アヴェ・マリア・インマクラータ!
愛する兄弟姉妹の皆様、
共観福音書についてご質問をいただきましたので、愛する兄弟姉妹の皆様にご紹介します。
天主様の祝福が豊かにありますように!トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)
【御質問】
なぜ4つの福音書はそっくりなんですか?4人の人物が、まったく別個に3年半のイエズス様の公生活を綴れば、まったく別個のストーリーになるはずではないですか?3年間の間に100も千もの奇跡があったでしょうし、百も千ものたとえ話をイエズス様はなさったでしょうに。その中のどれに注目して、どれを載せるかは、4者4様になるはずではないですか?どの福音書も、まったく同じたとえ話ばかり載っています。初めに一つの福音書があり、残り3つはそれを真似て書かれたのですか?
もしルフェーブル大司教に聖別された4人の司教が、それぞれルフェーブル大司教の伝記を書いたとすれば、全然、別の書かれ方をすると思いますよ。互いに矛盾はないにしても、趣はかなり違ってくると思います。ある人は、この話を載せるが、別の人はそれは省略し、別の話、別の講話を載せる、こんな感じで、かなり違ったストーリーになってくるでしょう。にも拘らず、4つの福音書は互いにそっくりです。僅かに違いがありますが。ルカがマリア様について少し書いていたり、ヨハネが最初が少し違っている、など。でも基本的に、同じです。どうしてですか?
当初、福音書は口伝だったのでしょうかね?聖伝の一部として、聖福音を暗記しなければいけないことになっていて、語り継がれてきた福音を、ある時期に4人の福音記者たちがそれぞれ筆写した。よってほとんど似ているが、細部違うのでしょうか?
【お返事】
ご質問をありがとうございます。
四福音書をよくご覧になると、最初の三つがよく似ていて、最後の聖ヨハネの福音だけは別の構成になっています。
そこで、最初の三福音のことを「共観福音」と言います。「共観」というのはギリシャ語のシュノプシス σύν (同時に) and ὄψις (見る)(同時に一目で見る)という言葉の訳語です。
何故かというと、ほとんど同じような順序で同じような内容が書かれているので三つの列に平行にテキストを並べて一目で見るようにすることが出来るからです。
三つの共観福音には、違いと一致があり、一致は時には言葉使いさえも同じであることがあるかと思えば、違いには見かけ上の矛盾のように思えるものさえあります。
もしも、同じだけだったとしたら、相互に従属関係がある、或いは、一つの共通の源泉から由来する、と簡単に解決できます。
もしも違いだけでしたら、完全に独立していると言うことが出来ます。
これは近年に出てきた疑問で、古代には聖アウグスティヌスだけが De consensu Evangelistarum でこれに言及しただけでした。
次のことをまず指摘します。
聖ヨハネは特にイエズスのユデアでの宣教を語っています。
三共観福音は、イエズスのガリレアでの宣教を語り、公生活の最後にイエズスがユデアのエルサレムで宣教することを示しています。
三共観福音は、同じ事実、同じ奇跡、同じ訓話を載せています。しかし、ご指摘のように、イエズスは実際はその他の奇跡も行っています。例えばヨハネの福音にあるように、カナでの奇跡、生まれつき盲目であった男を癒やす、ラザロの復活などです。また三共観福音に載せられていない訓話がありました。例えば御聖体の約束や、最後の晩餐の後での話などです。聖ヨハネは福音の最後に、イエズスが行った別の多くの奇跡もある sunt autem et alia multa qua fecit Jesus と書いています。マテオ11章によると、イエズスはご自分の多くの奇跡をおみせになった町のうちにコロザインを挙げていますが、コロザインで行った奇跡について四福音は全て沈黙を守っています。
共観福音によると、イエズスの行いと訓話は次の四部構成の枠組みの中に収まっています。主の洗礼・ガリレアでの宣教・エルサレムへの到来・御受難と御復活です。
共観福音には、大きな違いもあります。
聖マテオの系図は、一見すると聖ルカの系図と矛盾するかのように書かれています。
聖マテオと聖ルカによるイエズスの幼年時代については、聖母が童貞を守っていること、ヘロデ王の下にベトレヘムで生まれたことだけが同じです。
聖マテオだけが、聖ペトロの首位権を語っています。
聖ルカだけが、ザケオの話や良きサマリア人の話や放蕩息子の話を載せています。
聖マルコは、彼だけが、聖マテオも聖ルカも語らない二つの奇跡に言及します。耳が聞こえず話せない人の癒やしや、ベトサイダの盲人の治癒です。
聖マテオによる福音の 1068節のうち、337節(三分の一)が固有のものです。
聖マルコによる福音の 677節のうち、68節(十分の一)が固有のものです。
聖ルカによる福音の 1158節のうち、541節(二分の一)が固有のものです。
共観福音は、時間的な順序や、論理的な理由ということによらずに、出来事が同じような進み方によって語ります。嵐を沈める奇跡、ゲラサでの悪魔付きの癒やし、出血症の女の治癒、司の死んだ娘の蘇り、などです。
このような一致は必ずしも守られない場合があります。聖マテオの山上の垂訓は一つにまとめられていますが、聖ルカでは分散されています。
しかも、同じであるはずだと思うような細部で異なっています。例えば、主の祈りもマテオとルカとでは違いがあります。御聖体の聖別の言葉にも違いがあります。十字架の罪標(すてふだ)に書かれたことばにもマテオとマルコとで少しの違いがあります。
そうかと思えば、聖マテオ9章・マルコ2章・ルカ5章に載せられた中風の治癒は、ほぼ同じ言葉遣いです。イエズスはアラマイ語で話したはずですが、ギリシャ語でも同じ言葉遣いです。共観福音が旧約聖書を引用するとき、ヘブライ語のテキストからの直訳でもなく、七十人訳ギリシャ語からのそのままの引用でもないのですが、同じ時々同じ言葉遣いです。
聖マテオによる福音のうち、八分の一に言葉遣いの一致が見られます。
聖マルコによる福音のうち、六分の一に言葉遣いの一致が見られます。
聖ルカによる福音のうち、十分の一に言葉遣いの一致が見られます。
聖伝によると、
1)三共観福音は、それぞれ、聖マテオ、聖マルコ、聖ルカが書いたもの。聖マテオは使徒であり、聖マルコと聖ルカとは使徒の弟子達だった。
2)最初に聖マテオが福音を書き、次に聖マルコ、それから聖ルカが書いた。
3)聖マテオは最初福音をアラマイ語で書き、極めて早い時期にギリシャ語に翻訳された。最初のアラマイ語の福音は、単なる主の訓話のまとめだけではない。
4)ギリシャ語に訳された最初の福音は、アラマイ語の原文と同じ内容である。
では、共観福音はどうやって書かれたのでしょうか?
ルニエ、ラグランジュ、ヴォステ、シメンなどの意見に従って答えると、次の通りです。
1)イエズス・キリストは使徒たちに「全世界に行って教えよ」という使命を授けたのであって、書けという命令を授けたのではない。共観福音の内容の主要な源泉は、使徒たちの口からの教えだった。初代教会は、「本の宗教」というよりは「生ける権威の宗教」だった。記録され書かれたものの先に口と言葉による教えの伝達があった。使徒たちは聖霊降臨の後に、この口伝の福音の大まかな内容を固定させた。そうすることによって主の御言葉を伝達することが容易になった。それと同時に共観福音が書かれるとき、その構造が同じようなものになる理由となった。
2)イエズス・キリストの教えを書いて記録を残したいという望みが教会で極めて初期にわき起こってきた。非公式のメモのようなものが生まれていたのかもしれない。聖ルカが福音の最初に暗示しているのはそのような記録のことだったのかもしれない。
3)使徒聖マテオが(彼は税理だったので、漁夫だった他の使徒たちと比べると教養があったのだろう)、使徒の宣教の要点を全てまとめてアラマイ語で書いて公表した。聖マテオは、自分のメモあるいはその他の記録を使ったのか詳しくは分からないが、自分の記憶と体験と口伝の公教要理を基に福音を書いたことは確かである。
4)聖マルコは、聖ペトロの弟子だったので聖ペトロの教えに従って福音を書いた。これは聖伝が伝えることであり、内容もそれに一致する。聖マルコは聖マテオのギリシャ語訳の福音を多分に知らなかっただろう。聖マテオと聖マルコの福音が似ていることは、その基礎にある口伝の教えによって十分に説明が付く。もしも共通の書かれた記録による史料があったとしたらエピソードの選択のみならずもっと多くの一致があっただろう。聖マルコは御受難の部分を叙述するときは、書かれたものを使ったようである。
5)聖ルカは最後に福音を書いたが、書かれた記録や口伝を調べたと自分で言っている。聖マルコと聖マテオの影響が認められる。
6)ついに聖マテオの福音がギリシャ語に翻訳される。この翻訳には、特にアラマイ語からギリシャ語に訳す際に聖マルコの福音が参考にされた。ただしアラマイ語の原文とギリシャ語の原文は実体において同じである。
上のように考えると、口伝の教えが基礎にあるので、共観福音の構造の類似性に説明がつきます。
聖ルカとギリシャ語の聖マテオとは、聖マルコによっていることになります。
聖マルコと聖ルカとで出来事の順序が似ていることは、聖ルカが聖マルコを参照したことで説明が付きます。
三共観福音の違いは、著者の参考資料と思い出の違いにより、著者の気質や書き方の違いによることで説明されます。
天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)
愛する兄弟姉妹の皆様、
共観福音書についてご質問をいただきましたので、愛する兄弟姉妹の皆様にご紹介します。
天主様の祝福が豊かにありますように!トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)
【御質問】
なぜ4つの福音書はそっくりなんですか?4人の人物が、まったく別個に3年半のイエズス様の公生活を綴れば、まったく別個のストーリーになるはずではないですか?3年間の間に100も千もの奇跡があったでしょうし、百も千ものたとえ話をイエズス様はなさったでしょうに。その中のどれに注目して、どれを載せるかは、4者4様になるはずではないですか?どの福音書も、まったく同じたとえ話ばかり載っています。初めに一つの福音書があり、残り3つはそれを真似て書かれたのですか?
もしルフェーブル大司教に聖別された4人の司教が、それぞれルフェーブル大司教の伝記を書いたとすれば、全然、別の書かれ方をすると思いますよ。互いに矛盾はないにしても、趣はかなり違ってくると思います。ある人は、この話を載せるが、別の人はそれは省略し、別の話、別の講話を載せる、こんな感じで、かなり違ったストーリーになってくるでしょう。にも拘らず、4つの福音書は互いにそっくりです。僅かに違いがありますが。ルカがマリア様について少し書いていたり、ヨハネが最初が少し違っている、など。でも基本的に、同じです。どうしてですか?
当初、福音書は口伝だったのでしょうかね?聖伝の一部として、聖福音を暗記しなければいけないことになっていて、語り継がれてきた福音を、ある時期に4人の福音記者たちがそれぞれ筆写した。よってほとんど似ているが、細部違うのでしょうか?
【お返事】
ご質問をありがとうございます。
四福音書をよくご覧になると、最初の三つがよく似ていて、最後の聖ヨハネの福音だけは別の構成になっています。
そこで、最初の三福音のことを「共観福音」と言います。「共観」というのはギリシャ語のシュノプシス σύν (同時に) and ὄψις (見る)(同時に一目で見る)という言葉の訳語です。
何故かというと、ほとんど同じような順序で同じような内容が書かれているので三つの列に平行にテキストを並べて一目で見るようにすることが出来るからです。
三つの共観福音には、違いと一致があり、一致は時には言葉使いさえも同じであることがあるかと思えば、違いには見かけ上の矛盾のように思えるものさえあります。
もしも、同じだけだったとしたら、相互に従属関係がある、或いは、一つの共通の源泉から由来する、と簡単に解決できます。
もしも違いだけでしたら、完全に独立していると言うことが出来ます。
これは近年に出てきた疑問で、古代には聖アウグスティヌスだけが De consensu Evangelistarum でこれに言及しただけでした。
次のことをまず指摘します。
聖ヨハネは特にイエズスのユデアでの宣教を語っています。
三共観福音は、イエズスのガリレアでの宣教を語り、公生活の最後にイエズスがユデアのエルサレムで宣教することを示しています。
三共観福音は、同じ事実、同じ奇跡、同じ訓話を載せています。しかし、ご指摘のように、イエズスは実際はその他の奇跡も行っています。例えばヨハネの福音にあるように、カナでの奇跡、生まれつき盲目であった男を癒やす、ラザロの復活などです。また三共観福音に載せられていない訓話がありました。例えば御聖体の約束や、最後の晩餐の後での話などです。聖ヨハネは福音の最後に、イエズスが行った別の多くの奇跡もある sunt autem et alia multa qua fecit Jesus と書いています。マテオ11章によると、イエズスはご自分の多くの奇跡をおみせになった町のうちにコロザインを挙げていますが、コロザインで行った奇跡について四福音は全て沈黙を守っています。
共観福音によると、イエズスの行いと訓話は次の四部構成の枠組みの中に収まっています。主の洗礼・ガリレアでの宣教・エルサレムへの到来・御受難と御復活です。
共観福音には、大きな違いもあります。
聖マテオの系図は、一見すると聖ルカの系図と矛盾するかのように書かれています。
聖マテオと聖ルカによるイエズスの幼年時代については、聖母が童貞を守っていること、ヘロデ王の下にベトレヘムで生まれたことだけが同じです。
聖マテオだけが、聖ペトロの首位権を語っています。
聖ルカだけが、ザケオの話や良きサマリア人の話や放蕩息子の話を載せています。
聖マルコは、彼だけが、聖マテオも聖ルカも語らない二つの奇跡に言及します。耳が聞こえず話せない人の癒やしや、ベトサイダの盲人の治癒です。
聖マテオによる福音の 1068節のうち、337節(三分の一)が固有のものです。
聖マルコによる福音の 677節のうち、68節(十分の一)が固有のものです。
聖ルカによる福音の 1158節のうち、541節(二分の一)が固有のものです。
共観福音は、時間的な順序や、論理的な理由ということによらずに、出来事が同じような進み方によって語ります。嵐を沈める奇跡、ゲラサでの悪魔付きの癒やし、出血症の女の治癒、司の死んだ娘の蘇り、などです。
このような一致は必ずしも守られない場合があります。聖マテオの山上の垂訓は一つにまとめられていますが、聖ルカでは分散されています。
しかも、同じであるはずだと思うような細部で異なっています。例えば、主の祈りもマテオとルカとでは違いがあります。御聖体の聖別の言葉にも違いがあります。十字架の罪標(すてふだ)に書かれたことばにもマテオとマルコとで少しの違いがあります。
そうかと思えば、聖マテオ9章・マルコ2章・ルカ5章に載せられた中風の治癒は、ほぼ同じ言葉遣いです。イエズスはアラマイ語で話したはずですが、ギリシャ語でも同じ言葉遣いです。共観福音が旧約聖書を引用するとき、ヘブライ語のテキストからの直訳でもなく、七十人訳ギリシャ語からのそのままの引用でもないのですが、同じ時々同じ言葉遣いです。
聖マテオによる福音のうち、八分の一に言葉遣いの一致が見られます。
聖マルコによる福音のうち、六分の一に言葉遣いの一致が見られます。
聖ルカによる福音のうち、十分の一に言葉遣いの一致が見られます。
聖伝によると、
1)三共観福音は、それぞれ、聖マテオ、聖マルコ、聖ルカが書いたもの。聖マテオは使徒であり、聖マルコと聖ルカとは使徒の弟子達だった。
2)最初に聖マテオが福音を書き、次に聖マルコ、それから聖ルカが書いた。
3)聖マテオは最初福音をアラマイ語で書き、極めて早い時期にギリシャ語に翻訳された。最初のアラマイ語の福音は、単なる主の訓話のまとめだけではない。
4)ギリシャ語に訳された最初の福音は、アラマイ語の原文と同じ内容である。
では、共観福音はどうやって書かれたのでしょうか?
ルニエ、ラグランジュ、ヴォステ、シメンなどの意見に従って答えると、次の通りです。
1)イエズス・キリストは使徒たちに「全世界に行って教えよ」という使命を授けたのであって、書けという命令を授けたのではない。共観福音の内容の主要な源泉は、使徒たちの口からの教えだった。初代教会は、「本の宗教」というよりは「生ける権威の宗教」だった。記録され書かれたものの先に口と言葉による教えの伝達があった。使徒たちは聖霊降臨の後に、この口伝の福音の大まかな内容を固定させた。そうすることによって主の御言葉を伝達することが容易になった。それと同時に共観福音が書かれるとき、その構造が同じようなものになる理由となった。
2)イエズス・キリストの教えを書いて記録を残したいという望みが教会で極めて初期にわき起こってきた。非公式のメモのようなものが生まれていたのかもしれない。聖ルカが福音の最初に暗示しているのはそのような記録のことだったのかもしれない。
3)使徒聖マテオが(彼は税理だったので、漁夫だった他の使徒たちと比べると教養があったのだろう)、使徒の宣教の要点を全てまとめてアラマイ語で書いて公表した。聖マテオは、自分のメモあるいはその他の記録を使ったのか詳しくは分からないが、自分の記憶と体験と口伝の公教要理を基に福音を書いたことは確かである。
4)聖マルコは、聖ペトロの弟子だったので聖ペトロの教えに従って福音を書いた。これは聖伝が伝えることであり、内容もそれに一致する。聖マルコは聖マテオのギリシャ語訳の福音を多分に知らなかっただろう。聖マテオと聖マルコの福音が似ていることは、その基礎にある口伝の教えによって十分に説明が付く。もしも共通の書かれた記録による史料があったとしたらエピソードの選択のみならずもっと多くの一致があっただろう。聖マルコは御受難の部分を叙述するときは、書かれたものを使ったようである。
5)聖ルカは最後に福音を書いたが、書かれた記録や口伝を調べたと自分で言っている。聖マルコと聖マテオの影響が認められる。
6)ついに聖マテオの福音がギリシャ語に翻訳される。この翻訳には、特にアラマイ語からギリシャ語に訳す際に聖マルコの福音が参考にされた。ただしアラマイ語の原文とギリシャ語の原文は実体において同じである。
上のように考えると、口伝の教えが基礎にあるので、共観福音の構造の類似性に説明がつきます。
聖ルカとギリシャ語の聖マテオとは、聖マルコによっていることになります。
聖マルコと聖ルカとで出来事の順序が似ていることは、聖ルカが聖マルコを参照したことで説明が付きます。
三共観福音の違いは、著者の参考資料と思い出の違いにより、著者の気質や書き方の違いによることで説明されます。
天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)