Credidimus Caritati 私たちは天主の愛を信じた

2024年から贖いの業の2000周年(33 - 2033)のノベナの年(2024-2033)が始まります

悪に負けてはならない。かえって善をもって悪に打ち勝て。これこそ世に打ち勝った勝利、すなわち信仰である。

2021年01月25日 | お説教・霊的講話
アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様!

ドモルネ神父の御公現後第三主日の短い説教をご紹介いたします。

御公現後第三主日の短い説教

まず、昨日、大阪のチャペルの信徒の皆さんから、日本への歓迎の贈り物として、印象的で大きな霊的花束をいただきました。大変ありがとうございました。主と聖母が皆さんの愛徳に百倍の報いを与えてくださいますように。毎回のミサで皆さんのためにお祈りしています。

聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。

愛する信徒の皆さん、聖パウロが書簡で述べていることについて、少し話させてください。

聖パウロは、「悪に悪を返すな」、つまり私たちに害を加える人々に対して憎しみや妬みを持たないようにと勧めています。しかし、もし私たちに対して不正が行われた場合、不正やつまずきを償って罪びとを正しい道に戻すことができる裁判官や法の権威に頼ることは完全に許されており、時には必要なことです。聖パウロがどのようにして不品行なコリント人をサタンに渡したかを思い出してください(コリント前書5章5節)。それは、この罰によって、この男が罪を悔い改めるようにするためでした。

次に聖パウロは「天主の前で」、つまり天主を愛し、イエズスの愛の掟に従うことによって、人に善きものを与えるように、
また「人の前で」、つまり人にほめられるのではなく、人に天主をほめたたえさせるように、と勧めています。

それは、私たちの主イエズスが「あなたたちの光を人の前で輝かせよ。そうすれば、人はあなたたちの善い行いを見て、天にましますあなたたちの父を讃美するであろう」(マテオ5章16節)と言われたようにです。

悪に悪を返さず、他人に善を提供することによって、聖パウロは私たちが可能な限りすべての人と平和を保つように望んでいます。すべての人と平和を保つことは、実際にはいつも可能というわけではありません。人々と平和でいる唯一の方法が、人々の悪意と罪深い行動に同意することであるならば、私たちは彼らに抵抗し、反対しなければなりません。このような状況について、私たちの主イエズスは、こう言われました。「私が地上に平和を送るために来たと思うな。平和ではなく、剣を送るために来たのだ」(マテオ10章34節)。

第二バチカン公会議は、異端や罪深い行い、悪行を非難することなく、世界のすべての人との間に平和をもたらそうとしました。その結果は、教会が今、敵によって破壊されているということです。

結論として、聖パウロは「悪に負けてはならない。かえって善をもって悪に打ち勝て」(ローマ12章21節)と言っています。誰かがその人の側に私たちを何とかして引き込むと、私たちはその人に負けるのです。ですから、もし誰かが私たちに悪事を働いて、私たちが同じように報復したとしたら、その人は私たちをその人の側に引き込んだことになります。

しかし、逆に、敵に善を行うことによって、私たちが最終的に敵の悪行を止めさせることができるならば、私たちは敵を私たちの側に引き込んで、勝利したことになります。聖ヨハネが「これこそ世に打ち勝った勝利、すなわち信仰である」(ヨハネ第1書5章4節)と言い、預言者エレミアが「彼らはあなたのところに帰って来る。しかし、あなたが彼らのところに帰るのではない」(エレミア15章19節)と言っているように。

アーメン。




今年こそは東の博士や羊飼いたちに倣ってイエズス様をお愛し申し上げる年となりますように

2021年01月25日 | お説教・霊的講話
喜びの玄義 第3玄義黙想
2021年1月2日(初土)御聖体降福式にて
聖ピオ十世会司祭 トマス小野田神父

『喜びの玄義 第3玄義:この一連を捧げて、主の降誕し給いたるを黙想し、聖母の御取り次ぎによりて、清貧の徳を乞い願わん。』

初土の信心として、御聖体のイエズス様の御前で、15分間、ロザリオの玄義を黙想致しましょう。

今日は特に、喜びの第3玄義、主の降誕し給いたる神秘、御降誕の神秘を黙想する事を提案します。

特にイエズス様の、私たちに対する想像を超えるような愛、この愛が、愛だけが、イエズス様をこの地上に呼び起こして、か弱い幼児として、赤子として生まれさせた、ことを黙想しましょう。

しかも人々から捨てられて、旅の途中に、家もなく、暖房もなく、真冬に、凍えながらお生まれになる事さえも御望みになられた、このイエズス様の愛を黙想致しましょう。

イエズス様が私たちに対してお持ちになる、これほどの愛。この同じ愛で、御聖体において、日々、私たちの祭壇の上にお生まれになられます。私たちの霊魂にお越しになります。

今年こそは、ベトレへムの人々のようではなく、東の博士や羊飼いたちに倣って、イエズス様をお愛し申し上げる年となりますように。

多くの人はイエズス様を、イエズス様の愛を、受け入れようとしません。かつては幼児として、現在では御聖体としてお越しになるイエズス様は、冷たく扱われています。残念ながら。

マリア様もヨゼフ様も、イエズス様が御生まれになる時に、「なるべく良い場所を与えたい、提供したい」と思って、心を砕きました。「救い主に与える部屋がない」と知らされた時、どれほど御悲しみだった事でしょうか。

現代、イエズス様に対して、人々が心を閉ざしているのをご覧になって、マリア様もヨゼフ様も、どれほど御悲しみでしょうか。

この人々に代わって、マリア様とヨゼフ様は、イエズス様をより熱心に、一層熱心に、礼拝と感謝を捧げました。私たちもそれに加わりましょう、御恵みによって。拙い、貧しい祈りも、私たちの祈りも添えて、御捧げ致します。

「イエズス様、過去、イエズス様をお受けせずに、追い出してしまった事を、一身に悔やみます。イエズス様を愛する御恵みを与えて下さい。この一年、イエズス様をますますお愛しするのをお許し下さい。」

「マリア様、イエズス様の傍を離れないように、守って下さい。」

「聖ヨゼフ、御身の、イエズス様とマリア様に対する愛を、与えて下さい。」




--このブログを聖マリアの汚れなき御心に捧げます--

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