【撮影地】北海道函館市(2009.2月撮影)
Copyrights© 2005-2009 TETUJIN
all rights reserved
“汲めや美酒 うた姫に 乙女の知らぬ 意気地あり”
(与謝野鉄幹「人を恋うる歌」より)
港町函館。函館は本州に最も近いことから、明治時代から本州と北海道を結ぶ海上運輸が発達した。また、北洋漁業の基地でもあり、漁船団がひしめく漁港の町でもあったのだが、ロシア(当時はソ連)の200海里経済水域の設定以降は、そのにぎわいが消えてしまった。
追い討ちをかけるように、高度成長時代に賑わいを見せていた地場産業の要の造船とその関連産業も、オイルショックを境に一気に冷え込み、街は活気を失った。港町であった函館の人の流れが変わった。
繁華街は五稜郭周辺に移り、かつての盛り場の十字街地区は、かろうじて観光という資源を利用して再開発化が進んでいるものの、函館駅から山の手に向かう大門地区には空き地やシャッターを閉めた店が目立つ。
多くの港町がそうであるように、どこかに飲み屋街があって、地元の漁師などが飲み歩いているはず。そう思ってみぞれの降る中、通りから通りへJR函館駅前を彷徨ったのだが、かろうじて軒を連ねる小さな飲み屋が数軒あるばかりだった。そのうちの一軒の店。明るいうちに見れば廃屋としか言いようのスナックだった。
中に入ると、60代半ばをとうに過ぎたママが店を開く支度をしていた。もちろん、客は誰もいない。店のコート掛けには、サンタクロースも恥ずかしくて逃げ出すような、真っ赤なウールのコートがかかっていた。
「16歳から住み込みでこの商売をやってきたよ」
父親が7歳の時に他界。母親が働きに出て、米を買うお金だけは、毎日、渡してくれたらしい。母と弟と三人で1日分、1升の麦入りのご飯は、彼女が16歳になるまでは、彼女が毎日炊いていた。時は流れて、彼女は結婚。昨年、46歳になる長男の1000万円に上る借金の肩代わりをして1年で完済したという店のママは、豪快にグラスの焼酎を飲みながら、そう言った。ひとさまに迷惑を掛けるのが嫌だと。
そのママが、外は冬の雨、今日は客が来ないだろうと言う。
「商いって、店を開けて見なけりゃわからないでしょ。だから、”飽きない”って言うんですよ」
こう、答えたぼくに、ほんとうにそうだねとうなづく。昨晩は、金曜日というのに、まったく客が来なかったとのこと。ここのところ、景気が悪くて、客足がさっぱりらしい。
「うちの店、若い子を5人も使っているのにね」
椅子が4つ並んだカウンターに、テーブルが3つあるだけの店。カウンターの奥の棚には、有線放送のケーブルを取っ払う際に落っことして、左側にひびが入ってしまったという、スターウォーズにでてくるジャバザハットのような超メタボの招き猫が飾られている。カウンターの上に、生ビールと焼酎のサーバーがあるだけ。あまりにも、殺風景な店だった。何で若い子が5人?
後でわかったことだが、その店は合法的なデリバリーヘルスもやっていた。つまり、置屋だった。その昔は、そうとうな荒稼ぎができたらしい。毎日の売上が、数十万という時代がかつてあったようだ。。
気に入った写真や記事がありましたら応援のクリックよろしくお願いします。
にほんブログ村