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ウィリアムソン司教様(Bishop Williamson)がしたテレビ局のインタビューの裏に

2009年02月10日 | 質問に答えて
アヴェ・マリア!

愛する兄弟姉妹の皆様、
 いかがお過ごしでしょうか?実は愛する兄弟姉妹の皆様からたくさんのご質問が寄せられておりますので、すこしづつお答え致します。


【御質問】
(1)そのたびのスウェーデンのテレビ局を上手に使った攻撃はいつごろ始まったのでしょうか。 一月21日の 教令の発布の前ですか 後ですか?11月にドイツで録画された インタビューだそうですが、もう昨年中から「この連中の破門の撤回なんかするなよ」という教皇様への圧力の道具として今回のメディアのキャンペーンは始まったのでしょうか? それとも破門撤回の教令が1月21日に出るのとほとんど同時に放映され始めたのでしょうか? 



【御返事】

 スウェーデンのインターネットテレビ局による攻撃は、破門撤回の発表の直前です。

フェレー司教様によると、こう言われています。

「それにしても注意すべきは、というのもこれを単なる偶然の一致と呼ぶことができないからですが、このインタビューは11月1日になされたものです。それは以前サン・ニコラ・ドュ・シャルドネ教会でルターの異端説を放棄した元ルター派の牧師が、今ではツァイツコーフェン(=聖ピオ十世会のドイツの神学校)の神学生ですが、助祭に叙階された時のインタビューで、「破門」の撤回という正にその正確な時期に放映されました。
 このインタビューは、本来ならば宗教に関するものであるはずでしたが、インタビュアーはバナナの皮を滑り込ませ、ウィリアムソン司教様はその結果について考えずに滑ってしまったのです。
 私が強調したいことは、この問題は、聖ピオ十世会の目的とは何らの関係もありません。聖ピオ十世会の目的はカトリックの教えの宣教です。これはもう終わったと期待する不幸な出来事でした。これ以上のものではありません。もちろん、今後はウィリアムソン司教様には法的な結果がつきまとうでしょうし、私たちにはレッテルが増えることになりました。
しかしながらこの事件は二つの段階に分けて出すという正確さがありました。まず、ドイツのシュピーゲル紙がこの情報を最初に報道し、スエーデンのテレビ番組についての予告をしました。このシュピーゲル紙の記事は教皇様に反対して書かれていました。教皇様はこんな人々を教会に入れようとしていると、破門の撤回の発表の前に、ズバリとそう書いたのです。教皇にはこのような人々と近づこうとする意志がよく見える、そうしたら問題が起こるだろう、何故なら彼らの中には「否定論者」がいるから、と。」


 事実関係はこうです。

 2008年11月1日、ドイツのツァイツコーフェンの神学校(=聖ピオ十世会のドイツの神学校)で、助祭の叙階式をウィリアムソン司教様が執行しました。
 助祭に叙階された神学生のうちの一人が、シュテン・サンドマーク(Sten Sandmark)で、元ルター派の牧師であったけれどカトリックに回心したスウェーデン人でした。そこで、スウェーデンのテレビ(SVT)のジャーナリストたちもそれに来ていました。ウィリアムソン司教様は彼らの質問に答えることに応じました。
 この質疑応答の際に、ウィリアムソン司教様が数年前にカナダで言った発言について質問をしました。
 ウィリアムソン司教様は、これに答えることによってドイツで刑を受ける可能性があることをハッキリと述べていました。

 年が明けて、2009年1月19日、ドイツの雑誌であるシュピーゲル誌がベネディクト十六世教皇が聖ピオ十世会に対して近々する接近に対して敵対する記事を書きました。
 そしてシュピーゲル誌は聖ピオ十世会の司教の中には「否定論者」がいると述べ、スウェーデンのテレビ番組 "Uppdrag gransning" (調査ミッション)が1月21日に放映されることを予告しました。

 レ枢機卿の教令は1月21日に署名され、1月24日に公表されました。

 バチカン関係専門のジャーナリストパオロ・ロダリ(Paolo Rodari)は、2月3日付けの「レフォルミスタ」紙において、教皇に調査レポートを提出しました。このレポートでは「スウェーデンのテレビ放送の日付の選択の裏に、ベネディクト十六世教皇を失墜させようとする糸が隠れている。この資料はスウェーデンのテレビ局が破門の撤回の発表がある3日前に報道されるように影響を受けたと証明しようとしている。この資料はフランス人女性のジャーナリストであるフィアメッタ・ヴェネ(Fiammetta Venner)がこの否定論に関する質問をするようにと提案したと仮説を出している。」

 フィアメッタ・ヴェネ(Fiammetta Venner)は、フランス同性愛の活動家であり、堕胎と政教分離の闘士で、ロダリによれば、「彼女は、政教分離についての、フランス・フリー・メーソンのグラン・トリアン(Grand Orient)の恒例の講師である。2008年9月には、ベネディクト十六世がフランスを訪問した際に、同士のカロリーヌ・フレ(Caroline Fourest)と共著で次の題の本を発行した:『"Les nouveaux soldats du pape. Les légionnaires du Christ, l’Opus Dei et les traditionalistes" 教皇の新しい兵士たち、キリストの軍隊、オプス・デイ、そして聖伝主義者』(éd. Panama)」

 ウィリアムソン司教様に反対するキャンペーンは、教皇様と聖ピオ十世会とに反対するキャンペーンに広がり変化しつつあります。ドイツでは、シュピーゲル誌(Der Spiegel)と日刊紙ビルト(Bild)は、バチカンと聖ピオ十世会とは、考え方と道徳に関する近代性が獲得したもの全てに反対していると告発しています。

 ヘルマン・ヘーリンク(Hermann Häring)という進歩的神学者は、2月2日、左翼の新聞ターゲスツァイトゥンク(Tageszeitung)に、81才になるベネディクト十六世は辞任・辞職すべきだと宣言しました。曰く「もしもこの教皇が教会に善をしたいと思うのなら、教皇は辞職すべきだ。それは醜聞にもならないだろう。司教は75才に引退する。枢機卿は80才になると全ての権利を失う。教皇もこの賢明な規則に何故従うことができないのだろうか?」と。

Derrière l’entretien de Mgr Williamson à la télévision suédoise…

【関連記事】

【質問】今の教皇様はピオ10世会をどのように見ておられますか?

2009年02月10日 | 質問に答えて
アヴェ・マリア!

愛する兄弟姉妹の皆様、
 いかがお過ごしでしょうか?ご質問がありましたので、遅ればせながらお答え致します。

【質問】今の教皇様はピオ10世会をどのように見ておられますか?

http://www.radiovaticana.org/より

教皇ベネディクト16世は、マルセル・ルフェーブル師によって1988年叙階された4名の司教の破門の解消を承認された。

教皇庁司教省は21日付でこのたびの破門解消に関する教令を発布した。

教皇庁広報局の24日の声明によれば、これはバチカンと聖ピオ10世司祭兄弟会の対話を経て決定された。

同会は、第2バチカン公会議によるいくつかの改革に異議を唱えていたルフェーブル大司教が1970年に創立した。

教皇は破門を解消することで、同会のフレー師をはじめとする4人の司教が2008年12月15日付で提出した、カトリック教会に留まり、主イエス・キリストの教会への奉仕に全力を尽くし、教皇の首位を固く信じる意志を表した書簡中の願いに応えられた。

教皇は、2005年8月にフレー師と個人的に会見するなど、一致を取り戻す道を常に模索されてきた。
 とあるのですが....


【御返事】
 教皇様が聖ピオ十世会についてどのように思われているか、教皇様のお立場から、反対派の司教様たちを考慮して心中のお考えをそのままはっきりと表明することができないでおられるかも知れません。

 例えば、聖伝のミサについての自発書簡(モートゥー・プロプリオ)は、出る出ると言われながら世界中の司教様たちの反対に押され、1年以上出されませんでした。しかも、自発書簡という名前は付いていますが、内容は、他の反対意見を取り入れさせられ自分の考えをそのまま出したとは必ずも言い切れない書簡となってしまいました。

 しかも、聖伝のミサに関する自発教書「スンモールム・ポンティフィクム」は、発布の後も世界中の司教たちから無視され、適応に制限を加えられ、妨害され、骨抜きにされつつあります。

 さて、聖ピオ十世会の4名の司教様たちの「破門」の撤回については、バチカン内部では様々な反対の意見がありました。私の聞いたところによると、国務長官のベルトーネ枢機卿やカスパール枢機卿などが反対していたそうです。

 聖伝のミサに関する自発教書「スンモールム・ポンティフィクム」同様、教令発布の後も世界中の司教たちから、妨害され、骨抜きにされることでしょう。


 ベネディクト十六世教皇様のお考えを、過去の発言や行動から推測することが許されるとしたら、以下は私、トマス小野田圭志神父の個人的な推測でありますが、以下にしてみたいと思います。


 【ラッツィンガー枢機卿時代】
(1)教会の危機:ヨゼフ・ラッツィンガー枢機卿は、現在カトリック教会に危機があることを認識していました。例えば、聖金曜日の十字架の道行きで、次のように言っています。

「あなたの教会は、しばしば、今にも沈みそうな船、あちこちからあいた穴から浸水してくる船のようです。」

「私たちはどれほど多く、彼を考慮に入れることなく、自分たちだけを祝ってきたことだろうか。」(ここで「彼」とはイエズス・キリストのことをさしており、会食の集いに変わってしまった典礼によって忘れ去られたその方のことを言及している。)

(2)新しいミサ:ラッツィンガー枢機卿は、新しいミサ・典礼について、オープンに厳しい批判的な発言をしていました。例えば、
「私たちが今日経験している教会の危機は、「あたかも神が存在していないかのような」(etsi Deus non daretur)の原則に従って行われた改革の結果である典礼の崩壊が原因であると、私は確信しております。今日、典礼において、神が存在しており、神が私たちに語りかけ、私たちの祈りを聞いて下さるということは、もはや問題外のこととなっている」(ベネディクト十六世 ヨゼフ・ラツィンガー著 里野泰昭訳『新ローマ教皇 わが信仰の歩み』春秋社 164ページ)。

(3)聖ピオ十世会:ヨハネ・パウロ二世の命を受けて、ヨゼフ・ラッツィンガー枢機卿は、枢機卿時代から聖ピオ十世会を直接知っています。例えば1987年5月にはパリでルフェーブル大司教様と直接会い対話をしています。ヨゼフ・ラッツィンガー枢機卿は、ルフェーブル大司教様が聖伝の信仰、秘蹟、ミサに固執したが為に「処罰」を受けていたことをよく知っていました。そして司教聖別も聖伝の秘蹟と聖伝のミサを執行し続けるためであるということも知っていました。
 そこで、例えば次のような事件がありました。ハワイで聖ピオ十世会の信徒の方々が聖ピオ十世会の司教様にお願いして旧典礼のやり方で堅信を受けたことです。ハワイの司教様はこの堅信を組織した6名の平信徒を「破門」しましたが、教義聖省長官であったラッツィンガー枢機卿は、アメリカ教皇大使を通じてこの「破門」が無効であることを繰り返して発表させたのです。

(4)第二バチカン公会議:第二バチカン公会議については、1988年7月13日チリのサンチアゴで、チリの司教評議会に「(第二バチカン)公会議はいかなる教義をも決定したわけではありません。そして故意に、単なる司牧公会議としての慎ましいレベルに止まることを選んだのです。しかしながら、多くの人々はこれをそれ自身で、その他の全ての(公会議の)重要さを取り除くある種の超教義(スーパードグマ)であるかのように取り扱っている」と発言しています。

(5)枢機卿時代の行動:イタリア人サンドロ・マジステルの書いた「ベネディクト16世:教皇とそのアジェンダ(行動予定)」によれば、
「・・・ベネディクト16世は、自分の前任者であるヨハネ・パウロ2世の行ったミサの典礼についても自分の疑念を隠したことはなかった。ヨハネ・パウロ2世の下のローマの諸聖省で、ラッツィンガー枢機卿以上に自由に、批判的に発言したものは誰もいない。そしてカルロ・ウォイチワはこの理由のためにも彼を非常に尊敬した。・・・信仰教義聖省の長官としてラッツィンガーはヨハネ・パウロ2世をいろいろの点で批判した。しかもヨハネ・パウロ2世の教皇職の最も特徴的な点を。
 ラッツィンガーは1986年のアシジの諸宗教の最初の集いには行きさえもしなかった。・・・
 新しい教皇がヨハネ・パウロ2世と同意しなかった別の点は、教会が過去の罪の赦しを求めたことである。・・・ラッツィンガーは別のやり方で自分の批判の声を上げた。つまり彼は上げられた反対意見に、一つ一つ答える神学的文書という形で、だ。・・・
 ベネディクト16世は枢機卿として、ウォイチワ教皇が祭壇の名誉まで高めた聖人や福者たちの終わりを知らない連続をも批判した。・・・
 彼は「政治的正しい言い方(politically correct language)」をいつも無視してきた。1984年、マルクス主義の根がある解放の神学に反対した文書では、彼は共産主義帝国に「現代の恥」とか「人間の恥ずべき隷属化」などとラベルを貼って致命傷的な打撃を与えた。・・・
 ラッツィンガーは、管理者ではなく、偉大なヴィジョンを持つ男として、常に際だっていた。彼は官僚機構の用語としてより簡素な教会を見たいと思っている。彼は教会の中央及び周辺機構―――つまりバチカン諸聖省、教区行政部、司教評議会など―――が、「若きダヴィドが歩くことを妨げたサウルの鎧のよう」になることを望まない。」
(詳しくは、マニラの eそよ風 第280号を参照してください。)

 【ベネディクト十六世教皇時代】
(1)ベネディクト十六世教皇様は、フェレー司教様にその謁見の時、特にドイツ、フランスで教会の危機が無いと言えるだろうか?と反語の形で教会の危機を確認しました。

(2)2007年7月7日、世界中の司教たちの反対を押し切って、聖伝のミサが一度も法的に廃止されたことがなかったという事実を確認しました。聖伝のミサこそが、実は、ベネディクト十六世にとって「わたしたちにとっても神聖であり、偉大なものであり続けます。それが突然すべて禁じられることも、さらには有害なものと考えられることもありえません。わたしたちは皆、教会の信仰と祈りの中で成長してきた富を守り、それにふさわしい場を与えなければなりません。」

(3)ベネディクト十六世は、ルフェーブル大司教様が聖伝の秘蹟と聖伝のミサを執行し続けるために司教聖別をしたということも知っていましたが、もしも、聖伝のミサが「一度も廃止されたことがなく」、「神聖であり、偉大なものであり続ける」のなら、ルフェーブル大司教様の受けた「処罰」は、無効であるはずです。従って、論理的に、ベネディクト十六世は教会法上の効力が無いと宣言することを望んでいました。そして、遂に、バチカン内部の反対を押し切って2009年1月21日に、司教聖省長官をしてそれをさせました

(4)第二バチカン公会議の解釈については、今に至るまでカトリック教会中に混乱がある、と認めています。これはベネディクト十六世が2005年12月に枢機卿たちに言ったコメントによってこれが分かります。第二バチカン公会議に教父の神学顧問として参加したベネディクト十六世は、聖ピオ十世会と第二バチカン公会議について自由でオープンな議論を行いたかったはずです。それが、2009年1月21日の教令のこれから聖ピオ十世会とオープンな議論について「必要な話し合いを深める」という言葉にも現れています。


(5)ベネディクト十六世教皇様が必要としているものは何か:世界中の司教たちの反対やその他の脅迫が予想されていたにもかかわらず、ベネディクト十六世にとって、自分がヨハネ・パウロ二世に対して取った行動を取ってくれる人を必要としていたのではないでしょうか。

 御自身が、枢機卿時代にヨハネ・パウロ二世を誰よりも自由に批判的に発言し、信仰教義聖省の長官として教皇様をいろいろの点で、しかもヨハネ・パウロ2世の教皇職の最も特徴的な点を批判したように、ベネディクト十六世も、そのような誰かを必要としているのではないでしょうか。

 カトリック教会を愛する心から、神学的に、自由に、批判的に発言してくれるだれかを。「政治的正しい言い方(politically correct language)」を無視して、真理をそのまま発言する勇気がある誰かを。

 カトリック教会を愛するが故に、カトリック教会の偉大なヴィジョンを持つ誰かを。
 「若きダヴィドが歩くことを妨げたサウルの鎧のよう」に、バチカン諸聖省、教区行政部、司教評議会などが教皇様の動きを妨げることを望まず、むしろ、ダヴィドが選んだ武器としての石ころとなることができる誰かを。

 僭越な言い方ではありますが、ベネディクト十六世の心中は、カトリック教会の危機の克服のために、聖ピオ十世会からの自由な神学的な発言を必要とし求めていたのではないでしょうか。

 聖ピオ十世会は、ベネディクト十六世のカント的啓蒙主義に対して、或いは第二バチカン公会議の革新について、同意せずに自由に批判的に発言することでしょう。しかし、それこそをベネディクト十六世教皇様はお求めになっていると思われます。ヨハネ・パウロ二世教皇様が御自分にお求めになっていたように。

 以上が、今の教皇様はピオ10世会をどのように見ておられるか、ということへのお答えですが、回答になっていれば幸いです。

天主様の祝福が豊かにありますように!

文責:トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭) sac. cath. ind.

【関連記事】

聖スコラスティカ

2009年02月10日 | トマス小野田神父(SSPX)のひとり言
アヴェ・マリア! 

 聖ベネディクトの姉妹であった聖スコラスティカは、聖ベネディクトと信仰の話し合いをすることを望んでいました。しかしその機会はめったにありませんでした。

 ついに、聖女の祈りが聞き入れられ、聖スコラスティカが聖ベネディクトを訪問したおりに突然の豪雨。帰るに帰れず、一晩中夜を明かして二人は信仰の話しをしました。

 その数日後、聖ベネディクトは帰天する聖スコラスティカの霊魂を鳩の形で見ています。


 聖ピオ十世会は、ベネディクト16世教皇に、細かい法律や政治の話しではなく、信仰の話し合いをすることを求めていました。カトリック信仰の話しをすることを。カトリック教会を現在襲っている信仰の危機について、聖伝のカトリック信仰についての話しをすることを。しかし、そのためには、どうしても二つのことがなされなければなりませんでした。聖伝のミサ聖祭が「禁止」されていないということ、聖ピオ十世会の司教さまたちが「破門」されていないということ、これらが宣言されることです。カトリック教会の全体の善のために。

 聖ピオ十世会と教皇さまとの信仰についての話し合いができるように、私たちはロザリオの十字軍を起こしました。数多くの祈りが天に登りました。

 ついに、不可能のように思われていた二つのことが叶い、ベネディクト16世教皇さまは、聖ピオ十世会と必要な話し合いをしたい、と教令を出しました。

 私たちの周りでは、突然、全世界でマスコミが嵐のような、豪雨の反カトリック聖伝のキャンペーンを張り出しました。聖ピオ十世会と教皇ベネディクトとは、話し合いをする必要がない、聖ピオ十世会は黙って第二バチカン公会議を飲み込め、この豪雨の轟きで話し合いの穏やかな声をかき消してやれ、聖ピオ十世会は悪者だ、話し合いをするならベネディクト16世よ、思い知るがよい、と叫び唸っているようです。

 夜のような真っ暗な現代世界で、天主様の御助けにより、聖ピオ十世会と教皇ベネディクト16世とは信仰の話し合いをすることでしょう。落ち着いて穏やかに祈りの内に。願わくは、聖霊が鳩のような形で天より下り、この話し合いを導き給わんことを!

上智の座なる天主の御母聖マリア、我らのために祈り給え!

ルルドの聖母マリア、我らのために祈り給え!

聖スコラスティカ、我らのために祈り給え!

聖ベネディクト、我らのために祈り給え!

愛する兄弟の皆様の上に天主様の祝福が豊かにありますように!

病で苦しむ方々、特に長年病院での生活を強いられている愛する兄弟の方々に、天主様の祝福が豊かにありますように!

トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)

--このブログを聖マリアの汚れなき御心に捧げます--

アヴェ・マリア・インマクラータ!
愛する兄弟姉妹の皆様をお待ちしております
【最新情報はこちら、年間予定一覧はこちらをご覧ください。】