第14章 総長 防御の最後の試み
II. 掃除と改革
誹謗中傷された指導
しかしながらフランス人司祭たちのグループの中では、ルフェーブル大司教に敵対する者は増えるのみだった。彼らの中の数人は、自分たちが了承しない立場をとる上長の権威下に留まるよりは、むしろ修道会を退会することさえもした。8名の司祭であった。大司教は彼らの退会を止めようとあらゆる手を尽くした。なぜなら彼らは周囲のものにとって悪い模範だったからである。
公会議第一会期の間、聖霊司祭修道会所属の司教のグループが、大司教と話すためにサンタ・マルタ(Santa Marta)に来た。ジャン・ゲ(Jean Gay)司教はこの対話を始めるよう選ばれていた。
「大司教様、修道会総長として大司教様が公会議中に公然と発言されて、気まずく思っています。」
大司教は耳を傾け彼らに語らせた。彼らは討論か論争を期待していたのだが、そのような事は起きなかった。彼らが話し終わると、大司教はあっさりと言われた。
「皆さんに一つお話します。私は誰にも、私はあなた方の誰一人にもあれこれの方法で投票するようにとか、またはあれこれのやり方で考えるようになどとは強制しません。皆さんはご自分の良心をお持ちですので、それに従ってください。私にも良心があります。」
分かりきったことだった、ルフェーブル大司教は対話を拒否したのだ。しかし彼らとのギャップはあまりにも大きく、さらに討論は何も得る事もなく関係を台無しにしただけであろう。
このことについて大司教は隠された内情を明かすような出来事を物語った。
「多くのフランス人司教たちがかつて勉強していたフランス人神学校は、聖霊司祭修道会に属していました。私がそこに行った時、当然のこととして総長として食前後の祈りを唱え、食事時間を主宰しました。それからある日突然、私は別のテーブルに座らせられたのです。それは司教たちの小さなテーブルでした。でも、私は自分の修道会の総長だったのです! それから二度とそこには戻りませんでした。」
1963年12月、公会議第二会期の終わりに、同じ宣教師の司教たちはアシェ(Hascher)司教のサインのついた承認を携え、4つの論点についてルフェーブル大司教を非難しながら、司祭たちからなる同じグループの苦情を繰り返した。
つまり、
Verbe誌への支援、
聖霊司祭修道会の司祭でもないベルト神父を公会議中私的顧問神学者として選んだこと、
スータン着用に関する回覧書簡、
“フランスの司教たち”からの孤立である。
1964年の4月、ヒルツ神父はルフェーブル大司教に手紙を書き、“憂慮と心配”を表明した。さらに1964年5月に、地域長たちと主要な長上たちが、大司教に対し、自分の“個人的意見”を公会議で表明する権利を認めつつも、それを修道会に押し付けないようにと要求した。
特に大司教の意見が大部分の公会議の教父たちと対立していたからである。1964年8月、シュヴィリでの黙想会に参加していた10名の司祭たちは、同じ黙想会にいた20名の司祭たちの反対があったにもかかわらず、同じ内容の手紙を大司教宛に書いた。
ジョゼフ・レキュイエ神父はこれらの苦情その他を集積した。権威主義、修道会の規則にしたがって決定の前に参考意見を聞かなかったこと、個人的意見に基づいた指導管理、典礼言語や司教団体主義への個人的意見の強要、フランス人神学校への信頼を損ねる虞がある“フランス司教団の諸決議”に反する立場、など。最後に、ルフェーブル大司教が公会議の決議案を実行しないのではないかという虞もあった。
“ルフェーブル資料”がパウロ六世に提出され、修道者聖省により調査されることになり、同聖省は、これについて総長に説明を求めた。
ルフェーブル大司教にとって、この不適当な、時として悪意のある讒言的非難の罠を論破するにはいかなる困難もなかった。モンセニョール・ポール・フィリップ(Paul Philippe)宛で、1965年12月28日に書面で送られた大司教の答弁は、反対に、様々な上長たちの多くの会合を創出し、その機会を増やすことにより同僚たちの見解を聞きたいという大きな気遣いと、また個人的意見ではなく“修道者と司祭養成の根本的原理”を適応させたいという望みがにじみ出ていた。
最終的に、自分に対する苦情は、前任者の時代の修道会の方針に既に反対していた司祭たちの小さなグループから来た事を指摘した。彼らは公会議の機会を使って自分たちのもはや古くさくなった考えを売り込もうとした。
この出来事はフロック神父をフランス人神学校から追放した駆け引きの再現に見えた。あの時の様なリベラルで近代主義精神、同じ混ざり合った悪意、聖座に対して行われた同じ依頼。しかしながら、モンセニョール・フィリップは12月28日の手紙でのルフェーブル大司教の答弁にすっかり満足した。加えて大司教は公会議においての自分の行いを正当化した。概要について闘うのが罪なのか? 否、「公会議のテキストを良くすることは肯定的仕事だと私には思える」さらに「数人の司教、最も影響力のありさえする司教の考えに、全ての司教が同調するように何故強制させられるのか、私には分からない。そんなことがあったとしたら、それは信じられないような専制となるだろう」と。
さらに彼は言う。
「[聖霊司祭修道会の] 司教、司祭の大多数は、修道会で私の行動と、この行動を導いていた考えを全く承認している。彼らは、私のローマへの服従が完全で無条件であること、そして私が公会議の後に公布されることになる方針に従う準備が出来ていることを良く知っている。公会議が開催してから今まで、私はこのことを実証してきた。」
教皇パウロ六世は大司教の返事に満足していると言い、大司教に謁見を賜いながら、教皇は次のような提案をしている。
「修道会の全メンバー宛に、彼らが従順するようにと求める手紙を書きましょうか?」
大司教はお答えになった。
「いいえ、教皇聖下、聖下がこれらの告発に価値がないと思っているのならば、これが私のお願いの全てです。もし私が自分の権威を維持するために聖下に対して支援を求めたと私の同僚たちが思うならば、私は長くは続かないでしょう。」
第14章 総長 防御の最後の試み
Ⅰ. 激戦を伴った選出
II. 掃除と改革