正しい「百物語」の作法というのがある。
ウィキペディアによれば、伝統的な方法は以下のようである。
新月(月の暗い)の夜。無燈の部屋、そして、別室には、青い紙を貼った行燈。行燈には百本の灯心(灯油に浸して火を灯す糸状の用具)に火を灯しておく。また、その部屋の小机の上には、立てかけられた鏡。
参会者は青い衣をまとい円座に着席し、交替で怪談を一話語るごとに別室に行って、行燈の灯心を一本吹き消す。そして、鏡を覗き込み、戻ってくる。これを九十九回、もしくは百回、繰りかえすのだ。
百本目の灯心が消えて、会場が真の闇に覆われると、必ずや本物の怪異が起きると言い伝えられている。そのため、九十九話で打ち止めとする慣例があったようだ。
ちなみに、江戸時代の灯油はエゴマなどの植物精油。これを、現代のケロシン(灯油)でやると、非常に危険だ。
・・・おそらく、昭和の時代に学生生活を送った人ならば、だれでも、夏の暑い夜には、扇風機もない友達の部屋に集まって「百物語」をしたことがあるに違いない。
これは、ぼくが先輩の部屋で聞いた話だ。
ぼくが学生時代に住んでいた下宿は、小田急の駅からかなり離れたところにあって、しかも、駅の改札は、線路の反対側にあった。毎朝、大学へ通うには、駅のそばの開かずの踏切を渡るか、少し離れたガードをくぐるしかない。
急ぐときは、少し遠回りだがカードをくぐって線路渡った方が、開かずの踏切を待っているよりは時間的にはやかったりする。このガードをくぐった所に地蔵があって、当時、このガード下に霊が出るという噂があった。
さて、先輩から聞いた話。
「ガード下に幽霊が出るって知っているだろう?」
「・・・なんでも、昔、近所の大学の女子大生が、踏切で飛び込み自殺をしたらしい」
「電車に長く引きずられて衣服はちぎれ、遺体はバラバラ、原形を留めていなかったそうだ」
「その後、いつの頃からか、その女子大生らしい幽霊が下宿の前のガード下にひっそりと立つようになった。幽霊を目撃した人の話では、幽霊は全身黒い服装で、遠目に青白い顔が目立っているとのこと」
「近くによるとその幽霊は、なぜか服を脱ぎ出すらしいのだが、服を脱ぐ度に、その下に現れる肌は次第に崩れていくのだそうだ」
「すいません。その幽霊は、なんのために服を脱ぐんですかね?露出狂ってやつっすか?」
「いい、質問だ。・・・電車に長く引きずられて、バラバラになった遺体を集めても、胸の部分に相当するのがどうしても見つからなかったらしい。おそらく、彼女は、そのパーツを探してほしいとアッピールしてるんじゃまいか」
「欠損部分を見せられてもね・・・」
「いやあ、その幽霊の出方は、たくみな演出をしてると言えるんだ。まず、第一に、ターゲットの設定が”男子学生”であること。すけべな男どもの興味をどれだけ惹くかわかるだろう。
そして、ターゲットが明確なので、非常にシンプルで強い印象をあたえることができるんだ」
「・・・」
「ちょうど、『宣伝戦略』をテーマに修論をまとめようとしてるんだが・・・。このように、オトコのスケベ心を突いた戦略があるけれども、それを求める潜在的なニーズがあってこそ・・・・・・・(以下略)」
「先輩、眠いっす。おさき失礼しま~す」
こうして、「百物語」をしていた先輩の部屋からはだれもいなくなり、その夜も1話でおしまいになりますた。
ご訪問&最後まで読んでくださりありがとうございます。
お帰りの際、ひとつクリックお願いします。
お手数かけてすいません。
↓↓↓↓↓↓
にほんブログ村
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます