岡山後楽園「お田植祭」
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岡山県北西に位置する、新見市から、哲西町はやし田植え保存会と隣町の神代郷土民謡保存会出演で、昔ながらの手植えによる田植えと田植え踊りが披露された。
「さげ」と呼ばれる男衆の太鼓と歌に合わせて、紺がすりに菅笠姿の早乙女が、テンポ良く苗を植えていく。
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この行事は1962(昭和37)年から始まった後楽園二大農事際のひとつで、後楽園内沢の池東の井田(せいでん)2区画(約250平方メートル)で行われる。
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岡山藩の大名庭園であった当時、1689(元禄2)年、初めて田植えが行われ、1739(天文4)年、藩主・池田継政が早乙女が踊る田植を延養亭から見物した記録が残っている。
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午前の部の「哲西町はやし田植保存会」の哲西町は、西の尾瀬とも呼ばれる「鯉が窪湿原」がある町である。
この地方では通称「太鼓田植え」と言っていた。
田植えは農作業の内でも大変難儀な仕事で太鼓に合わせて楽しくやることで能率を上げ疲れを癒やすと共に、田の神を讃え、秋の五穀豊穣を願う共同作業の慣習として永く伝承されていたが、農業機械の普及と伴に急速にすたれていき、現在では日常的には見かけることはできない。現在は、保存会により伝統文化として受け継がれ、毎年5月3日に行われている。
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午後の部は「神代郷土民謡保存会」が出演。
この地は山林が多くを占め、農耕地は標高250mから500mの山間部に帯状に分布している。
神郷を含め備中北部の農村では共同田植えが盛んに行われていて、華やかな作業を太鼓田植のほか、はやし田植、花田植などと呼ばれている。
太鼓田植の由来は江戸時代の中期に田の神を祭る行事として始まったと伝えられており、昭和20年代(1945~54)までは盛んに行われていたが、農業技術の向上、機械化などにより、各で組織していた田植組など自然消滅の形で田植え歌も聞かれなくなっていった。
1971(昭和46)年神代郷土民謡保存会が結成された。
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神代郷土民謡保存会は少年少女が中心であった。
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後楽園二大農事際のもうひとつは、5月の第3日曜日に行われる「茶つみ祭」で、紺絣(こんがすり)の着物と赤襷(あかたすき)に姉(あね)さんかぶりをした茶摘み娘のよって新芽の摘み取りが行われる恒例行事である。
茶畑は、『築庭当時から井田の近くにあり、背景の緩やかな曲線を描く土手山と調和している。
江戸時代には、ここで作った葉茶は、藩主ふんだんに飲むお茶として使われた。』とある。
■>備中神楽
この日、重要無形民俗文化財指定「備中神楽」の定期公演が井田の近くにある新殿で行われた。
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■日本三名園のひとつ 岡山後楽園
岡山藩主・池田綱政が家臣に命じて、1687(貞享4)年に着工、1700(元禄13)年に一応の完成をみた。その後は、藩主の好みで手が加えられたが、江戸時代の姿を大きく変えることなく現代に至る。
かつて、藩主の静養の場、賓客接待の場として使用されたが、であったが、日を定めて藩内の人々にも観賞が許された。
日本三名園とは、優れた景勝を持つ三つの日本庭園で、ほかに金沢市の兼六園、水戸市の偕楽園の総称である。
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八橋
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慈眼堂は池田綱政が藩内の平安と池田家の安泰を願って建立したお堂。
この日、結婚式があったようで記念写真を撮る新郎新婦を色々な場所で見かける。花嫁が後ろを向いているが、細面の女性だった。
「お田植祭」は6月の第2日曜日に毎年行われている。季節的に実際の田植と少々ずれているのではと思ったのだが、それは関東人が感じることのようだった。
車窓から田んぼを見ると代搔きが終わって田植はこれからというところが殆どということに気づく。
こちらは暖かいからか、田植が関東よりひと月以上遅いようだ。
小石川後楽園を訪れて5日後に、今度は岡山後楽園に来るとは思ってもみなかった。
今回の旅は、友人のひとり旅におんぶにダッコで出発の30時間前に決めたことだ。
わが家から6時間丁度で、山陽自動車道・岡山インターを降りて岡山後楽園に来た。
ここが「瀬戸内の旅」の出発地となる。