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「聖ピオ十世会は離教状態にあらず」:聖ピオ十世会司祭 レネー神父様

2017年10月17日 | お説教・霊的講話
アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様、
レネー神父様の霊的講話 「聖ピオ十世会は離教状態にあらず」の日本語訳をご紹介いたします。

天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)

2017年10月15日、大阪の霊的講話 
聖ピオ十世会は離教状態にあらず

親愛なる兄弟の皆さん、

きょうは、レイモンド・バーク枢機卿の聖ピオ十世会に関する最近の発言についてお話ししようと思います。バーク枢機卿は2017年7月15日、米国のオレゴンでの講演会[注1]のあと、いくつかの質問に答え、その答えの中で、「聖ピオ十世会は、故マルセル・ルフェーブル大司教が教皇の許可なしに四人の司教を聖別して以来、離教状態にある」と述べました。そして、フランシスコ教皇が聖ピオ十世会のすべての司祭に告解の裁治権を与え、そのあと最近では聖ピオ十世会の司祭が行う婚姻に対する裁治権も与えたことを考慮しながらも、枢機卿はこれら二つの教皇の対応を「異常」としてしか見ておらず、自分のその思い込みに疑問を抱いていないのです。その結果枢機卿は、人々に対して、自分たちの周囲に他に「適切な距離の範囲内にある敬虔なミサ」がなかったとしても、私たちのミサを避けるよう忠告しているのです。[注2]

教会法に関する資質を持つバーク枢機卿のような方が、私たちの法的案件を本当に努力して調べようとしなかったように見えるのは、本当に悲しいことです。もしそうされれば、ご自分のあまりにも単純な理由付けが成り立たないことを簡単にお分かりになったはずなのですが。

第一に、教会法においては、教皇の許可のない司教聖別は教会の一致に反する罪(教会の一体性に反する犯罪)ではなく[注3]、そのため離教にはならず、もしその行為が正当化されなかったとしても、単なる秘蹟の執行に反する罪になるだけなのです。[注4]これら二つの罪は教会法の二つの異なる章にあるのです。それゆえに、バーク枢機卿の理由付けは誤りです。ルフェーブル大司教は教皇の許可なしに司教を聖別したのだから離教状態にある、と言うことはできません。

こんな反論があるかもしれません。「しかし、そのような司教聖別は教皇の首位権を実践によって否定しているのであり、それゆえに離教である」と。しかし、必ずしもそうではありません。ルフェーブル大司教は、司教聖別の説教それ自体において細心の注意を払い、自分が教皇の首位権を認めていることを明らかにし、また、聖別される司教たちにいかなる裁治権を与えるかのようにも全く見えないようにしました。大司教は、現代の誤謬に妥協せずに聖伝のカトリック教理、聖伝のカトリック典礼、聖伝のカトリックの道徳を継続させていく良き司祭たちを叙階することのためだけに、四人の司教たちを聖別しました。なぜなら、ミサと秘蹟がなければ、信者たちは霊的に飢えてしまうからです。これは聖伝の「生き残り作戦」でした。聖ピオ十世会は、ミサの典文において教皇とその地域の司教の名前を、これまで常に唱えてきましたし、また現在も唱え続けています。教会の聖職位階を拒否したことは全くなく、それゆえに、全く離教ではありません。

また、こんな反論があるかもしれません。「しかし、許可なしに司教を聖別すれば、自動破門の罰があり、そのため破門された人物は離教状態にある」と。それに対する答えは単純です。教会法自体が、重大な不都合を避ける必要に迫られた場合に行ったのであれば、そのような自動破門は適用されない、と明白に定めています。[注5]1983年の新しい教会法は、自分たちが必要に迫られていると単に主観的に思っただけの人々でも、そのような自動破門の罰から免除することさえしています。それが、とがめられるべき誤謬からであったとしてもです! さて、ルフェーブル大司教が、自分がそのような必要に迫られた状態[注6]にあった、と述べたことには、疑問の余地がありません。それゆえに、教会法1382条の自動破門は適用されませんでした。教皇は[裁判において]適切な判決を下し、ルフェーブル大司教に破門を言い渡すことを決定することもできましたが、そのような裁判は全く行なわれませんでした。ルフェーブル大司教は、正当な教会法の裁判において自ら弁明する機会を全く与えられることがありませんでした。それゆえに、ルフェーブル大司教に対する自動破門も正当な裁判の判決もなかったのですから、大司教は全く破門されなかったのです。

さらに、さらにこんな反論もあります。「教皇ヨハネ・パウロ二世は、自発教令『エクレシア・デイ』の中で、ルフェーブル大司教は破門された、と書いたのだ」と。が、これは異常です―そうです、親愛なるバーク枢機卿、これこそ実際に異常なのです! この文書において、ヨハネ・パウロ二世は新たな罰を定めもせず、新たな罰を科しもせず、単にルフェーブル大司教と四人の司教は「教会法によって想定されている破門という重い罰を受けた」と書いただけです[注7]。言い換えれば、教会法が適用されたとしたのですが、もし教会法を正しく適用するならば、その結論は、先に説明したように、ルフェーブル大司教は破門されなかった、となるべきです。でも、教皇ヨハネ・パウロ二世は反対の結論を採用し、こうしてまさに自分が公布した教会法自体を無視したのです!

さらに、その後ヨハネ・パウロ二世はさらに進んで、ルフェーブル大司教が間違っていると自分が思った理由を三つ示しました。最初に、教皇はルフェーブル大司教を不従順だとして、次に、聖伝についての不完全かつ矛盾した考えを持っているとして告発しました。不完全だというのは、聖伝が生きているという性質を無視しているからだとし、矛盾しているというのは、聖伝と教導権に反対しているからだというのです。しかし、これら三つの告発はどれも真実ではありません。そして、先ほど述べたように、ルフェーブル大司教はそのような告発に対して、教会法による正当な裁判に出席して弁明する機会を全く与えられなかったのです。

聖トマス・アクィナスの教えによれば、従順とは道徳的な徳であって、すべての道徳的な徳と同様に、不足と行き過ぎの間にある正しい度合いです。不足により従順に反する悪徳は不従順であり、合法的な命令に従わないことです。行き過ぎにより従順に反する悪徳はへつらいであり、すなわち非合法な命令に従うことです! よくあることですが、長上と部下に意見の不一致がある場合、それは部下が合法的な命令に逆らうがゆえであって、部下の側が悪く、これが不従順です。しかし、常にそんな場合だとは限りません。

実際、聖書はそのことをまさに明白にしています。使徒たちが衆議所によってイエズスの名を説教しないように命令を受けたとき、「ペトロと使徒たちは答えて言った。『人間よりも天主に従わなければなりません』」(使徒行録5章29節)。時折実際に、権威にある人々が天主に反することを命じることがあり、そんな場合には命じられた人々は抵抗すべきです。そうすることにより、不従順ではなく、むしろ行き過ぎやへつらいによる悪徳を避けることで従順の徳を実践するのです。

ルフェーブル大司教の場合は何をしたでしょうか? 大司教は、聖伝の教理を、聖伝のミサを、聖伝の道徳を守り続け、そしてそれらを守り続ける司祭たちを、信者たちにこれらの宝を与える司祭たちを養成し続けました。それが悪いことだったでしょうか? 誰もあえて悪いとは言いませんでしたが、それでも彼らは大司教に神学校を閉鎖して聖ピオ十世会を廃止するよう求めました。教皇パウロ六世は大司教に対して、神学校を閉鎖し、神学生たちを追い出すように、はっきりと命じました。ルフェーブル大司教は、へつらいという悪徳に陥らず、それには従いませんでした。大司教は、多くの信者たちがすべての変化によって混乱しており、彼らが聖伝という宝を必要としていること、そしてその宝を求めて大司教を頼っているのを見て、彼らのためになるよう、司祭たちを与えたのです。そして、高齢になったとき大司教は、特に1986年10月にあったアッシジのエキュメニカルな会議のせいで悪魔による誤った方向づけが力を増しているのを見て、信者たちに司祭たちを与える司教たちを与えたのです。大司教は繰り返し、[ラッツィンガー枢機卿を通じて]教皇に司教を聖別する許可を求めましたが、ローマ側はそれを遅らせ、さらに遅らせ、そして明らかに不誠実な態度でもっと遅らせました。ローマ側は、大司教が求めているものが間違っていると言うことはできませんでした。1988年5月5日の議定書において、彼らは大司教の求めていたものを原則として許可しましたが、実際には大司教に先に死んでもらいたいと思っていることが明らかな遅延を定めたのです。そのような必要に迫られて、大司教は四人の司教の聖別によって将来に備えたのです。そうすることは不従順ではなく、むしろ行き過ぎやへつらいによる悪徳とは反対の従順の徳だったのです。

そして、その将来である現在は、すでに大司教が正しかったことを証明しています。これから将来の世代は、聖伝のミサ、聖伝の教理という宝が二十世紀の終わりまで守られてきたのは大司教のおかげだったということをますます認めることでしょう。他の誰もがあきらめていたのですから。現在聖伝のミサを持つ正しい教会法上の地位にある他の修道会が存在しているという反論をする人々がいます。今はそうですが、1988年に彼らはどこにいたでしょうか? 大司教はたった一人だけの状態であり、聖伝のミサを個別に守り続けていた司祭たちもわずかで、年齢を重ねていき、多くがすでに亡くなっていました。その上、彼らは自分たちの司教から迫害され、拒絶されていたのです。彼らは不従順ではありませんでした。彼らは聖伝のミサを守り続けていたために迫害されていたのですが、彼らは間違っていなかったのです! 彼らはまことの従順、天主を第一とする従順の英雄たちだったのです!

ヨハネ・パウロ二世による第二の告発は、ルフェーブル大司教が、聖伝は生きているという性質を無視しているという理由で、聖伝についての不完全な考えを持っていたというものです。しかし、ここには、聖伝のいのちとは何であるかということについて大きなあいまいさがあります。ルフェーブル大司教は常に、聖伝のまことのいのちを受け入れてきました。それは、まさに教会のまことのいのち、キリストのいのちにあずかること、永遠のいのちの始まり以外の何物でもありません。それは、永遠の真理を観想するいのちであり、すなわち、いとも聖なる三位一体に対する愛の眼差しであり、そして不変の真理を宣べ伝える宣教のわざによって、この観想の実を他人に与えることです。[注9]ルフェーブル大司教は本当の宣教師でした。大司教は、その宣教の精神を破壊するエキュメニズムを拒絶していました。もしすべての宗教が問題ないのなら、改宗は必要ありません。宣教のわざ、すなわち永遠の真理を忠実に伝達すること、これがまことの生ける聖伝です。

しかし、近代主義者たちは聖伝について全く異なる考えを持っています。彼らにとっては、聖伝とは過程であって内容ではありません。近代主義の神学者の一人であるエイブリー・ダレス神父は、聖伝についての新しい考えを明らかにし、ルフェーブル大司教の聖伝についての考えを批判しました。「第二バチカン公会議についての相対立する評価が、聖伝についての異なる概念によるのは明らかである。聖伝とは、内容であるよりもむしろ過程、すなわち生きていて創造的で共同体に基づく過程である。それゆえに、ルフェーブルが『近代主義者の影響』として退けているものは、古代の価値ある遺産の再発見として擁護され得るのである。現代の聖伝主義において依然として支配的である客観主義的な権威主義的概念は、われわれの時代においては広く批判されている」[注10]。エイブリー・ダレス神父は、ダニエルーやド・リュバック、コンガール、フォン・バルタザール、そして更にはラッツィンガーのような第二バチカン公会議における他の近代主義の神学者たちと同様、のちに枢機卿とされたということは注目に値します。

ですから、聖伝についての二つの相対立する考えが存在します。一方は、生きていて創造的で共同体に基づく過程というものですが、でもどのような過程でしょうか? 内容のない、変化しつづける個人的な宗教的体験の伝達でしょうか? 客観的な真理には無関係でしょうか? これはまさに、回勅「パッシェンディ」の中で聖ピオ十世によって非難された近代主義的な考えです。この近代主義的な考えは、教義の進化などと相伴って進化する聖伝という考えです。聖ピオ十世は、すべての司祭、司教に対して、次のように誓うことを要求しました。「私は、使徒たちから正統信仰の教父たちを通じて同じ意味、同じ表現でわれわれに伝えられてきた信仰の教理を心から受け入れる。したがって、教義の意味が変化し、教会が昔信じていた意味と異なっていると主張する教義の進化説を異端として排斥する」(反近代主義誓文)[注11]。

他方、教皇たちや司教たちによる信仰の遺産の忠実な伝達という、聖伝についての本物のカトリックの考えがあります。そして、これがルフェーブル大司教の考えです。この聖伝についてのまことの考えがいのちに満ちていることは、多くの召命や聖伝のチャペルに見られる多くの子どものいる若いカトリックの家庭として目に見えるものです。この実り豊かさが、聖伝のいのちを最も明白に証明しています。その反対に、第二バチカン公会議の後に続く新奇なものは、大きな出産低下と召命の減少を引き起こしてきました。ですから、聖伝とは第一に、客体、すなわち天主の不変の真理と関係しています。これを見失うことは、確かに聖伝についての不完全な考えです!

最後の告発は、「ローマ司教と司教団によって所有されている普遍的な教導権に反対するという聖伝についての矛盾した考え」を持っているというものでした[注12]。ここで再び忘れてならないことは、教会の教導権は本質的に信仰の遺産と関係している、ということです。教皇ピオ九世と第一バチカン公会議の教父たちはこう言いました。「聖霊がペトロの後継者たちに約束されたのは、聖霊の啓示によって新しい教義を教えるためではなく、聖霊の援助によって使徒たちが伝えた啓示、すなわち信仰の遺産を確実に保存し、忠実に説明するためである」[注13]。

以前の教皇たちの変わらぬ教えに対してルフェーブル大司教が忠実であることは、時の教皇の権威を損なうのでは全くなく、その権威の最高の保証なのです。エイブリー・ダレス神父が、聖伝についての「客観主義的」な考えを「権威主義的」な考えと結び付けたうえで、「伝統的な」考えだとして両方とも拒否していたことを思い出してください。最後の軽蔑的な節を除けば、聖伝についての伝統的な考えが、その客体、つまり、この目的のために主から権威を受けた人々によってきちんと手渡されてきた信仰の遺産に基づいていることは真実です。聖伝の変わることのない目的に固執することは、聖伝の「権威主義的」考えを擁護すること、その結果、教皇の権威を擁護することです。教皇は聖伝を守り続けるために権威を受けました。しかし、この教皇の権威という考え自体を拒否しているのは近代主義者であって、ルフェーブル大司教ではありません! 権威というものが、現代の新しい「信じる者の研究」を認可するためだけに存在するのなら、その権威は自らを破壊しています。それはまさしく、聖ピオ十世が、権威についての近代主義的な考えだとして回勅「パッシェンディ」の中で指摘しているものです。その反対に、権威が「使徒たちで完成」し、変えることのできない信仰の遺産を守り続けるために存在するものなら、この聖伝における権威という考えは、ルフェーブル大司教が完全に受け入れるものです。

ルフェーブル大司教と「ローマ司教と司教団」によるこんにちの教えの間に対立があるとすれば、それは彼らがもはや先任者たちが教えたことを教えていないからであり、シラバスや反近代主義誓文、私たちの主イエズス・キリストの社会的王権などを教えていないからです。彼らは新しい教理を教えようとしており、その目的、すなわち「新しい啓示を教えるのではなく、信仰の遺産をきちんと守り、忠実に表明するため」の権威を、本来の目的と逆に使って、新しい教理を押し付けようとしているのです。バーク枢機卿自身の「ドゥビア(疑問)」によって、信仰の遺産を破壊するような新奇なもののために教皇が自らの権威を使うという可能性が存在することを、枢機卿は思い起こすべきでしょう。

教会の現在の危機は、権威の危機から来ています。権威を持つ人々が新しい教理を養い育てています。教皇によって導入され認可された新奇なものはすべて、教皇自身の権威を弱める傾向にあるのです。実際、きのう女性の侍者が禁じられていたのに、きょうそれが許可されているのなら、またきのう離婚して再婚した人の聖体拝領が禁じられていたのに、きょうは許可されているのなら、きょう女性司祭が禁じられていても、どうしてあすは許可されないでしょうか? 教理における変化という原則をいったん受け入れてしまえば、それには限界はなく、どのような教理の権威もそれを止めることはできません。

ですから、ルフェーブル大司教に対して向けられたこれら三つの批判は正当でないことと思われます。問責の理由が、偽りであったり問責に値しないものであったりするならば、その問責は無効です。

保守派の中には更に、聖ピオ十世会に対して、まるで私たちが自分たちの私的判断に従っているかのように、プロテスタントに似た者として告発している人々さえいます。バーク枢機卿は、天主のおかげで、そうは言っていません。しかし、そのような告発ほど真理からかけ離れたものはありません。私たちは、自分たち自身の判断に従うどころか、教会の判断に執着したいと思っており、教会が定めたものから離れたくないと思っています。そうすることによって、私たちは聖パウロに忠実に従っています。「私たち自身であるにせよ、天からの天使であるにせよ、私たちがあなたたちに伝えたのとは異なる福音を告げる者には呪いあれ。私は前にも言ったことを今また繰り返す。あなたたちが受けたのとは異なる福音を告げる者には呪いあれ」(ガラツィア1章8-9節)。教会から「私たちが受けた福音」を守ることによって、私たちはプロテスタントではなく、ただ忠実なカトリック信者であるのです! プロテスタントは自分たちの考えから新奇なものを導入したのであり、近代主義者は自分たちの精神から新奇なものを導入していますが、私たちはどちらも拒否し、教会が何世紀にもわたって教えてきたことを守ります。これが、正しいカトリックの態度です。

ルフェーブル大司教と聖ピオ十世会に対するバーク枢機卿の誤った評価の根っこには、教皇の言うことはなんであれ正しい、という保守派のノブスオルドによくある思い込みがあるのではないでしょうか。そのような思い込みは、ヨハネ・パウロ二世とベネディクト十六世についてはよくあるものでした。しかしながら、いまフランシスコ教皇について、彼らは目を開けて、その思い込みがいかに根拠のないものであるかを直視すべきです。

フランシスコ教皇が私たちの告解と婚姻はどちらも有効であると言ったということを認めたあとでも、もしそれらの秘蹟が不法であったとしたらそうはならないのですが、それでもバーク枢機卿は私たちの秘蹟は不法であると主張し続けています。枢機卿は、単にそれを「異常」と呼ぶのです。これは、こんにちの教会の危機を完全に無視することであり、言い換えれば、地元のレビ人や司祭が介抱せずに通り過ぎたあと、傷ついた人の世話をするのに不法に活動したとして善きサマリア人を告発することと同じです。大変多くの場合において、聖ピオ十世会が傷ついた霊魂たちの世話をしなかったならば、彼らは聖伝のミサや聖伝の教理を完全に奪われてしまっていたでしょう。いくつかの場合には、地域の司教たちが聖ペトロ会や王たるキリスト宣教会のような特許修道会に対していくつかの共同体に来て奉仕するよう依頼しましたが、それは私たちが最初に彼らの世話をした後のことであり、私たちが最初にそこに行かなかったとしたら、司教たちはそれらの修道会に依頼することはなかったでしょう。私たちの善きサマリア人としての合法性はすでに確立されており、彼らがあとからやって来たとしてもその合法性を取り去ることはできません。

彼らは、正しい教会法上の地位を持たないとして私たちを批判しますが、彼らはなぜ私たちにそれを与えないのでしょうか? 私たちは最初に正しい教会法上の地位を持っていましたが、非合法なやり方で取り上げられました。私たちは長年にわたってそれを要求してきました。でも彼らは常にそれを拒絶するか、あるいはそれを不可能にするような条件を押し付けてきました! 私たちが教える教理、私たちが授ける秘蹟、私たちが促進させている道徳は、単にカトリックの教理、カトリックの典礼、カトリックの道徳ですから、もし権威にある人々が私たちの側の変化なしに、私たちにその正しい教会法上の地位を与えさえすれば、すべてが正しい状態になるでしょう。ですから、なぜ彼らは私たちにそれを与えないのでしょうか? なぜ彼らは私たちを正しい教会法上の地位にないとして告発するのでしょうか、私たちがその状態を変える手段をもっておらず、彼らがそれを正す地位にあるというのに? 私たちはのけ者として扱われているにもかかわらず、教皇のために、地域の司教のために祈り続けてきています。私たちは私たちにできることをしていますが、彼らは彼らにできることをしているのでしょうか?

少なくともバーク枢機卿が、ご自分の立場で行うことができたであろうことは、私たちが正当な教会の裁判で弁明する機会を与えられてこなかったということを認めることです。そして、この基本的な正義を与えることもせずに、なぜ私たちを強く非難するのでしょうか?

祈りましょう、特に聖なるロザリオの月である今月、教会の御母である汚れなき童貞を通じて祈りましょう。教会のために、教皇と司教たちのために祈りましょう。善き主が彼らに、「新しい啓示を教えるのではなく、信仰の遺産をきちんと守り、忠実に表明する」という自分たちの義務に忠実である恩寵を与えてくださいますように。そして、彼らが、聖ピオ十世会の適切な教会法上の地位を認めることにもはや困難を持たなくなり、それによってこの問題を正しい方法で解決しますように。

これは、私たちが洗礼のときに求めるものです。「あなたは天主の教会に何を求めますか? 信仰を! 信仰はあなたに何を与えますか? 永遠のいのちを!」。私たちはこんにち再び、教会の権威ある人々に求めます。使徒たちによって教えられた信仰、「信仰の遺産」を。なぜなら、私たちは永遠のいのちを望むからです! 霊魂の救いを確実に望んでおられる私たちの聖なる御母が、権威ある人々が、信者たちに明白なカトリックの教えを与えるよう助けてくださり、その教えが私たちの時代の混乱および悪魔による誤った方向づけを消し去り、霊魂を天国へ導くことができますように! アーメン。



[注1]レイモンド・バーク枢機卿、2017年7月15日オレゴン州メドフォードで開かれた聖なる典礼会議において

[注2]同上

[注3]信仰と教会の一致に対する罪は1917年旧教会法第4部第11章及び1983年新教会法第6巻第3部第1章にある。以下、CICは1917年にベネディクト15世によって発布されたCodex Iuris Canonici(旧教会法)、NCは1983年にヨハネ・パウロ2世によって発布された新教会法を示す。

[注4]第4部第16章2370条、NC第6巻第2部第3章1382条

[注5]CIC2205条第2項、NC1324条第3項、第1項第8号及び1323条第4及び第5号に言及

[注6]NC1323条第7項

[注7]1988年7月2日付自発教令『エクレシア・デイ』

[注9]聖トマス・アクィナスの言葉「Contemplare et contemplata aliis tradere(真理を観想し、その実りを人々に伝える)」。これはドミニコ会のモットーとなった。

[注10]エイブリー・ダレス著、「The Reshaping of Catholicism: Current Challenges in the Theology of Church(カトリックの変革:教会の神学における現代の挑戦)」、サンフランシスコ、ハーパー・アンド・ロー、1988年、78ページ

[注11]「反近代主義誓文」、1910年9月1日に聖ピオ十世によって上級の叙階を受ける者、教会の責任を担う者全員に要求された。

[注12]1988年7月2日付自発教令『エクレシア・デイ』

[注13]第一バチカン公会議、教義憲章「Pastor Aeternus」第4章第18項






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