Credidimus Caritati 私たちは天主の愛を信じた

2024年から贖いの業の2000周年(33 - 2033)のノベナの年(2024-2033)が始まります

天皇陛下の七十六歳のお誕生日のお喜びを謹んで申し上げます。

2009年12月23日 | トマス小野田神父(SSPX)のひとり言
アヴェ・マリア!

愛する兄弟姉妹の皆様、

 天皇陛下の七十六歳のお誕生日のお喜びを謹んで申し上げます。
天主様が、今上天皇を祝福し給い、皇室を守り給い、千代に八千代にいや栄えますように!
願わくは、私たちの主イエズス・キリストが、霊的に皇室に生まれ給いて、永遠の生命を給いますように!
 皇室の上に天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)


タイム誌の記事によるとシェイクスピアが密かにカトリックであったことを証明する署名がある

2009年12月23日 | カトリック・ニュースなど
アヴェ・マリア!

愛する兄弟姉妹の皆様、

タイム誌の記事によると、シェイクスピアが密かにカトリックであったことを証明する秘密の署名があるそうです。

Cryptic signatures that ‘prove Shakespeare was a secret Catholic’

ローマにある英国人神学校には、
1585年にサインされた
“Arthurus Stratfordus Wigomniensis”
また、1589年には到着した時のサインがあるそうです。
“Gulielmus Clerkue Stratfordiensis”

愛する兄弟姉妹の皆様の上に天主様の祝福が豊かにありますように!
良き御降誕祭をお迎え下さい。

トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)

聖ピオ十世会 (SSPX) 創立者 ルフェーブル大司教の伝記 15.2.3.司祭の連合の激励

2009年12月23日 | ルフェーブル大司教の伝記
II. 抵抗運動と再建を組織する

司祭の連合の激励

 1969年3月8日を“聖伝主義者運動(traditionalist movement)”の創立日として語るのは誤りだろう。実際そのような運動はまったくなかった。しかしながら、創意に富んだその知性がアイデアでみなぎるルフェーブル大司教は、“聖伝の傾向を持つ信徒たちの様々な運動を擁護するための国際事務局をローマで開局すること”についてしばらく思案していた。デ・サヴェンテム博士 (Dr. de Saventem) は、フォルテス・イン・フィデ誌が秘めている何か別の発展性を大司教が考案してくれるようにと促し、信仰と聖職者規律の防衛戦の中で司祭たちのグループ作りのためにここかしこで設立されているこれら司祭連合を援助する「国際的な事務局の、霊的かつ運営上の骨組みをお与えください」と頼んだ。

 既に大司教は、コアッシュ神父と、カトリック信者の必携書(Vade Mecum)にその名を登録している司祭たちを支援していた。 ルフェーブル大司教は「カトリック信仰と、カトリック倫理と、カトリックの礼拝(これはカトリック信仰の表現であり実りである)を保全するために彼らが従事している良い戦いにおいて」司祭たちを激励していた。ルフェーブル大司教はこう書いている。「願わくは天主が彼らの活動を祝福し給わんことを!」

 さらにルフェーブル大司教は、バルセロナでアソシアシオン・デ・サセルドーテス・イ・レリヒオーソス・デ・サン・アントニオ・マリア・クラレット(Asociacion de sacerdotes y religious de San Antonio Maria Claret = 聖アントニオ・マリア・クラレの司祭・修道士連合 )と接触した。彼はこのような7つの連合のリストを作成した。その中には、“教皇の教えを強調する事により誤った教義の拡散を防ぐ”ことを目的としてイギリスのポールゲート(Polegate)で創立されたJ.W.フラナガン神父のケファス(Cephas)連合と、フランスのカノン・エチエン・カッタ(Chanoine Etienne Catta)により創立されたオプス・サチェルドターレ(Opus Sacerdotale)があった。

 何百という司祭たちが1969年にセゴヴィア(Segovia)で開催された会議に集まり、11月11日には、バルセロナのあるグループが新しいミサを通して「善良な人々を異端の中に放り込むという責務」を拒絶する6千名の同グループ司祭メンバーらにより署名された嘆願書をブニー二(Bugnini)神父とパウロ六世に送った。

 しかしながら、この6千名のうち、この決意に忠実だったのは極僅かであった。さらに、国際司祭連合会議が、国際的な連盟という案について検討するため、1970年2月にマドリッドで開催されたとき、典礼刷新を拒否すること対する満場一致と根気強さの欠落により、この案は同意に至ることが出来なかった。

 良心との苦しい論争の後、多くの司祭らは刷新されたミサを取り入れたが、それは霊魂の死であった。そのうちの一人がフィレンツェの大司教区所属の司祭で、この司祭は1969年6月、チェラダ(Celada)司教宛に手紙を書いている。

「私は描写不可能な霊魂の状態に生きています。私は苦しみ、時折、苦い涙を流しています。あの日付【新しいミサを捧げなければならなくなる日のこと】が近づくにつれ、私は恐怖のうちにその日を思い身震いします。私は、この“ミサ”を捧げるのことからの免除を嘆願するために、パウロ六世に手紙を書く、又は教皇の足元に馳せ参じてこの身を投げ出したいと思います。」

ルフェーブル大司教はこう言うだろう。
「私はこの新しいミサを捧げなければならないという悲痛により亡くなった司祭たちを知っていた」と。さらに加えて、永久のミサ(la Messe de toujours)に忠実に留まったがために司教たちから迫害され、小教区からは追放され、長上からは左遷されたが、まれに見る気性の強さと、英雄的徳がもたらす耐久力によって、これらの試練を乗り越えた司祭たちを知っている、と。

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