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残してほしかった京急「仲木戸」の駅名

2020-03-13 00:00:00 | その他






JR「東神奈川」駅と隣接していながら、駅名が異なることで乗り換え可能な駅としてお客さまから十分に認知されていないことから、「京急」を冠したうえで同駅名とし、乗り間違いを防ぎつつ利便を高める目的から駅名が変更される。


という駅名に3月14日(予定)変更される。
しかし、「仲木戸」の名は付近に御殿の木戸があった歴史から来ている。

御殿とは
神奈川御殿 で、江戸時代初期に、現在の横浜市神奈川区神奈川本町におかれた徳川将軍家の宿泊施設(御殿御茶屋)である。
「新編武蔵風土記稿」には1610(慶長15)年に造営とある。「金川砂子」に御殿跡の絵があり、それによると東海道神奈川宿の往来から少し奥まったところ(熊野神社の近く)に9千坪の広さで造営されていた。
神奈川御殿は将軍が上洛の時に最初の宿泊地として使用していたが、三代将軍家光を最後に将軍が上洛することもなくなり、御殿は使われず1679(延宝7)年には、御守殿と御休息所、御上御台所の3ヶ所を残して、総て廃止された。その後その建物群も現在の埼玉県川口市にある金剛院に寄付された。
昭和の時代にはこの辺りを御殿町と呼んでいた。
京浜急行「仲木戸駅」名は、付近に御殿の木戸があったことからつけられた。

御殿の存在目的として単なる将軍の鷹や鹿狩りの休息場であったのだろうか、豊臣から徳川に変わったばかりの時代に将軍権力を象徴する砦や城郭と同類の位置づけではなかったかという見方もある。それを実証するように、御殿の周辺には土塁や空掘を設けて要塞化し、家臣屋敷などが立ち並んでいたと思われる。その後幕府の街道支配が強化される過程で消滅した。神奈川県に存在した、小杉御殿、藤沢御殿、中原御殿、然りである。

ということで、「仲木戸」の名が消えるのは寂しい。

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