あの町この街あるこうよ

歴史散策まち歩きの記録
たまに丹沢・大倉尾根を登る

絹の道・浜街道を歩く 4日目(西谷~芝生の追分)

2013-05-29 09:25:58 | 養蚕・シルク
西谷駅下車8:35
相鉄の踏切手前の二股まで行き、4日目がスタートする。

西谷商店街~上星川
西谷商店街へ出てきた。
すぐに左の路地を入って行くと民家の入口と並んでがある。生憎となりの民家の荷下ろしの車で不動堂前がふさがれている。本日の散策安全祈願をする。

案内板に、これは石像であること、1791(寛政3)年奉られたこと、当時の八王子街道はシルクロードとして知られ、旅人も多くそれに伴い村での泥棒が多発して泥棒除けに奉られたものだと言われていること、明治の中期までは現在の西谷町905番地辺りにあり、帷子川の度重なる洪水のため川に崩れ落ちたのを拾い上げて現在地に移設したことなどが書かれている。
江戸時代にシルクロードという表現はないだろう。それに横浜開港は60年もあとのこと。少々話があと付けされているようにも思える。それとお不動様で鳥居も不思議な感じがする。神社に鐘楼は神仏習合時代の名残と納得するが、これも「あり」なのか。
商店街を行く。
左手奥に西谷地区センターの建物が見える。道なりに右に左に曲がると、下り坂になる。まだまだ商店街が続く。左手の西谷郵便局の手前角を左折する。「高さ制限1.8m」の相模鉄道のガードをくぐると国道16号の妙福寺前信号に出る。

正面の妙福寺に参拝する。参道右手に子育地蔵祠が見え、その右手に弁財天や堅牢地神塔が祀られている。地神塔は1959(昭和34)年と比較的新しい。その他古い石仏像も一緒に並んでいる。徳川十一代家斉(いえなり)時代の文化の年号が刻まれたものもある。

妙福寺を出て、すぐ脇の旧道沿い左側に高さ40cmほどの1697(元禄10)年の庚申供養塔がある。
道なりに右に曲がりながら上って行く。丁度NTTの裏にあたる。

その先、下り始めた所、左手の正観寺の駐車場の隅に奉請堅牢地神塔がある。右側面に「寛政三辛亥 左神奈川」「右八王子道」と刻まれている。道標を兼ねたもののようだ。手前に舟形観音石像も。西谷の不動明王と同じ時代だ。
その先、左手の石段を上がった所に正観寺がある。境内に上ると、また石段があり、その下の左手に開運弁才天、豊川稲荷が祀られている。弁財天の祠にはご詠歌が掲げられている。右手に鐘楼があり、石段の上の観音堂の屋根の奥に釈迦牟尼仏が坐っている。

寺史によると、後北条家家臣小机衆として勢力のあった矢上城(現在の日吉)城主中田加賀守の菩提の為その子中田藤左衛門が父の守本尊を奉納し、創建したという。
正観寺東角には環状2号線にぶつかる行き止まりの道があって、新しい旧八王子道標がたっている。
道標の右を通って環状2号線をくぐる。9:20
              

ガードをくぐって、上星川二丁目信号手前の国道16号に合流する。
杉山神社信号の先左手に杉山神社がある。横浜市を中心に川崎市、東京都稲城市などに多く分布する神社である。『続日本後紀(869年)』に枌山(そぎやま)神社と記載される古社で、武蔵国都筑郡唯一の式内社であると。
入口には1792(寛政4)年の堅牢地神宮碑がある。また、現役を引退した1842(天保13)年の銘がある手水鉢がある。

その先は、神社の脇からトヨタ販売所裏手の旧道と思われる道を行くが、すぐに右手国道16号に合流する。
              

左手の歯科駐車場奥に南無大堅窂地神塔、庚申塔と2体の立像が刻まれた石像(1765(明和2)年)の3つがある。
堅窂地神は、大地の守護神で、作物の豊作を願って石碑を建てられたものようだ。地神を祀る講の集まりがある土地もある。
貨物線の高架を潜る。その先の相鉄線上星川駅前交差点付近から大池道路へ向かう途中の階段を釜台つづら坂といい、その長さ(163m)、高低差(38m)は保土ヶ谷区で一番の階段だという。階段の入口は、上星川駅と反対側にある歩道橋のたもとに入口がある。釜台という町名の由来となった釜壇山には、源頼朝が狩りの際に茶をたてた釜壇の石があったといわれている。9:40

上星川~追分
上星川駅前を過ぎる。
保土ヶ谷中学前バス停先の釜台歩道橋下フェンス内に「横浜市地域史跡 和田村道橋(みちはし)改修碑」がある。案内板に『この碑は、江戸中期、八王子往還和田村地先の難路改修の由来を記したものです。江戸の住人櫻井茂左衛門が資金を提供し、和田村及び隣村の川島村民の協力を得て、道を改修し、橋を架け、往来の難儀を救ったとあります。元文二年十一月(1737)の建立です。八王子往還は、芝生(しぼう)(現在の西区浅間町)で東海道から分岐し、町田、八王子へと通じている街道です。 平成五年三月 横浜市教育委員会』と書かれている。碑の右側面には「南無阿弥陀佛 元文二丁巳歳十一月」と刻まれている。櫻井茂左衛門が行った道橋改修は、3日目に歩いた旭区の白根村にもあった。櫻井茂左衛門とはどんな人物であったのだろう。江戸の篤志家しかわからぬ。

その先、和田町信号では直進する横断歩道がなく、100m余り奥まった大池道の横断歩道を渡らなければならない。この不便さは何故だろう。渡ってすぐにガソリンスタンドの裏側の旧道を行き、和田町商店街前の信号に出る。16号を渡る信号待ちの歩行者がきちんと整列するかのように商店街の奥まで並んでいる。
この商店街は近くの横浜国大の学生とシャッター街にしないように論議して対策を講じている商店街の近くに事務所を持つ山の友人に聞いたことがある。

商店街の信号を渡る。
横浜新道の高架の手前右手に和田杉山神社という案内があるので、右に折れる。
「村社杉山神社」と書かれた1935(昭和10)年に奉納された石柱がある。鳥居の扁額には「杉山神社」と書かれている。先ほどは「杉山宮」であった。「神社」と「宮」の違いは何のか。
調べると、平安時代の延喜式のころは「宮」は限られた社きり名乗れなかったが、それ以降の時代は「神社」と「宮」の違いはないようで、明治に入り、国で神道を進めるようになり過去の天皇家の親王を祀る「宮」が増えた歴史もあった。戦後は規制緩和ではないが、社名を自由に決められるという。
境内右手の石塔石仏群には、一番右に道標を兼ねた庚申塔がある。左側面に『これより右八おうじみち』と書かれている。右側面には、「山」の前の二文字があいまいだが、地理的な位置を考えると『これより左大山みち』と書かれているように思われる。

国道16号(街道)に戻り、横浜新道の高架下をくぐる。10:10
ここからは続けて3回、蛇がうねるように数回、国道16号を横断する。
はじめに、横浜新道の高架下すぐの保土ヶ谷陸橋下信号を横断する。信号待ちをしていると心地よい風が流れてくる。日差しが強いので救われる。
斜め右手前方に旧道が続く。すぐ先、保土ヶ谷公園入口信号で2度目の国道16号を横切る。その先に旧道が続く。国道を渡るので信号待ちの時間が長い。
右手保土ヶ谷郵便局の右手に保土ヶ谷区役所があるが、この辺りは、もと富士瓦斯紡績保土ヶ谷工場があったところだ。1910(明治43)年、この地で工場が操業を開始、大正から昭和初期に全国の絹糸紡績業の最大を誇ったのが富士瓦斯紡績保土ヶ谷工場だったそうだ。ちなみに横浜市域でも製糸業は盛んで1889(明治22)年から1912(大正元)年までに設立された横浜市域の製糸業は44社もあったそうだ。
この工場では、関東大地震の際に昼食を終えた女工たちが職場に就くため工場間の中廊下を移動していたところ、両側のレンガ壁が倒壊して職工453名と社員1名が圧死する工場被害最大の死者数が発生している。
被害を受けた女工の多くは、東北の貧しい農家の出身で遺骨を引き取りに来る交通費の工面ができず、遺骨は2.5km離れた東光寺の先代の住職が引取り葬ったといわれる。その墓石には「関東大震災受難者之墓」と刻まれているという。
この情報は、残念ながら散策を終えた後だったため、東光寺に参っていない。機会があったら参拝したい。
保土ヶ谷公園入口で入った旧道はホームセンターの脇を通って3度目の16号を横断する。が、渡る信号がここにはないので、先の保土ヶ谷警察署前信号を渡る。
旧道はコンビニの脇を渡りすぐに二又となっている。左手は峰岡公園、峯岡小学校に続く。右手を行く。その先で再び合流し16号に通じる。

16号に合流すると、すぐに宮田三丁目信号があり、そこを左に曲がるとすぐに延命地蔵尊がある。
ここまで来ると浜街道も最終段階となる。

延命地蔵尊では、若い女性が熱心に祈っているので遠慮して先に進む。
延命地蔵尊の少し先、左手に祠に入った庚申塔がある。そして、この先はすぐに突き当たって三差路になり、ここで浜街道は終わる。

左右を走っている道は東海道である。ここは芝生(しぼう)の追分(おいわけ)である。11:00
辻にたっている標柱には『追分は一般に道の分岐点を意味しますが、ここ芝生の追分は東海道と八王子道が分かれる場所です。』とある。


八王子から運ばれた生糸はこの先、東海道、横浜道を歩き関内に行き、直進して製糸検査所を通って横浜港・象の鼻に向かう。


                 関連 : 「絹の道」浜街道を歩く 1日目
                     : 「絹の道」浜街道を歩く 2日目
                     : 「絹の道」浜街道を歩く 3日目
                     : 「絹の道」浜街道を歩く 4日目(芝生の追分~象の鼻)



最新の画像もっと見る

1 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
意外と (ぴーしー西谷)
2013-08-24 18:15:24
地元ですが意外と見ていないものですね
返信する

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。