セエトバレエとヤンナゴッコ
サイトは、道祖神が祀られている1~9番所ごとの9つがつくられている。
そもそも、この祭りの由来は、昔この辺りで目一つ小僧と呼ばれる厄神が、村人のおこないを帳面に書いてまわっていたところ、夜が明けてしまいあわてて帳面をセエノカミサンに預け、そのまま帰ってしまった。
帳面を預かったセエノカミサンは困り果て、自分の家とともに帳面を燃やしてしまう。
という話からきたという。
カウントダウンの掛け声とともに そのサイトに、定刻に火が点けられる。
火は代々家に、火付け役は受け継がれ、火付け役の家の人が点けると関係者が話されていた。しかも、点火はその年の神様がおられる恵方から行われると云い、東方向から点けていた。今年の恵方なのかだろう(厳密によると今年の恵方は東北東やや右ということだ)。
定刻6時、点火された火はあっという間に広がった。9つのサイトに一斉に火がつけられている。セエノカミサン(道祖神)の火祭り、セエトバレエの開始だ。
今年は点火時刻が1時間早まった。来年は解らないと云う声を聞いた。遠くから来た私のために”おもてなし”をしてくれたのかと手前ミソで思ってしまう。
点火
最上の飾りまで火が点いた
来年の左義長も当然決まっている。
関連 : 鶴岡八幡宮左義長2013
: 鎌倉荏柄天神左義長2013
大磯の左義長は、単に小正月の火祭りだけではない。
サイトの火が燃え盛るころにヤンナゴッコが始まる。
若い衆やメタボなむかし若い衆が下帯び姿で木ソリに載せたセエノカミサンの仮宮を壊して海に引き入れる。さらに海方の若い衆とお陸(おか)方の観衆とが木ソリの前後に分かれた綱を引き合いはじめる。
仮宮には、その町内の1年の災いを閉じ込めているとガイドが説明していた。仮宮を第4番所で見たが、ほぼ四角の宮で網が巻かれている。
つぶされた仮宮を乗せた木ソリは、これでもかというほど何度も何度も、陸と海を往復していた(実際には海に3回、陸に3回引きあうようだ)。
私も陸組に入って綱引きに混ざったが、砂にまみれて、汐の香りがする綱は重かった。前年の災いを捨て、新しい福を呼び込むのであろう。
浜での引き合いを終えると、宮入である。
木ソリの上に海に入った若い衆を乗せて、観衆の面々が綱を浜から神社までを曳いていくのである。
幾つの木ソリが出たか分らぬが左義長が始まる前には浜で2機、神社で1機を見ている。
私が見た木ソリは北下町の浅間神社付近の旧東海道に路地から出てきて、旧東海道を上下に浜と同じ動作を若い衆を乗せて、繰り返し繰り返し行った。一気に引かれて、若い衆が木ソリから転倒する場面もあった。
一定以上進まぬように電柱に縄をくくる
上りに或いは下りに方向を変える前には、木遣や甚句のような歌がうたわれる。どこかで聞いた歌だなと思ったら、伊勢音頭が入っていたようだ。
♪ 伊勢は津で持つ 津は伊勢で持つ 尾張名古屋は城で持つ ♪
♪ お前百まで わしゃ九十九まで 共に白髪の生えるまで ♪
そこが終わると大磯駅に通じる道を1本渡って、道祖神社の前の路地に入って、再び路地を上下する。
いいかげん若い衆を乗せて走り、木ソリも疲れたのか、木ソリの下の鉄プレートが外れて、直に舗装道路を滑って走り、焦げ臭くなった。それに、長い間下帯一枚の若い衆は風邪をひかないかなと余計な心配も出るくらいである。
ようやく、気勢をあげながら道祖神社に入って行った。
最後は、シャンシャシャンではなく胴上げで終わる。
終わった後に木ソリを見ると、ヤンナゴッコの宮は、若い衆の尻の下になって、残っていた。