、能天使はふるえおののく。天と天の力天使と、福(さいわい)なる熾天使は、共に喜び、それをたたえ奉る。願わくは、彼らの声に、われらの声をも交えさせ給え。われらは、深く礼拝しつつ、こう歌うであろう。聖なるかな、…
Ant. ad Communionem. 1 Cor. 11, 24 et 25. 聖体拝領誦 コリント前書I  1ノ2,3
Hoc corpus, quod pro vobis tradétur : hic calix novi Testaménti est in meo sánguine, dicit Dóminus : hoc fácite, quotiescúmque súmitis, in meam commemoratiónem. これは、あなたたちのための、私の体である。この杯は、私の血における新しい契約である。これを飲むごとに、私の記念としてこう行え、と主は仰せられる。
Postcommunio. 聖体拝領後の祈
Adésto nobis, Dómine, Deus noster : et, quos tuis mystériis recreásti, perpétuis defénde subsidiis. Per Dóminum nostrum. われらの天主なる主よ、われらと共にましまし、聖なる奥義をもって慰め給うたわれらを守り給え。天主として、(…)。

 



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