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Credidimus Caritati 私たちは天主の愛を信じた

2024年から贖いの業の2000周年(33 - 2033)のノベナの年(2024-2033)が始まります

アレグリ(Gregorio Allegri)の「ミゼレーレ」 Miserese

2015年05月19日 | グレゴリオ聖歌
アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様、

 私の知人にYouTubeにはまっている方がいます。聖伝のミサに与るようになって下さるといいと願っていますが、まだ知り合いになって間もない友人です。

 彼は毎日、宗教音楽を聞いてから寝るのだそうです。寝る前にテレビのスクリーンにYouTubeを映して、聖歌を聞くのだそうです。彼は、今まで聴いた音楽の中で最高はこれだ!というのを私に教えてくれました。

 彼は、将来「YouTubeの最高の宗教音楽 選曲50」という本を書いて出版したいそうです。

 そうして教えてくれたもののうち最高だ!と彼が思ったのが、アレグリ(Gregorio Allegri)の「ミゼレーレ」です。彼によると、このバージョンがいろいろ聞いたうちで一番よい、とのことです。




 よく知られた話によると、実は、この曲はシスティーナ礼拝堂だけでのみ歌うことが許され、門外不出とされていました。もしもこの掟を破るものがあれば、破門の刑さえ課されていたそうです。

 ところで、当時十四歳であったモーツァルトは、ローマの旅行中バチカンのシスティーナ礼拝堂でこの曲を初めて聞いたそうです。彼は、この曲を一度聴いて覚えてしまい、記憶を頼りにこれを書き取り、数日後もう一度礼拝堂へ行ったとき、細かい間違いに気づいてそれを修正したそうです。

 その後、イギリス人のチャールズ・バーニーは、モーツァルトからこの楽譜を受けて1771年に出版します。ローマ教皇クレメンテ十四世は少年のモーツァルトをローマに呼びつけます。しかし、天童を見ると、破門する代わりに天才的才能を褒めた、とのことです。

 別の聖歌隊(ザ・シックスティーン)が歌っているものもあります。



天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)


聖ヨハネの有名な Ut queant laxis resonare fibris という賛歌

2013年06月27日 | グレゴリオ聖歌
アヴェ・マリア!

愛する兄弟姉妹の皆様、

 6月24日は洗者聖ヨハネの祝日でした。そこで、聖ヨハネの祝日に聖務日課で歌う有名な Ut queant laxis resonare fibris という賛歌の日本語の訳をご紹介します。

 第一節は特に有名で、ドレミの名前の元になっています。最初のUT は、後にDO となりました。

UT queant laxis
REsonare fibris 
MIra gestorum
FAmuli tuorum, 
SOLve polluti
LAbii reatum, 
Sancte Iohannes. 

 これについては、次のウェブ・サイトに大変参考になる訳が出ていたので合わせてご紹介します。「詩の朗唱について」

 Catholic Encyclopedia には次のような説明がありました。13世紀のドゥランドゥス(Durandus)によると、8世紀のモンテカシーノのベネディクト会修道士であったパウルス・ディアコヌス(助祭パウロ Paulus Diaconus)は、ランゴバルドの歴史を書いて有名な人ですが、復活の徹夜祭で、助祭として復活の賛美歌 Exsultet を歌うことになっていました。しかし、聖土曜日になるといきなり、のどがかすれて声が出なくなっってしまったそうです。そこで、かつてザカリア(聖ヨハネの父親)に声がもどったように、声をもどることを祈って、この最初の一節を作ったとのことです。

 この詩は、サッポー詩節(Sapphicum)という韻律で書かれています。古代ローマのホラティウスという叙情詩人がつかった韻律の一つです。この韻律は、レスボス島の女流詩人の名サッポーに因んでいます。教会における賛歌も、多くがこのサッポー詩節で書かれています。

 サッポー詩節とは次のようなものです。(― は長い、Uは短い、xはどちらでも可を意味します。)
  ― U ― ― ― || UU ― U ― x
  ― U ― ― ― || UU ― U ― x
  ― U ― ― ― || UU ― U ― x
    ― UU ― x

 この聖ヨハネ賛歌のメロディーについては、Silvia Walliによる Melodien aus mittelalterlichen Horaz-Handschriften. Edition und Interpretation der Quellen. 及びJan M. Ziolkowskiによる、 Nota Bene: Reading Classics and Writing Melodies in the Early Middle Ages (Turnhout: Brepols, 2007)によれば、11世紀の写本(Montpellier, Ecole de Médecine 425H)に、ホラーティウスの『歌集』4巻11歌1-20 Est mihi nonum superantis annum というピュッリスへの叙情詩にこれと同じメロディーが付けられて歌われていたそうです。これは自分の友人マエケーナースの誕生日に、ピュッリスという女性を呼んで、彼女に詩を贈るという内容です。

Est mihi nonum superantis annum
plenus Albani cadus, est in horto,
Phylli, nectendis apium coronis,
 est hederae vis

 日本語の訳は、メレアグロスさんのものがあります。

 では、日本語をご紹介します。聖務日課では、晩課、朝課、讃課の三回に分けて歌います。

Ut queant laxis resonare fibris しもべらがゆるやかな声帯で
mira gestorum famuli tuorum, 御身の驚くべき行為を奏でることが出来るよう
solve polluti labii reatum, けがれた唇の罪を赦したまえ
Sancte Iohannes. 聖ヨハネよ。

nuntius celso veniens Olympo 高き天より御使いが来たりて
te patri magnum fore nasciturum, 偉大なる御身が生まれることを
nomen et vitae seriem gerendae 御身の名とその一連の生涯を
ordine promit. 正しく御身の父に預言する。

【Olympus は、オリュンポスの山、転じて、神々のすむところ、そこより転じて天国】

ille promissi dubius superni 父は天からの預言を疑い
perdidit promptae modulos loquelae, 意のままに話す力を失った
sed reformasti genitus peremptae しかし御身は生まれると
organa vocis. 失われた声の喉を直した。

ventris obstruso positus cubili 御身は閉ざされし母胎にあるとき
senseras regem thalamo manentem; 寝室にいる王を察知した
hinc parens nati meritis uterque ここから両の親は子供の功徳により
abdita pandit. 秘密のことを明らかにする。

【regem thalamo manentem 寝室に留まりつつある王とは、聖母マリア様の胎内にいたイエズス・キリストのこと。聖母マリア様が洗者聖ヨハネの母親である聖エリザベトを訪問した時のことを指す。「両の親」とは、ザカリアとエリザベトではなく、文脈から聖エリザベトと聖母マリアとの二人である。これは、二人の会話(聖エリザベトの発言と聖母マリア様のマニフィカット)に言及していると考えられるから。】

antra deserti teneris sub annis 御身は少年のとき民の喧騒を避けて
civium turmas fugiens petisti, 荒野の洞穴におもむいた
ne levi saltem maculare vitam 軽薄な会話でその生きざまを
famine posses. せめて汚すことがないように。

praebuit hirtum tegimen camelus 駱駝が剛毛の衣服を、羊が腰紐を
artubus sacris, strophium bidentes, 聖なる体に与えた
cui latex haustum, sociata pastum 飲物は水であり食物は
mella locustis. 蜂蜜といなごであった

ceteri tantum cecinere vatum 他の予言者達が予感の心で告げたのは
corde praesago iubar adfuturum, ただの光の到来にすぎなかった
tu quidem mundi scelus auferentem ところが御身は世の罪を取り除くお方を
indice prodis. 指を指して明らかにした。

non fuit vasti spatium per orbis 広き世界の中でもヨハネに以上に
sanctior quisquam genitus Iohanne, 聖なる人が生まれたことはない
qui nefas saecli meruit lavantem 彼は世の罪を洗い清めるお方を
tingere lymphis. 水で濡らすを許された。

o nimis felix meritique celsi, ああ余りにも幸福で高き功徳の人
nesciens labem nivei pudoris, 白い純潔の汚れ知らず
praepotens martyr eremique cultor, いとも力ある殉教者にして隠遁の信奉者
maxime vatum! 最大の予言者!

serta ter denis alios coronant 三十の果実をつけた冠が、他の人達を飾り
aucta crementis, duplicata quosdam, 別の人達をその倍の果実の冠が飾る
trina centeno cumulata fructu ところが聖者よ御身を飾るのは
te, sacer, ornant. 三百の果実を盛った冠なのだ

【ここは、マテオの聖福音の13章8節のあるものは100倍の実を結び、あるものは60倍、あるものは30倍の実を付ける」を暗示していると考えられる。しかし、洗者聖ヨハネは、単に100倍ではなく、300倍となっている。これは、おそらく、洗者聖ヨハネの「先駆者」「預言者」「殉教者」、あるいは、「預言者」「童貞者」「殉教者」の三つの冠を指すのだろう。聖トマス・アクイナスによると、天国の栄光の特別の冠は、「博士」「童貞」「殉教」の三つの冠。】

nunc potens nostri meritis opimis 最善の功徳もて力ある御身は今こそ
pectoris duros lapides repelle, われらの胸の堅き石を除きたまえ
asperum planans iter et reflexos 起伏多き道をならし
dirige calles, 曲がれる小道を伸ばしたまえ

ut pius mundi sator et redemptor 世の優しき救い主かつ贖い主が
mentibus pulsa livione puris 邪念の去った清い人々の心に
rite dignetur veniens sacratos 正しく聖なる足取りを置いて
ponere gressus. かたじけなくも来給わんことを。

laudibus cives celebrant superni 天の住民は御身を称賛し奉る
te, Deus simplex pariterque trine, 一にして三位なる天主よ、
supplices ac nos veniam precamur, われらもまた伏して許しを願い奉る
parce redemptis.  贖われた者たちを容赦し給え。

sit decus Patri genitaeque Proli 聖父および生まれし聖子に
et tibi, compar utriusque virtus, 聖父と聖子との等しく両者の力なる聖霊よ御身にも、
Spiritus semper, Deus unus, omni 唯一の天主よ、常に栄光あれ
temporis aevo. いつの世にも

Amen.アーメン


洗者聖ヨハネよ、我らのために祈り給え!
洗者聖ヨハネよ、日本のために祈り給え!

天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)


福島の合唱団の方々の歌うラテン語聖歌

2011年10月12日 | グレゴリオ聖歌
アヴェ・マリア!

 愛する兄弟姉妹の皆様、
 いかがお過ごしでいらっしゃいますか?

 昨日で、今年の3月11日に起こった東日本の大震災から7ヶ月がたちました。多くの方が未だに苦しまれていることに思いを馳せざるを得ません。

 長崎に原爆が投下された1945年8月9日の真夜中ごろ、長崎大学病院放射線科の小笹富子看護婦たちは、ラテン語で聖歌を歌っている女声合唱を聞きました。

「苦悶の中で絶命したに違いない27人の修道女たちは、近くを流れる小川のほとりで身を寄せ合い、歌いながらこの世から去っていったのでした。」(ポール・グリン『長崎の歌』260ページ)

「その夜、一晩中美しいラテン語の讃美歌の合唱がとぎれとぎれに聞こえてきました。夜が明けてみると、学園の運動場の草むらの中に、7、8人の修道女がひとかたまりになって、手を取り合い冷たくなっていた」(瓊浦女学校『白夾竹桃の下』田崎光枝)。

 長崎純心聖母会の初代学園長であるシスター江角ヤスは、空襲が激しくなったころから毎日校内全員に聖歌を合唱させていたそうです。彼女たちは歌い慣れた聖歌「み母マリア 身も心も とこしなえに 献げまつる」を一節一節歌いながら励ましあい続けて死んでいったのです。

 ところで、福島の方々が、ラテン語で聖歌を歌っている動画のことをクチュール神父様から教えていただきましたので、愛する兄弟姉妹の皆様にご紹介します。ここで聖歌を歌っている生徒の方々、市民の方々、合唱団の方々が、今回の震災から逃れて安全であっていらっしゃることを心からお祈りします。


O magnum mysterium(Pierre Villette)


Ave Regina Coelorum  福島県立安積女子高等学校


FMC混声合唱団
G.P. da Palestrina"Hymni totitus anni" よりConditor alme siderum


Victoria ; Jesum tradidit impius
(Aizu High School Male Chorus Club) 会津高校合唱団


FMC混声合唱団 
Ildebrando Pizzetti "Messe di Requiem" より "Agnus Dei , Libera me"



愛する兄弟姉妹の皆様の上に天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)



パレストリーナのJesu rex admirabillisに関して

2011年01月05日 | グレゴリオ聖歌
アヴェ・マリア!

愛する兄弟姉妹の皆様、

 もう一度、あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。

 ところでパレストリーナのJesu rex admirabillisに関して次のような情報をいただきましたので、愛する兄弟姉妹の皆様にもお知らせいたします。愛する兄弟姉妹の皆様がますますパレストリーナのJesu rex admirabillisを好きになって下されば幸いです。

 パレストリーナのこの曲の楽譜は、ここにあります。
http://www.cipoo.net/downloads/scores/JesuRexAdmirabilis.pdf



*****


 YOU TUBEでのこの音源は、透明感のある柔らかい演奏です。当然のことながら発声の仕方を統一しています。




 この曲はルネサンス後期の対位法の技法が用いられ、各声部(パート)がそれぞれ独立しつつ、互いに調和させて重なり合わさっている曲です。縦の重なり(和声)とその進行に注意しながら、特に後半部分(8小節目以降)のメロディーの重要な部分(要素)が、「模倣(=カノン)」されて各声部(パート)に受けつがれていく特徴をとらえて歌っていくことは、徹底してやろうと思えば、かなり奥の深い練習になると思います。

 各声部(パート)を、高い声部からⅠ、Ⅱ、Ⅲ、とします。13小節あるので、小節番号をうって、1~13とします。

 アカペラでの3部合唱にすると美しいカノン(模倣、追いかけっこ)の旋律がくっきりとうき立ちます。

【ⅠとⅢのカノンに、途中からⅡが加わり主要旋律を歌う】後半部分8小節目以降ですが、ⅠとⅢは、4小節にわたるカノンが構成されています。Ⅲの小節番号8の4拍目のド、mfが付いているところからです。

言葉:to-tus de-si-de-ra-bi-lis、to-tus de-si
メロディーは、順次進行(音階的に隣の音に進む)で下降していきます。
ド ドシラーラ ラソファファ ファミレー 

 これの模倣(カノン)は、Ⅰの小節番号9の4拍目のド、mfが付いているところからはじまります。
言葉:to-tus de-si-de-ra-bi-lis、to-tus de-si
メロディーは、順次進行(音階的に隣の音に進む)で下降していきます。
ド ドシラーラ ラソファファ ファミレー 
リズムも音も言葉も全く同じカノンが構成されます。

 3部合唱ができるかどうかは、このカノンの部分、ⅠとⅢが言葉もずらせてできるかどうかが、一つのポイントだと思います。Ⅲを歌って下さる男声の確保が必要です。

★ⅠとⅢのカノンのメロディーの初めを切り落とし、少しリズムを変えた部分、
ラー ラソファーファ ファミレーがⅡの小節番号11、3拍目から現れます。
言葉:to-tus de-si-de-ra-bi-lis、
メロディーは、順次進行(音階的に隣の音に進む)で下降していきます。
最後のpのついているレで曲の終わり。
すべての声部がレの音で曲の終わり。

 この部分Ⅱの小節番号11「ラー ラソファーファ ファミレー」は、Ⅰのカノン部分の終わりの方、小節番号11の3拍目から、Ⅰのメロディーの3度上を並行(へいこう)して静かに下降していきます。この部分はⅢの低音とともに、Ⅱが重要なメロディーを担うことになります。


【パートⅡがパートⅠより高音を歌う部分】

★小節番号3の2拍目と3拍目…Ⅰの人が自分の音はどうなっているのかと戸惑われる箇所でしょう。

★小節番号11の3拍目から小節番号13の2拍目まで…
Ⅱが重要なメロディーを担う部分です。
カノンの末尾をⅡが受け取って、終曲に導く。

 この部分は、Ⅰの人が高い音を歌わないことを伝え、自分のパートの音をしっかり意識してもらうことが必要だと思います。

【バッハ以降の機能和声に基づく曲では通常ありえない和声の部分:完全5度の扱い】  
パレストリーナの時代(ルネサンス後期)特有の響きを持つ箇所  

いくつかありますが特に目立つ部分

★小節番号6  ⅠⅡⅢ各パート初めの音 
言葉:dul 
下から 「ラミラ」 ラミ(完全5度)+ミラ(完全4度)

機能和声では通常この構成音の中に、「ド」を加える。
たとえば、下から「ラミドラ」とする。
すると、完全5度や、完全4度の異質な特有の響きが解消(緩和)される。

★小節番号9の3拍目  言葉:si
Ⅰ休符   ⅡとⅢ 下から「ラミ」  下から ラミ(完全5度)
 
 機能和声では完全5度のみで和音を構成することは通常ありえないです。
(ただしモーツァルトの愛好した「ホルン5度」という牧歌的な使用法はあるのですが、パレストリーナの使い方は、それとは異なります。)
通常完全5度の異質な響きを解消(緩和)するために「ド」を加えます。


 実際パレストリーナは、完全5度の直後、小節番号9の4拍目で、パートⅠに重要な「ド」の音を加えています。
この「ド」の音…カノンの初めの「ド」の音。また、この曲全体でもっとも高い音。
この「ド」は和声の構成音としても重要。
メロディーとしても1オクターヴ下降するカノンの初めの音として重要。大切な音。

 完全5度を部分的に使用した直後は、後の時代(バッハ以降の機能和声の時代)を先がけるような、美しい和声進行が続きます。 このあたりの和声の処理はシンプルですが白眉です。後の時代の機能和声に基づく伝統聖歌の香りがします。


 ルネサンス後期パレストリーナの時代の完全5度は、その響きそのものを「生のまま」使用しますが、彼は後の時代の和声を見越しているのですが、ポイントの部分で、完全5度を効果的に使う使用法にとどめたのだと思います。Jesu rex admirabillisでは、上に書いたように、フレーズの終わり(小節番号6)と新しいフレーズの初め(小節番号9)、2カ所にとどめています。

 この部分はあっさり処理する(歌う)ことだと思います。しつこく押さえつけるような発声で、完全5度の響きの部分を歌うことは避けたいものです。

 Jesu rex admirabillisに関してはここまでです。


【追記】
カトリック聖歌「御母マリア(カ305)」のフランス語版は、バッハ以降の機能和声で作られた曲です。フランス語版の楽譜は、前半が2声になっています。
Prends mon coeur
http://gauterdo.com/ref/pp/prends.mon.coeur.le.voila2.html

2声の部分の音の構成を見てみると、会衆用聖歌としての歌いやすさが主眼におかれた音の配置となっています。
ほとんどが3声(下から、ソシ、ラド、シレ…)で音がとりやすいようになっています。

★【完全5度】を含む「ホルン五度」の使用例が見られます。

小節番号:1小節目、3つ目の音、下から「レラ」
レとラの間には半音(間に黒い鍵盤がないミファ)が一つあるので、「レラ」は完全5度です。
「レラ」はどのような音にはさまれているか?

 下から「シソ」「レラ」「ソシ」 (1小節目の2番目、3番目、4番目の音) これが「ホルン五度」です。

 この音の縦の配置で「シソ」「レラ」「ソシ」と進む(進行する)完全5度の使い方を、「ホルン五度」というのです。

 理屈を言うとさらにややこしくなるのでやめますが、実際にこの進行「シソ」「レラ」「ソシ」を弾いてみると、ああ、どこかで聞く響きだなあという感じだと思います。モーツァルトもベートーベンもシューベルトもよく使います。完全5度特有の個性のある民族音楽的な異郷的な響きを、必ずサンドイッチではさむことによって、ホルンの響きのような牧歌的な雰囲気が出せるのですね。

 同じことは小節番号9小節目(上から3段目の初め)の、2番目、3番目、4番目の音にも現れます。これも、「ホルン五度」の使用例です。

★【減5度】はどのように使用されているか?

 この編曲はほとんど3度で主旋律を支えていく方法ですが、
小節番号15小節目、4番目の音 言葉: dou-ceのceの音  下から「ファ♯ ド(Fis-C)」

 これは、「減5度」となります。「ファド」は完全五度ですが、ファ(F)がファ♯(Fis)になることで、音の幅が半音狭くなり、完全五度ではなく、減5度になります。

 フレーズの終わりにふさわしい柔らかな5度です。

 この曲はト長調(G Dur)なので、導音(どうおん)は、「ファ♯」になります。
「ファ♯」は限りなく「ソ」に導く性質を持つ音です。
楽譜をご覧ください。「ファ♯ーファ♯ ソーー」
 導音「ファ♯」は、ソの音(ト長調では音階の第一番目の音、第一音:主音といいます)に導き、曲の小休止にいたりました。

 ト長調ではもうひとつの導音(どうおん)は「ド」です。この「ド」は、限りなく「シ」に導く性質を持っています。ト長調では「シ」の音は、音階の第3番目の音、第3音になります。
 楽譜をご覧ください。 「ドーシ」
原則通り、導音「ド」は「シ」に導きました。



【付録】
 完全5度:半音(ピアノで言えば間に黒鍵のない「ミファ」「シド」の部分)を1つ含む5度のこと。ハ長調では、下から「ドソ」「レラ」「ミシ」「ファド」「ソレ」「ラミ」の音の幅(音程)が完全5度。

 減5度:  (下から) 「シファ」は、間に黒鍵のない半音「シド」「ミファ」を2つ含むので、音の幅(音程)が完全5度より半音狭く、「減(げん)5度」と言います。「減5度」は完全5度より響きが柔らかで、対位法では多用されます。ハ長調で(下から)「シファ」の場合、「減5度」

 シは導音(どうおん)といって、限りなく「ド」に導く性質をもちます。
音階の7番目の音。第7音。ド-レ-ミ-ファ-ソ-ラ-シ
シ→ド (曲が終わりますよという感じ)

また、ファも導音(どうおん)と言って、限りなく「ミ」に導く性質をもちます。
音階の4番目の音。第4音。ド-レ-ミ-ファ
ファ→ミ
       

 伝統聖歌では、和声進行の自然な流れを生かした旋律が多いので、ハ長調の聖歌では、シ→ド、ファ→ミ と進むことが多くあります。ただし、これは例外も禁則ではないので、たとえばシ→ラ→ソと進む(進行する)こともあります。
先日の主日に歌われた、聖歌もハ長調に直せば、この性質が生かされていることが分かります。
シ→(レ)→ドも大きい目で見れば、シの導音がドに導いているということになります。
ファ→(レ)→ミも大きい目で見れば、ファの導音がミに導いていることになります。
長く世界中で歌われているカトリック聖歌は、このような音階の性質を生かしたメロディーが多くあります。Adoro te、Panis Angelicus、みこころに、もろびとこぞりて、しらべもたえに(二)、オ・サルタリス(二)みなそうです。



スタバト・マーテル(Stabat Mater)の日本語訳をご紹介します

2010年04月01日 | グレゴリオ聖歌
アヴェ・マリア!

愛する兄弟姉妹の皆様、

 聖木曜日ですね。いかがお過ごしでいらっしゃいますか?
 聖ピオ十世会日本のウェブ・サイトでは、2010年3月27日土曜日の大阪での聖伝のミサの説教がアップされました。愛する兄弟姉妹の皆様にご紹介いたします。

 また、スタバト・マーテルの日本語訳をご紹介します。
天主様の祝福が豊かにありますように!

トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)

***

悲しみに沈める御母は涙にむせびて、御子の懸り給える十字架のもとにたたずみ給えり。

悲しみに沈める御母は涙にむせびて、御子の懸り給える十字架のもとにたたずみ給えり。
嘆き憂い悲しめるその御魂は、鋭き刃もて貫かれ給えり。
天主の御独り子の尊き御母は、いかばかり憂い悲しみ給いしぞ。
優しき御母は、いともすぐれし生まれの方の刑罰を見て、悩み悲しみ給いし。
キリストの御母がかくも苦悩の内におられるのを見て、誰か泣かざるものあらんや?
キリストの御母が御子と共に苦しみ給うのを観て、誰か共に悲しまらざる者あらんや。
人類の罪のためにイエズスが拷問とむち打ちを受け給うのを見給いし。
ご自分の甘美なる聖子が息絶えて苦悩の内に死ぬのを見給いし。
さあ、御母よ、愛の泉よ、御身と共に我が涙せんがために、悲しみの力を我に感ぜしめ給え。
我が心を我が喜びとせんがために天主なるキリストを愛するにおいて燃え立たせ給え。
聖母よ、十字架に付けられた御子の傷を我が心に深く刻み込み給え。
傷つき、我がためにかくも苦しむをかたじけのうし給いし御身から生まれ給うた御子の罰を我と共に分け給え。
我が生くる間、御身と共に敬虔に涙し、十字架に付けられた方と共に悲しむを得しめ給え。
われ十字架の側に御身と立ちて、相共に嘆かんことを望む。
童貞のうちにていとも勝れたる童貞、願わくは、われを排け給わずして、共に嘆くを得しめ給え。
われにキリストの死を負わしめ、その御苦難を共にせしめ、その御傷を深くしのばしめ給え。
御子の御傷をもってわれに傷つけ、その十字架と御血とをもって、われを酔わしめ給え。
聖なる童貞女よ、われに地獄の火に焼かれざらんため、審判の日にわれを守り給え。
ああ、キリストよ、われこの世を去らんとき、御母によりて勝利の報いを得しめ給え。
肉身は死して朽つるとも、霊魂には、天国の永福をこうむらしめ給え。アーメン

悲しみに沈める御母は涙にむせびて、御子の懸り給える十字架のもとにたたずみ給えり。

悲しみに沈める御母は涙にむせびて、御子の懸り給える十字架のもとにたたずみ給えり。

STABAT Mater dolorosa iuxta Crucem lacrimosa, dum pendebat Filius.
Cuius animam gementem, contristatam et dolentem pertransivit gladius.
O quam tristis et afflicta fuit illa benedicta, mater Unigeniti!
Quae maerebat et dolebat, pia Mater, dum videbat nati poenas inclyti.
Quis est homo qui non fleret, matrem Christi si videret in tanto supplicio?
Quis non posset contristari Christi Matrem contemplari dolentem cum Filio?
Pro peccatis suae gentis vidit Iesum in tormentis, et flagellis subditum.
Vidit suum dulcem Natum moriendo desolatum, dum emisit spiritum.
Eia, Mater, fons amoris me sentire vim doloris fac, ut tecum lugeam.
Fac, ut ardeat cor meum in amando Christum Deum ut sibi complaceam.
Sancta Mater, istud agas, crucifixi fige plagas cordi meo valide.
Tui Nati vulnerati, tam dignati pro me pati, poenas mecum divide.
Fac me tecum pie flere, crucifixo condolere, donec ego vixero.
Iuxta Crucem tecum stare, et me tibi sociare in planctu desidero.
Virgo virginum praeclara, mihi iam non sis amara, fac me tecum plangere.
Fac, ut portem Christi mortem, passionis fac consortem, et plagas recolere.
Fac me plagis vulnerari, fac me Cruce inebriari, et cruore Filii.
Flammis ne urar succensus, per te, Virgo, sim defensus in die iudicii.
Christe, cum sit hinc exire, da per Matrem me venire ad palmam victoriae.
Quando corpus morietur, fac, ut animae donetur paradisi gloria. Amen.

悲しみに沈める御母は涙にむせびて、御子の懸り給える十字架のもとにたたずみ給えり。

四旬節の讃課 AUDI, benigne Conditor 日本語訳

2010年02月25日 | グレゴリオ聖歌
アヴェ・マリア!

愛する兄弟姉妹の皆様、
 四旬節の晩課では有名な次の讃課 Audi, benígne Cónditor を歌います。

Audi, benígne Cónditor,
Nóstras préces cum flétibus,
In hoc sácro jejúnio
Fúsas quadragenário.

Scrutátor álme córdium,
Infírma tu scis vírium:
Ad te revérsis éxhibe
Remissiónis grátiam.

Multum quidem peccávimus,
Sed párce confiténtibus:
Ad nóminis láudem túi,
Cónfer medélam lánguidis.

Concéde nóstrum cónteri
Córpus per abstinéntiam,
Cúlpæ ut relínquant pábulum
Jejúna córda críminum.

Praésta beáta Trínitas,
Concéde símplex Unitas:
Ut fructuósa sint túis
Jejuniórum múnera.
Amen.






 そこで日本語の訳を愛する兄弟姉妹の皆様にご紹介します。

良き造り主よ、聞き給え、
この四十日間の
聖なる断食において涙と共に
注がれた我らの祈りを

人々の心を養い探る方よ、
御身は人間らの病を知り給う、
御身にたち戻る者たちに、
赦しの聖寵を示し給え。

我らは多く罪を犯せり、
されど告白する者らを容赦し給え、
御身の聖名の賛美のため
病める者に薬を授け給え。

我らの体を節制を通し、
克己を与え給え、
犯罪を断食せし心は、
罪悪の飼料を捨て去らんことを。

至福の三位一体よ、
単純なる一者よ、願わくは
御身の聖寵により、断食の勤めが
実り豊かならんことを。
アメン

愛する兄弟姉妹の皆様の四旬節の上に天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)

Rorate Cæli 天よ、露を滴らせ、雲よ、義人を降らせよ

2009年12月08日 | グレゴリオ聖歌
アヴェ・マリア!

愛する兄弟姉妹の皆様、

 待降節の有名なグレゴリオ聖歌、ロラテ・チェリをご紹介します。

 ラテン語と日本語との対訳は次にあります。RORATE CAELI 対訳

Rorate Cæli desuper, et nubes pluant justum.

 ここで繰り返される、「Rorate caeli desuper, et nubes pluant justum.」という言葉は、イザヤの45:8から来ています。

"Roráte, cæli, désuper, et nubes pluant justum ;
aperiátur terra, et gérminet Salvatórem, et justítia oriátur simul : ego Dóminus creávi eum.

「天よ、露を滴らせ、雲よ、義人を降らせよ。
 地よ開きて救い主を生えさせよ、同時に正義が昇らんことを、主なる私がそれを創った。」

「露」は、新鮮ですがすがしく、昼の熱を感じさせないところから、肉欲の炎の無い童貞女の懐妊が暗示されています。

「雲」は、旧約では天主の現存と天主の聖寵のシンボルです。御托身の時には、聖霊が雲のように聖母マリアを覆った。聖ルカはこう記しています。「聖霊があなたにくだり、いと高きものの影があなたを覆うのです。」

生きる水を与えるキリスト、義人なるキリストが、人類未踏の大地なる聖母マリアから生まれるのです。キリストは同時に正義の太陽です。

天よ、露を滴らせ、雲よ、義人を降らせよ。

 イザヤの預言の有名な40章は、こう始まります。キリストの到来を待望していた旧約の人々は、この預言を黙想していました。


Consolámini, consolámini, pópule meus,
dicit Deus vester.
2 Loquímini ad cor Jerúsalem,
et advocáte eam,
quóniam compléta est malítia ejus,
dimíssa est iníquitas illíus :
suscépit de manu Dómini duplícia
pro ómnibus peccátis suis.


「慰められよ、慰められよ、私の民よ」と
あなたたちの主は言われる。

「エルサレムの心にこう言え、エルサレムの弁護をせよ、
何故なら、その苦しみは終わったからだ、その邪悪は赦されたからだ、
エルサレムはその全ての罪のために主の手から二重の罰を受けおえた。」


 そして、次にこうあります。


3 Vox clamántis in desérto :
Paráte viam Dómini,
rectas fácite in solitúdine sémitas Dei nostri.
4 Omnis vallis exaltábitur,
et omnis mons et collis humiliábitur,
et erunt prava in dirécta,
et áspera in vias planas :
5 et revelábitur glória Dómini,
et vidébit omnis caro páriter
quod os Dómini locútum est.

 砂漠に叫ぶものの声
「主の道を整えよ、私たちの天主の小道を荒れ野で真っ直ぐにせよ。
 全ての谷は高くなり、全ての山と丘は低くされる、
 凹凸の地は平らになり、道の険しいところは平野となる。
 そして主の栄光が見られるだろう、そして全ての人間は
 等しく主の口が語ったことを見るだろう。」


6 Vox dicéntis : Clama.
Et dixi : Quid clamábo ?
Omnis caro fœnum,
et omnis glória ejus quasi flos agri.
7 Exsiccátum est fœnum, et cécidit flos,
quia spíritus Dómini sufflávit in eo.
Vere fœnum est pópulus :
8 exsiccátum est fœnum, et cécidit flos ;
verbum autem Dómini nostri manet in ætérnum.
9 Super montem excélsum ascénde,
tu qui evangelízas Sion ;
exálta in fortitúdine vocem tuam,
qui evangelízas Jerúsalem :
exálta, noli timére.
Dic civitátibus Juda :
Ecce Deus vester :

 言うものの声「叫べ」
 私は言った。「何を叫ぼう?」
 全ての肉は草、全ての肉の栄光は畑の花のようだ。
 草は枯れた、花は萎れた、何故なら主の息吹がそれに吹きかかったからだ。
 民は実に草である。
 草は枯れた、花は萎れた、
 しかし私たちの主の御言葉は永遠に留まる。
 高い山の上に上れ、シオンに良い便りをもたらすあなたよ、
 力強さにおいてあなたの声を上げよ、エルサレムに良い便りをもたらすものよ、
 声を上げよ、恐れるな、ユダの町々に言え、
 あなたたちの天主を見よ、と。


 平らにならされた道を通って伝令が来ます。伝令は王の到来を告げます。
王ご自身が、天主ご自身が来られる、と。


10 ecce Dóminus Deus in fortitúdine véniet,
et bráchium ejus dominábitur :
ecce merces ejus cum eo,
et opus illíus coram illo.
11 Sicut pastor gregem suum pascet,
in bráchio suo congregábit agnos,
et in sinu suo levábit ;
fœtas ipse portábit.

見よ、天主なる主は力において来たり給うだろう、
その腕は支配するだろう、
見よ、天主とともにその報いがある、
主の御業は主の御前にある。
主は、牧者のように、群れを養い給うだろう、
その腕において子羊たちを集めるだろう、
その懐において主は高めるだろう、
主ご自身が母羊を抱き運ぶだろう。


「慰められよ、慰められよ、私の民よ、
エルサレムの心にこう言え、エルサレムの弁護をせよ、
何故なら、その苦しみは終わったからだ、その邪悪は赦されたからだ、
エルサレムはその全ての罪のために主の手から二重の罰を受けおえた。」

「天よ、露を滴らせ、雲よ、義人を降らせよ。地よ開きて救い主を生えさせよ、同時に正義が昇らんことを。」


 旧約の義人たちはこの言葉を黙想していたのです。それがロラテ・チェリの歌にも現れています。

 そこで、ルカの言葉が光り輝くのです。

ティベリオ・チェザル在位の第十五年目、
ポンツィオ・ピラトがユダヤの総督、
ヘロデがガリラヤ分国王、
その兄弟フィリッポがイトゥラヤとトラコニティス分国王、
リザニアがアビレネ分国王、
アンナとカヤファが大司祭だったとき、
荒れ野で、ザカリアの子ヨハネの上に、
天主のみことばがくだった。
そこでヨハネは、ヨルダンの全地方に行き、
罪のゆるしのためのくいあらための洗礼を教えた。
それは、預言者イザヤのことばの書に、
「"主の道を準備し、その小道を正しくせよ。
すべての谷はうめられ、山と丘とはみなならされ、
曲りくねった道はまっすぐに、でこぼこ道は平らにされ、
人はみな天主の救いを見るであろう"と荒れ野に叫ぶ声がする」
と書かれているとおりである。


「慰められよ、慰められよ、私の民よ、
エルサレムの心にこう言え、エルサレムの弁護をせよ、
何故なら、その苦しみは終わったからだ、その邪悪は赦されたからだ、
エルサレムはその全ての罪のために主の手から二重の罰を受けおえた。」

「天よ、露を滴らせ、雲よ、義人を降らせよ。地よ開きて救い主を生えさせよ、同時に正義が昇らんことを。」


愛する兄弟姉妹の皆様の上に天主様の祝福が豊かにありますように!
天主様の祝福が豊かにありますように!

Jesu Redemptor omnium クリスマスの第一晩課の讃歌

2009年11月21日 | グレゴリオ聖歌
アヴェ・マリア!

愛する兄弟姉妹の皆様、こんにちは!

今日は、グレゴリオ聖歌に親しむ会で、Jesu Redemptor Omnium を練習するので、その日本語訳を作ってみました。ご参考までにどうぞ!

1. Jesu Redemptor omnium,
Quem lucis ante originem,
Parem paternae gloriae,
Pater supremus edidit.

全ての者の贖いぬしなるイエズスよ、
光の源の前に
聖父の栄光と同じくを
最高の聖父は与え給うた。

2. Tu lumen et splendor Patris,
Tu spes perennis omnium:
Intende quas fundunt preces
Tui per orbem servuli.

御身は聖父の光と輝き
御身は全ての者の永久の希望、
地上の全ての御身の僕らが
捧げる祈りを聞き給え。

3. Memento, rerum Conditor,
Nostri quod olim corporis,
Sacrata ab alvo Virginis,
Nascendo, formam sumpseris.

ものごとの創造主よ、記憶し給え、
その昔、聖なる童貞女の胎内より生まれ、
私たちの肉体の
形を取り給うたことを。

4. Testatur hoc praesens dies,
Currens per anni circulum,
Quod solus e sinu Patris
Mundi salus adveneris.

今のこの日が証する、
一年の周期を回り巡り、
御身が聖父の懐から独りで
世の救いとして到来されたことを。

5. Hunc astra, tellus, aequora,
Hunc omne quod caelo subest,
Salutis auctorem novae,
Novo salutat cantico.

この星、地球、天空は、
天の下にあるこの全てのものは、
新しい救いの造り主を
新しい歌もて挨拶せんことを。

6. Et nos, beata quos sacri
Rigavit unda sanguinis,
Natalis ob diem tui,
Hymni tributum solvimus.

我らは、聖なる御血の
至福の波に洗われ
この日、御身のご誕生の
讃歌の貢ぎを払い奉る。

7. Jesu, tibi sit gloria,
Qui natus es de Virgine,
Cum Patre et almo Spiritu,
In sempiterna saecula. Amen

イエズスよ、童貞女より生まれ給うた
御身に栄光あれかし
聖父と聖霊と共に
代々に至るまで。アメン

【参考資料】
JESU REDEMPTOR OMNIUM THE NATIVITY OF OUR LORD. CHRISTMAS DAY / At First Vespers.

グレゴリオ聖歌 続唱 ディエス・イレ Dies irae

2009年11月03日 | グレゴリオ聖歌
アヴェ・マリア!

愛する兄弟姉妹の皆様、

 昨日は全ての死せる信者の記念を行いました。ミサ聖祭では有名なディエス・イレが歌われますが、その日本語訳をご紹介します。





Dies irae, dies illa
solvet saeclum in favilla:
teste David cum Sibylla.

Quantus tremor est futurus,
quando judex est venturus,
cuncta stricte discussurus!

Tuba mirum spargens sonum
per sepulcra regionum,
coget omnes ante thronum.

Mors stupebit et natura,
cum resurget creatura,
judicanti responsura.

Liber scriptus proferetur,
in quo totum continetur,
unde mundus judicetur.

Judex ergo cum sedebit,
quidquid latet apparebit:
nil inultum remanebit.

Quid sum miser tunc dicturus?
Quem patronum rogaturus,
cum vix justus sit securus?

Rex tremendae majestatis,
qui salvandos salvas gratis,
salva me fons pietatis.

Recordare, Jesu pie,
quod sum causa tuae viae:
ne me perdas illa die.

Quaerens me, sedisti lassus:
redemisti Crucem passus:
tantus labor non sit cassus.

Juste judex ultionis,
donum fac remissionis
ante diem rationis.

Ingemisco, tamquam reus:
culpa rubet vultus meus:
supplicanti parce, Deus.

Qui Mariam absolvisti,
et latronem exaudisti,
mihi quoque spem dedisti.

Preces meae non sunt dignae:
sed tu bonus fac benigne,
ne perenni cremer igne.

Inter oves locum praesta,
et ab haedis me sequestra,
statuens in parte dextra.

Confutatis maledictis,
flammis acribus addictis:
voca me cum benedictis.

Oro supplex et acclinis,
cor contritum quasi cinis:
gere curam mei finis.

Lacrimosa dies illa,
qua resurget ex favilla
judicandus homo reus.

Huic ergo parce, Deus:
pie Jesu Domine,
dona eis requiem. Amen.

かの日は、怒りの日、
この世が灰燼に帰す日、
ダビドとシビラの証言の如し。

いかばかり恐ろしきたらんや、
審判者が来たり給うて
個々のことが厳格に裁かれんとするとき。

驚きのラッパは音を鳴り散らし、
各地の墓を通して
すべての者を玉座の前に集めんとせん。

死も自然も驚くなり。
被造物がよみがえる時、
審判者に答えんとせんがために。

書かれた本がさしだされん、
そこにすべてが含まれている本が、
それによりてこの世が裁かれる本が。

よりて審判者が玉座に座し給うとき、
何であれ隠されていたことは明らかにされ、
そのまま隠されて残るものは何も無し。

その時哀れな私は何をば言わんや?
如何なる弁護者を頼まんとするや?
義人さえほとんど安全ではなきその時に。

恐るべき御稜威の王よ、
御身は救われるべき者を無償で救われ給う、
憐れみの泉よ、我を救い給え。

思い出し給え、憐れみ深きイエズスよ、
御身がこの世の生を受けたるは、我がためなることを、
かの日に我を滅ぼし給うなかれ。

御身は我を探し求めて疲れ座り給い、
十字架を堪え忍び、贖い給うた、
かくなる苦労が無とならんように。

正義なる最後の審判者よ、
赦しの賜をなし給え、
決算の日の前に

被告として我は嘆き、
罪は我が顔を赤らる、
天主よ、こいねがう者を容赦し給え。

御身はマリア(マグダレナ)を赦し給い、
盗賊の祈りも聞き入れ給いし、
我にも希望を与え給いき。

我が祈りは相応しからず、
しかれども優しき御身、大目に取り扱い給え、
我が永遠の火に焼かれざらんがために。

羊たちの間に場所を与え給い、
牡山羊から私を分離し給え、
右側に置き給え。

呪われし者どもは辱められ、
激しい炎が加えられるとも、
至福者たちとともに我を呼び給え。

我ひれ伏し額づきて願い奉る。
灰の如く砕かれた心もて、
我が最期を計らい給え。

かの涙の日は、
灰からよみがえる日、
裁かれるべき被告なる人間が。

故に、天主よ、この者を容赦し給え、
憐れみ深き主イエズスよ
彼らに安息を与え給え。アーメン。

【関連記事】

御聖体の祝日の続唱ラウダ・シオン(LAUDA Sion Salvatorem,)の日本語と韓国語

2009年06月11日 | グレゴリオ聖歌
アヴェ・マリア!

愛する兄弟姉妹の皆様、

 今日は御聖体の祝日です。聖伝のミサでは有名な続唱(Sequentia)があります。「ラウダ・シオン」という言葉で始まるもので、大変有名です。日本語訳も付けてご紹介します。また、最後には、韓国語では大変上手く翻訳されていますので、韓国語の翻訳もご紹介します。

 また、エコンの神学生たちが歌っている「ラウダ・シオン」をスイスの美しい風景を添えてYouTubeでご紹介します。(この動画については、三上教授の「けれど」で教えてもらいました。感謝!)

Lauda Sion Salvatorem


LAUDA Sion Salvatorem,
lauda ducem et pastorem,
in hymnis et canticis.

シオンよ、救い主を讃えよ、
指導者を、牧者を讃えよ、
賛歌と頌歌によって。

Quantum potes, tantum aude:
quia maior omni laude,
nec laudare sufficis.

力のかぎり、大胆になれ、
全ての賛美に優る方であるが故に、
単なる賞賛では足りぬから。

Laudis thema specialis,
panis vivus et vitalis
hodie proponitur.

賛美の特別のテーマは、
命を与える生けるパン、
これが、今日、提示される。

Quem in sacrae mensa cenae,
turbae fratrum duodenae
datum non ambigitur.

聖なる晩餐の食卓で、
十二の兄弟たちの群れに
明らかに与えられたそれだ。

Sit laus plena, sit sonora,
sit iucunda, sit decora
mentis iubilatio.

賛美は満ちあふれ、響きわたれよ、
喜びにあふれ、歓喜の精神の
美しさよあれ。

Dies enim solemnis agitur,
in qua mensae prima recolitur
huius institutio.

実に、それは荘厳な日のこと、
その日に、この制定が
最初に食卓に収穫した。

In hac mensa novi Regis,
novum Pascha novae legis,
phase vetus terminat.

新しい王のこの食卓で
新しい契約の新しい過越は、
古い過越を終わらせた。

Vetustatem novitas,
umbram fugat veritas,
noctem lux eliminat.

新しさは古きを
真理は影を追い払い
光は夜を除去した。

Quod in coena Christus gessit,
faciendum hoc expressit
in sui memoriam.

キリストが晩餐で行われたことを、
御自分の記念として
これを行うよう命じられた。

Docti sacris institutis,
panem, vinum in salutis
consecramus hostiam.

聖なる制定により教えられ
パンとぶどう酒とを
私たちは救いのホスチアと聖別する。

Dogma datur christianis,
quod in carnem transit panis,
et vinum in sanguinem.

キリスト者たちに、ドグマが与えられた、
パンが肉となり、
ぶどう酒が血と変化する、と。

Quod non capis, quod non vides,
animosa firmat fides,
praeter rerum ordinem.

あなたが理解せず見えないことを、
通常の秩序の外にあることを
生きた信仰は堅固にする。

Sub diversis speciebus,
signis tantum, et non rebus,
latent res eximiae.

いろいろな外見のもとに
物ではなく、しるしだけのもとに、
貴重な現実が隠れ給う。

Caro cibus, sanguis potus:
manet tamen Christus totus
sub utraque specie.

肉は食べ物、血は飲物に、
しかし、全キリストは
両形色のもとましまし給う。

A sumente non concisus,
non confractus, non divisus:
integer accipitur.

拝領者によって、切断されず、
裂かれず、分かたれず、
完璧に領受される。

Sumit unus, sumunt mille:
quantum isti, tantum ille:
nec sumptus consumitur.

一人が拝領しても、千人が拝領しても、
この人が受けたように、あの人も同じく、
尽き果てることがない。

Sumunt boni, sumunt mali:
sorte tamen inaequali,
vitae vel interitus.

善人が拝領するのと、悪人が拝領するのとでは、
しかし、命の或いは内的な
結果は異る。

Mors est malis, vita bonis:
vide paris sumptionis
quam sit dispar exitus.

悪人には死が、善人には命が
同じ受領が、どれ程の異なる
結末となるかを見よ。

Fracto demum sacramento,
ne vacilles, sed memento
tantum esse sub fragmento,
quantum toto tegitur.

ついに秘跡がさかれても、
ゆるがされずに、思い出せ、
一片のもとにも、
全体のもとと同じように、包まれている。

Nulla rei fit scissura:
signi tantum fit fractura,
qua nec status, nec statura
signati minuitur.

現実はさかれない、
しるしだけが砕かれる、
それによって意味された方の
状態も背丈も小さくならない。

Ecce Panis Angelorum,
factus cibus viatorum:
vere panis filiorum,
non mittendus canibus.

見よ、天使達のパンを、
旅人の糧となったこれを、
正に子らのパンであり、
犬へ投げやってはならない。

In figuris praesignatur,
cum Isaac immolatur,
agnus Paschae deputatur,
datur manna patribus.

前表において、既に予告されていた。
イザクが屠られるとき、
過越の子羊が食されるとき、
太祖らにマンナが与えられるとき。

Bone pastor, panis vere,
Iesu, nostri miserere:
Tu nos pasce, nos tuere,
Tu nos bona fac videre
in terra viventium.

よい牧者よ、まことのパンよ、
イエズスよ、われらをあわれみたまえ。
われらを牧し、われらを守り、
生きる人々の地において、
我らをして善を見させ給え。

Tu qui cuncta scis et vales,
qui nos pascis hic mortales:
tuos ibi commensales,
coheredes et sodales
fac sanctorum civium.

御身は、すべてを知り、おできになり給う、
ここで死すべき我らを牧し給う。
あそこで御身と共に食卓に着く者として
共に天の遺産の相続者としてまた友人として、
諸聖人の市民として我らをなさしめ給え。

アーメン、アレルヤ。

1.
시온이여 찬송하라.
목자시요 인도자신
구세주를 찬양하라.

2.
만유 위에 높으시다.
미약하온 우리 인생
찬송할 능 부족하다.

3.
초성생명 주시도다.
천상양식 묘한 성사
오늘 특히 찬송하라.

4.
거룩하온 저녁이라,
열두 종도 이 양식을
주 예수께 영하였다.

5.
유쾌하게 찬미하라.
즐겁고도 명랑하게
용약하며 찬송하라.

6.
기념하올 저녁이라,
오주 예수 이 잔치를
설정하신 날이로다.

7.
새 임금의 잔치로다.
새 희생이 새 법으로
낡은 예식 없이하다.

8.
새것 오니 옛것 간다.
진리 광명 찬란하니,
암흑미망 간데없다.

9.
주 예수의 명이시다.
저녁상에 행하신 예
기념하여 계속하라.

10.
거룩하온 명이시라,
떡과 술을 축성하여
희생으로 봉헌하다.

11.
오묘하온 도리로다.
떡과 술로 주 예수의
살과 피를 이룸이라.

12.
우리 지식 못미친다.
오직 굳센 신덕으로
이 도리를 믿을찌라.

13.
다만 면주 형상이나
만유위에 높이실 이
그 가운데 계시도다.

14.
피와 살을 음식하나,
그 둘 안에 그리스도
온전하게 계심이라.

15.
주 예수를 영함이라,
저의 체는 나누지도
없애지도 못하도다.

16.
단 한 사람 영하거나,
천만 사람 영하거나,
같은 체를 영함이라.

17.
선인 악인 다 영하나,
선인에겐 영생이요,
악인에겐 멸망이라.

18.
선한이겐 생명이나
악한이겐 죽음이니,
그 효과는 각각이라.

19.
면병 천만 나누어라.
나누어진 떡속마다,
오주 예수 계시도다.

20.
주의 체는 못나눈다.
오직 면형 나누나니,
오주 항상 완전하다.

21.
천상떡을 볼찌어다.
인생양식 되셨으니,
개에게는 주지 말라.

22.
이사악의 희생이나
바스카나 만나 역시
이 성사로 표하도다.

23.
참 목자신 예수시라,
우리 인생 기르시며
영생 인도하옵소서.

24.
전능 전선 오주시라,
천당 잔치 영복 속에
우리들을 들이소서.

아멘. 알렐루야.

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イエズス・キリストの聖名の祝日の讃歌:Iesus, Rex admirabilis

2008年01月03日 | グレゴリオ聖歌
アヴェ・マリア!

愛する兄弟姉妹の皆様、

 昨日1月2日は、私たちの主イエズス・キリストの聖名の祝日でした。
ローマ典礼様式の聖務日課では、朝課、讃課、晩課に次の讃歌 (Hymni) を歌います。(クレルヴォーの聖ベルナルド作と伝えられています。)

Iesu, Rex admirabilis
et triumphator nobilis,
dulcedo ineffabilis,
totus desiderabilis.

Quando cor nostrum visitas,
tunc lucet ei veritas,
mundi vilescit vanitas,
et intus fervet caritas.

Iesu, dulcedo cordium,
fons vivus, lumen mentium,
excedens omne gaudium
et omne desiderium.

Iesum omnes agnoscite,
amorem eius poscite;
Iesum ardenter quaerite,
quaerendo inardescite.

Te nostra, Iesu, vox sonet,
nostri te mores exprimant;
te corda nostra diligant
et nunc, et in perpetuum. Amen.

Iesu, decus angelicum,
in aure dulce canticum,
in ore mel mirificum,
in corde nectar caelicum.

Qui te gustant, esuriunt,
qui bibunt, adhuc sitiunt;
desiderare nesciunt,
nisi Iesum, quem diligunt.

O Iesu mi dulcissime,
spes suspirantis animae!
Te quaerunt piae lacrimae,
Te clamor mentis intimae.

Mane nobiscum, Domine,
et nos illustra lumine;
Pulsa mentis caligine,
Mundum reple dulcedine.

Iesu, flos Matris Virginis,
amor nostrae dulcedinis,
Tibi laus, honor nominis,
regnum beatitudinis. Amen.

Iesu, dulcis memoria,
dans vera cordis gaudia,
sed super mel et omnia,
eius dulcis praesentia.

Nil canitur suavius,
nil auditur iucundius,
nil cogitatur dulcius,
quam Iesus Dei Filius.

Iesu, spes paenitentibus,
quam pius es petentibus!
quam bonus te quaerentibus!
sed quid invenientibus?

Nec lingua valet dicere,
nec littera exprimere:
expertus potest credere,
quid sit Iesum diligere.

Sis, Iesu, nostrum gaudium,
qui es futurus praemium:
sit nostra in te gloria,
per cuncta semper saecula. Amen.

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フォルトゥナトゥス作 ヴェクシラ・レジス VEXILLA REGIS PRODEUNT

2007年09月18日 | グレゴリオ聖歌
アヴェ・マリア!

兄弟姉妹の皆様、
9月14日は、十字架称賛の祝日でした。
ローマ聖務日課では、Vexilla Regis という讃歌を歌います。(この讃歌は御受難の主日と聖木曜日にも歌います。)大変有名な歌なので、紹介します。

 これは、ヴェナチウス・フォルトゥナトゥス(Venantius Fortunatus (530-609))によって書かれました。しかし、典礼ではフォルトゥナトゥスの作詞した通りではなく、2,7,8節が省略され、更にローマ聖務日課では1632年にウルバノ八世教皇が変更が加えた通りに歌います。次の通りです。

Vexílla Regis pródeunt:
Fúlget Crucis mystérium,
Qua vita mortem pértulit,
Et morte vitam prótulit.

Quæ vulneráta lánceæ
Mucróne diro críminum
Ut nos laváret sórdibus,
Manávit unda et sánguine.

Impléta sunt quæ cóncinit,
David fidéli cármine;
Dicéndo natiónibus:
Regnávit a ligno Deus.

Arbor decóra et fúlgida,
Ornáta Regis púrpura,
Elécta digno stípite,
Tam sancta membra tángere.

Beáta, cujus bráchiis,
Prétium pepéndit sæculi:
Statéra facta córporis,
Tulítque prædam tártari.

O crux, ave, spes única;
Hoc Passiónis témpore,
Piis adáuge grátiam,
Reísque dele crimina.

Te, fons salútis, Trínitas,
Colláudet omnis spíritus:
Quibus Crucis victóriam
Largíris, adde præmium.
Amen.


 ネウマ符とMIDIは次をご覧下さい。
VEXILLA REGIS PRODEUNT
VESPERS HYMN OF PASSIONTIDE
Venantius Fortunatus, d.609 / Mode 1


 この日本語訳は次のサイトをご覧下さい。
VEXILLA REGIS PRODEUNT ラテン語の歌詞による聖歌(受難の主日)

王の御旗、前進す、
十字架の神秘、輝き光る、
ここ(十字架)にて、
命は死を取り尽くし、
死によりて命を返し給ふ。


 フォルトゥナトゥスの作詞のラテン語は、次のサイトをご覧下さい。
Vexilla Regis (Royal Banners)

 良くみると例えば、
Vexilla Regis prodeunt:
Fulget Crucis mysterium,
Qua vita mortem pertulit,
Et morte vitam protulit.


のところが、

VEXILLA Regis prodeunt;
fulget Crucis mysterium,
quo carne carnis conditor
suspensus est patibulo.


となっていること

或いは、

Qua vulnerata lancea
Mucrone diro criminum
Ut nos lavaret sordibus,
Manavit unda et sanguine.



Quo vulneratus insuper
Mucrone diro lancea,
Ut nos lavaret crimine,
Manavit unda et sanguine.

となっていることに気が付きます。このもともとの歌詞(聖務日課のものと共に)は、次にも楽譜付きで掲載されています。
VEXILLA REGIS PRODEUNT
LENT AND PASSIONTIDE --Tradtional Melody (1699)--


 この歌は極めて有名でダンテの神曲の「地獄編」にも、サタンがキリストのパロディーをするということで登場します。

 地獄編第34曲(Inferno: Canto XXXIV)はこう始まります。

≪Vexilla regis prodeunt inferni
verso di noi; pero dinanzi mira≫,
disse 'l maestro mio, ≪se tu 'l discerni≫.

 ここでダンテの師(maestro mio)であるウィルギリウスはイタリア語ではなくラテン語で言うのですが、
「王の御旗、前進す」の代わりに inferni をつけて、「地獄の王の旗、前進す」と言い出します。
(Vexilla regis prodeunt inferni というサタニストの歌を歌うロックグループもあるそうです。怖ろしいことです。)


「地獄の王の旗、我らに向けて前進す。
そら、前を見よ、わかるか」師は言い給う。

≪Vexilla regis prodeunt inferni
erso di noi; pero dinanzi mira≫,
disse 'l maestro mio, ≪se tu 'l discerni≫.

 ダンテの神曲の日本語訳は次のサイトをご覧下さい。
ダンテと沙漠と詩 著作:中西治嘉  

 LibriVox による朗読ファイルもあります。
イタリア語原文 La Divina Commedia by Dante Alighieri

英語 The Divine Comedy translated by Henry Wadsworth Longfellow

T.S. Eliot の言葉
「ダンテとシェイクスピアは世界を自分たちの間で分けている。彼らに続く第三番目のものはない。」
"Dante and Shakespeare divide the world between them -- there is no third." --- T.S. Eliot

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【参考資料】ベネディクト十六世教皇の自発使徒書簡 Motu Proprio 『スンモールム・ポンティフィクム SUMMORUM PONTIFICUM 』の非公式日本語訳
【参考資料】ベネディクト十六世教皇の自発使徒書簡 Motu Proprio 『スンモールム・ポンティフィクム SUMMORUM PONTIFICUM 』の非公式韓国語訳
【参考資料】第二バチカン公会議の「信教の自由に関する宣言」(DIGNITATIS HUMANAE)羅和1と2
第二バチカン公会議の「信教の自由に関する宣言」(DIGNITATIS HUMANAE)羅和3と4
第二バチカン公会議の「信教の自由に関する宣言」(DIGNITATIS HUMANAE)羅和5,6,7.8
第二バチカン公会議の「信教の自由に関する宣言」(DIGNITATIS HUMANAE)羅和 第二部 9,10,11
第二バチカン公会議の「信教の自由に関する宣言」(DIGNITATIS HUMANAE)羅和 第二部 12,13,14,15

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平日の金曜日の讃課の賛歌 AEterna caeli gloria

2006年09月01日 | グレゴリオ聖歌

アヴェ・マリア!


平日の金曜日の讃課 (Laudes) の賛歌 (Hymnus) AEterna caeli gloria


兄弟姉妹の皆様、


 ラテン語の聖務日課を唱えていると、さすがほぼ2000年の歴史を持つものだけあって、いろいろな感動があります。


 例えば、今日9月1日は平日の聖務を唱えますが、平日の金曜日の讃課 (Laudes) の賛歌 (Hymnus) は次のようなものを唱えます。


AEterna caeli gloria,
Beata spes mortalium,
Summi Tonantis Unice,
Castaeque proles Virginis
:


 この意味は、


天の永遠の栄光よ、
死すべき者たちの至福の希望よ、
御言葉を語る最高の聖父の御一人子よ、
貞潔なる童貞女なる聖母の御子よ、


 となります。そしてこれに続いて次のように唱えます。(以下、日本語の訳は省略します。^^;)


Da dexteram surgentibus,
Exsurgat et mens sobria,
Flagrans et in laudem Dei
Grates rependat debitas.


Ortus refulget Lucifer,
Praeitque solem nuntius :
Cadunt tenebrae noctium :
Lux sancta nos illuminet.


Manensque nostris sensibus,
Noctem repellat saeculi,
Omnique fine temporis
Purgata servet pectora.


Quaesita iam primum fides
In corde radices agat :
Secunda spes congaudeat,
Qua maior exstat caritas.


Deo Patri sit gloria,
Eiusque soli Filio,
Cum Spiritu Paraclito,
Nunc, et per omne saeculum.


Amen.


 どうですか? 気が付きましたか?
はい、いわゆる「縦読み」をすると、歌詞がほとんどアルファベット順になっています。(苦しいところもありますが・・・。)



 実は、クリスマス(12月25日)の讃課のグレゴリオ聖歌で有名な賛歌は、次の通りです。


A solis ortus cardine
Ad usque terrae limitem,
Christum canamus Principem,
Natum Maria Virgine.


Beatus auctor saeculi
Sevile corpus induit :
Ut carne carnem liberans,
Ne perderet quos condidit.


Castae Parentis viscera
Caelestis intrat gratia :
Venter Puellae baiulat
Secreta, quae non noverat.


Domus pudici pectoris
Templum repente fit Dei :
Intacta nesciens virum,
Concepit alvo Filium.


Enititur puerpera,
Quem Gabriel praedixerat,
Quem ventre Matris gestiens,
Baptista clausum senserat.


Faeno iacere pertulit :
Praesepe non abhorruit :
Et lacte modico pastus est,
Per quem nec ales esurit.


Gaudet chorus caelestium,
Et Angeli canunt Deo ;
Palamque fit pastoribus
Pastor, Creator omnium.


Iesu, tibi sit gloria,
Qui natus es de Virgine,
Cum Patre, et almo Spiritu,
In sempitrena saecula. Amen.


 日本語の訳を付けると、こうなります。


日が昇るその機軸から
地の果てまで、
童貞マリアから生まれ給うた
君主なるキリストを歌おう。


とも至福なる、この世の作者は、
奴隷のような体を着た。
肉体で肉体を解放し、
創ったものを失わないように。


しくも慎み深き親の懐に
天の聖寵は入る。
乙女の胎は、
知らない秘密を担い運ぶ。


もいわれぬ恥じらう胸の家は
すぐに天主の神殿となる。
男を知らない傷無き乙女は、
胎内に聖子を宿した。


女は養う。
大天使ガブリエルが預言した方を、
洗者ヨハネが感じた、
母の胎にて行いつつ、胎に閉じられた方を、


い葉の藁に横たわるまで堪え忍び給うた。
馬草桶を厭い給わなかった。
鳥が飢えない程の、
少しの乳で養われた。


高い天の楽隊は喜ぶ、
天使達は天主に歌う。
万物の創造主なる牧者は、
牧童たちに公にされる。


貞女より生まれ給うた
イエズスよ、御身に栄光あれ、
聖父と聖霊と共に、
代々とこしえに、栄光あれ。アメン。



 もうお気づきかもしれませんが、この賛歌は歌詞がそれぞれアルファベット順で始まっています。


 先ほど紹介した今日の賛歌の日本語も次のようにしたらどうでしょうか?


AEterna caeli gloria,
Beata spes mortalium,
Summi Tonantis Unice,
Castaeque proles Virginis :


(あま)の永遠の栄光よ、
つかは死すべき者たちの至福の希望よ、
しき御言葉を語る最高の聖父の御一人子よ、
も言えぬ貞潔なる童貞女なる聖母の御子よ、



◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎



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