tetujin's blog

映画の「ネタバレの場合があります。健康のため、読み過ぎにご注意ください。」

絶望、虚無そして希望

2017-04-09 22:21:06 | プチ放浪 都会編

三島はベナレスで目撃した深い「絶望」と果てしない「虚無」とそして淡い「希望」をこう綴った。

「ここには悲しみはなかった。無情とみえるものはみな喜悦だった。輪廻転生は信じられているだけではなく、田の水が稲をはぐくみ、果樹が実を結ぶのと等しい、つねに目前に繰り返される自然の事象にすぎなかった。それは収穫や耕耘に人手が要るように、多少の手助けを要したが、人はいわば交代でこの自然の手助けをするように生れついているのだった。
インドでは無情と見えるものの原因は、みな、秘し隠された、巨大な、怖ろしい喜悦につながっていた! 本多はこのような喜悦を理解することを怖れた。しかし自分の目が究極のものを見てしまった以上、それから二度と癒やされないだろうと感じられた。あたかもベナレス全体が神聖な癩にかかっていて、本多の視覚それ自体も、この不治の病に犯されたかのように」

ぼくは自分が根本的に思い違いをしていたことに気づくのにずいぶん時間を要した。最たる思い違いは、「一生懸命がんばれば、いつか思いは報われる」だ。子供のころからそのように教育されてきて、「努力は報われる」と無邪気に信じ込んでいた。
太陽が東から昇って西に沈むのと同じくらいの当然のことと思っていた。本当はそうではないということに気づきたくなかったのかもしれない。

インドにある絶望を見て、努力なんて意味がないと気が付いたときは、自分の哲学が音を立てて崩壊するようなショックを受けた。
一生懸命働く。一生懸命勉強する。まじめに努力する。まじめに生きる。そうした努力はいつか実る。先進国の子供たちがみんな教わるであろう哲学。努力すれば夢が実現する。それを信じているから、人はみんな楽観的だ。

しかし、努力したところで、どうにもならない現実がある。人にはだれでも才能や知性に差があって、努力してもどうにもならない。ましてや身分の違い。運不運もあるし得手不得手もある。それに気が付いた人から老いていき、努力は報われるなんて嘘っぱちだったと気づく。

インドの最下層の人たちは、生まれつき貧困で育っている。何も与えられなかった。学校もろくに行かれない。字も読めないし、計算もできない。子供たちは親に頼られ、稼いだお金は生活費の一部となる。最下層の人々は搾取されるために生きている。搾取されていることにも気づかないでいる。
彼らは貧しいのが当たり前だと思っている。貧しさゆえに世間からつまはじきされている。彼らは嫌われている。世の中の仕組みもよくわかっていない。社会全体が貧しくて、政治も彼らを救う余裕がない。

彼らはすっかりあきらめている。今の生き方以外に、自分が生きる道が他にあるとは知らない。知っていても、彼らに他にできることはない。
彼らの取り巻く環境は死ぬぬほど重く、果てしない逆境がそこにある。努力しても報われるような状態ではない。。

唯一の希望は、もっとましになるはずの来世の自分なのだろうか。


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