tetujin's blog

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モーグル

2007-02-05 20:02:09 | プチ放浪 山道編

1960年代にアメリカで、プロスキーヤー達がデモンストレーションとして行っていたものがルーツとされるフリースタイルスキー。その原点にあるものは、ゲレンデにあるコブ斜面でどれだけカッコよく目立つかである。こうしたスキー競技が生まれた背景には、米国を中心にそれまでにない若者の生活スタイルに変化したことがあげられる。彼らが“解放”と呼んだ民族、法律、道徳といった既成の価値観から脱却し、新しい価値観で、自由に生きることを目指したものである。ヒッピースタイルと呼ばれる長髪に髭、ジーンズというファッション、サイケデリックな色彩感覚、限りなく自由を求めたロック音楽などが彼らの文化だった。いわゆる“カウンター・カルチャー”(対抗文化)の誕生である。このような、背景から、伝統的なアルペン、ノルディック、ジャンプといったクラシックなスキー競技にも新しい風が起こったのだった。
このフリースタイルスキーは、1970年代に入って、カナダを中心に本格的な競技会が開催されたのをはじめ、1979年、FIS(国際スキー連盟)が正式種目として承認し、1986年にはワールドカップが開催された。当初は、モーグル・エアリアル・アクロという3種目の競技を全てコンバインドで行うものだった。モーグルは、急なコブ斜面でターン、エア、スピードを競う競技である。エアリアルは、ジャンプ台を使って3回転3回ひねりや3回転4回ひねりなどの高度な空中演技を行う競技、そして、「アクロ」は、フィギュアスケートのように音楽に合わせてステップやスピン、フリップやジャンプを組み合わせて雪上を舞い踊る競技である。モーグルは1988年のカルガリー五輪で公開種目となり、アルベールビルオリンピックでは正式種目として採用された。現時点でFISで認定されている正式な種目は、モーグル(デュアルモーグル)、エアリアル、スキークロス、ハーフパイプの4種目だ。モーグルは、これまでの力と技だけのスポーツから「魅せるスポーツあるいは芸術的なスポーツ」に進化したと言えるだろう。

モーグル競技は、コース全長235m (±35m)、コース斜度28度(±4度)のコースを滑り、30点満点で争われる。採点は、5人のジャッジが5点満点で行う。ターンの得点は15点と全体の50%を占める重要なポイントで、最低点と最高点を除外した3人の合計で計算する。フォールライン(山から谷への直線ライン)を外さずに直線的に滑っているか、コブの吸収はどうか、カービングターンの質はどうか、上体の安定性はどうかなどが採点対象になる。エアの得点は7.5点で、飛んだうちの良い2回のエアの平均点で採点する。シングル技からダブル、トリプル、クォード、クイントなどのアップライト系(立ち技系)や、3D系と呼ばれる宙返り技など異なる組み合わせと異なる難易度で飛ばなければならない。タイムは同じく7.5点。男子9.7m/sec、女子8.2m/secを基準に、コース長さからペースタイムを算出し、スピード点=15.625-(10×競技者のタイム)÷ペースタイムとしてスピード点を計算する。

現在のモーグルテクニックの土台を築いたのは、1994年のリレハンメルオリンピックで表彰台にのぼった3人の選手であろう。ジャン・リュック・ブラッサール(Jean・Luc Brassard,カナダ)、セルゲイ・シュプレツォフ(Sergei Shupletsov,ロシア)、それとエドガー・グロスピロン(Edgar Grospiron,フランス)である。当時、この世界最強のモーグルスキーヤー(モーグラー)達は「3強」と呼ばれていた。中でもセルゲイ・シュプレツォフは、忘れられない選手だ。彼は、1994年のリレハンメルオリンピックで突然現れ、ジャン・リュック・ブラッサールに次いで銀を獲得する。まさに、衝撃のデビュー。そして、翌年のW杯を制したのち彗星のごとく突然去っていった。享年25。セルゲイがW杯を制した時は、開幕から5連勝、出場全9戦中6勝、残りの3戦は全て2位とぶっちぎりだった。その圧倒的な強さに、「セルゲイの時代」が到来したと誰もが思った。その3ヶ月後、彼は新婚の妻を残しバイクの事故で突然にこの世を去ったのだった。また、セルゲイは、オーストリアのキルヒベルグで史上最高点の28.80をたたき出してみせた。この点数はいまもなお破られていない。彼が伝説のモーグラーと呼ばれるゆえんである。
3強による三つ巴の戦い。当時、彼らは三者三様のモーグルスタイルで切磋琢磨していた。ジャン・リュック・ブラッサールは、コブを舐め回すような柔らかく膝を使った華麗なターンと柔軟な体を生かして前に飛び出す美しいエアを得意とした(モーグルで唯一ターン点満点を出したのは彼だ)。エドガー・グロスピロンはハイスピードでパワフルな滑りでコブを叩き伏せるようなターンと豪快なエアで圧倒的な強さを見せた。セルゲイの滑りは、二人の中間のアグレッシブな超高速ターンとキレと精度をあるビッグエア(100度まで上半身と下半身を逆方向に捻るツイスター)、ミスの無い完璧な滑りで圧倒した。彼らの滑りは人々に驚きと感動を与え、そしてモーグルは世界中で広く認識されるようになったのだった。

当時のモーグルでは、安全のためと言う理由で、体を斜めに傾けた状態で横向きに回転するコーク7や後転のバックフリップのような縦回転の技は認められていなかった。また、グラブ(スキー板を掴むこと)したら減点で、しかも立ち技系(アップライト)エアの連続回転数はトリプルまでといった今よりもコブを滑り降りる事が重視されていた。一方、モーグル発祥の地アメリカでは、プロのスキーヤー達は2人が同時に左右のバーンを滑り降りるデュアルモーグルで、しかもエアは5回の捻りを入れるクイントまでやってのけるような状況であった。FISの規則にがんじがらめにされたモーグル競技は、その競技発祥の自由を求める雰囲気からはまるで異なったものとなってしまった感がある。
そこで、原点に復帰しようする動きが出てくる。3強の一人、個人主義の国のフランス人エドガーは立ち上がった。規則を振り回すFISに対して、公式試合で反則覚悟でクォードを繰り出し、エアの乱れとして大幅減点された。この減点に怒ったエドガーは、FISに出向いて抗議を行ったらしい。結局、エドガーはアメリカでプロになり、現在はコンサルタント会社を経営してる。皮肉な事に、エドガーがプロに転向した後、デュアルモーグルの導入、ナイター導入、エアにおいてスキー板を掴むグラブの解禁、「頭がブーツよりも下になってはいけない」と言う、暫定処置を経由しつつも3Dも解禁された。このルール改正では、自由度が増しよりアクロバティックになって、見る面白さは増えたが、一般スキーヤーが到底到達不可能な技の体系になってしまった。

なお、3Dをやると踏み切りで速度を落とさざるを得ない。また、複雑な技になればランディングが難しくなるから、ターン点にまで影響する。上村愛子選手は、2005年のWC緒戦のボス(ノルウェー)大会で女性最高難度といわれるCork Screw720という3Dエアを、女性史上初めて決めてみせ優勝した。しかし、2006年のトリノオリンピックでは、タイム点が伸び悩み涙を呑む結果となった。ポイントをひたすら追求すれば、使える技はそんなにない。スピードを求めたら3Dは使えない。完璧な完成度のJ・L・B(コザック、バックスクラッチャー、コザック)か、クォードかクイントのツイスター、グラブか足を後ろに曲げて、スキー板を90度に交差させる アイアンクロスを入れたフロントフリップ(前転)くらいであろう。
モーグルは、個人の考え方、パーソナリティが織りなすスポーツである。今後も時代を超え、国境を越えて進化し続けていくであろうものの、自由を求めるフリースタイル精神は決して変わることはないであろう。


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