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ダ・ヴィンチ・コードのカトリック教会に対する讒言と虚偽

2006年05月17日 | ダ・ヴィンチ・コード、ここがおかしい

アヴェ・マリア!

 

 ダ・ヴィンチ・コードのカトリック教会に対する讒言


 ダ・ヴィンチ・コードは、カトリック教会が反女性的であるとし、カトリックは中世に七百万人の魔女を焼いたと言う。しかし事実は最近の研究が明らかにしているように、一四〇〇年から一七〇〇年の間に四万人(四百万ではなく単に四万)が魔女・魔法使いといて処刑されたと考えられているが、その多くはプロテスタントによって処刑された。中世には魔女として処刑された人々は殆どいない。

(Jenny Gibbons, "Recent Developments in the Study of the Great European Witch Hunt", #5, Pomegranate (Lammas, 1998)



 ブラウンは神殿騎士団が奇妙な秘密の始まりをもっていたと主張するが、真面目な歴史家で神殿騎士団のそのような始まりに関する文書や証拠を見つけた人は一人も存在していない。ダ・ヴィンチ・コードによると、神殿騎士団がゴチック建築を発明し、オカルトのシンボルをそこに密かに埋め込み、異教の神々を礼拝した、と主張する。ダ・ヴィンチ・コードによると、神殿騎士団は教皇クレメンテ五世によって解散させられ、神殿騎士団員数百名を焼き殺しその灰をティベル河に投げ捨てた、そのために騎士団はフリーメーソンと姿を変えて今日に至る、と主張する。これは全くの作り話だ。


 神殿騎士団はまず、イスラム教徒から迫害を受けていた聖地にいるキリスト教信者を助け聖地を保護するためにあった。彼らは建築家ではなかった。


 アヴィニョンの教皇であったクレメンテ五世ではなく、フランスのフィリップ五世が神殿騎士団に対立し、彼らに対して異端や魔術の告発をしていた。そしてフィリップ五世の下で、拷問などが実行され哀れ神殿騎士団の中には偽りの自白をしたものもあったが、後にそれを撤回している。学問的な研究の成果によれば、神殿騎士団が異端集団だったという証拠はない、ということだ。しかしフィリップ五世は、優柔不断なクレメンテ五世に圧力をかけ、その解体を迫った。


(Malcolm Barber, "The Trial of the Templars", Cambridge University Press: 1978;
Edward Burnmn, "The Templars Knights of God", Rochester, VA: Destiny Books, 1986;
Peter Partner, "The Murdered Magicians: The Templars and Their Myth", Oxford: Oxford University Press, 1982)


 教皇クレメンテ五世が神殿騎士団の会員を焼いた灰をティベル河に投げ捨てたというが、ローマあるいはイタリアのその他の都市で神殿騎士団の会員が焼かれたという記録は存在していない。ただしフィリップ五世の下で、パリとフランスのその他の都市で合計すると百名以下の会員が焼かれたことはある。


 神殿騎士団の住んでいたところは、ソロモンの神殿の下の古い馬小屋の中ではない。彼らはアルアクサというイスラム寺院の隣の神殿山(Temple Mount)の上に立つ王宮の一部に住んでいた。


 以上のようにブラウンの描く「歴史的事実」まったくデタラメであり、彼は単に反キリスト教、反カトリックのフィクションを書いているとしか言いようがない



 ダ・ヴィンチ・コードが描く秘密結社


 ダン・ブラウンはバラ十字架団、フリーメーソン、その他の秘密結社のシンボルや儀式についてあまり知られていない情報をダ・ヴィンチ・コードに織り込んでいる。幾つかは本当のことが記載されているがその殆どはデタラメだ。そのためにどこからどこがウソでどこからどこまでが本当か混乱を引き起こさせている。


 例えばブラウンはヒエロス・ガモスと言われる異教の性的乱交秘密酒神祭ともいうようなものが秘密結社には存在しているという。これについては信頼のおける研究家らによってもかつて秘密結社において存在したし、現在でも存在しているという。しかしダン・ブラウンは神殿騎士団の「秘密儀式」の一部にそれがあったとウソをつく。


 シオン修道院のグランド・マスターの「秘密文書」に載せられたリストであるが、そこにあげられている人々はかなりの数が様々なオカルト団体と関わっていたらしい。ただし彼らが、存在していなかったシオン修道院という一つの団体に関わっていたというのはナンセンスだ。

(Robert Richardson, "The Unknown Treasure: The Priory of Sion Fraud and the Spiritual Treasure of Rennes-le-Chateau", Houston, TX: NorthStar, 1998. )



 例えばアイザック・ニュートンは、オックスフォードの「見えない学寮」(invisible College)の一部だった。

 ヴィクトル・ユーゴーは、秘教主義と聖なる女性の伝説に巻き込まれていた。しかし彼らがすべてフィクションのシオン修道院という一つの団体に所属していた、というのは現実ではない。


 ダ・ヴィンチ・コードによると、バラ十字架団、フリーメーソン、その他の秘密結社などが一つの現実であるかのように描かれている。しかし現実は全く違う。これらの悪の勢力はカトリック教会とキリスト教世界に反対して闘う時だけは一致するが、そうでなければ互いに相争っている。


 ブラウンはこれらの秘密結社らを常に良いものとして描き、それに平行してカトリック教会を悪として描いている。革命的現代人は善を悪として受けいれ、悪を善として考えるのか? ダ・ヴィンチ・コードはそのような現代人に、キリストが天主であるということを否定するように暗示している。だから世界中のマスメディアは、これを促進し宣伝し、囃し立てているのだ。



 ダ・ヴィンチ・コードは冒涜的な性格を持っているために私たちはこれに対して抗議する。アリンゼ枢機卿はキリスト者らに、ダ・ヴィンチ・コードに反対して行動を起こさなければならない、と要請している。


 教理聖省の秘書アンジェロ・アマト司教(サレジオ会)は、四月二八日に映画ダ・ヴィンチ・コードをボイコットするように訴えた。


 オプス・デイ運営のローマのサンタ・クルチェ(聖十字架)大学でのセミナーで、アマト司教はこう言った。
「あなたたちが皆、これをボイコットすると期待します。」


 アマト司教は言葉を続ける。「大部分のキリスト教信者の極めてお粗末な文化的素養のため、彼らは自分たちの希望の理由を挙げることさえも出来ない。」そのために「ダ・ヴィンチ・コードのような頑固に反キリスト教的な小説---イエズス・キリストと福音書と教会とに関して讒言と攻撃と歴史的・神学的誤謬に満ちた---が奇妙にも成功をおさめた」と説明する。


 アマト司教は更に言う。「これらの讒言と攻撃と誤謬がもしもコーラン(イスラム経典)やショラー(ユダヤ経典)に関するものであれば、世界中で大騒動が起こっていたことであろう。しかしカトリック教会とキリスト者らに向けられたものであったがゆえになんの罰も受けなかった。」


「このような場合、キリスト者たちは嘘と根拠のない名誉毀損を拒否するためにもっと敏感であるべきだ。」


 一九八八年の「キリストの最後の誘惑」という映画上映の時、これはボイコットを受け、「それに相応しい経済的失敗」という痛手を与えることが出来た、とアマト司教は追憶する。そしてダ・ヴィンチ・コードについては「極めてゆゆしいものであり、歴史的に間違っている」と評価する。


「今日、福音の伝達が現実の迫害によって妨害されているばかりか----世界にはまだ、投獄や死刑の刑をもって、自分の信仰を宣言する自由を拒否されているキリスト者らがまだいる----しかしポスト・モダン文化の弱々しい思想によって迫害されている。何故ならポスト・モダン文化はキリスト教の啓示という強力な思想を拒否するからだ。」そのために現代は「虚無的・相対主義的・生命技術偏重的文化の重々しい雰囲気がある」という。


「私たちは現代、真理と明らかな物事に対応していない仮想現実的な空間の中に生きているかのように思われる。この仮想世界は世論操作とマスメディアのシミュレーションの実験室で作られているようだ。」 アマト司教はこの意味で「人物と出来事と歴史の操作」があると告発する。


ユダの福音についてもアマト司教は「カトリック報道機関は、ニュースを報道するだけではダメだ」とし、これが「偽典の福音であり、教会と教父たちはこの存在を知っており排斥した」偽物、「事実の現実と対応しない、ユダを間違って描くもの」であるということを理解させる情報を読者に提供しなければならない、と述べた。

http://www.dici.org/actualite_read.php?id=1249&loc=fr


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 韓国では、朝鮮日報によると、映画『ダヴィンチ・コード』、上映禁止仮処分棄却、とのことだ。しかしそれなりの努力をしたことはうれしい。


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 ソウル中央地裁・民事捜査部は16日、「韓国キリスト教連合会・映画『ダヴィンチ・コード』特別対策委員会」が同映画の国内公開禁止を要求し提出した仮処分申請を棄却した。

 同委員会は先月、「映画『ダヴィンチ・コード』がキリストの神聖と聖書の真理を毀損し冒涜している」とし、「これにより個人の宗教的信念が侵害される恐れがある」として、同映画の韓国配給会社である(株)ソニー・ピクチャース・リリージング・コリアを相手取り上映禁止仮処分申請書を提出した。

 米国の作家ダン・ブラウンのベストセラー小説『ダヴィンチ・コード』を原作にした同映画は18日に世界で同時公開される。

http://news.livedoor.com/webapp/journal/cid__1967237/detail
 
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 フィリピンでは、上映が延期になったと以前噂で聞きましたが、そうではなくなったようだ。ただし、18歳未満不適切映画、R18に指定されたそうだ。(テケテキさん、コメントと情報を感謝します。)


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 私たちは何をしたらよいのだろうか?



 ADさん、コメントを感謝します。では、私たちは何をしたらよいのだろうか?


 パッションの時には、「反ユダヤ」という言いがかりをつけられてバチカンにまで抗議した。それと同じように私たちは、キリスト教の指導者の方々が行動を起こして下さるのを期待している。何故なら、私たち個人の力には限りがありすぎるからだ。



 しかし、下の日本カトリック正義と平和協議会の活動リストを見ると、

http://www17.ocn.ne.jp/~antijpj/yamanouchi/jpj-act.html

 環境保護、森林保護、熱帯雨林保護、良心の自由、人権闘争、死刑反対、盗聴法反対など、人間を天主の地位に上げるようなことは力を尽くしていることは分かる。人間は天主のように高められている。


 だが、その反対に、天主である私たちの主イエズス・キリストを単なる人間に貶めることについては、無関心なのではないか、と私は畏れる。


 日本のカトリック教会の指導層は、私たちの主イエズス・キリストの名誉のためには、何も動かないかもしれないと畏れる。もしも私たちの主イエズス・キリストの御聖体が粗末に扱われているなら、映画において私たちの主イエズス・キリストが侮辱されていても心を動かさないかもしれない、と畏れる。これが空しい虞であることを祈る。


 では、私たちは何をしたらよいのだろうか?


 天主の御母聖マリア、マグダラの聖なる痛悔女マリア、私たちの主イエズス・キリストの十字架の下に佇もう。イエズス・キリストの側に立ち、天主に祈ろう。またベロニカのように、償いの布をイエズス・キリストに捧げよう。


 私たちは映画『ダ・ヴィンチ・コード』を制作した SONY に対して憎しみを抱くものではない。しかしこの小説と映画はあまりにも反キリスト教的なものであるので、私たちは決してこれを見ないようにしよう。その時間とお金があれば、私たちはダ・ヴィンチ・コードでなされる多くの冒涜に対して罪の償いを果たそう。特に私たちの愛する同胞である日本の兄弟姉妹の方々が、その巧妙に提示された虚偽に騙されることのないように祈ろう。

 



 兄弟姉妹の皆様、ダ・ヴィンチ・コードの冒涜の償いのために多くの祈りをお願いいたします。日本の司教様や教会の指導者の方々のためにお祈りをお願いします。

 天主の御母聖マリアよ、我等のために祈り給え!




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--このブログを聖マリアの汚れなき御心に捧げます--

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