特設科目:教導権の教え
霊性学の科目と平行して、ラテン語や、特に聖書に則ってイエズスの人生を重点的に扱い、ドン・ポール・ドラット(Dom Paul Delatte)の聖トマス的な堅実でかつ解りやすい注解を学ぶ聖書学入門が科目として組み込まれていた。他には、グレゴリオ聖歌入門や、ドン・ゲランジェの典礼制度(Institutions liturgiques)に従ってクロード・ミシェル神父が教えていた典礼学という科目もあった。
ヴァレの司教座聖堂参事会員ルネ・ベルト(René Berthod)の協力のお陰で、一般に「教導権の教え」として知られている“近代の誤謬”に関する科目を復興させることが出来た。この科目は、フロック神父の講話の精神に従って、教皇たちが、フリーメーソンや自由主義そして近代主義に対して下した非難宣告を扱う授業である。その後には、1979年から1982年まで、ルフェーブル大司教御自身がこの科目を教えていた。
彼はこう説明している。
「この科目の目的とは、誤謬の論理的な研究をするというよりも、むしろ様々な教皇回勅それ自体を読むこと、特に歴代の教皇たちが、これらの誤謬によって浮き出された真理を深める研究をすること、又はこれらの誤謬の詳細な分析をすることを望んだ諸回勅をいろいろと読むことにある。人々はただ信仰の遺産の用心深い守護者たちである教皇に満ち溢れていた熱意と信念に敬服するのみである。さらに、この絶え間ない、信仰を守る戦闘が突然放棄されてしまったということに気づく時、私たちはいよいよ愕然とするしかない。しかも、それは、真理への裏切り同然である偽りのエキュメ二ズムを通して、これらの誤謬の主張者と彼らの継承者たちと協定を結ぶためだった。」
この科目全体は、聖教皇ピオ十世の指針によって導入されている。つまり「キリストにおいて全てを復興する」(E Supremi Apostolatus, 1903)である。
この回勅の中で、聖教皇は、“自らを天主に祭り上げる人間の宗教”到来を予言している。この“自らを天主に祭り上げる人間の宗教”を“人権”の使徒である教皇パウロ六世は正当化するだろう。しかし、聖ピオ十世は“自らを天主に祭り上げる人間の宗教”という新しい宗教を “人間が天主の場所を奪う” 反キリストに固有の宗教であると指摘した。
ルフェーブル大司教は言う。人間が、イエズス・キリストと天主とからこの独立を要求することこそが、自由主義の真髄であり、自由主義とはつまり“カトリック教会に存在する危機の諸原因の一つであり、その結果として、この神学校の誕生理由の一つでもある”という。何故なら、歴史の流れの中で、天主様は、幾多の戦いを交える最中にも、私たちに悪に対する対処策を施してくださるからである。
【聖ピオ十世司祭兄弟会 (FSSPX) 創立者 ルフェーブル大司教 伝記 目次】
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彼はこう説明している。
「この科目の目的とは、誤謬の論理的な研究をするというよりも、むしろ様々な教皇回勅それ自体を読むこと、特に歴代の教皇たちが、これらの誤謬によって浮き出された真理を深める研究をすること、又はこれらの誤謬の詳細な分析をすることを望んだ諸回勅をいろいろと読むことにある。人々はただ信仰の遺産の用心深い守護者たちである教皇に満ち溢れていた熱意と信念に敬服するのみである。さらに、この絶え間ない、信仰を守る戦闘が突然放棄されてしまったということに気づく時、私たちはいよいよ愕然とするしかない。しかも、それは、真理への裏切り同然である偽りのエキュメ二ズムを通して、これらの誤謬の主張者と彼らの継承者たちと協定を結ぶためだった。」
この科目全体は、聖教皇ピオ十世の指針によって導入されている。つまり「キリストにおいて全てを復興する」(E Supremi Apostolatus, 1903)である。
この回勅の中で、聖教皇は、“自らを天主に祭り上げる人間の宗教”到来を予言している。この“自らを天主に祭り上げる人間の宗教”を“人権”の使徒である教皇パウロ六世は正当化するだろう。しかし、聖ピオ十世は“自らを天主に祭り上げる人間の宗教”という新しい宗教を “人間が天主の場所を奪う” 反キリストに固有の宗教であると指摘した。
ルフェーブル大司教は言う。人間が、イエズス・キリストと天主とからこの独立を要求することこそが、自由主義の真髄であり、自由主義とはつまり“カトリック教会に存在する危機の諸原因の一つであり、その結果として、この神学校の誕生理由の一つでもある”という。何故なら、歴史の流れの中で、天主様は、幾多の戦いを交える最中にも、私たちに悪に対する対処策を施してくださるからである。
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