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モノトーンでのときめき

ときめかなくなって久しいことに気づいた私は、ときめきの探検を始める。

ときめきの植物雑学 その14: 魔女狩り

2008-01-11 08:00:00 | ときめきの植物雑学ノート
その14: 魔女狩り

いつの世でも“仲間はずれ”“いじめ”がある。
陰湿なだけでなく、生命までかかわってくるから看過できない。
組織的・国家的な権力者がかかわってくるとなるとなおさらだ。
なんて息をまいていてもしょうがないか~

ふれないで素通りしたかったが、・・・・・
植物とヒトとの関わり合いのテーマでは逃げることはフェアーでないと思い、
1600年頃をピークとして、中世末のヨーロッパを吹き荒れた狂気
“魔女狩り”にふれることにする。

魔女狩りに関しては、“狂気”であるだけにまだわからないことが多いようだが、
従来のイメージを変えなければならないことにこの歳で気づいた。
この確認から行い、植物との関係での見方を展開する。

魔女狩りの間違った認識
1428年にスイス・ヴァレー州で最古の魔女裁判がされたが、
イタリア、スペイン(バスク地方除く)、オランダなどでは、魔女裁判がほとんどなく、
ポーランド、スウェーデン、ハンガリーなどが多いという。
中世末の全ヨーロッパでの狂気かと思っていたが、
グローバル化されていない民衆が多い、豊かでない地域で特に熱くなったようだ。

ヒトがヒトを裁く“排除”のきっかけは、
1229年にグレゴリウス9世教皇が異端審問制度を組織化したことから始まるが、
魔女裁判・火あぶり等の処刑執行は民衆であり、あらかたは仲間内での公開リンチのようで、
カトリック教会は、止めようとはせずに了承をしていた脇役だったようだ。

イエズス会の修道士フリードリッヒ・フォン・シュペ(1591-1635)は、
魔女狩りが激しかった時期に、『犯罪にご用心 魔女裁判における法的疑義』(1631)を出版し、
“魔女は存在しない。異端審問官の妄想がつくりだしたものだ。”
と内部批判をおこない、積極的に狂気に反対した修道士も数少ないが存在し、
組織的な指令で魔女狩りがなされたわけではなさそうだ。

魔女狩りの火種は
ヨーロッパの広い地域で同時多発的・継続的に魔女狩りがされるには
強くて固い信念・意志があるはずで、宗教でないとすると何だったのだろう。

動物の世界では、インプリンティング(すりこみ)という本能のようなものがある。
これは、生まれたばかりの子供が、目の前にいる動くものを親だと思い込み
後を追うそうだが、このような本能的な行為がすりこまれている。

ヒト社会では、赤子を育てるためのすりこみとして、
童話・童謡・民話というものが、重要な役割を果たしている。

ヘンデルとグレーテルの物語は、
森の中にいる怪しげな“ババア”を魔女とし、こんなババアのいる森に注意しましょう。
ということを教えているが、ババアに注意しましょうということになってしまった。
魔女のイメージは、
土着の民話のなかに、ユダヤ人の特色であるカギ鼻、
占星・薬草などの高度な知識を扱う怪しげなふるまいなどを
新たに取り込み、形成されたようだ。
絵本を見るとこんなイメージになっていると思う。

魔女=産婆の図式
初期の魔女は、これらのイメージの焦点として“産婆”にピントが合っていた。
産婆のことを英語では、Wise woman(賢い女性)といい、
医療技術が幼稚な中世では、高度な医療技術を持っていた。
産科、小児科、薬学、心療内科の専門家であり、
朝早く露が落ちた後の生きの良い薬草を摘みに森に入るなど
自然と積極的にかかわってきたナチュラリストでもある。
また、男性至上主義で無知な男にとって、賢い女は嫌な女であることは今でも変わらない。

“産婆”が排除される対象になったのは、誰にとって、何が気に入らなかったのだろう? 
そこには、産婆を排除するメリットがあるはずだ。

魔女狩りが吹き荒れた時期の“狂気”の裏返しである“正気”をおさらいすると
・11世紀以降各地に大学が作られた。
・16世紀半ばから大学付属の植物園が作られ始めた
・16世紀は、植物そのものを研究対象とした本草書が出版された。

“正気”の向かう方向は、科学であり、これを学んだ医学部大卒の人材の活用である。
ストレートにいうと、あやしげな“産婆”の職を奪うということに尽きる。
これほど嫌われたのは、
処女で赤ん坊が生まれるはずがないことを一番知っているのは“産婆”であり、
この点で教会と熱烈な信者から嫌われていたことが指摘できる。

“産婆”の職を奪う方法として
文化度の高い先進地域及び都市では、“産婆”の登録・免許制度をつくり、これを運用することによって
好ましからざる“産婆”を排除する仕組みをつくった。
もう一つが、“魔女狩り”での根こそぎの排除だ。

この動きは今日まで続き、“産婆”は消え、助産婦すら職業から消えてしまった。
ヒトの誕生から死までを自宅から切り離し、医学部・教会に移行させる
国民の生死の国家管理という野望が芽生えていったと思われる。

植物園が誕生し大学医学部が活性化する同時期に、“魔女狩り”がピークを迎えている。
大卒の医師、植物学者が生産される仕組みがつくられることによって
“産婆”に変わる代替が登場した。
経験はないが、マニュアル的で、水準が保証された均質な技術・知識
これを普及させるには、“産婆”の役割を段階的に小さくしていけばよい。
こんな合理的な考えが、“狂気”の増長を助けたのかもわからない。

魔女狩り=狂気の正体は?
この“狂気”の正体はいったいなんだったのだろうか?
いろいろな説があるが、どれも当てはまらず、
現段階で説得力を持っているのが、「集団ヒステリーのスケープゴート」のようだ。

不純物を排除し、混じりけのない純なものにしたいという『純化』
一神教であるキリスト教の本質だろう。
仲間はずれ、いじめの“見せしめ”が、
魔女狩りでの火あぶりまでエスカレートさせたのだろうか?

植物・動物そして人間社会でも、 『多様性』 は生存の基本として重要であり、
生き残る手段でもある。
異質・異物を排除する『純化』は、その方向には強いが、流れが変わると生存を危うくしかねない。
太平洋戦争に突入していった“狂気”“集団ヒステリー”のようなことを
再現させないためにも、異質・異物を尊重し発言を聞く耳を持っておきたいものだ。


<<ナチュラリストの流れ>>
・古代文明(中国・インド・エジプト)
・アリストテレス(紀元前384-322)『動物誌』ギリシャ
・テオプラストス(紀元前384-322)『植物誌』植物学の父 ギリシャ
・プリニウス(紀元23-79)『自然誌』ローマ
・ディオスコリデス(紀元1世紀頃)『薬物誌』西洋本草書の出発点、ローマ
・イスラムの世界へ
⇒Here 西欧初の大学 ボローニアに誕生(1088)【その13】
⇒Here 黒死病(ペスト)(1347)【その10】
・レオナルド・ダ・ヴィンチ(1452-1519)イタリア
⇒Here コロンブスアメリカ新大陸に到着(1492)【その4~8】
⇒Here ルネッサンス庭園【その11】
⇒Here パドヴァ植物園(1545)世界最古の研究目的の大学付属植物園【その12】
・レオンハルト・フックス(1501-1566)『植物誌』本草書の手本で引用多い、ドイツ
・李時珍(りじちん 1518-1583)『本草網目』日本への影響大、中国
⇒Here 花卉画の誕生(1606年) 【その1~3】
⇒Here 魔女狩りのピーク(1600年代)【その14】



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