親愛なるモデレーター、コーディネーター、親愛なる騎士の皆さん―この手紙をすべての騎士および興味を持ちそうな人々に送ってください。
新年おめでとうございます、そして聖なる新年をお迎えください!
親愛なる無原罪の聖母の騎士の皆さん!
記念の年2017年も終わろうとしています。多くの人々が、今年何が起こったのかと思っていることでしょう。多くの人々が、100年前にファチマで起きた太陽の奇蹟のような、天からの特別な介入を期待していたことでしょう。他には、ファチマ第三の秘密の全体が明かされるのを熱心に待ち望んでいた人々もいましたし、私たちは皆、今年ロシアがマリアの汚れなき御心に奉献されるのではと非常に望んでいました。これらすべての希望は打ち砕かれました。それどころか、教会においては状況がかつてないほど悪くなっているように見える、と言えるかもしれません。それゆえに、来年からは、ファチマのことが多かれ少なかれ、多くの人々に忘れられてゆくのではないかという恐れがあります。
しかし、もう少し深くものを見る人々は、無原罪の聖母がこの記念の年の間に多くのことをなさったのを認めない訳にはいきません。年の初めには無原罪の聖母の騎士会(MI)の騎士は約2万人でしたが、年の終わりには、聖母の周りに10万人もの騎士を集めることで無原罪の聖母が私たちの祈りに応えてくださり、私たちの努力を祝福してくださったのを見て、私たちは感謝しています。フィリピン全土に及ぶマリア様の旅行ミッションは、この国に揺らぐことのない恩寵を与え、それにはしばしば、聖母の御あわれみによる実際の奇蹟がありました。多くの国々でMIは花開き、多くの信者の側に深いマリア様中心の生活がともにありました。以前には決してなかったことですが、ファチマの神秘に引き付けられて、聖伝に近づいてきた司祭たちや修道者たちとの非常に多くの接触がありました。
私たちがさらに深く見ていくならば、無原罪の聖母が私たちに与えてくださった非常に特別な恩寵があります。今年誠実に努力した人なら誰であれ、聖母によってその御心の神秘の中へさらに全面的に導かれたのです。私たちが受けたこの種の証言がいかに多かったことでしょうか。「これほど深くマリア様を理解することは、これまでありませんでした・・・今年ほどマリア様の愛を経験したことは、これまでありませんでした・・・私の生活全体でマリア様がいかに必要なのかということが、これまでにないほどよく分かりました・・・マリア様に奉献した生活をするということが、これまでよりずっとよくできるようになりました」!
ファチマ100周年の今年、マリア様の最も貴重なものが何かということが私たちに明らかにされました。聖寵充ち満てる御心、私たちに与えられる御心、これは聖母がすべての人にあらゆる回心と聖化の恩寵を与えようと望んでおられるということを意味しています。無原罪の聖母の騎士会100周年は、多くの新たな騎士を生み出しただけでなく、彼ら全員に彼らが聖母を信頼していること、また聖霊の浄配である聖母を通して聖霊のすべての賜物と実が私たちの心に置かれたことを示してもいるのです。
しかしここで、「私たちはマリア様について十分黙想しました。さあ、今度は何か別のことをしなければなりません。昨年、ファチマに関するすべてのことが決着しました。さあ今度は変化が必要です」と思うのは、大きな間違いです。
その反対です。もし私たちに、マリアの汚れなき御心の深みに入り込んでいく機会が与えられたのなら、それはマリア様が、私たちをご自分に完全に引き寄せて、その母としての御心を駆り立てているものを私たちに見せようと望んでおられるからです。マリア様は、ご自分のためには決して何も望んではおられません! マリア様は、ご自分に与えられたすべての栄光とほまれを、当然ながら御子へお渡しになります。汚れなき御心の本質そのもの、そのすべての聖域とご出現の目的そのものは、御子の聖心の神秘に私たちを導くことです。
ですから、これが私たちを新しい年2018年に、発見の旅にならなければならない年、言ってみれば、母親の指導の下で子どもが最も偉大な宝と最も偉大な真珠を見いだすことのできる年に導くのです。聖母はただ一つの望みをお持ちです。それは、私たちに天主の愛の広さと長さ、高さと深さを明らかにしてくださる(エフェゾ3章18節参照)天主の聖心に私たちを入り込ませることです。事実、マリア様ほどイエズスの聖心を深く、またよく理解し愛した人はこれまで誰もいませんでした。この理由のために、マリアの汚れなき御心において以外に、また御心を通して以外には、救い主の最も深い神秘に入れる人は誰もいません。
ですから、私たちは、イエズスが本当はどんな方なのか、イエズスの聖心の神秘とは何かを発見して驚くことをやめることは決してないでしょう。マリアの御心に完全に入り込んでいるときのみ、キリストは私たちに、小さき者たち、謙遜な者たちのために取っておかれた主の最も深い秘密を明らかにしてくださるでしょう。
それゆえに、私たちは二つの信心を別々に置いておくという危険、すなわち一方にマリアの御心への信心を置き、他方にイエズスの聖心への礼拝を置くという危険を避けなければなりません! 違います、本当の洞察は次のものです。「マリアは完全に常に、また常にマリアにおいてマリアを通して、イエズスへ至る!」。聖マキシミリアノ・コルベは、これを非常に明確に知り、生き、教えたのです(MIの奉献の祈りとイエズスの聖心をたたえるMIの講演を参照)。
ですから、2018年の第一の決心は以下のものです。
◆常にマリア様とともにいましょう。イエズスの聖心に近づくために、すべてにおいて聖母に頼り、すべてにおいて完全に、聖母の子ども、奴隷、騎士として自分を聖母に明け渡しましょう。
◆マリア様によってイエズスの聖心への信心を育みましょう(イエズスの聖心の月の初金曜日、イエズスの聖心の祝日など)。
◆今年、聖ルイ・マリー・グリニョン・ド・モンフォールによるマリアを通したイエズスへの全面的奉献を荘厳に行うか、更新しましょう(例えば3月25日に)。
◆聖母が王たるキリストに最も偉大なる栄光を与えられるようにするために、汚れなき御心の凱旋のために努力しましょう。イエズスの聖心の普遍的かつ社会的な王権を宣べ伝え、広めましょう。
◆多くの堕落した霊魂を可能な限り救うため、そしてそうすることで彼らをイエズスの至聖なる聖心に導くため、これまで以上に無原罪の御宿りの騎士および道具となりましょう(MIの奉献の祈り参照)。
しかし、私たちはまださらに進まなければなりません。
いとも聖なる二つの聖心が私たちにとっての現実となるとき、私たちがイエズスとマリアの聖心をまことに崇める者となるとき、私たちはさらに深い現実にまで、すなわち一つになった二つの聖心にまで導かれるのです。私たちがこれら二つの聖心の測りがたいほど深い面を知って愛するならば、私たちが、二つの聖心がどれほどお互いに表現できないほどの愛、一致、結合に至っているのかを知るならば、いわば、私たちが二つの聖心のお互いの関係をよく見つめるとき、いったい私たちは何と言うでしょうか?
ここにおいて私たちは、絶対的な愛の頂点の前に立っているのです。至聖なるイエズスの聖心において、この世への天主の愛がすべて明らかにされ、マリアの汚れなき御心において、天主への被造物の愛がすべて明らかにされるのです! 一つになった二つの聖心は、天主と被造物が永遠に一つになることの象徴です。愛の勝利です!
また、ここに、無原罪の聖母の騎士会の最も深い存在理由があります。私たちはそれを、2018年の間に、愛を込めた黙想のために騎士の皆さんに提供したいと思います。MIのエンブレムを見れば、一つになったイエズスとマリアの聖心と、これら二つの聖心の真ん中にMIの文字があるのが分かるでしょう。
ですから、2018年の第二の決心は以下のものです。
◆マリアを通してイエズスへ、しかしまたイエズスとともにマリアへ! この一方から他方への流れ、この相互の実り豊かさは、エミール・ヌーベール神父の著書「わが至高の理想マリアの御子イエズス」に非常に深くかつ美しく描写されています。今年、私たちはこの小冊子を手元に置き、繰り返し読みたいと思います。
◆騎士として、人類にもたらすことを許された最も偉大で最も重要なことが、ここに描写されていることを知りましょう。MIのバッジを身に着け、MIの旗に感謝し、MIの使徒職においてその旗の周りに集まることを幸せに思いましょう。
◆ひと月に一回、一つになったイエズスとマリアの聖心をたたえて大斎をしましょう。なぜなら、断食をすることは、私たちと私たちに委ねられた霊魂のための多くの恩寵の素晴らしい源泉であるからです。
◆「世の汚れに染まらず、自らを清く保つこと」(ヤコボ1章27節)を常に心がけましょう。イエズスとマリアに対する愛、そして霊魂たちに対する愛を表す次の祈りは、特に勧められます。「イエズス、マリア、われ御身を愛し奉る、霊魂たちを救い給え」。
ですから私たちは、2018年に、ファチマのメッセージという宝とMIを忘れないだけでなく、さらに深く見つめ、さらに熱心にそれを実践していくのです。なぜなら、このすべては、天主に最も偉大なる栄光を捧げ、できるだけ多くの霊魂を無原罪の聖母を通じてイエズスの聖心の下に置くために、私たちに与えられたのですから。
カール・シュテーリン神父
【英語原文】
Dear Knights of the Immaculata!
The jubilee year 2017 is drawing to a close. Many wonder what happened this year. Many expected a special intervention from heaven, similar to the solar miracle 100 years ago in Fatima. Others longed for the whole of Fatima's third secret to be revealed, and we all wished so much that this year Russia would be consecrated to the Immaculate Heart of Mary. All these hopes were dashed. On the contrary, one could say that it looks worse than ever in the Church. Therefore, it is to be feared that after this year Fatima will more or less be forgotten by many.
But those who look a little deeper have to admit that the Immaculata has worked a lot during this jubilee year: at the beginning of the year there were about 20,000 knights in the M.I., and at the end of the year we are grateful to see that the Immaculata has answered our prayers and blessed our efforts by gathering 100,000 knights around her.
Mary's Mission Tour throughout the Philippines has given this country unspeakable graces, often associated with real miracles of her mercy. In many countries the M.I. has blossomed, together with a deepened Marian life on the part of many faithful. Never before have there been so many contacts with priests and religious who, attracted by the mystery of Fatima, have approached Tradition.
If we look yet deeper, there is a very special grace which the Immaculata has given us: whoever has made a sincere effort this year, has been introduced by her more thoroughly into the mystery of her Heart. How many testimonies of this kind have we received: "Never before have I understood Mary so profoundly … Never before have I experienced her love so much as this year... More than ever, I have come to realize how necessary she is in my whole life... Better than ever before have I been able to live my consecration to her"!
This year of the Fatima centennial gave us the revelation of what the most precious thing in Mary is: her Heart - full of grace, her Heart - given to us, which means that she wants to give everyone all graces of conversion and sanctification; she wants to pull us out of a sinful life and lead us to holiness. The centenary of the Militia Immaculatae has not only brought forth many new knights, but has also shown all of them how much they can trust their Lady and that through her, the Spouse of the Holy Ghost, all his gifts and fruits are placed in our hearts.
Whoever approached her this year did not seem surprised by her greatness and majesty, her royal power and maternal love, her great mercy.
But now, it would be a big mistake to think: "We have meditated enough on Mary, now something else has to happen. Everything revolved around Fatima last year, now a change is necessary."
ON THE CONTRARY: If we were given a chance to penetrate the depth of Mary's Immaculate Heart, it is because Mary wants to draw us completely to herself in order to show us what motivates her motherly Heart. Never Mary wants anything for herself! All the glory and honour given to her, she necessarily passes on to her Son: the very essence of the Immaculate Heart and the very purpose of all her sanctuaries and apparitions are to introduce us into the mystery of the Sacred Heart of her Son.
And this brings us to the new year 2018, which must become a journey of discovery, so to speak, during which the child can find the greatest treasure and the most precious pearl, under the guidance of his mother. She has only one wish: to make us plunge into the Heart of God, who reveals to us the breadth and length, the height and depth of His love (cf. Eph 3:18). In fact, no one has ever understood and loved the Sacred Heart of Jesus more deeply and better than Mary. For this reason, there is no other access to the deepest mystery of the Saviour than in and through the Immaculate Heart of Mary.
And we will never cease to be amazed upon discovering who Jesus really is, and what the mystery of His heart is. Only when completely submerged into the Heart of Mary will Christ reveal to us His deepest secrets, which He has reserved for the little ones and the humble ones.
We must therefore avoid the danger of placing both devotions side by side: on the one hand, the devotion to Mary's Heart, and on the other hand, the worship of Jesus' Heart! No, the real insight is the following: Mary wholly and always, and in her and through her always, Jesus! Very clearly did St. Maximilian Kolbe perceive, live and teach this (see the prayer of consecration of the M.I. and its conferences in honour of the Sacred Heart of Jesus).
Hence, the annual resolution No. 1:
/ Be always with Mary; depend totally on her; surrender to her totally and completely as her child, slave and knight close to the Heart of Jesus:
/ Foster devotion to the Heart of Jesus with Mary (1st Fridays, Month of the Sacred Heart, Feast of the Sacred Heart, etc.);
/ Solemnly make or renew this year your total consecration to Jesus through Mary according St. Louis-Marie Grignion de Montfort (e. g. on March 25th);
/ Strive for the triumph of the Immaculate Heart that She may give Christ the King the greatest glory; proclaim and spread the universal and social kingship of the Sacred Heart of Jesus;
/ More than ever, be the knights and instruments of the Immaculate Conception to save as many lapse souls as possible and thus to lead them to the most holy Heart of Jesus (see act of consecration of the M.I.).
But we must go further still:
When both holiest Hearts have become reality for us, when we have truly become worshippers of the Hearts of Jesus and Mary, we are introduced to an even deeper reality, that is, to the union of both Hearts. If we are able to acknowledge and love so unfathomable deep aspects of these two Hearts, if we per how both of them turn to each other in indescribable love, unite, merge, as it were, when we look at the relationship of both hearts to each other — what shall we say?
Here we stand before the absolute summum of LOVE: in the most holy Heart of Jesus the whole love of God for the world is revealed; in the Immaculate Heart of Mary the whole love of the creature for God is revealed! The united Hearts are the symbol of the eternal union of God and creature. The triumph of love!
And here lies the Militia Immaculatae deepest raison d’être, which we would like to present to the knights for loving contemplation during the year 2018. When we look at the M.I. emblem, we see the united Hearts of Jesus and Mary and the M.I. in the midst of these Hearts!
Hence the annual resolution No. 2:
/ Through Mary to Jesus, but also with Jesus to Mary! This flow from one to the other, this mutual fertilization, is depicted very deeply and beautifully in Father Emil Neubert's book "My Supreme Ideal, Jesus — the Son of Mary". This year, we want to take this booklet in hand and look at it again and again;
/ Be aware that the greatest and most important thing, as a knight, to be allowed to bring to mankind is depicted here: be happy to wear the badge of the M.I. and appreciate its banner and gather around it in the apostolate of the M.I.
/ As much as possible fast once a month, in honour of the united Hearts of Jesus and Mary, because fasting is a great source of many graces for us and the souls entrusted to us. The 1st Friday could be the worldwide fast day of M.I. (on a voluntary basis).
/ Constantly strive at "keeping yourself immaculate from this world" (James 1:27). The prayer that expresses the love for Jesus and Mary and also for souls is especially recommended: “Jesus, Mary, I love you - save souls!”
And so, in 2018, not only will we not forget the treasures of the message of Fatima and the M.I., but we will also look deeper and more earnestly put it into practice, because all this was given to us only to give God the greatest glory and to lay as many souls as possible at the feet of Jesus' Heart through the Immaculata!
Fr. Karl Stehlin
新年おめでとうございます、そして聖なる新年をお迎えください!
2018年
マリアの汚れなき御心を通してイエズスの聖心へ
マリアの汚れなき御心を通してイエズスの聖心へ
親愛なる無原罪の聖母の騎士の皆さん!
記念の年2017年も終わろうとしています。多くの人々が、今年何が起こったのかと思っていることでしょう。多くの人々が、100年前にファチマで起きた太陽の奇蹟のような、天からの特別な介入を期待していたことでしょう。他には、ファチマ第三の秘密の全体が明かされるのを熱心に待ち望んでいた人々もいましたし、私たちは皆、今年ロシアがマリアの汚れなき御心に奉献されるのではと非常に望んでいました。これらすべての希望は打ち砕かれました。それどころか、教会においては状況がかつてないほど悪くなっているように見える、と言えるかもしれません。それゆえに、来年からは、ファチマのことが多かれ少なかれ、多くの人々に忘れられてゆくのではないかという恐れがあります。
しかし、もう少し深くものを見る人々は、無原罪の聖母がこの記念の年の間に多くのことをなさったのを認めない訳にはいきません。年の初めには無原罪の聖母の騎士会(MI)の騎士は約2万人でしたが、年の終わりには、聖母の周りに10万人もの騎士を集めることで無原罪の聖母が私たちの祈りに応えてくださり、私たちの努力を祝福してくださったのを見て、私たちは感謝しています。フィリピン全土に及ぶマリア様の旅行ミッションは、この国に揺らぐことのない恩寵を与え、それにはしばしば、聖母の御あわれみによる実際の奇蹟がありました。多くの国々でMIは花開き、多くの信者の側に深いマリア様中心の生活がともにありました。以前には決してなかったことですが、ファチマの神秘に引き付けられて、聖伝に近づいてきた司祭たちや修道者たちとの非常に多くの接触がありました。
私たちがさらに深く見ていくならば、無原罪の聖母が私たちに与えてくださった非常に特別な恩寵があります。今年誠実に努力した人なら誰であれ、聖母によってその御心の神秘の中へさらに全面的に導かれたのです。私たちが受けたこの種の証言がいかに多かったことでしょうか。「これほど深くマリア様を理解することは、これまでありませんでした・・・今年ほどマリア様の愛を経験したことは、これまでありませんでした・・・私の生活全体でマリア様がいかに必要なのかということが、これまでにないほどよく分かりました・・・マリア様に奉献した生活をするということが、これまでよりずっとよくできるようになりました」!
ファチマ100周年の今年、マリア様の最も貴重なものが何かということが私たちに明らかにされました。聖寵充ち満てる御心、私たちに与えられる御心、これは聖母がすべての人にあらゆる回心と聖化の恩寵を与えようと望んでおられるということを意味しています。無原罪の聖母の騎士会100周年は、多くの新たな騎士を生み出しただけでなく、彼ら全員に彼らが聖母を信頼していること、また聖霊の浄配である聖母を通して聖霊のすべての賜物と実が私たちの心に置かれたことを示してもいるのです。
しかしここで、「私たちはマリア様について十分黙想しました。さあ、今度は何か別のことをしなければなりません。昨年、ファチマに関するすべてのことが決着しました。さあ今度は変化が必要です」と思うのは、大きな間違いです。
その反対です。もし私たちに、マリアの汚れなき御心の深みに入り込んでいく機会が与えられたのなら、それはマリア様が、私たちをご自分に完全に引き寄せて、その母としての御心を駆り立てているものを私たちに見せようと望んでおられるからです。マリア様は、ご自分のためには決して何も望んではおられません! マリア様は、ご自分に与えられたすべての栄光とほまれを、当然ながら御子へお渡しになります。汚れなき御心の本質そのもの、そのすべての聖域とご出現の目的そのものは、御子の聖心の神秘に私たちを導くことです。
ですから、これが私たちを新しい年2018年に、発見の旅にならなければならない年、言ってみれば、母親の指導の下で子どもが最も偉大な宝と最も偉大な真珠を見いだすことのできる年に導くのです。聖母はただ一つの望みをお持ちです。それは、私たちに天主の愛の広さと長さ、高さと深さを明らかにしてくださる(エフェゾ3章18節参照)天主の聖心に私たちを入り込ませることです。事実、マリア様ほどイエズスの聖心を深く、またよく理解し愛した人はこれまで誰もいませんでした。この理由のために、マリアの汚れなき御心において以外に、また御心を通して以外には、救い主の最も深い神秘に入れる人は誰もいません。
ですから、私たちは、イエズスが本当はどんな方なのか、イエズスの聖心の神秘とは何かを発見して驚くことをやめることは決してないでしょう。マリアの御心に完全に入り込んでいるときのみ、キリストは私たちに、小さき者たち、謙遜な者たちのために取っておかれた主の最も深い秘密を明らかにしてくださるでしょう。
それゆえに、私たちは二つの信心を別々に置いておくという危険、すなわち一方にマリアの御心への信心を置き、他方にイエズスの聖心への礼拝を置くという危険を避けなければなりません! 違います、本当の洞察は次のものです。「マリアは完全に常に、また常にマリアにおいてマリアを通して、イエズスへ至る!」。聖マキシミリアノ・コルベは、これを非常に明確に知り、生き、教えたのです(MIの奉献の祈りとイエズスの聖心をたたえるMIの講演を参照)。
ですから、2018年の第一の決心は以下のものです。
◆常にマリア様とともにいましょう。イエズスの聖心に近づくために、すべてにおいて聖母に頼り、すべてにおいて完全に、聖母の子ども、奴隷、騎士として自分を聖母に明け渡しましょう。
◆マリア様によってイエズスの聖心への信心を育みましょう(イエズスの聖心の月の初金曜日、イエズスの聖心の祝日など)。
◆今年、聖ルイ・マリー・グリニョン・ド・モンフォールによるマリアを通したイエズスへの全面的奉献を荘厳に行うか、更新しましょう(例えば3月25日に)。
◆聖母が王たるキリストに最も偉大なる栄光を与えられるようにするために、汚れなき御心の凱旋のために努力しましょう。イエズスの聖心の普遍的かつ社会的な王権を宣べ伝え、広めましょう。
◆多くの堕落した霊魂を可能な限り救うため、そしてそうすることで彼らをイエズスの至聖なる聖心に導くため、これまで以上に無原罪の御宿りの騎士および道具となりましょう(MIの奉献の祈り参照)。
しかし、私たちはまださらに進まなければなりません。
いとも聖なる二つの聖心が私たちにとっての現実となるとき、私たちがイエズスとマリアの聖心をまことに崇める者となるとき、私たちはさらに深い現実にまで、すなわち一つになった二つの聖心にまで導かれるのです。私たちがこれら二つの聖心の測りがたいほど深い面を知って愛するならば、私たちが、二つの聖心がどれほどお互いに表現できないほどの愛、一致、結合に至っているのかを知るならば、いわば、私たちが二つの聖心のお互いの関係をよく見つめるとき、いったい私たちは何と言うでしょうか?
ここにおいて私たちは、絶対的な愛の頂点の前に立っているのです。至聖なるイエズスの聖心において、この世への天主の愛がすべて明らかにされ、マリアの汚れなき御心において、天主への被造物の愛がすべて明らかにされるのです! 一つになった二つの聖心は、天主と被造物が永遠に一つになることの象徴です。愛の勝利です!
また、ここに、無原罪の聖母の騎士会の最も深い存在理由があります。私たちはそれを、2018年の間に、愛を込めた黙想のために騎士の皆さんに提供したいと思います。MIのエンブレムを見れば、一つになったイエズスとマリアの聖心と、これら二つの聖心の真ん中にMIの文字があるのが分かるでしょう。
ですから、2018年の第二の決心は以下のものです。
◆マリアを通してイエズスへ、しかしまたイエズスとともにマリアへ! この一方から他方への流れ、この相互の実り豊かさは、エミール・ヌーベール神父の著書「わが至高の理想マリアの御子イエズス」に非常に深くかつ美しく描写されています。今年、私たちはこの小冊子を手元に置き、繰り返し読みたいと思います。
◆騎士として、人類にもたらすことを許された最も偉大で最も重要なことが、ここに描写されていることを知りましょう。MIのバッジを身に着け、MIの旗に感謝し、MIの使徒職においてその旗の周りに集まることを幸せに思いましょう。
◆ひと月に一回、一つになったイエズスとマリアの聖心をたたえて大斎をしましょう。なぜなら、断食をすることは、私たちと私たちに委ねられた霊魂のための多くの恩寵の素晴らしい源泉であるからです。
◆「世の汚れに染まらず、自らを清く保つこと」(ヤコボ1章27節)を常に心がけましょう。イエズスとマリアに対する愛、そして霊魂たちに対する愛を表す次の祈りは、特に勧められます。「イエズス、マリア、われ御身を愛し奉る、霊魂たちを救い給え」。
ですから私たちは、2018年に、ファチマのメッセージという宝とMIを忘れないだけでなく、さらに深く見つめ、さらに熱心にそれを実践していくのです。なぜなら、このすべては、天主に最も偉大なる栄光を捧げ、できるだけ多くの霊魂を無原罪の聖母を通じてイエズスの聖心の下に置くために、私たちに与えられたのですから。
カール・シュテーリン神父
【英語原文】
Father Director's Letter No 9 to all Knights of the Immaculata - Motto for 2018
Dear Moderators and Coordinators, dear Knights - please forward this letter to all Knights and to those who could be interested!
HAPPY AND HOLY NEW YEAR!
HAPPY AND HOLY NEW YEAR!
2018
Through the Immaculate Heart of Mary to the Sacred Heart of Jesus
Through the Immaculate Heart of Mary to the Sacred Heart of Jesus
Dear Knights of the Immaculata!
The jubilee year 2017 is drawing to a close. Many wonder what happened this year. Many expected a special intervention from heaven, similar to the solar miracle 100 years ago in Fatima. Others longed for the whole of Fatima's third secret to be revealed, and we all wished so much that this year Russia would be consecrated to the Immaculate Heart of Mary. All these hopes were dashed. On the contrary, one could say that it looks worse than ever in the Church. Therefore, it is to be feared that after this year Fatima will more or less be forgotten by many.
But those who look a little deeper have to admit that the Immaculata has worked a lot during this jubilee year: at the beginning of the year there were about 20,000 knights in the M.I., and at the end of the year we are grateful to see that the Immaculata has answered our prayers and blessed our efforts by gathering 100,000 knights around her.
Mary's Mission Tour throughout the Philippines has given this country unspeakable graces, often associated with real miracles of her mercy. In many countries the M.I. has blossomed, together with a deepened Marian life on the part of many faithful. Never before have there been so many contacts with priests and religious who, attracted by the mystery of Fatima, have approached Tradition.
If we look yet deeper, there is a very special grace which the Immaculata has given us: whoever has made a sincere effort this year, has been introduced by her more thoroughly into the mystery of her Heart. How many testimonies of this kind have we received: "Never before have I understood Mary so profoundly … Never before have I experienced her love so much as this year... More than ever, I have come to realize how necessary she is in my whole life... Better than ever before have I been able to live my consecration to her"!
This year of the Fatima centennial gave us the revelation of what the most precious thing in Mary is: her Heart - full of grace, her Heart - given to us, which means that she wants to give everyone all graces of conversion and sanctification; she wants to pull us out of a sinful life and lead us to holiness. The centenary of the Militia Immaculatae has not only brought forth many new knights, but has also shown all of them how much they can trust their Lady and that through her, the Spouse of the Holy Ghost, all his gifts and fruits are placed in our hearts.
Whoever approached her this year did not seem surprised by her greatness and majesty, her royal power and maternal love, her great mercy.
But now, it would be a big mistake to think: "We have meditated enough on Mary, now something else has to happen. Everything revolved around Fatima last year, now a change is necessary."
ON THE CONTRARY: If we were given a chance to penetrate the depth of Mary's Immaculate Heart, it is because Mary wants to draw us completely to herself in order to show us what motivates her motherly Heart. Never Mary wants anything for herself! All the glory and honour given to her, she necessarily passes on to her Son: the very essence of the Immaculate Heart and the very purpose of all her sanctuaries and apparitions are to introduce us into the mystery of the Sacred Heart of her Son.
And this brings us to the new year 2018, which must become a journey of discovery, so to speak, during which the child can find the greatest treasure and the most precious pearl, under the guidance of his mother. She has only one wish: to make us plunge into the Heart of God, who reveals to us the breadth and length, the height and depth of His love (cf. Eph 3:18). In fact, no one has ever understood and loved the Sacred Heart of Jesus more deeply and better than Mary. For this reason, there is no other access to the deepest mystery of the Saviour than in and through the Immaculate Heart of Mary.
And we will never cease to be amazed upon discovering who Jesus really is, and what the mystery of His heart is. Only when completely submerged into the Heart of Mary will Christ reveal to us His deepest secrets, which He has reserved for the little ones and the humble ones.
We must therefore avoid the danger of placing both devotions side by side: on the one hand, the devotion to Mary's Heart, and on the other hand, the worship of Jesus' Heart! No, the real insight is the following: Mary wholly and always, and in her and through her always, Jesus! Very clearly did St. Maximilian Kolbe perceive, live and teach this (see the prayer of consecration of the M.I. and its conferences in honour of the Sacred Heart of Jesus).
Hence, the annual resolution No. 1:
/ Be always with Mary; depend totally on her; surrender to her totally and completely as her child, slave and knight close to the Heart of Jesus:
/ Foster devotion to the Heart of Jesus with Mary (1st Fridays, Month of the Sacred Heart, Feast of the Sacred Heart, etc.);
/ Solemnly make or renew this year your total consecration to Jesus through Mary according St. Louis-Marie Grignion de Montfort (e. g. on March 25th);
/ Strive for the triumph of the Immaculate Heart that She may give Christ the King the greatest glory; proclaim and spread the universal and social kingship of the Sacred Heart of Jesus;
/ More than ever, be the knights and instruments of the Immaculate Conception to save as many lapse souls as possible and thus to lead them to the most holy Heart of Jesus (see act of consecration of the M.I.).
But we must go further still:
When both holiest Hearts have become reality for us, when we have truly become worshippers of the Hearts of Jesus and Mary, we are introduced to an even deeper reality, that is, to the union of both Hearts. If we are able to acknowledge and love so unfathomable deep aspects of these two Hearts, if we per how both of them turn to each other in indescribable love, unite, merge, as it were, when we look at the relationship of both hearts to each other — what shall we say?
Here we stand before the absolute summum of LOVE: in the most holy Heart of Jesus the whole love of God for the world is revealed; in the Immaculate Heart of Mary the whole love of the creature for God is revealed! The united Hearts are the symbol of the eternal union of God and creature. The triumph of love!
And here lies the Militia Immaculatae deepest raison d’être, which we would like to present to the knights for loving contemplation during the year 2018. When we look at the M.I. emblem, we see the united Hearts of Jesus and Mary and the M.I. in the midst of these Hearts!
Hence the annual resolution No. 2:
/ Through Mary to Jesus, but also with Jesus to Mary! This flow from one to the other, this mutual fertilization, is depicted very deeply and beautifully in Father Emil Neubert's book "My Supreme Ideal, Jesus — the Son of Mary". This year, we want to take this booklet in hand and look at it again and again;
/ Be aware that the greatest and most important thing, as a knight, to be allowed to bring to mankind is depicted here: be happy to wear the badge of the M.I. and appreciate its banner and gather around it in the apostolate of the M.I.
/ As much as possible fast once a month, in honour of the united Hearts of Jesus and Mary, because fasting is a great source of many graces for us and the souls entrusted to us. The 1st Friday could be the worldwide fast day of M.I. (on a voluntary basis).
/ Constantly strive at "keeping yourself immaculate from this world" (James 1:27). The prayer that expresses the love for Jesus and Mary and also for souls is especially recommended: “Jesus, Mary, I love you - save souls!”
And so, in 2018, not only will we not forget the treasures of the message of Fatima and the M.I., but we will also look deeper and more earnestly put it into practice, because all this was given to us only to give God the greatest glory and to lay as many souls as possible at the feet of Jesus' Heart through the Immaculata!
Fr. Karl Stehlin