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2024年から贖いの業の2000周年(33 - 2033)のノベナの年(2024-2033)が始まります

「助産婦の手記」23章 常に繰り返される一つの歌、悩みの歌

2020年08月11日 | プロライフ
「助産婦の手記」

23章

『マルガレーテさん。』 郵便局の窓口にいたその娘は、驚いて耳をそばだてた。郵便局長が、 彼女に、そのように姓ではなく名を呼んで、話しかけたことは、これまでにないことであった。局長は、いつも非常に形式張って固苦しかった。――『あんたは、今晚、僕と一緒に町へ行きませんか。僕は芝居の切符を二枚持っているんです。ところが、きょうは、家内は都合が悪いんです。女というものは、妊娠すると、そうなるんですね……』

町へ! 劇場へ……長い間の熱烈な憧れ! まだ劇場へ行ったことがなく、それをただ聞いたり、読んだりして知っているに過ぎない若い娘にとつては、そういうところには、一体、どんなあらゆるものがあると思えるのであろうか。素晴らしい幻像が電光のような速さで、そびえ立った。戦争前の幾年間というものは、小さな村の娘たちは、独りでそんな探検旅行をあえてしようとはしなかった。

マルガレーテの家には、一緒に行く人は誰もいなかった。父母は、静かに暮していたかった。恐らくまた、そんな新しい事物に対しては、あまりにも不安な感じがしたのであろう。弟や妹は、まだ小さすぎた。――彼女は、ただもう一緒に行きたくて堪らなかったので、大喜びで、はいと言った。これが一つの運命になるか知れないという考えは、全然、彼女には起らなかった……それは、一つの譲歩であったということ――および、乙女が、生存のための戦いにおいて、道德的に身を守るために絶対に必要とするところの「人格的自由」を失う最初の譲歩であるということを。――

昼食のとき、マルガレーテは言った。『私は今晚、郵便局長さんと一緒に町へ芝居を見に行くんです、局長さんが私を招待して下さったの、奧さんはきようは都合が悪いというんで……』
『それやお前、いけないよ。』 と父親が答えた。彼は昔風の正直な職人気質(かたぎ)の指物師である。『娘というものは、贈物をもらってはいけないんだよ。芝居の切符だってそうだ。きょう昼行ってから、こう言いなさい、御招待下さって有難うございますが、お断わりせねばなりません、と。』
悲しげに、娘は頭をうな垂れた。ところが、母親が口をさしはさんだ。『あんた、お願いですよ! もし局長さんの御機嫌を損じたら、娘は首になるかも知れませんよ。いつか、町からわざわざ一人の女を雇おうとしたことがあったのを、あなたはもう忘れたのですか? この村の娘たちは、まだ殆んど自由を認められていなかったので、あの頃、言われたことには……』
『何ももらっちゃいけない。』と父親は、頑固に言いはった。『もらうと、義理が出来る。今度の場合は、恩返しができないんだから、それこそ二重に不愉快なんだよ。』
『そんなに昔風にしないで、娘を喜ばしてやりなさいね。』と母親は弁護した。『今日では、もうそのことを、そんなに生真面目に取る人はありませんよ。郵便局長さんは、結婚していらっしゃるのです。局長さんが、いま持っていらっしゃる切符を無駄になさる代りに、娘を連れて行って下さっても、それは局長さんにとっては別に何ということもないでしょう……』
『結婚していようが、いまいが……全く同じことだ。娘よ、このことを決して忘れないように、よく覚えておきなさい、人は何ももらってはいけない、と。全く何も。人に支払ってもらってはいけない。汽車の切符でも、コーヒー代でも……お前がこのことを知らないために、行きますと、もう言ってしまったのなら、仕方がない、ぜひ一緒に行きなさい。 だが、将来のために、このことをよく心に銘じて置きなさい。そして、もしお前たちが今晚、飲食店にはいるようなことがあっても、支払ってもらってはいけないよ。卒直に言いなさい、私は自分で払いますと。そして、この次にまた招待されたら、お礼を言って断ってしまいなさい。』
『まあ、あんた、何を言うんです。相手は局長さんですよ。私は、ほんとにあんたの気持が知れませんよ。あの娘が、大変上役の気に入っていることを喜びなさいよ。あのお方は、部下を昇進させる権力を握っていらっしゃるんですよ。ほかの親なら喜ぶだろうに……』
『よその家庭を御覧よ、お母さん。きょうまでに工場の事務所に務めていた十人の娘のうち、もう三人が私生児の母となっているのだよ。これは、「娘たちが、大変気に入られている」ということから来たことなんだ。残念ながら、以前とは経済事情が変わった。しかし、だからといって、昔からの賢いことまでが、変わるものではない。我々は、悪魔に小指をさし出すような危険なことは、してはならないよ。それどころか、誤ちの機会が大きければ大きいだけ、それだけ娘は、自分の廻りに砦(とりで)を高く築かねばならないんだよ……』

しかし、母と娘は、ついに勝利を占めた。マルガレーテは、日曜日の晴着を着、そしてサンドウィッチを持って出て行った。彼女は郵便局の窓口を閉めた後、すぐ駅へ行かねばならなかった。
『よく楽しんでお出でよ、お前!』と母親が言った。
『お父さんは、私の喜びにけちをつけたのよ……』
『お前知っての通り、お父さんは旧式な人なんだからね。今日では全く世の中のことは、いろいろ変わって来ているんだよ。そして、人は、時代と一緒に進んで行かねばならないものだね。』
その憐れむべき母親は、自分の娘の成功を非常に誇っていたので、そのことを私に話して聞かせた。
私は、その父親の意見の正しいことを主張しようと試みた。しかし、それは失敗した。『そんなことは、私の娘に限ってありませんよ! あんたは一体、何を考えていらっしゃるの……それに、相手は郵便局長さんですよ、結婚なさったお方ですよ……よくお考えなさいな!』

その夜、父親の指物師は、駅で終列車を待っていて娘を迎えた。郵便局長は、驚いて機嫌を悪くした。マルガレーテは、満足しきって輝いていた。このようにして人生の中に初めて巣立って行った若い娘が、そういう気持になったことは、よく判る。彼女は、その晩、非常に多くの新しいものを一度に経験したので、もはやそれを全部思い出すことはできなかった。父親の戒めは、もちろん全部、忘れてしまっていた。人は、時代と一緒に進んでゆかねばならないよと、お母さんもほんとに言ったのだ……『あんたは、今夜は、僕のお客さんですよ。』と郵便局長は言った。彼は、汽車の切符を買い……そして当時一般に行われていた観劇客の悪習にならって、チョコレート菓子を買い……それから、なおブドー酒を飲んだ……時代はまさに変わり、そして父親は旧式になったのだ。
その翌朝、郵便局のマルガレーテの席には、チョコレートが一枚置いてあった。『きのうの残りですよ。』と局長は言った。『あなたのお父さんは、いつもあなたのことを心配していらっしゃるんですか? 全く敬服ですね! しかし、今日では、生活は変って来たのです。古いお方は、変わった時代の中では、もう勝手がよく判らないのですよ……』

三日後、彼は彼女の方に菓子を一箱押しやって、『これで一日中、あまり退屈しないように。』と言った。その際、彼は彼女に非常に接近して、彼女の手をそっと撫でることができるような段取りにすることを知っていた。小さな御機嫌取り……小さな愛撫……厚かましさ……もし、それに触れると、無邪気さが葬り去られるところの縄(なわ)が、どのように綯(な)われているかということを、誰が知らないであろうか……それなのに、その娘は、一たび誤った道に第一歩を踏み出した後、見かけ上の幸福のために、非常に心を奪われていたので、いかに男女の境界線が、おもむろに、いよいよ遠くへ押しやられ、そして消滅してしまったかということに気がつかなかった。――
『お母さん、わたし今夜、音楽会へ行けるといくんだけど。でも、お父さんが……お母さんは、よく判っていて下さるんだけれどもね……』二週間後には、こういう調子であった。
『お前、多分お断わりはしなかっただろうね?』
『そうよ、局長さんに向っては、断われないわ。私がはじめに一緒に行って、そしてあのお方がとても親切にして下った後ではね――もし断わると、ほんとに侮辱だと思うわ。』
『お父さんには、こう言っておいていいだろうね、 お前はあるお友達のところへ行きました――なぜなら、クリスマスが近づいたのだからって……』父親が、そんなに分らず屋であるなら、どうしたらいんだろうか? と母親は、自己弁護をした。世間の人のするようにしておれば、どんな場合でも、うまい具合に行くものだと……
二人だけでの楽しみは、お定(きま)りのこととなった。交際はますます濃やかな形をとっていった。御機嫌取りはますます大きくなった。 新しい財布だの、絹のブラウスだの……母親は、それらの品物は、自分が調達してやったものだということにして、家庭でのごたごたが起らないようにした。もう娘にとって、そういうものが、似つかわしくなって来たからには、娘にもそれを当てがってやらねばならないと母親は言った。ああ、その母親は、娘が大へん局長の気に入っていることを非常に誇りとしていたのである!……

二月に郵便局長は、誕生日を迎えた。『マルガレーテさん、誕生日のキッスをして頂けないでしょうかね?』娘は当惑した。警戒心が起った、電光のように速く――父の姿が。お父さんは、何と言うだろうか? しかし、彼女はそんな小さな害のない願いを断わることはできなかった。――そんなに親切にしていただいた後は……? 何がまたそこに潜んでいるであろうか。――
『なるほど、僕は結婚した男です。しかし、そこには本当に何もないのです。僕は、いつもあなたに親切ではなかったですか? ですから、いま僕もまた、あなたが少し僕によくして下さることを一度見せていただきたいんです、そう、小さな誕生日のキッスを……』
黄金の鎖――それは、どんなに堅く縛りつけることか……
それは、誕生日のちょっとしたキッスだけに止まっていなかった。いな、それからは、さらに敬意を表わすキッスが要求された。しかし、そこには一体、何があるか? 間もなく、キッスは、每日の勤務上の義務となった。そして……然り、そして――

ある晩、彼らは町へ行ったが、もう劇場へは、はいらずにヴァライエティーへ行った。そこでは、いろいろな刺戟的なものがあった。多かれ少なかれ、ただ一つしか意味のないものが。半裸体の女が、現われて踊った。二人は、強い酒を飲んだ――終列車に乗りおくれた。そこで、その娘は大へん昂奮した。お父さん! もし彼女が家に帰らなかったなら、どうなることであろうか? 停車場で彼らは自動車を拾った。村へ車を走らす途中、郵便局長は、興奮、アルコール、目覚めた官能を利用して、最後のものへの大胆な攻撃を敢行した。そして多くの抵抗なしに勝った。何が一体あったのかということは、もはや全然、娘の意識に上らなかった。――
翌朝、マルガレーテは、しかし、相当な二日酔を押して出勤した。『僕たちは、きょうは、少し長く働かねばなりませんよ、』と局長は言った。そして午後おそく、強い赤ブドー酒をお八つに出した。
『マルガレーテさん、きょうは大へん顔色がよくないですね。 赤ブドー酒を沢山飲まねばいけません。さもないと、具合が悪くなっても、僕は責任を負いませんよ……』
なるほど、その通りに彼らは、 窓口を閉めた後、一緒に居残っていたが、食事はしなかった。娘は、涙を抑えようと努めた。『マルガレーテさん、いま僕は、あなたが僕を愛していることを知っています。きのう、あなたはそれを僕に示して下さったのです。僕の結婚は、あまりにも不幸でした……家内は、全然僕に適していません……僕を全然理解しないんです。もしあなたと一緒になれたら、どんなに幸福になれるでしょう! そうすると、生活は全く違ったものとなるでしょう。』

もうすでに、いかに多くの娘たちが、この鳥黐(とりもち)の上に足を踏み入れたことであろうか!
もちろん、局長は、離婚しようと思った。そうすれば、道は新しい幸福に向って自由に開けるわけであった。もっとも、当分の間は、彼らは結婚せずに、ただ愛し合っていなければならないのであったが。しかし、この相愛は、今はもはや変更することのできないものであった。彼らは、互いに相手のものとなっていた……
『リスベートさん、男というものは、よくも美しいことがしゃべれるものですね。それなのに、私たちは馬鹿で、それを信じこむんですね。そしてそれは、全くその通りだと考えるんですね…… あの人は、いまお前を掌中に握っている……お前は、あの人にしっかりすがっていようとする以外には、もうどうすることもできないのだ、とね。人間は実に馬鹿なもので、もし自分で愛を感じるなら、その愛を信じこんでしまって……心変わりすることなんか、考えることができないんですね……』

産褥で、私は彼女から、その「人生の懺悔」を聞いた。しかし、残念ながらその懺悔は、この種類の唯一のものではない。それは、常に繰り返される一つの歌である、誤った道に第一歩を踏み出した悩みの歌である……
郵便局長は、転任を命ぜられた。女の郵便助手は、局内での妊娠が知れわたったとき、免職となった。今や、その娘の母親は手を揉み、髮をかきむしった。『何という不名誉! 信仰が、ぐらついて来る。每日、私は娘の守護の天使にお祈りしたのに! 每晚! それなのに、今この恥辱……』と、母親は私のところで嘆き悲しんだ。
『目を覚まし、そして祈れ、と救い主は、おっしゃいました。キリストは、目覚めることを第一位に置かれましたが、それは何故かということを御存知だからでした。あんたがなさったように、お子さんを危険の真中に送りこむということは、天主を試みることです。このような瞞着(まんちゃく)【ごまかし】を、救い主は、お護り下さるわけには行きません……』
母親は、娘を家から出そうとした。しかし、父親が執りなした。 いつもと同じように、彼は単純で、真直ぐで、正しかった。『お前に責任があるんだ、』と彼は妻に言った。『だから、お前は、今お前のやり方の結果を引きうけたらいいだろう。』
郵便局長は、もちろん、真面目に結婚しようという気は毛頭なかった。以前その家にいた女中も、局長の子供を一人生んだことがあるということを知ったとき、父親はきっぱりと一切の関係を断ち切った。なるほど、彼の娘は、一度その自由を売った――しかし、局長のような人間の屑に対して娘がそうしたことは、父親としては、今なお勿体なさ過ぎたことに思われたであろう。――
数年後に、世界戦争が勃発したとき、マルガレーテは再び郵便局に雇われた。そして今や自分で子供の世話をすることができるのである。




2020年8月16日は、聖霊降臨後第十一主日(二級祝日 典礼色:緑)です。聖伝のミサのラテン語と日本語・中文・韓国語の対訳のテキストをご紹介いたします

2020年08月11日 | ミサ聖祭

聖霊降臨後第十一の主日(二級祝日 典礼色:緑)
【ミサ聖祭】<入祭文>は、天主の唯一なる教会の偉大さを歌う。天主が唯一にて在すように、天主の民も一つであり、教会も一つである。神秘的なこの事実の原因は、キリストの神秘、すなわち、聖パウロが明らかに語っているその奥義である<書簡>。

每个主日便是一周的复活节,它唤醒我们追忆复活了基督的胜利(书信),及我们由圣洗中所得精神的复活。过去基督怎样开了聋哑者的耳及解了他的舌,同样祂藉着我们对祂的信仰,脱去我们罪恶的桎梏(福音)。祂又凭藉圣体圣事,欲继续祂圣宠的活动于我们心中。为这个缘故,一般的基督民众在每个主日,该会集包围自己的元首,即复活的基督,以便向祂呼吁(进台咏)。我们应结合于祂的圣祭之中,为沾得宽宥及勇敢的恩宠(密祷经)。在领圣体时,我们的神灵魂获沾各种所需要的恩惠,为引导它获享天上的永生;至于我们的肉身,也得将来光荣复活的保证(领后经)。

『귀먹고 벙어리된 자 하나를 주께 데려오고…곧 그의 귀가 열리고…그 혀의 맺힌 것이 풀려 분명히 말하는지라』(복음) 네 귀는 천주의 말씀을 듣게 하라.(왼편에 무릎을 꿇은 모습이 이를 상징함) 네 혀는 천주의 복음을 전파케 하라. (바른편『강론자』의 모습으로 상징됨) 곧 너의 본당 활동이라는『성소』에서, 너의 가정이라는『집』에서, 또 너의 친지인『민중』가운데서, 주의 복음을 전파할 것이다.(초입경) 『귀먹고 벙어리』된 자를 치료하기 전에 예수께서는 그를 따로 떼어 놓으셨다. 만일 우리가 천주의 말씀을『듣고자』한다면『무리들로부터 떠나』적어도 계속해서 한 시간 동안은, 주일 미사에 참예하여야 한다. 그렇게 함으로써만 그 완치된 농아처럼 우리는 돌아와 기꺼이 진리를『전파』할 것이다.(복음) 성 바오로께서는 어떻게 그가 복음을 받으셨으며, 어떻게 그 복음을 다른 사람들에게 전하셨는지를 말씀해 주신다.『내가 너희에게 전한대로 이를 지키라』(서간경) 

Dominica Undecima post Pentecosten 聖霊降臨後第十一の主日 降临后第十一主日 성신 강림 후 제11주일 
II Classis 二級祝日 复式【绿】  (2급) 초록색
Ant. ad Introitum. Ps. 67, 6-7 et 36. 入祭文 詩篇 67ノ 6-7, 36 进台咏(咏67:6-7, 36) 초입경(성영 67 6-7, 36)
Deus in loco sancto suo : Deus qui inhabitáre facit unánimes in domo : ipse dabit virtútem et fortitúdinem plebi suæ. 天主は、その聖なる場所に[ましまし給う]。天主は家に[人々の]心を一つにして住まわせ給う方。主は御民に力と剛毅とを与え給うだろう。 天主住在祂的圣所;天主使灰心的人有家可归,祂予百姓以伟大力量。 당신 성소에 거하시는 천주시오, 합심하는 자를 한집에 거하게 하시는 천주시니 저는 당신 백성에게 능력과 용맹을 주시리로다.
Ps. ibid., 2. 詩篇67ノ2 咏67:2 (성영 76․2) 
Exsúrgat Deus, et dissipéntur inimíci eius : et fúgiant, qui odérunt eum, a fácie eius. 天主は起ち給い、その敵らは散らさんことを、主を憎む者は御顔より逃れ去らんことを。 愿天主兴起,使祂的仇敌沦灭;使恼恨祂的,都由祂面前逃遁。 천주 일어나사 당신 원수들을 흩으시고 당신을 미워하는자들을 그 면전에서 피하게 하실지어다. 
V/.Glória Patri. V/. 願わくは、聖父と・・・(栄誦) 光荣归于父……。 영광이 부와 자와... 
Deus in loco sancto suo : Deus qui inhabitáre facit unánimes in domo : ipse dabit virtútem et fortitúdinem plebi suæ. 天主は、その聖なる場所に[ましまし給う]。天主は家に[人々の]心を一つにして住まわせ給う方。主は御民に力と剛毅とを与え給うだろう。 天主住在祂的圣所;天主使灰心的人有家可归,祂予百姓以伟大力量。 당신 성소에 거하시는 천주시오, 합심하는 자를 한집에 거하게 하시는 천주시니 저는 당신 백성에게 능력과 용맹을 주시리로다.
Oratio. 集祷文 集祷经 축문
Omnípotens sempitérne Deus, qui, abundántia pietátis tuæ, et merita súpplicum excédis et vota : effúnde super nos misericórdiam tuam ; ut dimíttas quæ consciéntia metuit, et adícias quod orátio non præsúmit. Per Dóminum. 全能永遠の天主よ、御身は、御身の優しさのあふれにより、懇願し奉る人々の功徳と望みとを、はるかに超え給う。願わくは、御あわれみをわれらの上に注ぎ給え、そは、良心が畏怖すること[罪]を赦し給い、祈りが敢えて「乞うことさえ」しないこと[聖寵]を与え給わんためになり。天主として、 全能永在的天主,祢丰盈的仁爱,远超恳求祢者的功德和想望之上;求祢在我们身上倾注慈恩,宽赦我们良心上恐惧不安的罪过,并赐下我们所不敢奢望的恩惠。因我们主……。 전능하시고 영원하신 천주여 네 풍성한 애정은 네게 부르짖는 자의 공로와 원의를 초과하는지라, 네 자비를 우리 위에 부어주사 하여금 양심의 두려워하는 바를 관유하시고 또한 감히 구하지 못하는 바를 태워 주시되, 네 아들 우리 주 예수․그리스도를 인하여 하소서. 저 너와 성신과... 
Léctio Epístolæ beáti Pauli Apóstoli ad Corínthios. 使徒聖パウロのコリント人への書簡の朗読。 书信 서 간 경
1. Cor. 15, 1-10. コリント前書 15ノ1-10 (格前15:1-10) (고린토전서 15․1-10)
Fratres : Notum vobis fácio Evangélium, quod prædicávi vobis, quod et accepístis, in quo et statis, per quod et salvámini : qua ratione prædicáverim vobis, si tenétis, nisi frustra credidístis. Trádidi enim vobis in primis, quod et accépi : quóniam Christus mortuus est pro peccátis nostris secúndum Scriptúras : et quia sepúltus est, et quia resurréxit tértia die secúndum Scriptúras : et quia visus est Cephæ, et post hoc úndecim. Deinde visus est plus quam quingéntis frátribus simul, ex quibus multi manent usque adhuc, quidam autem dormiérunt. Deinde visus est Iacóbo, deinde Apóstolis ómnibus : novíssime autem ómnium tamquam abortívo, visus est et mihi. Ego enim sum mínimus Apostolórum, qui non sum dignus vocári Apóstolus, quóniam persecútus sum Ecclésiam Dei. Grátia autem Dei sum id quod sum, et grátia eius in me vácua non fuit. 兄弟たちよ、先に私があなたたちに告げ、あなたたちが受けてそれにふみ止まった福音を、私はふたたび示そう。あなたたちが空しく信じることなく、私が伝えたままを守るなら、それによって救われる。私が第一にあなたたちに伝えたことは、私自身受けたことである。すなわち、聖書にしるされているとおり、キリストが私たちの罪のために死に、ほうむられ、聖書にしたがって三日目によみがえり、ケファにあらわれ、また十二人にあらわれたことである。そののち五百人以上の兄弟に同時におあらわれになった。その中には、死んだ者もあるが、ほとんどは今なお生きている。次にヤコボにあらわれ、それからすべての使徒に、最後には、月足らずのような私にもおあらわれになった。私は天主の教会を迫害した者であって、使徒と呼ばれる値打ちのない、使徒のうちでもっとも小さい者である。しかし、天主の恩寵によって、私は今の私になった。そして私が受けた恩寵は空しくならなかった。 弟兄们:我使你们记忆我所传给你们的福音;你们接受了,也坚固地信了它。如果你们依照我所传给你们的坚心保守,你们便因它得救了;否则你们徒然地信了它。我曾经把别人告诉我的传给你们,作基本的教训,那就是:基督依照经上所记载的,为我们的罪死亡、埋葬,并依照经上的记载,第三天复活了。伯多禄看见了祂,然后十一位宗徒也看见了祂。有一次五百余弟兄同时看见了祂,其中大多数到现在还在世,有的已经去世长眠。以后雅各伯看见了祂,众位宗徒也看见了祂;最后、在一切人以后,我这个像不足月婴儿一般的人也看见了祂。实际说来,我是最卑小的宗徒,不配称为宗徒,因为我曾经迫害过天主的教会。然而我仰赖天主的恩宠,才得成为今日的我。的确,祂施给我的恩宠,并没有枉费。 형제들아 나 너희게 강론하던 복음을 알게 하노니, 너희도 이것을 받아 이 위에 선지라. 만약 너희가 헛되이 믿지 않고 내가 전한대로 지킬진대 너희도 이로써 구함을 얻으리라. 대저 나 특별히 너희게 전한 것은 나도 받은 바로서 그리스도 성경에 의하여 사흘만에 부활하심과 계파에게 발현하심과 그 후에 또한 열두종도에게 발현하심이니라. 다음에는 오백명 이상의 형제에게 한꺼번에 발현하셨나니 그중에는 아직까지 살아있는 이도 많으나 어떤 이는 이미 죽었도다. 다음에는 모든 종도에게 발현하셨으며 나중에는 달이 차지 않은 자와 같은 내게도 발현하셨도다. 대저 나는 천주의 교회를 핍박하던 자인즉 종도라 부름을 받기에 합당치 못한 종도중에 가장 미소한 자로되 천주의 성총으로써 지금과 같이 되었으니 저의 성총은 내 안에 헛되지 않았도다. 
Graduale. Ps. 27, 7 et 1. 昇階誦 詩篇 27ノ7,1 台阶咏(咏27:7,1) 층계경(성영 27․7,1)
In Deo sperávit cor meum, et adiútus sum : et reflóruit caro mea, et ex voluntáte mea confitébor illi. 私の心は天主に希望した、そして私は助けられた。私の肉は咲き返った、私は心を尽くして主を告白し奉るだろう。 我一心倚恃天主,我得了扶助;我的身恢复青春,我必全心颂扬衪。 내 마음이 천주께 신뢰하여 나 도움을 받았도다. 이에 내 살이 다시 왕성하였으니 나 온전한 마음으로 저를 찬송하리로다. 
V/. Ad te, Dómine, clamávi : Deus meus, ne síleas, ne discédas a me. V/. 主よ、私は御身に叫び奉った。わが天主よ、黙し給うな、私から遠ざかり給うな。 上主、我的天主啊!我向祢呼吁,求祢不要对我缄口不语,求祢莫要远离我。 주여 나 네게 부르짖으리니 내 천주여 묵묵하지 말으시고 나를 떠나지 말으소서. 
Allelúia, allelúia. V/.Ps. 80, 2-3. アレルヤ、アレルヤ。V/.  詩篇 80ノ2,3 阿肋路亚。阿肋路亚!(咏80:2-3) 알렐루야 알렐루야.(성영 80․2,3) 
Exsultáte Deo, adiutóri nostro, iubiláte Deo Iacob : súmite psalmum iucúndum cum cíthara. Allelúia. われらの助け手なる天主を讃え奉れ。ヤコブの天主に歓喜せよ。竪琴をもって喜びの詩を歌え、アレルヤ。 你们当向天主、我们的力量,高声颂扬,向雅各伯的天主欢呼欣乐。你们应当弹着琴奏唱喜乐的歌咏。亚肋路亚。 우리 도움이신 천주를 찬양하고 야곱의 천주께 용약하며 거문고로써 유쾌한 성영을 읊을지어다. 알렐루야. 
+ Sequéntia sancti Evangélii secúndum Marcum. マルコによる聖福音の続誦。 福音 복음
Marc. 7, 31-37. マルコ 7ノ31-37 (谷7:31-37) (성말구 7․31-37)
In illo témpore : Exiens Iesus de fínibus Tyri, venit per Sidónem ad mare Galilǽæ, inter médios fines Decapóleos. Et addúcunt ei surdum et mutum, et deprecabántur eum, ut impónat illi manum. Et apprehéndens eum de turba seórsum, misit dígitos suos in aurículas eius : et éxspuens, tétigit linguam eius : et suspíciens in cælum, ingémuit, et ait illi : Ephphetha, quod est adaperíre. Et statim apértæ sunt aures eius, et solútum est vínculum linguæ eius, et loquebátur recte. Et præcépit illis, ne cui dícerent. Quanto autem eis præcipiébat, tanto magis plus prædicábant : et eo ámplius admirabántur, dicéntes : Bene ómnia fecit : et surdos fecit audíre et mutos loqui. そのとき、イエズスは、ティロの地方を去り、シドンを通り、デカポリ地方の中央をへて、ガリラヤの海辺においでになった。人々がまた、どもりで耳の聞こえない人をつれてきて、按手してくださいと願った。イエズスは、その人ひとりを群衆の中から連れだし、その耳に指を入れ、またつばをつけてその舌にさわり、天をあおいで吐息をつき、その人に「エッフェタ!」とおっしゃると・・・それは開けよという意味である・・・その耳はひらけ、すぐ舌のもつれはとけ、正しく話せるようになった。そこで、イエズスは、だれにもいうなと人々をいましめられたけれど、いましめられればいましめられるほど、なおさらますます言いひろめた。人々は大いに感嘆して、「あの方はすべてをよくなさった。聞えない耳を聞えさせ、唖の口をひらかれた」といった。 那时候,耶稣又走出泰尔境界经过西同,向加黎利海去,一直到达卡波利的中心区。有人带来一个又聋又哑的人,求耶稣给他按手。耶稣领他离开群众,走到一边,将手指放入他耳中,用唾沫抹他的舌头,再仰望着天,叹了一声,对他说:“厄弗达”!就是“开了吧”!他的耳开了,舌结也解了,清楚地说话了。耶稣嘱咐在场的人不要向谁告诉;但越是嘱咐他们,他们越是传扬。他们大为惊奇说:“祂一切都做的好:祂叫聋子听见,叫哑巴说话。”  유시에 예수 다시 디로지경에서 나오사 시돈근처로 말미암아 데가볼니지경사이로 지나사 갈릴레아 바닷가에 이르시매 귀막히고 벙어리된자 하나를 주께 데려오고 손으로 만져 주시기를 간구하거늘 예수 저를 백성중에서 따로 이끌어내시고 당신 손가락을 그 귀에 넣으시며 침을 뱉아 그 혀에 바르시고 하늘을 우러러 탄식하시고 가라사대「에패다」하시니 이는 열리란 말이라, 즉시 그 귀가 열리고 그 혀의 맺힌 것이 풀려 분명히 말하는지라, 예수 저들에게 분부하사 아무에게도 말하지 말라 당부하실수록 더욱 전파하며 더욱 기묘히 여겨 이르되「모든 것을 다 잘하사 귀막힌 자를 듣게 하시고 벙어리를 말하게 하셨다」하더라. 
Credo 信経 信经 *신경* 
Ant. ad Offertorium. Ps. 29, 2-3. 奉献文 詩篇 29ノ2-3 奉献咏(咏29:2-3) 제헌경(성영 29․2,3)
Exaltábo te, Dómine, quóniam suscepísti me, nec delectásti inimícos meos super me : Dómine, clamávi ad te, et sanásti me. 主よ、私は御身をあがめ奉る。何故なら主は私を受け入れ給い、私について私の敵どもを喜ばしめ給わなかった。主よ、私は御身に向かって叫んだ、すると御身は私を癒し給うた。 上主啊!我要称颂祢,因为祢救拔了我,也没有使我的仇敌向我矜夸。上主啊!我曾向祢呼号,祢医治了我。 주여 너 나를 받드사 내 원수들로 하여금 나로하여 즐거워하지 못하게 하셨으니 나 너를 찬송하나이다. 주여 나 네게 부르짖으매 너 나를 낫게 하셨나이다. 
Secreta. 密誦 密祷经 묵념축문
Réspice, Dómine, quǽsumus, nostram propítius servitútem : ut, quod offérimus, sit tibi munus accéptum, et sit nostræ fragilitátis subsidium. Per Dóminum. 主よ、願わくは、憐れみ深く我らの奉仕をみそなわし給え。そは、われらの奉献する物が、御身に嘉せられた贈物となり、かつ、われらの弱さの援助とならんためなり。天主として。 主,求祢垂视我们此刻的服役:使我们所献的,成为合乎祢圣意的礼品,并作我们软弱者的扶助。因我们主……。 주여 비오니 우리의 거룩한 봉사를 인자로이 굽어보사 우리 제물을 네게 흡합한 선물이 되게 하시고, 또한 우리 섬약함에 보호가 되게 하시되, 네 아들 우리 주 예수․그리스도를 인하여 하소서. 저 너와 성신과... 
Præfatio de sanctissima Trinitate  三位一体と主日との序誦 天主圣三的颂谢引 성삼감사경
Vere dignum et iustum est, æquum et salutáre, nos tibi semper et ubíque grátias ágere : Dómine, sancte Pater, omnípotens ætérne Deus : Qui cum Unigénito Fílio tuo et Spíritu Sancto unus es Deus, unus es Dóminus : non in uníus singularitáte persónæ, sed in uníus Trinitáte substántiæ. Quod enim de tua glória, revelánte te, crédimus, hoc de Fílio tuo, hoc de Spíritu Sancto, sine discretióne sentímus. Ut, in confessióne veræ sempiternǽque Deitátis, et in persónis propríetas, et in esséntia únitas, et in maiestáte adorétur æquálitas. Quam laudant Angeli atque Archángeli, Chérubim quoque ac Séraphim, qui non cessant clamáre cotídie, una voce dicéntes : Sanctus… 主よ、聖なる父よ、全能永遠の天主よ、われらが御身に、いつもどこにても感謝を捧げるのは、実にふさわしく正しいこと、義務と救いである。御身は、御独り子と聖霊と共に、唯一の天主、唯一の主にて在す。すなわち、御身は、一の位格の単一にて在すのではなく、唯一の実体(substantia)の三位にて在す。御身の御光栄について、御身が啓示するがゆえに、われらが信じ奉ることを、聖子について、聖霊について、差別なく、われらは信じ奉る。真の永遠の天主の本性を告白するにおいて、位格における固有性が礼拝され、本質(essentia)における唯一性と、御稜威における等しさも礼拝されるためである。これを、天使らと大天使らは、智天使も熾天使も、讃美し、絶え間なく声を上げ、日々声をあわせてこう言う。聖なるかな、… 主,圣父,全能永生的天主!我们时时处处颂谢祢,实是正义而必须的,属于我们天职的,也属我们得救的。祢与祢的独子及圣神,只是一个天主,只是一个主;不是因为位是单独一个,却是因为三位同具一个性体。的确,我们所怎样依照祢的启示,相信祢享的光荣,我们无区别地也同样确认祢的圣子,也同样确认圣神共享这个光荣。因此,我们在明认圣三真实而永在的天主性上,同时论位,我们敬拜圣三的各一,论体,我们敬拜圣三的无二,论尊荣,我们敬拜圣三的均等。这圣三的尊荣,是天神们和总领天神们,普知天神们和炽爱天神们,所虔诚歌颂的;他们日复一日,永不停止同声高呼说:圣、圣、圣…… 주여, 성부여, 전능하시고 영원하신 천주여, 우리가 어디서나 항상 주께 감사하는 것이 참으로 당연하고 옳으며, 지당하고 구령에 유익하나이다. 주는 외아들과 성신과 더불어 오직 한분의 천주시요, 오직 한분의 주이시되, 한 위가 아니시고, 한 체로서 세 위시니이다. 주의 계시로 우리가 주의 영광에 대하여 믿는 바를, 성자와 성신에 대하여서도 조금도 다름이 없이 믿나이다. 그리하여 우리는 참되시고 영원하신 천주성을 찬미함에 있어, 위로서는 각 품이시요, 체로서는 하나이시요, 지존하시기는 같으심을 찬송하나이다. 천신들과 대천신들 및 케루빔과 세라핌이 이를 찬양하며, 날마다 간단없이 제창하나이다. 거룩하시다, 거룩하시다, 만군의 천주이신 주는 거룩하시나이다. 하늘과 땅에 주의 영광이 가득하나이다. 천상에 좌정하신이여 호산나, 주의 이름으로 오시는 이는 찬미받아지이다. 천상에 좌정하신이여 호산나.
Ant. ad Communionem. Prov. 3, 9-10. 聖体拝領誦 箴言 3,ノ9-10. 领主咏(箴3:9,10) 영성체경(잠언 3․9,10)
Hónora Dóminum de tua substántia, et de prímitus frugum tuárum : et implebúntur hórrea tua saturitáte, et vino torculária redundábunt. おまえの持ち物から、そして、おまえの収穫の初穂から主に名誉を帰せ。そうすれば、倉はおまえの満足するまで満たされ、酒ぶねは、ぶどう酒であふれるであろう。 要以你的货财和一切初熟之物尊崇上主。如此,你的仓库必然充盈,你的酿酒器必要流溢新酒。  네 재산과 네 숫곡식을 가지고 주를 공경할지니 이에 너 창고가 충만할 것이요 네 포도틀에 포도주가 풍성히 흐르리로다. 
Postcommunio. 聖体拝領後の祈 领后经 영성체후 축문
Sentiámus, quǽsumus, Dómine, tui perceptióne sacraménti, subsídium mentis et córporis : ut, in utróque salváti, cæléstis remédii plenitúdine gloriémur. Per Dóminum nostrum. 主よ、願わくは、御身の秘蹟を拝領することにより、われらが心と体の援助を感じんことを。そは、われらが心と体の両者において救われ、天の良薬の充満によって栄光を受けんためなり。天主として、(…)。 主,求祢使我们能以领受祢的圣事,感受身灵的援助;望我们这样神形上获得救援之后,能由此天药的充分效能,感到愉快。因我们主……。

 주여 비오니 우리로 하여금 네 거룩한 성사를 영함을 인하여 영육상에 도우심을 받아 그 구원을 얻어 써 천상신약의 풍성한 능력을 누려 찬양케 하시되, 네 아들 우리 주 예수․그리스도를 인하여 하소서. 저 너와 성신과... 

 


山に木を切って設置した太陽光発電システムは、土砂崩れで流れ民家を崩壊

2020年08月11日 | 本・新聞・ウェッブ・サイトを読んで

アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様!

韓国では、連日の大雨で、山に木を切って設置した太陽光発電システムは、土砂崩れで流れ民家を崩壊してしまったそうです。

やっぱり、山には木が植えられていないと危険ですね。








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アヴェ・マリア・インマクラータ!
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