「助産婦の手記」
21章
二三日前に、紡績と織物の工場は、新しい支配人を迎えた。時のたつとともに、どうしても何事かが変らざるを得ない。その工場の職工と事務員は、退職した支配人の去って行くのを悲しまなかった。その男は、細民たちの状態については、全く何の知識も持たなかった。そして工場主が、何か彼等の要求を容れようとすると、その支配人は非常にしばしばそれを妨害した。それは確信から出たものなのか、または自分自身の利益のためなのか(なぜなら、彼はかなり大きな利益配当を得ていたから)、ここでは未定のままにして置く。とにかく、彼と職工との間の関係は、非常に険悪になってきたので、彼はもはやその地位に留っていることはできなかった。この次ぎに新たに衝突が起れば、彼は職工側の怒りの犠牲になるかも知れないという危険があった。近年、労働者の間には、何か激しい動きがある。私は、それが非常によく理解できる。もしも私たちが、それらの人々が、いかに働き、そしていかに暮さねばならないか、そして他の人たちが、どんなことをしているか、ということをよく見るならば、彼等の忍耐の尽きる時が、必ずや来るということを、もはや不思議とは思わないのである。今や彼等は、ますます堅く社会主義政権の中に団結している。『我々は、自ら助けなければ、誰も我々を助けてはくれないのだ』と彼等は言っている。そして残念ながら、それは本当である。経営者側は、自発的に彼等に利益を得させるよりも、むしろ賃銀を引き下げ、労働時間を長くするであろう。経営がひとたびうまく行かなくなると、直ちに労働者の犠牲において経費を節減しようという試みがなされる。男女工は、血の最後の一滴までも利用されるのである。私は、これらの憐れな母親たちのお産のベッドに行くとき、たびたび気の毒に思うのである。
とにかく、かようなわけで、いま新しい支配人がやって来た。これによって、何かよくなることがあるであろうか? 労働者たちは、この方面からの助けは、もはや信じていない。彼等は、早かれ遅かれ、種々の権利をば力をもって戦いとろうと、ひたすら期していたのである。
新しい支配人は、トルコ太守のように豪勢に現われて来た。労働者が殆んど日々のパンを持っていない時代には、そんなことは全く不必要であり、かつ賢明ではない。彼の奥さんは、身重であった。その夫婦は両人とも、どこでもこう吹聴した。この子は、最初の、そして同時に最後の子である。我々の境遇では、子供は一人育て上げれば、それで十分だ。今日では、人はもはやそう愚かではないと。
裕福な家庭で、今日この頃、子供が生れるときなどは、全く恐るべき大騒ぎである。もう二週間も前から、出産係りの看護婦が、すぐ行動を起し得るように、その偉大な瞬間を待っている。一人の乳児係りの看護婦が、きのう到着した。乳母は、電報の通知を待ち受けている、もし彼女が今、自宅で自分の子に授乳しなくてもよかったなら、彼女はここに来て、一緒にお産を待っていたであろう。医者は、每日来診せねばならない。町から一人の教授が、もう二回見えた。そしてその上、最後に私も呼ばれた。そして今や多くの人々があちこちに立って、詰らぬことを沢山話し合った。誰も待っているより外、何もすることはなかった、なぜなら、それは正常なお産であったから。医者は恐らく注射でもって陣痛を強め、出産を早めるように少し助力することができる。そして恐らく催眠によって、母親を欺(あざむ)いて苦痛を覚えさせないようにすることができる……? ここではもちろん、それは麻酔をかけたお産であった。このことは、赤ちゃんにとって危険だということを、私はある本で読んだことがある。しかし、医者のマルクスは、儲かることは何でもする人で、それ以外の尺度は、彼は自分の行動に対して持ち合わせていないのである。
このようにして、私が暫らく立ち働いた後で、支配人の子供が生れた。ほかのどの子供とも全く同じように、自然は、貧富の間に、何らの差別をも設けない。
『そう、やっと我々の子が生れた。』と支配人は言って、その男の子をじっと見つめた。
『兄弟妹姉がいると、赤ちゃんのためにはいいんですが――赤ちゃんは、ひとりでいるよりも、ほかの子供たちと一緒の方が、遙かによく発達するものです。その子は円滑になり、もっと独立的になります.……』
『いや、今日では、人はもうそんなに愚かではありませんよ。どうとも自由にできるんです……』
さて私にとっては、その赤ちゃんは、全く気に入らなかった。あまり静かで寝ぼけているように思われた。三日目に、私は、一度医者にそのことを尋ねて見たらよかろうと言った。ところが、人々は私に向って、新しく生れた子は、全くそんな具合だということを、あなたは知らないのですかと言って、少し、からかった。……しかし翌朝、その支配人の子供は死んだ。寝入ってしまって、再び目を覚まさなかった。こんなことは、麻酔によって、時々起ることがあるそうである、それゆえ、多くの医者も、それを断わるのである。
私が、その夕方、内心の不安に堪えかねて、密かに赤ちゃんに洗礼を授けたことは、誰も知らなかった。
今や支配人夫人は、社会問題に興味を持ちはじめた。彼女は、二度と再び子供を生む気になることはできなかったのであろう。暫らくたってから、彼女は、私たちの工場の授乳室を訪問した。そこにはちょうど、十二人の母親が赤ちゃんを置いていた。支配人夫人は、その人たちの生活状態と子供の数を質問し、そして今日では人はそんなに子供を沢山持つほど愚かではないと断言し、そして帰って行った。これは、その婦人たちに何の助けともならなかったのみか――かえって、逆鈎(あぐ)のついた針が、彼女たちの心の中に残った。『そんな愚かな……』 あらゆる欠乏、あらゆる困苦の上に、さらに子供が! そして、境遇のよい人たちの方が却って、いかにして自らを助け得るかということを知っていたのである。
かようにして、細民たちは、びっくり仰天し、そして、その秘密な禁制(もし人がそれを知っていれば、助けとなる筈だという)に対して好奇心をいだいた。彼等は耳をそばだて、そして、あれやこれやのことを小耳にはさんだ。支配人の家の洗濯女と、医者マルクスのところの家政婦も、ますます賢くなった。女工と男工は、車輪の唸りと機械の騒音の中で、そのことをささやき合った。
人は、もうそんなに愚かではないのだ……
支配人夫人は、妊婦や、官吏および労働者の家庭を訪問した。至るところで、毒のある種子を蒔きちらした。そして、社会生活では、そうなるのが一般の習わしであるように、上層階級、インテリ階級は、下層階級よりも、早くそれをつかんだ。新しいものへと、より早く移っていった、よりたやすく一切の古い伝統を弊履(へいり)の如く棄てる用意があった。間もなく、子供は、一人または精々二人ということが、一定の主義となったことが明らかとなった。それも、まさに子供を沢山持つことのできるような人々においてであった。実に人は、もうそんなに愚かではなかった……
かようにして、新しい世紀と共に、一つの新しい精神がはいって来はじめた。それは徐々にではあるが、絶えることなく、こっそりと潜びこむ陰険な疫病のように蔓延した。この毒のある息吹きは、上から下へと、いよいよ、深く深く、突き進んでいって、遂に今日では、国民の最下層も、国全体も、その病毒に感染してしまった。
あるアメリカ婦人は、『子供の世紀』という本を書いた。アメリカでは、どうなっているのか私は知らない。わがドイツでは、とにかく、子供に対する嫌悪、子供の忌避、子供への心配が、ここ数年間におけるほど、そんなに大きかったことは、まだなかった。それは、大きな犠牲を払うことなしに子供を育て得るだろうと思われる階層において、特にそうであった。それは、あながち戦争の結果ではない。私たちは今日では、実に不快なものは、すべてこれを戦争のせいにし、そしてこれを、変えることのできない、自分の責任によらない、一つの運命であると称して、それを一向に顧みようとはしないのである。すでに戦争の十年前に、わが国では、あながち貧困のために余儀なくそうされたのではない人々の間に、出生減退の現象をはっきり認めることができた。
確かに、第一次世界戦争に敗けた後では、相当広い階層の中に、多くの貧窮と困難とが生じた。すなわち、栄養不良の子供、半ば餓死したような母親、衣料の欠乏、大小都市における住宅難。親たち自身が家を持っていないとき、赤ちゃんをどこに寝かそうというのか? そして私たちが、最悪の事態が来ないでほしいと希望していた時に、馬鹿ばかしいインフレーションが起って、大規模な救助は全く行えないようになった。それにも拘らず子供を忌避する風潮は、下層階級の中からは出て来なかった。新時代の精神は、その果実を熟させた。誰もが皆、自分の「自我」のみを追求した。愛の犠牲ということについては、もはや何も知ろうと欲しないで、たぶん愛の享楽に対する権利のみを主張した。人々は、もはや義務の枠については何も知ろうと欲しないで、無遠慮に自己の欲望を満たそうと欲した。人々は、幾世紀来の古い思慮分別を無視した。幾百万人の生活上の経験によって刻印された「継続の黄金」をぞんざいに投げすて、タルミ(金に似せた青銅合金)と金銀の箔とをもって、新しい価値を作り出そうとした! かようにして、情欲を無制限に満足させる見掛け上の幸福に向って、人々は疾走し突進しだした。もっとも、そんなことをしても、決して目的と平安とに達することはできないのであるが。『リスベートさん、どうも私には、この国では何か秩序が保たれていないように思われるのですがね』と、ある日、私たちの老主任司祭がおっしゃった、『いわゆるフランス的風習が、わが国にも取り入れられたように思うのですが、あんたは、本当に何も気づきませんか?』
『もうよほど前から、私はそれに気がついています。今では、十年前にくらべて、一年間の出産が殖えていません。ところが、お産のある家庭は、四十ほど多いはずなのですが。農民や職人、小さな商人や官吏、上の方の労働者、といったような中間階級では、状況は、まだいいんです。しかし、上層階級では、違った風が吹いています。そして、労働者の間でも、そこ、ここに危険をはらんでいます――ただ様子がちがうだけで。』
『我々はこの際、何をすることが出来るでしようか? 民衆伝道でも起すべきでしょうか? 良心を、一度よく揺すぶり覚ますために。』
『それは、おやりになっても構わないでしょう。しかし神父さん、細民の人たちは、ただ叱るだけではいけません。その人たちには、よりよい生活条件を作るように助けてやらねばなりません。も一度、生活の喜びを与え、そして生活して行く勇気と力を与えて、やらねばなりません。ところが、他の人々は、あなたの民衆伝道をもっては、捕えることはできませんね。』
『これは古くからの事実ですが、もし生活が、道徳律と調和しない場合には、人間は自分にとって都合の悪い道徳律に束縛されないように、むしろ信仰を否定し勝ちなのです――自分の生活を変えるよりはね。このことは、ルソー自身がすでに認識していたところで、こう言っています。「神が存在することができるように、いつも生活しなさい――するとあなたは、神の存在を決して疑わないでしよう。」と。人間は、幸福の源泉から遠ざかって行きます――そしておいてから、自分自身を幸福にすることができないことを不思議がるのです。幸福になる代りに、却ってますます不満足になる、ということをです……』
『上から下へ、誤った精神が降りて来るんですが――より正しい精神も、上から下へ、再び降りて来なければなりませんね。私たちは、経験上、以前に上層階級で行われていた事柄が、数年後に同じようにいつも一般大衆の間に行われていることを見受けることはありませんか? ただ、それを繰り返す場合には、相当に、もっと極端になり、殘忍になるようです。』
『何か時宜に適した対策によって、国民のいろいろな社会で起るこの繰り返しに、出くわさないですますことはできませんかね?』
『やって見なければなりませんですね。わずかながら一部分は、抑えることができるでしょう。しかし、一般的に言って、神父さま、埃(ほこり)が上から階段に落ちて来る限りは、下で、いくら掃除しても、その甲斐がないように、私は思うのですけれど。』