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大磯ななとこまいり(左義長)2014

2014-01-13 18:05:54 | 神奈川民俗芸能
およそ400年以前から続くと云われる、大磯町の道祖神(どうそじん、どうそしん)の火の祭・左義長が1月12日に北浜海岸で行われた。

この左義長に先立って、3日にかけて、各町内ごとにある道祖神、七ヶ所を参る「七所参り(ななとこまいり)」が行われていた。明治末に道祖神は、一ヶ所増えて八カ所になると「七所参って八所 (やあとこ) せ」などと言われるようになった。最近になっては、九ヶ所となった。
この地方では、道祖神を「セエノカミサン」と呼ぶそうだ。道祖神の呼び名のひとつである「塞の神(サエノカミ・サイノカミ)」がなまったのではとも云われる。
村や集落の境や村の中心、道の辻(三叉路)などに石碑や石像の形で祀られ、はじめは道の安全の神であったものが、子供達の守護神となり、更に男女生殖神にもなった。
大磯の九ヶ所のセエノカミサンは、旧東海度沿いに祀られている。

第一番所  南下町坂下
国道1号線の照ヶ崎海岸入口信号を海岸側へ80m入った交差点を左に曲がる。この道が旧東海道である。少々歩いた左手奥の住宅に囲まれるように第一番所がある。
朱い鳥居と祠がある小さなもの。ここのセエノカミサンは石の御神体ではなく、御弊(ごへい)。





海岸につくられた第一番所のオンベ(セエト・サイト)


第二番所  南下町浜之町  住所:大磯142付近
第一番所から平塚方面へ進む。右手の芦川酒店の角を入ると、第二番所がある。
社と鳥居は石造りのもの。
左の赤い屋根の社は、お稲荷さん。
この道祖神の左隣に、もうひとつ鳥居が付いた空の社がある。これは一体何だったのか。



御神体 双体道祖神



第三番所  南下町大泊 熊野神社  住所:大磯1532
更に平塚方向へ歩くと、左手に熊野神社がある。
三番所はこの境内にある双体道祖神で、銘文、年代は不明。






第四番所の二  南下町子之神
そのままずっと旧東海道を平塚方向へ歩く。熊野神社から、海側最初の路地を入る。この路地は防潮堤を潜るのだが、その手前左側にある防潮堤に昇る階段があり、左脇に第四番所の二がある。鳥居も、お社もなく、双体道祖神の輪郭が解る石柱が露座の状態で置かれている。
現在は、祠が次の「第四番所の一」に新設されている。


第四番所の一  南下町子之神  住所:大磯1545付近
旧東海道に戻り、左手すぐの路地を入る。両手を広げられないほどの路地を50mほど進むと、第四番所の一がある。旧東海道からは社は見えず、案内もないので解りにくい住宅に囲まれたところにある。
祠が3つ、どれが道祖神が祀られているのか解らない。多くの道祖神が左義長のために海岸に移動しているので空の社がそうであろう。






第五番所  北下町中宿
平塚方面へ進み、右手ふたつ目の路地を海側へ入る。ここも防潮堤上の道沿いに五番所がある。






第六番所  北下町浅間町  住所:大磯1592
旧東海道をさらに平塚方面へ。道沿い左手にに浅間神社がある。木の傍らに祠があり、中の石には「庚申」と書いてある。




第七番所  北下町大北 塞神社  住所:大磯1681
大磯駅入口の交差点に通じる道を横断する。すぐ右手に第七番所がある。その名の通り道祖神社である。
左義長の準備をしている関係者に聞いたら、左義長はここから始まったという自負があるようだ。だが、肝心の道祖神は盗まれてないとのこと。
だが、案内板には「祭神は猿田彦命社殿内に祀る」とある。真偽はどちら。






第九番所  山王町日枝神社境内  住所:大磯1825
そのまま旧東海道を進んで、突き当たった日枝神社が、第九番所である。ここは、ここは庚申。
境内右手に沢山の庚申塔が祀られている。





右から2番目が青面金剛、左義長のシンボル



第八番所  長者町老人憩いの家前  住所:大磯1922-22
第九番所が先になったが、第八番所は日枝神社の前の道を海側に進み2つ目の左折し、山王町信号機の道と交差する角にある。
道祖神は既に海岸に移動して祠内には団子が置かれていた。双体道祖神が祀られている。テントが張られ、提灯が飾られている。








左義長開催の前日、新聞の地方版に左義長に関する記事が載っていた。
『大磯の「左義長」存続ピンチ』『毎年の運営費、地方住民の負担に』『保存会、清酒販売し資金集め』との見出しで報道されている。
これによると、この祭りの準備や運営を担ってきたのが、地元の約400世帯だ。親から子へノウハウは伝承してきたものの、材料費など毎年2百万円が毎年負担となっている。各戸で1~5千円工面しているが、高齢化も進み支えられなくなってきた。
そこで清酒「大磯左義長」の売り上げの一部を運営費に充てることとしたと云う。
たまたま第1番所と第2番所の近くで店を構える芦川酒店のご主人と話ができたのだが、自治体に資金援助を陳情しても政教分離で援助はできないと云う。「国指定の重要無形民俗文化財」に指定されていても、金を出すとなると建前論がでてくるようだ。政治家は使い分けが上手である。
この辺りは、5千円どころか7~8千円負担しているとも話された。
報道のおかげか、ここの酒店では、予定の販売数を終了したと喜んでいた。これからも協力者が続けて頂きたいものだ。
 




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