tetujin's blog

映画の「ネタバレの場合があります。健康のため、読み過ぎにご注意ください。」

クメール・ルージュの犯罪

2011-10-22 22:18:57 | プチ放浪 都会編

 
 

国連の働きかけで、ようやく、2006年7月3日に、自国民の虐待・大虐殺の罪を問うクメール・ルージュ裁判が開始される。
起訴、審理ともにカンボジア人と外国人の司法官が共同で行うこの法廷においては、国連が関与できる部分は限られている。しかも、政府の多くの職員がクメール・ルージュ党員であるうえ、中国からの裁判の阻止活動があったことから、その開廷には27年もの長い年月が費やされた。

実は、ポル・ポト政権が崩壊した直後、カンボジア人民革命評議会の緊急命令第1号(1979年7月)により、自国によるプノンペン特別市法廷が設置され、「ポル・ポト首相、ならびに、イエン・サリ副首相らの残虐犯罪を訴追する裁判」が行われている。この裁判では、ポル・ポトとイエン・サリに対して、被告欠席のまま両者ともに死刑の判決。
だが国連は、当事者の反対勢力が主催したこの自国の裁判は政治そのものであり公正性に欠けるとし、国連に働きかけで始まるクメール・ルージュ裁判においては、「先の裁判の判決を取り上げることをしない」とした。

クメール・ルージュ裁判で恐らく訴追されるであろう対象者は、ヌオン・チア元人民代表議会議長やイエン・サリ元副首相らの元最高幹部だ。首謀のポル・ポトはすでに死んでいる。
また、カンボジアの現政府はこれらの訴追対象者と司法取引を行い、恩赦をすでに与えてしまっている。その一方で、訴追対象者は、「自分は虐殺はしていない」などと強弁し、イエン・サリの妻のイエン・シリトに至っては暴言を吐くなど、罪に対する反省の色はまったくない。

2010年7月26日、カン・ケ・イウ収容施設元所長に対して禁錮35年(求刑禁錮40年)の判決。
200万人もの命が失われた「国家テロ」とも言うべき「国家犯罪」は、その核心が追求されることなく、矮小化されてしまいつつある。。

200万人以上もの民を死に追いやった責任はだれにあるのか。国家の犯罪をうやむやにしてはならない。しかしながら、犯罪が政策そのものにあったとすれば、都市から農村への強制移動、重労働による過労死、病人の放置、栄養不足による餓死、年少者に対する虐待など、非人道性の扱いは、だれが責任をとるべきなのか。
また、個々の虐殺に対しては犯罪の立証は可能であろうが、この処刑を指示したとされる人間の特定は困難だ。30年も経ってから、2~3人が有罪・死刑になったとして、それで済む問題なのだろうか。。


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