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あなたたちの悲しみは、喜びに変わるだろう

2016年05月18日 | お説教・霊的講話
アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様、

2016年4月17日 御復活後第3主日に東京で聖伝のミサを捧げました。その時のお説教をご紹介いたします。

天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭) 

2016年4月17日 御復活後第3主日のミサ
小野田神父 説教

日本の聖なる殉教者巡回教会にようこそ。
今日は2016年4月17日、主の復活の後の第3主日です。

今日いつものように14時半から、このミサの後に公教要理がありますが、今回は、いつものテーマではなく、実は5月の巡礼を準備する為に、長崎での殉教者の黙想し、その歴史を少し垣間見たいなと思っています。14時半から16時頃までです。

16時からは主日の第2晩課があります。
明日は朝ここで7時からミサがあります。

5月のミサですが、巡礼に長崎と秋田に行く予定です、そこで、残念ながら、ここでは5月22日の主日と月曜日の2回だけになってしまいました。次回はレネー神父様がいらっしゃる予定です。
レネー様は、聖ピオ十世会の頭脳であり、重鎮であり、非常に敬虔で、多くの色々な事を体験をされた神父様です。私の最も尊敬する神父様の1人ですので、神父様に、「是非、東京にもいらして下さい。」とお願いして、私がいつもレネー神父様の行っているコタ・キナバルに行く事にして、ミッションを交換しました。
是非、皆さんいらして下さい。


“Sed tristitia vestra vertetur in gaudium. ”

聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。

愛する兄弟の皆さん、今日私たちの主イエズス様は、最後の晩餐で仰った言葉を、もう一度黙想させます。最後の晩餐の時に言った言葉は、「お前たちは私をしばらく見るけれども、しばらくしたら見ない。でもしばらくしたらまた見る。」「一体この『しばらく』というのはどういう意味なのだろう?」「“modicum”何の意味なんだろう?」そこでイエズス様は、「ははぁ、お前たち分からないだろう。教えてあげよう」と言って説明してくれます。
説明した時に、「あなたたちの悲しみは、喜びに変わるだろう。この世は喜んでいる、喜ぶけれども、あなたたちは悲しむ。泣き、涙を流す。あなたたちは悲しむ。でもこのあなたたちの悲しみは、喜びに変わる。その喜びは誰も取る事ができない。」と説明しています。

では一体、一体何の事なのでしょうか?イエズス様はこの、「しばらく私を見ない。でも、」と言って、この「しばらく」というのは、一体どういう意味なのでしょうか?
何故、私たちの悲しみは喜びに変わるのでしょうか?
何故この世は喜んでいるのでしょうか?
一体これで何をイエズス様は言いたいのでしょうか?
何故カトリック教会は、2000年の間この、この福音を説明する為に、この挿絵を付けるかのように、聖パウロの言葉や、お祈りや、色んなそのテキストをミサの中に付けて、一体このイエズス様の、「悲しみが喜びになる」という事をどうやって説明しようとしているのでしょうか?
どうやって解釈しようとしているのでしょうか?
一体、イエズス様の中核のメッセージは何なのでしょうか?
この使徒たちは、この最後の晩餐の時には分からなかったけれども、復活した後には、「あぁ、何だこの事か!」と分かりました。ではその中核は、メッセージの核心は何なのでしょうか?
それでその核心が分かったら、私たちは一体、イエズス様から何をするものを期待されているのでしょうか?教会はこのメッセージを私たちに伝えて、じゃあ一体私たちはどうしたらいいのでしょうか? 何をすればよいのでしょうのか?
という事を一緒に黙想したいと思います。

そこでまずこの3つのポイントがあります。
第1は、「しばらく“modicum”」というこの意味は一体何なのか。
第2に、一体何で悲しみが喜びになるのか。何で世の中は喜んでいて、私たちは悲しんでいるのか。一体何で私たちの悲しみは喜びになるのか。
最後に、じゃあ一体私たちは何をすれば良いのか。

第1の点ですが、もうこれは、「“modicum”しばらく」というのは、短い間、ほんの、ほんの束の間の間、ほんのひと時、という意味です。このひと時の間、世は喜ぶだろう。でもこのほんのひと時の間、あなたたちは涙を流したり、悲しんだりするだろう。一体これは何を表しているのでしょうか?

これは、この世の喜びの短さと、イエズス様の弟子たちの喜びの違いを表わしています。「この世の喜びはほんの短いものである。この地上で面白おかしく生活していただけた。そのたとえ長くても、この世が終わってしまえば、もうそれで終わりだ。」という事を意味しています。ちょうど聖ペトロが今日、書簡の中で示しているようです、「私たちは外国人のように、旅人のように、ここに永遠にいるわけではない。この地上に永久に住んでいるわけじゃない、ほんの束の間の生涯だ。」

科学者によると、「地球は、太陽の周りをぐるぐると、1年に1回公転している」と言われています。もしこれが正しければ、この宇宙船地球号が、太陽の周りを何回か何周かした後に、私たちはこの地球号から降りて、その旅を終えなければなりません。ほんの短い間、この世の喜びがある。でもそれはすぐに終わってしまう、という事です。

しかしイエズス様の説明によれば、「あなたたちの喜びは誰も取る事ができない。あなたたちの喜びは永遠に続く。」イエズス様の弟子たちの喜びは、これは束の間の間ではなく、本当のものであって、これは天主だけが、永遠の天主だけが与える事ができる、永久のものだ。この2つの違いがある、という事をまず表わしています。

第2には、一体ではこの、「この世の喜び」と、この「私たちの悲しみ」とはどういう事なのでしょうか?この世の喜びと、私たちの喜びの本質的な違いは何なのでしょうか?何で私たちの悲しみは喜びに変わるのでしょうか?

この世の喜びと、私たちの喜びは、本質的に原因が違っています。この世の喜びは、見せかけであって、表面的なものであって、単に一時的なもの、というのみならず、感覚的なものであって、表層的なものである、という所に違いがあります。ですからこの世の喜びは、たとえばおいしいものを食べたりとか、或いは、何かこんな所に行って他の人に自慢した、などという虚栄心や、或いは表層的なものだけで終わってしまいます。表面的なもので終わっているので、非常に基礎もなくて、非常に浮ついていて、いつもそれが無くなってしまう危険に満ちています。「誰かこう言ったよ。」とか、或いは、「あの人は何て考えるかしら。」或いは、ほんのちょっとした事でそれは傷ついてしまって、それは無くなってしまって、それが無くなってしまうと、「あぁ、」もうがっかりしてしまって、「もうダメだ。」と思ってしまいます。たとえその、それがどんなに秘密に隠されていて、とても成功したようなものであったとしても、危険にいつも晒されています。ニュースの報道によると、世界のお金持ちたちが、脱税の為にどこかにお金を隠したのだけれども、それがリークされて、バレてしまったそうです。

聖パウロのローマ人への書簡によると、「そうやって、この世の楽しみと、この世の利益だけを追求して、天主を忘れてまでも、この世の楽しみだけを追求している人は、結局は最後の日に、怒りの火を準備している、ため込んでいる。」という事に他なりません。

でもこの、これと対比される、イエズス様の弟子たちの喜びというのは違っています。ラテン語によると、「この世が喜ぶ」という時には、ただ、「この世は喜ぶ」とだけ書いています、“mundus autem gaudevit”ところが、イエズス様は弟子たちの喜びについて言うと、「あなたたちの心は喜ぶだろう」『心』が喜ぶとなっています。これは教父たちの説明によると、私たちの喜びが非常に奥深くのものであって、内面的なものであって、賢慮なものであるから、天主様への愛に基づくものであるから、祈りや秘跡によって得た、聖寵に基づく、天主に基づくものであるから、だから、たとえ苦しみに於いても、たとえ悲しみに於いても、「イエズス様の為に悲しむ、イエズス様の為の苦しみであるのであればそれは、キリストの為に苦しむ事ができるというのは、何という喜びか。」と、それはそれが喜びになるのです。

例えば使徒たちを見て下さい。ユダヤ人たちから迫害された時に、「キリストの名前によってこんなに苦しみを受ける事ができる価値があると分かって嬉しい。」日本の殉教者たちを見て下さい。子供たちが西坂の丘に着いて、京都の戻り橋から1ヶ月かかって、1月3日に出て、2月5日に西坂に着いて、ずっと陸地を歩いて、もう食べる物もないし、服もボロボロだし、耳も削がれて、それで十字架に付けられると、「あぁ!私の十字架はどこ?」と言って非常に喜んで、十字架に付けられました。「お母さん、」小さなトマス小崎はこう言います、「お母さん、私の事は心配しないで下さい。パライソで会いましょう。」

殉教者はその西坂の丘で、最初の殉教者が尊き御血を喜んで流した後に、多くの殉教者たちもそこに行って、「あぁ、これが殉教者たちが血を流した所だ!」と言って、行くと接吻して、「さぁ、私もそれと同じく殉教できる」と、喜んで殉教した、と記録が残っています。官吏たちは、刑吏たちはそれを見て、「バカにされた」と思って、更に厳しい拷問を与えるのです。しかしビクともしません。何故かというと、このような苦しみを皆、イエズス・キリストへの愛の為に捧げていたからです。イエズス様がちょうど、御父のカリスを、御父から与えられたカリスを飲み干したように、イエズス様の弟子たちも、カトリック信者たちも、イエズス様から与えられて送られた十字架を、イエズス様の為に日々担って、イエズス様の後を従って歩いて行ったのでした。ですから喜んでいたのです。

十字架に、イエズス様と一緒に付けられた盗賊も同じでした、「この十字架から下ろしてほしい。」とは言いませんでした。「一緒に、イエズス様と一緒にいたい。ここで私がこの罰を受けるのは当然だ。」と言っていました。

この世の人を見て下さい。この世の人はいつも、面白おかしい事、苦しみのない事だけを求めています。何故かというと、「イエズス・キリストの為に苦しむ」という事の、ものすごい価値を知らないからです。ですから、ちょっとした苦しみがあると、もう困ってしまって、どうしていいか分からなくなって、「何とかしてそれを取り除きたい。」イエズス様に冒瀆さえもします。ちょうどイエズス様の左側の盗賊のようです、「キリストよ、もしも本当に救い主なら、俺を十字架から救え。もう十字架は嫌だ。そうしたら信じてあげよう。」などと言います。

私たちは今日、イエズス様のこのような説明を聞くと、ミサ典書の色々な箇所が、「なるほど」と、理解できるのではないでしょうか。何故かというと、アレルヤには、「キリストはしばらくの間苦しみを受けて、天国に入るべきではなかったのか。」「だからキリストの弟子たちもしばらく苦しんで、天国に入るべきではないのか、アレルヤ。」と言っているかのようだからです。
或いは密誦では、「私たちがこの地上での事を軽蔑して、天の事を愛するお恵みが与えられますように。」と祈って、この地上での事は何で軽蔑するかというと、それは、「地上での喜びがあまりにも表面的で、儚くて、虚ろで、短いものであるから。でも、天国での喜びはしっかりとしていて、本当の喜びはしっかりとしていて、決して誰も取る事ができない永遠のものだから。だからそれを愛する事ができるように、地上の喜びは軽蔑する事ができるように」とお祈りさせているのではないでしょうか。御聖体拝領のお祈りも、「そのまず霊的な力を受けて、それが肉体にも表れますように」と言っているようだからです。

では、このイエズス様のメッセージが分かると、イエズス様こそが本当の永遠の喜びを与える事ができる方であって、この世の喜びは儚いものである、という事がよく分かると、一体どうしたら良いのでしょうか?


それが、今日聖ペトロが書簡で言っている事です、「私たちはこの地上で、あたかも外国人であったり、或いは巡礼者であったり、旅人であったりするように、ほんのちょっと通り過ぎる者として生きなければならない。」「全て、」ちょうど集祷文にあるように、「キリスト教という高貴な名前に反する全ての事を避けて、イエズス様の御旨に適う事をするようにしなければならない」と、まず教えています。私たちはですから、この地上に外国人のように、本当の祖国、天国を目指す者として生活する、という事を意識しなければなりません。

第2には、これは私の提案ですが、ちょうどミサの時に、大きなホスチアと一緒に小さなホスチアも聖別されます。イエズス様は十字架に付けられた時に1人ではありませんでした。盗賊の間に付けられて、良き盗賊も一緒に十字架にいました。良き盗賊は、イエズス様と共に十字架に付けられるのを当然だと思って、イエズス様に、「私の事を思い出して下さい。」と言いました。ですから私たちも、小さなホスチアとなって、私たちの短いこの地上の生活を、イエズス様と共に捧げて、大きなホスチアであるイエズス様と共に捧げて、イエズス様の復活にも与らせて下さい、とお祈り致しましょう。

第3には、これは私たちのその生活はともすると、イエズス様の教えて下さったこの事を忘れがちです。けれども、それを実践した方がたくさんいます。それが日本の例えば殉教者で、マリア様です。イエズス様もその模範を示して下さいました。殉教者やマリア様、イエズス様の模範をいつも私たちが目に、目の前に描いている事ができますように。多くの殉教者たちが祈って、自分のこの血潮をその為に捧げていたように、私たちもこの遂に、イエズス様と共に、誰も取る事ができない、私たちから奪う事ができない喜びに導かれますように。私たちだけでなく、私たちの隣人や、愛する方々や、多くのお友達も、イエズス様の与える本当の喜びに導かれる事ができるように、お祈り致しましょう。


「あなたたちの悲しみは、喜びに変わるだろう。」

聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。

--このブログを聖マリアの汚れなき御心に捧げます--

アヴェ・マリア・インマクラータ!
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