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2016年5月15日(聖霊降臨の大祝日)のミサの報告

2016年05月19日 | 聖ピオ十世会関連のニュースなど
アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様、

 2016年の5月15日は、日本の聖ピオ十世会にとってとても大切な日でした。聖霊降臨の大祝日であり、カトリック教会が生まれ出た日であり、日本の聖ピオ十世会も聖母の汚れなき御心に捧げられた常設の聖堂がオープンした日であり、初めてのミサ聖祭がそこで捧げられた日でもあるからです。天主様に感謝!聖母の汚れなき御心に感謝!

 聖霊降臨という大きな祝日は、モーゼが過ぎ越しを祝った50日後、シナイ山で十戒を受けた1600年後に起こったことでした。モーゼという前兆の来たるべき実体であるイエズス・キリストが死から命への過ぎ越し(復活)の後、50日を経て聖霊が降臨しました。かつて、石板にかかれた法は、聖霊によって霊魂に刻まれた愛の法として与えられました。新約は「墨ではなく生きる天主の霊によって記されたもの、石の板ではなくあなたたちの肉体の心の板に書かれている」(コリント後3章3節)からです。ここで信仰と法とが深く結びついていることが分かります。

 イスラエルのエジプトからの解放は、天主から法(トラー)を与えられて本物となります。エジプトからの脱出は単なる始めに過ぎません。法とは自由の条件です。しかしルターは、法(トラー)を自由と、福音の自由と対立させたことから、法はあたかも自由と対立するものであるかのように考えられるようになってしまいました。
 現代では、自然を超えるもの(形而上学)の否定が流行し、特に、現代の実証主義は、多数決の理論を生み出しました。理性が、形而上学を、目に見える世界を超える規律を認めなくなるに従って、形而上学が法を定めるのではなく、市民の価値あるものと信ずるものだけが法の根拠となってしまいました。しかし、多数決は真理を生み出しませんし、命令も秩序も生み出すわけではありません。しかし、多数が、何が真理であると見なされるべきであるかを決定するようになりました。その時、客観的な真理が何であるかは、不問にされます。その時々の、その時代の気分に合わせて、どれほどの数の賛同を得たかによって、ものの価値が定まる、とされるようになりました。

 そこで、キリスト教の聖伝に根付く法は、ますます消え失せてしまいました。婚姻や家族は、ますます消えて、パートナー、同居、同棲などがその代わりに増加しています。聖なるものはますます消えて、聖なるものが法の制裁を受けることがより少なくなっていきました。生命の聖性についても観念がなくなっていきました。

 その代わりに、際限のない発言の自由、離婚、堕胎、安楽死、人間と動物の生命の違いさえも、法で決めることができなくなりつつあります。形而上学が喪失しつつある今、人間が犬や猫と婚姻することは、数のみが法で規定するだけとなってしまいました。もはや、法の概念、法の定義すら、失われつつあります。

 もしも多数決の決定が全て正しいのなら、テロリズムも、暴力や殺人も、秩序の破壊も、たとえば革命のために正当化され、「法」となることが起こりえます。

 しかし、法と自由と愛とは、対立するものでありえません。なぜなら、法は天主が与えたものであり、天主は愛であるからです。レネー神父様のおっしゃるとおりイエズス・キリストこそが私たちの法であるからです。私たちには、法を守るためにイエズス・キリストの恩寵が必要ですし、モーゼがシナイ山で旧約の法を受けたように、私たちの主イエズス・キリストは山の上で新約の法である「山上の垂訓」を与えて下しました。
「天の父が完全であるようにあなたたちも完全な者になれ」(マテオ5章48節)、
「御父が慈悲深くあらせられるように慈悲深いものであれ」(ルカ6章36節)と。

 ここで、法と愛とに対立も矛盾もありません。法と秩序とは愛である天主から生まれるものだからです。法の否定は、自由ではありません。法の否定は、独裁の道具であり、人間の否定であり、自由の否定です。


 さて、今年の秋田巡礼の参加者は、
長崎巡礼=38人
秋田巡礼=65人(現地参加の方も含めて)でした。
 天主様に感謝!デオ・グラチアス!
 昨年は、総計57名でしたので今年もより多くの方々が参加できて幸福です。

 今年の秋田巡礼は、日本の各地からの巡礼者の方々はもちろん、フィリピンの方々(18名)、シンガポールの方々(6名)、ポーランドの方々(4名)、ドイツの方々(2名)、マレーシアの方々(2名)などでした。

 一緒に初めて参加されたフォルティン神父様は、日本のファンになって下さり、大変うれしく思います。

 今年の長崎と秋田の巡礼についてのレポートと写真が、英語で次のサイトでみることができます。
 http://www.militia-immaculatae.asia/

 2016年秋田・長崎巡礼の写真のレポート

 英語のレポート

 いくつかの報告を愛する兄弟姉妹の皆様にご紹介します。

天主様の祝福が豊かにありますように!

トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)

【報告】
アヴェ・マリア・インマクラータ!

遅くなりましたが御ミサの報告をお送りいたします。
5月15日聖霊降臨の主日には14人が、
翌日 聖霊降臨の月曜日早朝のミサにはには7人の方々が御ミサに与るお恵みを頂きました。デオ・グラチアス!

新しい聖堂での初めての御ミサが、聖霊降臨の大祝日であった事に天主様の御摂理を感ぜずにはいられませんでした。

ミサの前にまずレネー神父様が、聖堂の祝別をされ、それからVidi Aquamが始まり、感動的な美しいお説教をお聞きしながら天主様の御憐れみに感謝いたしました。

御ミサの後は神父様を囲んで小さなパーティーで幸福な時間を過ごしました。
韓国でのミサの後、日本へ来て下さり、次の日も早朝ミサでお疲れにも関わらず終始優しくにこやかにしておられるレネー神父様を見て、その宣教師魂というか(^_^;)、イエズス様、マリア様への大きな愛を感じました。


【報告】
+Ave Maria! Immaculata!

長崎巡礼で私が黙想したことを申し上げてもよろしいでしょうか(^_^;)
日本の長く、あまりにも残酷な拷問、迫害の原因、
おびただしい殉教者が決して否まなかったお方、
おびただしい殉教者に、殉教のその剛毅の特別な聖寵をお与えになられた御者が、
今、私の目の前の御聖櫃のうちに、御聖体として在す天主イエズス様でいらっしゃる。
と感じ、また心のうちにお話申し上げました。
この長崎秋田巡礼での巨大なお恵を準備され、お与えくださったインマクラータに、
インマクラータの最も粗末な道具ではありますが、自分を余すところなくお捧げしようと決心いたしました(^_^;)

取り急ぎご報告申し上げます。
聖母の汚れ無き御心よ、われらのために祈りたまえ。


【報告】
アヴェ マリア インマクラータ!
トマス小野田神父様

長崎、秋田巡礼の旅、お疲れ様でした。
小野田神父様のブログを拝見して参加された皆様が、天主様と聖母マリア様の
お恵みをたくさん賜わったことがよく伝わって参りました。
私の作らせていただきました江戸巡礼ガイドも
多少のお役立ちが出来たようであり、
これも、天主様、聖母マリア様の聖慮とありがたく感じております。
また、9月に予定されている堅振の秘蹟には必ず、与りたいと思っております。

天主様の豊かなお恵みがありますように!


【報告】
アヴェ・マリア・インマクラータ!

新しい聖堂はとても気持ちよく、素晴らしいと思います!というのも、1つのフロアにお祈りする部屋、香部屋、告解する場所があり、とても便利で、もったいないくらいです。
日当たりもよくて、月曜日は窓を開けると涼しい風がたくさん入り気持ちよく御ミサに、与ることができました!
マリア様の御取り次ぎ、天主様の御憐れみで新しい聖堂をプレゼントしてくださって心から感謝しています!(…)

【報告】
アヴェ・マリア・インマクラータ!

聖霊降臨の主日おめでとうございました!☆

そして新しい御聖堂で御ミサに与ってきました!!(^o^)/
聖霊降臨の日は、教会の誕生日でもあるという事をヨゼフさんから教えて頂き、大阪で常設の御聖堂ができてその最初の御ミサが、この日に捧げられるように取りはからって下さった御摂理に感激するばかりでした!!

建物の入り口の所に「聖ピオ十世会聖母の汚れ無き御心聖堂」と名前が書いてあって、「巡回」という言葉が無くなった事がまず嬉しかったです!

ヨゼフさんご一家が祭壇やお花や椅子などを準備して下さっており、レネー神父様は来られるとすぐ告解室で告解を聞いて下さいました。神父様方が祭服を着替えるお部屋ができたのもとても嬉しかったです!

御聖堂は窓がたくさんあってとてもきれいですね!ステンドグラスを貼る予定だと仰っていたので雰囲気がまた一段と教会っぽくなりそうでとても楽しみです!♪祭壇の両脇にも、大きな御像を入れる予定だそうで、それもとても楽しみです!♪♪(o^^o)

本当にヨゼフさんご一家には、長崎秋田巡礼の疲れも残っていらっしゃるのではという時に、こんなにも色々準備して下さり、感謝でいっぱいです。

御聖堂自体は小ぶりな感じですが、ちょうどその方が信者の方で御聖堂がいっぱいになりやすく、シュテーリン神父様が来年の秋田巡礼の帰りに視察に来られた時に(勝手に決めつけてますが笑)、こんなに信者が溢れてたらじゃあ日本に司祭を送らないとなあ、と思って下さりやすいのではないかと思いました!笑(*^^*)

祭壇もそのまま、オルガンもそのまま、置いて帰って良いということにも、非常に感動を覚えました!
本当にありがとうございます!!

レネー神父様はこれはまだ賃貸なので献堂式はできないけど、ということで祝別をして下さいました!

今度また近い将来、聖ピオ十世会所有の建物の教会ができた時の献堂式の御ミサは、主任司祭である小野田神父様がなさるようにマリア様はお取りはからい下さるだろうなと思いました。レネー神父様も、小野田神父様とご一緒に日本に常駐して下さるようにお祈りしていますので、その前準備のような気がしました。全てはマリア様のお取りはからいのままに・・・

レネー神父様は聖霊降臨の主日の御ミサの御説教で色々仰って下さっていたのですが、私たちの霊魂の奥深くには、天主三位一体、聖父と聖子と聖霊が住まわれる場所がある、ということを仰ってくださり、以前小野田神父様が献堂式の御ミサの御説教の時に仰って下さっていた、物体的建物である教会がこれほど厳かに祝別されるのなら、至聖三位一体の住まいである私たちの体は、どれほど清浄に保たなければならないか、という内容の御説教を思い出し、重ね合わされました。

またまた長く書いてしまってすみません(>_<)

デオ・グラチアス!

--このブログを聖マリアの汚れなき御心に捧げます--

アヴェ・マリア・インマクラータ!
愛する兄弟姉妹の皆様をお待ちしております
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