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2018年5月13日 御昇天後の主日説教 「天国―救霊予定のしるし」―聖ピオ十世会司祭 ワリエ神父様

2018年05月14日 | お説教・霊的講話
2018年5月13日 御昇天後の主日説教 のミサ
ブノワ・ワリエ神父様(聖ピオ十世会) お説教  日本語訳


御昇天後の主日―天国


「すると、救われるのはどんな人だろう?」「人にはできぬが天主にとってはそうではない。天主にはできないことはない」(マルコ10章26b-27節)

トレント公会議(デンツィンガー805=32版以前の番号)は、誰も特別な啓示なしにこの世で自分の救霊予定の確証を得ることはできない、と宣言しました。この特別な啓示を別にすれば、誰も自分が最後まで善きわざを忍耐強く続けるかどうかを知ることはできません。
それにもかかわらず、人が忍耐強くあり続けるというある種の確証を与える救霊予定のしるしがあるのです。

救霊予定のしるし

1.徳のある生活(真福八端の精神によって)
「心の貧しい人は幸せである、柔和な人は幸せである、悲しむ人は幸せである、正義に飢え渇く人は幸せである、あわれみのある人は幸せである、心の清い人は幸せである、平和のために励む人は幸せである、正義のために迫害される人は幸せである、天の国は彼らのものである」
1.謙遜
2.絶え間のない祈り「求めよ、そうすれば与えられる…」
3.敵を愛すること/苦しむ人々に対するあわれみ
4.天主を愛するがための苦難における忍耐 「辛抱強く忍耐をもって重い十字架を担うことは、救霊予定の素晴らしいしるしである」(ガリグ・ラグランジュ)

2.霊魂を求める不屈の熱意
「一人の罪びとを迷いの道から連れ戻す人は、自分の霊魂を死から救い、多くの罪を消す」(ヤコボ5章20節)。

3.ご聖体
●私たちは、救われるために、ご聖体にまします主を受けるべきです。
「人の子の肉を食べ、その血を飲まなければ、あなたたちの中にはいのちがない」(ヨハネ6章53節)。すべての人は少なくとも霊的に(すなわち、この秘蹟を受けたいとの望みまたは憧れをもって)ご聖体をいただく義務があります。なぜなら、これはキリストと一体となることだからです。(神学大全第三部第80問11)

●さらに、敬虔かつ頻繁にご聖体を受けることは、救霊予定のしるしです。
この秘蹟は、直ちに私たちを栄光に至らせるものではありませんが、私たちに栄光へと至る力を授けます。
この秘蹟は、旅路の糧と呼ばれます。それは、私たちが列王の書上19章8節で読むことを象徴しているからです。

「エリアは飲食し、それに勢いをつけて天主の山ホレブまで、四十日四十夜歩き続けた」。
“O sacrum convivium, in quo Christus sumitur, recolitur memoria passionis ejus, mens impletur gratia, et futurae gloriae nobis pignus datur.
「おお聖なる食事よ、これによってキリストが拝領され、ご受難の記憶が呼び起こされ、霊魂が御恵みで満たされ、未来のいのちの約束がわれらに与えられる」。
「ふさわしくなされた聖体拝領の主な効果は、ある程度天国を前もって味わうことであり、実際に至福直観において愛によって私たちが将来天主と一つになるという期待かつ約束である」(カトリック百科事典)。
ご聖体は、「われわれの栄光ある復活と永遠の幸福の約束」(トレント公会議第13総会第2章)です。それは、「私の肉を食べ私の血を飲む者は、永遠のいのちを有し、終わりの日にその人々を私は復活させる」(ヨハネ6章)というキリストの約束によるのです。

●イエズスの聖心をたたえる九回の初金曜日。告解と聖体拝領。

4.童貞聖マリアへの信心

「マリアへの愛とマリアへの信心は、永遠の救いを得る確実なしるしである」(聖ベルナルド)
「マリアのしもべのしるしをもつ人は誰であれ、すでにいのちの書に名前がある」(聖ボナヴェントゥーラ)
「祝されし聖母への信心は救いのために必要である。聖なる童貞への尊敬と愛を持たないということは、滅びへの確実なしるしであり、反対に、完全にかつまことに聖母への信心を行うことは救霊予定の確実なしるしである」(聖母マリアへのまことの信心40番)。

「祝されしマリアへのまことの信心は、救霊予定の最も確実なしるしの一つである。しかし、この信心はまことでなければならない。なぜなら、もし偽りであったならば、その目的には役に立たない。それは、お金に例えることができる。本物のお金ではなく、偽物だったとしたら、何の価値もない。そのような非常に重要な問題において誤解や欺きを防ぐため、あなたのマリアへの信心がふさわしいものであるために求められているすべての必要条件を満たしているかどうかを確認するために、あなたは非常に注意深く考えるべきである」(聖アントニオ・マリア・クラレット)

「マリアへのまことの信心は、効果的に救いへ導く。なぜなら、最後まで忍耐強くいられる御恵みを求めて忠実にマリアに祈るすべての人々に、マリアはその御恵みを取り成してくださることができるからである。この理由のため、聖母へのまことの信心は通常、救霊予定のしるしの一つとみなされている。この確かな希望は、マリアの取り次ぎという偉大なる権能と、マリアに祈る人々に対するマリアの特別な愛に基づいているのである。

・聖アルフォンソ(「聖母マリアの栄光」第1部第8章)によれば、自分の生活を改めようとの望みを持ち、天主の御母を忠実に崇めて自分をそのご保護に委ねる人々が滅びるのは、およそ不可能である。
・自分の生活を改めようとの真剣な望みを持たない人々は、もちろん、自分が一定の見かけ上の聖母への信心を守っているという事実を、救霊予定のしるしであろうとみなすことはできない。
・しかし、罪を捨てようとし、助けを求めてマリアへ立ち戻る罪びとは、マリアがその罪びとをお見捨てにはならないということを見いだすであろう」。(ガリグ・ラグランジュ)

●「私のロザリオの信心は、救霊予定の偉大なしるしです」(聖ドミニコと福者アランに与えられた)
●スカプラリオ。それを身に着けて死ぬこと。
●マリアの汚れなき御心をたたえる5回の初土曜日。告解と聖体拝領。


結論
1.救霊予定は神秘です。
  成聖の恩寵で死んでいない限り、誰も天国にはいません。自分の過ちによる以外は、誰も地獄に行くことはできません。

2.救いの絶対的確実性はありませんが、実質的な確証はあります。四つの救霊予定のしるしです。

3.救霊予定は私たちの努力を不必要にはしません。なぜなら、大人は永遠のいのちにふさわしく生きなければならないからです。

ある日、ある人がたいそう煩悶して恐れてみたり希望を持ってみたり、長い間心が落ち着かなかった。で、悲しみに耐えかね、教会の祭壇の前でひれ伏しして謙遜に祈った。これらのことを黙想して、「ああ、私が終わりまで忍びとおすかどうか、知りたいものだ」と言った。すると彼は、すぐに天主のお答えを心に聞いた。「あなたはそれを知ったら、どうするつもりなのか。そのときしようと思うことを今行え、そうすればあなたはまったく安心であろう」と。(「キリストにならいて」第1巻第25章)

恐れおののいて自分の救いをまっとうすること

「死ぬまであなたが忠実であれば、私はあなたにいのちの冠を与えよう」(黙示録2章10節)


天国の観想、それを熱心に願う

「いつ私は行って、天主のみ顔を仰げようか」(詩篇41章3節)
「目がまだ見ず、耳がまだ聞かず、人の心にまだ思い浮かばず、天主がご自分を愛する人々のために準備されたこと」(コリント前書2章9節)



--このブログを聖マリアの汚れなき御心に捧げます--

アヴェ・マリア・インマクラータ!
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