Credidimus Caritati 私たちは天主の愛を信じた

2024年から贖いの業の2000周年(33 - 2033)のノベナの年(2024-2033)が始まります

【質問】チゼック神父様の回想は実話なのでしょうか。

2024年01月22日 | 質問に答えて

アヴェ・マリア・インマクラータ!

【質問】チゼック神父様の回想は実話なのでしょうか。収容所では話をすることもできないのに、多くの人々に黙想のポイントを話しているし、ホスチアもぶどう酒も聖具も入手できるはずはないのに、どうしてミサをささげることができたのでしょう。チゼック神父様の回想もフィクションではありませんか。

【答え】チゼック神父様の回想は実話です。イエズス会司祭、天主のしもべウォルター・チゼック神父【Servant of God Fr. Walter Ciszek, SJ (1904-1984)】は、1937年に司祭叙階されポーランドに任命されました。1939年に戦争が開始するとロシアに入国し、1941年にスパイ容疑で逮捕されました。

逮捕された後はモスクワのルビアンカ刑務所に7年間収容され、バチカンのスパイとしてシベリアの収容所で15年の強制労働の刑を受けました。

収容所にはカトリック司祭たちもいました。そこで早朝、あるいは夕方に、こっそりと一人に黙想のポイントを伝えます。告解も隠れて聞きます。収容所の囚人でも、クリスマスのころに一年に一回ほどは、手紙や荷物を受け取ることができました。複数の司祭たちが、ミサの道具を受け取って、それをシェアしていました。

1955年に、与えられた労働量よりも遥かに多くをこなしたという理由で、早めに収容所を出ることができました。ノリルスクという町に移り住みます。死んだと思われていた神父様でしたが、ついにアメリカにいる家族に手紙を書くことが許されました。

1963年、ケネディー大統領によるネゴシエーションで、チゼック神父と一人のアメリカ人生徒が、アメリカで逮捕された二人のソビエト工作員と引き換えに、アメリカに帰ることができるようになりました。アメリカに帰国後、ペンシルベニア州にあるフォーダム大学で、1984年に死ぬまで働きました。

アメリカでロシア時代の回想録を書きました。その中で「He Leadeth Me」【主は私を導き給う】という手記はとても感動的です。日本語の訳はまだないようです。ちなみに韓国語には訳されています。



最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。