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初山の獅子舞

2013-10-07 17:31:19 | 神奈川民俗芸能
田園都市線宮前平駅から1時間に1本の川崎市バスに乗って10分余りの菅生(すがお)中学校で下車。大都市川崎なのに何故に1時間に1本きりバスがないのだろうかと不思議に思いながら乗って行った。

鳥居をくぐると狭い参道には屋台がぎっしり、お祭の大きさを物語っている。
宮前区菅生二丁目に鎮座する菅生神社、住時は若宮八幡大神と称して、元武州橘樹郡下菅生郷、ジ蔵敷の鎮守であった。1233(天福元)年、同郡平村白幡八幡大神からの分霊を奉斎して創建された。
明治の末に小字初山の正八幡大神、長沢の神明神社、水沢の旭稲荷神社、枝谷の御嶽神社など15社を合併して菅生神社と改称し菅生全域の鎮守となった。
獅子舞奉納の前に子供みこしの宮入りがあった。
 

初山の獅子舞は、3頭の獅子と幣負い(へいおい)からなる。

獅子は2頭の雄獅子と1頭の雌獅子からなる。
雄獅子は角が剣の形をした剣獅子、角が捻じれている巻獅子と呼ばれる。
雌獅子は玉(たま)獅子と呼ばれる。





上から剣獅子、巻獅子、玉獅子

幣負いとは御幣(ごへい)を担いで先導するのでそう呼ばれ、この神社では、天狗面をつけている。
御幣とは幣束(へいそく)の敬称。白色や金・銀の紙などを細長く切り、幣串(へいぐし)にはさんだもの。お祓いのときなどに用いる。おんべ、おんべいと呼ぶ。

舞は境内に設けられた15尺(4m55cm)の円形土俵を舞場として行なわれる(大相撲と同じ土俵の広さ)。

         
前半は篠笛のお囃子で進行する。後半は歌もはいる。
岡崎・入端・渡り笛・変り笛などいろいろなお囃子によって舞う。




 
間に休憩も

観客から投げられたおひねりを元にサイコロ賭博が開かれ天狗が独り勝ちをする。
 

         
終盤のハイライトは1頭の雌獅子を巡り、2頭の雄獅子が争いを始める。
 

争いは天狗の仲裁で和解となる。

納めの舞で初山の獅子舞は幕となる。



初山の獅子舞は、身体を低くして地を這う動作とその動きの素朴さが特徴であり、古い形式を伝えるものと思われる。
江戸時代初期の製作と考えられる獅子頭が保存されていることから、その頃からすでに行なわれていたと思われ、現在は10月最初の日曜日の例祭に菅生神社に奉納されている。
菅生神社に合祀される前にはこの辺り5カ所の鎮守で舞が行われていたという。
ある資料によると、
『3頭の獅子舞は関東から東北、北海道にかけての東日本にだけ広く分布する特徴がある民俗芸能で、その数1,400カ所とされている。
とりわけ武蔵国(埼玉、東京、神奈川東部)は獅子舞王国ともいわれる。現存する数300を超えるようだ。
この舞は徳川幕府の成立当初から江戸を中心にはじまり、これを東国の領主が限られた村々に伝えさせたと推定される。』
とある。
神奈川県内も無形民俗文化財の指定されている同様な獅子舞としては、
横浜市青葉区の神明社・驚神社の牛込獅子舞、鉄(くろがね)神社の鉄の獅子舞が、川崎市には幸区の八幡大神の小向の獅子舞、多摩区の子之神社・薬師堂の菅の獅子舞がある。
それと江戸時代武蔵国の領主の飛地であった相模原市緑区でも御嶽神社(下九沢の獅子舞)、諏訪神社(鳥屋の獅子舞)、諏訪明神(大島の獅子舞)に3頭の獅子舞があり、また県央の愛川町にもあって、県内では9カ所を数える。

福島県内にも3頭の獅子舞が残されている。
が、東電の原発被害によって地域住民が散ってしまい継承者がいなくなったと云う報道もある。
放射能被害は伝統芸能の継承まで脅かしている。


                                      参考資料:川崎市教育委員会
                                             神奈川県 ほか


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