アヴェ・マリア・インマクラータ!
愛する兄弟姉妹の皆様、
2016年3月6日、ハンガリーの「ジョン・ヘンリー・ニューマン・高等教育センター」にアタナシウス・シュナイダー司教が訪問し、ニューマン・センターの校長であるダニエル・フュレップ(Dániel Fülep)とインタビューをしました。
その時のインタビューの中から一部抜粋を紹介します。全文は次で読むことができます。
John Henry Newman Center of Higher Education, Hungary, Sümeg, 6 March 2016
前回の記事:シュナイダー司教「ネオカテクメナート(新求道共同体)は教会の内部における、カトリックの飾りを付けたプロテスタント・ユダヤ教的な共同体」の続きです。
ダニエル・フュレップ「ではこの共同体が一体どうやって教会によって公式に認められることができたのですか?」
シュナイダー司教「これは別の悲劇です。彼らはバチカンにおいて少なくとも30年前に強力なロビーを確立しました。また別の騙しがあります。多くのイベントで、彼らは極めて多くの回心の実りと多くの召命を司教たちに提示します。多くの司教たちは実りによって盲目となり、彼らの誤謬を見なくなってしまい、彼らを吟味しません。彼らは大きな家族らを持っており、多くの子供たちがおり、家庭生活において高い道徳の規準を持っています。これはもちろん良い結果です。しかし、家庭を圧迫して最大限の数の子供たちを得るようにするというオーバーな行動もあります。これは健康的ではありません。彼らは、私たちはフマネ・ヴィテ[28]を受け入れている、と言い、これはもちろん良いことです。しかし、究極的にはこれは幻想です。何故なら現代では世界で多くのプロテスタントのグループも高い道徳の規準をもち、多くの子供たちを産み、ジェンダー・イデオロギーや同性愛に反対して抗議し、フマネ・ヴィテを受け入れているからです。
しかし、私にとって、これは真理の決定的な判断基準ではありません!多くのプロテスタントの共同体も罪人らを、つまりアルコールや麻薬の中毒になっている人々を回心させています。ですから、回心の実りは私にとって決定的な判断基準ではありません。また私は、罪人らを回心させて多くの子供たちを持っているようなプロテスタントのグループを自分の司教区に招いて使徒職をするように頼みません。これは多くの司教たちの抱いている幻想です。彼らはいわゆる「実り」に盲目になっています。
ダニエル・フュレップ「教えのうちで隅の親石は何ですか?」
シュナイダー司教「御聖体の教えです。これこそが心臓部です。まず実りを見て教義と典礼を無視するあるいは気にかけないというのは間違っています。教会がこの共同体を、ネオカテクメナート(新求道共同体)のロビー活動の圧力無しに、深く客観的に調査する時が来ると確信しています。その時、彼らの教義と典礼における誤謬が明らかにされるでしょう。」
[28] フマネ・ヴィテ(Humanae vitae)は、パウロ六世によって書かれ1968年7月25日に発布された回勅である。副題は「産児調節について」であり、ほとんどの産児制限の形式を拒否している。
愛する兄弟姉妹の皆様、
2016年3月6日、ハンガリーの「ジョン・ヘンリー・ニューマン・高等教育センター」にアタナシウス・シュナイダー司教が訪問し、ニューマン・センターの校長であるダニエル・フュレップ(Dániel Fülep)とインタビューをしました。
その時のインタビューの中から一部抜粋を紹介します。全文は次で読むことができます。
John Henry Newman Center of Higher Education, Hungary, Sümeg, 6 March 2016
前回の記事:シュナイダー司教「ネオカテクメナート(新求道共同体)は教会の内部における、カトリックの飾りを付けたプロテスタント・ユダヤ教的な共同体」の続きです。
ダニエル・フュレップ「ではこの共同体が一体どうやって教会によって公式に認められることができたのですか?」
シュナイダー司教「これは別の悲劇です。彼らはバチカンにおいて少なくとも30年前に強力なロビーを確立しました。また別の騙しがあります。多くのイベントで、彼らは極めて多くの回心の実りと多くの召命を司教たちに提示します。多くの司教たちは実りによって盲目となり、彼らの誤謬を見なくなってしまい、彼らを吟味しません。彼らは大きな家族らを持っており、多くの子供たちがおり、家庭生活において高い道徳の規準を持っています。これはもちろん良い結果です。しかし、家庭を圧迫して最大限の数の子供たちを得るようにするというオーバーな行動もあります。これは健康的ではありません。彼らは、私たちはフマネ・ヴィテ[28]を受け入れている、と言い、これはもちろん良いことです。しかし、究極的にはこれは幻想です。何故なら現代では世界で多くのプロテスタントのグループも高い道徳の規準をもち、多くの子供たちを産み、ジェンダー・イデオロギーや同性愛に反対して抗議し、フマネ・ヴィテを受け入れているからです。
しかし、私にとって、これは真理の決定的な判断基準ではありません!多くのプロテスタントの共同体も罪人らを、つまりアルコールや麻薬の中毒になっている人々を回心させています。ですから、回心の実りは私にとって決定的な判断基準ではありません。また私は、罪人らを回心させて多くの子供たちを持っているようなプロテスタントのグループを自分の司教区に招いて使徒職をするように頼みません。これは多くの司教たちの抱いている幻想です。彼らはいわゆる「実り」に盲目になっています。
ダニエル・フュレップ「教えのうちで隅の親石は何ですか?」
シュナイダー司教「御聖体の教えです。これこそが心臓部です。まず実りを見て教義と典礼を無視するあるいは気にかけないというのは間違っています。教会がこの共同体を、ネオカテクメナート(新求道共同体)のロビー活動の圧力無しに、深く客観的に調査する時が来ると確信しています。その時、彼らの教義と典礼における誤謬が明らかにされるでしょう。」
[28] フマネ・ヴィテ(Humanae vitae)は、パウロ六世によって書かれ1968年7月25日に発布された回勅である。副題は「産児調節について」であり、ほとんどの産児制限の形式を拒否している。