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エコンでのルフェーブル大司教20回忌

2011年03月25日 | 聖ピオ十世会関連のニュースなど

エコンでのルフェーブル大司教20回忌

 

1991325日‐2011325日   

ルフェーブル大司教の墓石<地下納骨堂>での<20回忌>記念式典

聖ピオ十世兄弟会のスイス管区は、ルフェーブル大司教様の20回忌の為に、2011325日には皆様をエコンにお招き致します。

日程

1030分 歌唱ミサ。シュミットバーガー神父

(説教はフランス語とドイツ語)

1200分 墓石<地下納骨堂>での式典

1300分 持参昼食(温かいスープが皆様に配られます)

1400分 ルフェーブル大司教の生涯の喚起。


命がけで働いてくださっている方々に深く感謝します

2011年03月25日 | トマス小野田神父(SSPX)のひとり言
アヴェ・マリア!

愛する兄弟姉妹の皆様、

 今回、3月11日に起こった東北地方太平洋沖地震で被災された方々と心を合わせてお祈り申し上げます。命がけで働いてくださっている自衛隊の方々、警察の方々、消防署の方々、その他の方々の援助に深く感謝します。

 がんばれ福島!がんばれ東北!がんばれ日本!
 聖ヨゼフ、日本のために祈り給え!

■ 「祈るしかない」原発修復作業を見守る家族(読売新聞 3月25日)

 「俺が行かないと回らない」と家族に言い残して現場に向かった父。地震後、一度も帰宅せずに事故対応を続ける夫――。火災や爆発の続く東京電力福島第一原子力発電所内で、東電関係者が必死の修復作業に追われている。

 24日には作業員3人が被曝(ひばく)した。危険と隣り合わせの作業の行方を、家族は不安を押し殺して見守っている。

 「夫は無事でいるのか。それだけが頭から離れない」

 3号機で作業中の3人が被曝したニュースを耳にして、50歳代の女性は声を震わせた。東電社員の夫とは、11日の地震発生以降、顔を合わせていない。施設内で地震に遭遇した夫は、その後も現場にとどまり、事故対応に追われている。これまで言葉を交わせたのはわずか3回の短い電話だけだ。

 1回目は14日。1号機で水素爆発が起きた2日後だった。「被曝してない?」と尋ねると、「少しだよ。現場は戦争状態だ」とだけ返ってきた。

 火災や爆発のニュースを見るたび、いても立ってもいられなくなる。だが、女性から電話しても夫の携帯電話にはつながらず、ひたすら夫からの電話を待つ。

 福島県内の避難所に身を寄せる30代の主婦は、夫から届いた3通の携帯メールを何度も読み返している。1号機周辺で作業に携わる夫ら作業員からのメールの着信は、いずれも深夜か明け方。夫たちはイスを並べてようやく仮眠するような状態で、食料も少なく、口にするのは栄養補助食品や缶詰ばかりだという。

 普段は冗談ばかり言う夫だが、事故後、現場に向かう際には「とにかくやるしかない」と短い言葉を残しただけだった。寂しがる小学生の子供2人を、「パパも一生懸命頑張ってるから」となだめているという。

 「作業員の被曝のニュースを聞くと、もう逃げてほしいと思ってしまう」としながらも、主婦は「懸命に働く姿を想像して、あとは祈るしかない」と自分に言い聞かせるように語った。

 現在、2号機周辺で作業している男性は、地震発生直後、「俺が行かないと現場が回らないから」と家族に言い残して、自宅を出たという。20歳代の長男は、数日後にかかってきた電話で父から「自分も被曝していると思う」と打ち明けられた。覚悟を決めたようなその口調に、長男は何も言えなかったという。長男は今、宮城県内の被災地でボランティアに取り組む。父親の姿に、自分も誰かの役に立ちたいと思ったからだという。「危険と隣り合わせで頑張っているオヤジは誇り」という長男は、一日も早い原発の修復を祈っている。

■ 命綱の衛星電話守った…津波にのまれた事務局長(読売新聞2011年3月23日)
 東日本巨大地震の大津波で全壊した岩手県陸前高田市の県立高田病院のスタッフが、1台の衛星電話を手に、市内の別の場所に設けた仮設診療所で被災者の診療を続ける。「横沢伝声器」とスタッフが呼ぶこの衛星電話は、今月末で定年退職する予定だった病院事務局長の横沢茂さん(60)が、命をかけて津波から守った。有線電話や携帯電話の不通が続く中、薬品調達や救急患者の情報収集の〈命綱〉となっている。

 11日の地震発生直後、鉄骨4階建ての病院は入院患者や医師のほか、避難してきた住民ら100人以上であふれていた。「大きな津波が来るぞ」。数分後、あちこちで声が上がった。3階にいた事務員の冨岡要さん(49)は窓の外を見た。10メートルを超える大きな津波が迫っていた。1階事務室まで階段を駆け下りると、横沢さんが窓際に設置されていた衛星電話を取り外そうとしていた。通信衛星を介して通話する衛星電話は、地上の施設が壊滅すると使えなくなる携帯電話や固定電話と比べ、災害時に強い。

 「津波が来ます。早く逃げて下さい」。冨岡さんは大声で伝えた。横沢さんは「これを持って行かなければダメだ」と叫んだ。冨岡さんは駆け寄り、横沢さんから衛星電話を受け取って、屋上まで駆け上がった。病院が4階まで津波にのみ込まれたのは、その直後。横沢さんは行方不明になった。

 衛星電話は11日こそ起動しなかったが、屋上からヘリコプターで救助されたスタッフらが13日に再び試すと、回線がつながった。衛星電話で薬品や医療機器の融通を他の病院や業者に依頼。体制を整えた病院は震災4日後の15日、同市米崎町のコミュニティーセンターに診療所を仮設し、医療活動を再開した。22日も衛星電話が避難所の急患情報を得る唯一の手段だ。衛星電話には「事務局長さんが天国で手伝いしています」と書かれた紙が張られている。

■ 迫る津波は想定以上 「危ない」リーダー機転60人救う

 東日本大震災で津波に襲われた宮城県七ケ浜町で、自主防災組織のリーダーの機転が60人の命を救った。県の想定を超す大津波の到来をラジオで知り、指定の避難場所から住民をさらに高所に避難させ、危機を脱した。

 じっとラジオに耳を澄ませていた鈴木さんは、他の地域に到達した津波が「5メートル」と知り、耳を疑った。「県の想定に比べて大きすぎる。これじゃ危ない」
 宮城さんと勉強してきた津波のことが頭に浮かび、急いで移動を決断。高齢者を近くの幼稚園のバスに乗せ、集まった仲間に移動を呼びかけた。30分かけて数百メートル離れた高台に60人を移した。「その途端、避難場所の寺が津波にのまれた」と鈴木さんは振り返る。

■ 先生、帰ってきて 29歳高校教諭、生徒捜して津波に

 東日本大震災で行方の分からなくなった岩手県陸前高田市の県立高田高校教師、小野寺(旧姓・毛利)素子さん(29)を、夫や同僚教師、生徒たちが案じている。「自分よりも、他人のことを真っ先に考える先生」と慕われてきた。顧問を務める水泳部の生徒を助けにいき、津波に巻き込まれたとみられる。

 11日午後、津波警報が市内に鳴り響くと、校内で部活動をしていた生徒257人は、学校裏手の高台にあるグラウンドへ避難した。そこに約10人の水泳部員の姿はなかった。冬場は学校から500メートルほど離れた屋内プールで練習していたからだ。小野寺さんは、学校にいた生徒を避難させると、自分の車に乗ってプールをめざした。同僚の教員に「水泳部員を捜しにいく」と話していたという。

 プールは海岸沿いにあった。小野寺さんが向かって間もなく、大津波が堤防を乗り越え、街をのみ込んだ。プールも近くの建物もすべて流された。水泳部員の大半と小野寺さんは行方が分からなくなった。「自分のことは常に後回しだった。彼女らしいと言えば、彼女らしいです」。夫で、隣町の県立大船渡高校教師、浩詩さん(43)は話す。

 浩詩さんは津波の翌日から、避難所や病院を駆け回った。安否につながる情報が何もないまま、補給のあてのないガソリンが尽きかけている。今月28日で、結婚から1年になる。「最高の妻なんです。帰ってきたら、『心配かけさせやがって』と怒ってやるんです」。笑顔と涙がまじり合いながら話した。
 工藤良裕校長(54)は先月、小野寺さんから「妊娠するかもしれないので、来年度は担任を当てないでほしい」と打ち明けられていた。「彼女の希望をかなえてあげるつもり。だから、ちゃんと帰ってきて欲しい」

■ 村内唯一の医師奮闘 --岩手・野田村(毎日新聞2011年3月18日)

 津波被害で20人以上が犠牲となった岩手県野田村で唯一の医師、押川公裕さん(61)が避難所生活を強いられながらも、住民の診察を続けている。診療所は津波で流され、医薬品も圧倒的に不足する中、「少しでも村のみんなを安心させたい」と村内を駆け回る。「申し訳ないけど、薬は4日分だけな。頑張るんだよ。命があれば何とかなるさ」


■ 被災地に家族、わが子も預け…救援活動続ける自衛隊員

 東京の部隊から仙台に応援に駆けつけた陸自幹部は、食事中に地元の隊員と談笑していて「実は家族が今、避難所にいます」と聞かされた。災害地では助ける側も被災者なのだと知った、という。陸自仙台駐屯地には、震災後、自衛官の子どもの一時預かり所が開設されている。保育所などが被災し、預け先が見つからない場合の備えだ。19日の昼過ぎ、迷彩服姿の女性自衛官が子ども2人を託し、急いで仕事に戻っていった。地震のあった11日の夜は20人以上を預かった。

 東北6県の自衛官約2万人の親族で、まだ安否の確認がとれない人がいるという。「統合任務部隊」の君塚栄治指揮官は記者会見でこう語った。「われわれ自衛官も被災民なのです」

■ 原発、過酷な現場 食事はカロリーメイト・椅子で睡眠

 震災から25日で2週間。東京電力福島第一原発は予断を許さない状態が続く。一方で、現場の作業環境も劣悪さを増している。その一端を、東電社員の家族が明かした。

 「睡眠はイスに座ったまま1、2時間。トイレは水が出ず、汚れっぱなし」

 今週初め。神奈川県に住む女性のもとに、第一原発で復旧作業にあたっている夫から初めて電話があった。夫は40代、東京本社の原発部門の社員だ。11日の震災発生後からほぼ連日、対応のため会社に泊まり込んだ。16日、ようやく自宅に戻ったが、出勤すると、そのまま第一原発行きを命じられた。

 「ヘリに乗る。福島に行く」

 こんなメールを最後に、メールも電話もつながらなくなった。

 16日は3号機から白煙が上がり、放射線量が上昇。自衛隊は上空からの放水を断念した。東電の会見では、夫の旧知の同僚がつらそうな顔で対応を迫られていた。

 「お父さん大丈夫かな」。2人の小学生の子どもも不安を口にした。

 夫は原発部門を希望したわけではなかった。理系の大学を出て入社し、「たまたま配属された」。以後、原発の現場と本社勤務を繰り返した。2007年の中越沖地震の際、柏崎刈羽原発で火災が起きた時も現地に2週間ほど詰めた。当時はメールや電話で様子を知ることができたが、今回は音信不通。自衛隊が接近をためらうほどの放射能の中で、「いったいどうしているのか」。

 20日、ようやく本社の専用線を経由して自宅に電話があった。「食事は“カロリーメイト”だけ。着替えは支給されたが、風呂には入れない」。あまり感情を表に出さない夫は淡々と語り、2分ほどで電話を切った。

 23日の電話では、「そろそろ被曝(ひばく)量が限界のようだ」。交代はまだか。もし夫が健康を害したら、家族はどうなるのだろう。政府に頼りたいが、新聞やテレビのニュースによると、菅直人首相は東電幹部に「撤退などありえない。覚悟を決めて下さい。撤退した時は、東電は100%つぶれます」と怒鳴ったという。不安と、悲しさがこみ上げた。

 24日、原子力安全・保安院が、3号機のタービン建屋地下1階で作業員3人が被曝したことを明らかにした。

 国民の、電力会社への厳しい視線は理解できる。でも、「いま体を張っているのは、家庭を持つ、普通の市民であることもわかって欲しい」。(佐々木学)


■ すかいらーく、地震発生当日より食事支援 - 現在は炊き出し実施中

 すかいらーくグループはこのほど、同社の仙台工場(宮城・黒川郡)にて東北地方太平洋沖地震発生当日より食事支援を行っていること、21日より気仙沼市総合体育館避難所にて毎日1,200食の食事提供を行っていることを発表した。

11 日の震災当日は夕食としておにぎり500食を、翌日にはおにぎりを朝食200食、昼食200食、夕食にはおにぎりと惣菜を300食、13日には朝食に豚汁 400食、カレー300食、夕食に「ハンバーグステーキデミグラスソースブロッコリー添え」700食というように、17日まで仙台工場周辺の避難所等 7~11カ所へ食事支援を実施。

21日以降は自衛隊の指示により、約1,200名が避難生活を送っている気仙沼市総合体育館避難所に炊き出し支援先を変更。「ビーフカレー、コールスローサラダ」「煮魚(カレイ・さば)、大根煮、味噌汁(玉ねぎ・わかめ)」「チキンクリームシチュー(チキン・ブロッコリー・白菜)、ゆで卵、チョコマロンケーキ」といった献立で夕食の炊き出しを各日1,200食分行っている。毎日異なるメニューで、日によってはデザートも付けるといった内容だ。

■ 吉野家、被災地で温かい牛丼を提供 - 1日最大3,000食を継続的に

吉野家は19日、東北地方太平洋沖地震を受けて、宮城県石巻市にて炊き出し活動を19日より開始したと発表した。同社は地震発生直後より調整と調整のうえ準備を進めており、今後、3台のキッチンカー「オレンジドリーム号」により1日1台当たり牛丼約1,000食(最大3,000食)を継続的に提供していく予定。

■ 居酒屋「甘太郎」のコロワイド、「温かい食事」10万食を被災地へ

居酒屋「甘太郎」や「北海道」などを展開するコロワイドはこのほど、東北地方太平洋沖地震被災地に向けて「温かいお食事1日10,000食」を10日間にわたって無償提供すると発表した。合計10万食を現地へ配送し、ライフラインが止まっている現地でも温かい食事を提供するとしている。また、東北や関東地区の従業員を主体とした約100人の有志が、17日夕刻より仙台市宮城野区内の避難場所5施設にて、炊き出しや生活必需品の供給も行っているという。

■ CoCo壱番屋、被災地で炊き出し - 1日2,000食程度のカレーライスを提供

「カレーハウスCoCo壱番屋」を展開する壱番屋は16日、東北地方太平洋沖地震被災地への支援活動内容を発表した。16日には、「カレーハウスCoCo壱番屋レトルトカレー」6万6,000食を被災地に向けて出荷。さらに炊き出し支援も行うとし、18日以降準備が整い次第、1日2,000食を目安にカレーライスの提供を実施する。実施場所は現地対策本部と調整の上決定とのこと。なお、被災地域の店舗では、状況に応じて自主的に炊き出しをしている店舗もあるという。


■ 日清食品、被災地へカップ麺無償提供 - 給湯機能付きキッチンカーも派遣

日清食品は13日、11日に発生した東北地方太平洋沖地震の被災地に向け、「カップヌードル」等合計100万食の同社製品を救援物資として緊急無償提供すると発表した。同時に、給湯設備を備えた「キッチンカー」7台も順次派遣する。

キッチンカーは給湯機能付きで、水道やガスが止まっている地域でも温かい「カップヌードル」等の提供が可能とのこと。キッチンカー1台で、1日あたり「カップヌードル」1,000食~1,800食の提供ができるという。


--このブログを聖マリアの汚れなき御心に捧げます--

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