彦四郎の中国生活

中国滞在記

中国金メダル38個の内実—「小・巧・難・女・少」の国家スポーツ戦略とアンバランス国家

2021-08-12 09:07:33 | 滞在記

 3週間にわたって繰り広げられた東京オリンピックでの50余りでの競技は、8月8日に閉会した。日本選手団が獲得したメダル数は58個(金27個、銀14個、銅17個)だった。最もメダル数が多かったのはアメリカの113個(金39個、銀41個、銅33個)で、次いで中国の88個(金38個、銀32個、銅18個)という結果となった。(他に、ROC[ロシアオリンピック委員会]が71個、イギリスが65個)、これがメダル獲得数ベスト5の国々だった。

 中国は777人の選手団を派遣した。金メダルと銀メダルの数の獲得数は合計70個だが、このうち15個が卓球とバトミントンの競技によるものだ。これからみても、いかに中国の卓球とバトミントンは愛好者も多く、国技と言ってもよいくらい選手層の厚さや強さを物語っている。バトミントンは中国では約2億人の愛好者が存在していると言われている。

 この卓球とバトミントン、そして体操は、中国が世界に誇るスポーツ競技の強国と言える。(他に、飛び込み・射撃・ウエイトリフティングなどでのメダル獲得数も多い。)

 1980年に初めてオリンピックに参加をした中国において、いままでのオリンピックで卓球での各種種目競技で金メダルを他国にとられることはほぼなかった。(1回だけ過去にあった)   今回の東京オリンピックでの男女混合ダブルスで、日本の水谷・伊藤ペアに中国の許・劉ペアが決勝で負けたことは、中国にとってかなり大きな衝撃が走った。やはり恐るべき伊藤美誠でもあった。

 だが、しかし、卓球女子シングルスで、伊藤美誠は準決勝で中国の孫穎莎に完敗を喫した。決勝戦はこの孫と同じく中国の陳夢の組み合わせとなり、陳夢が金メダルとなった。そして、3位決定戦では伊藤はシンガポール選手に勝って銅メダルとなったが、孫との試合完敗に涙を流した。この伊藤の悔し涙は「大魔王の目にも涙」などと中国でも大きく報道されていた。

 続く女子卓球の団体戦では、日本は伊藤・石川・平野が中国の陳・孫・王と決勝戦で対戦したが、ここでも伊藤は孫に完敗、中国女子卓球の前に完全敗北を喫して銀メダルとなった。(3位の銅メダルは香港)  孫は伊藤と同じ20歳だが、まさに伊藤の刺客として、伊藤の弱点の徹底研究など、その対策は2年以上をかけて十二分に準備された結果でもあった。

 中国にとって恐るべき伊藤美誠だったが、混合ダブルス以外は男女ともに中国卓球界の勝利となり、中国国内は沸き返った。と同時に、伊藤美誠に対する関心は今まで以上に中国国民に強くなっている。「妈妈的嘴真骗鬼」の中国の見出し記事。伊藤美誠の母親の美誠への幼いころからのスパルタ卓球指導についても書かれていた。

 伊藤美誠は中国では「大魔王」と呼ばれてもいた。伊藤が中国でこう呼ばれることになったのは、2018年のスウェーデンオープンの国際大会に参加したときからであり、すでにそれから3年がたつ。この大会には中国から、当時世界ランク1位の朱雨玲や、劉詩雯、丁寧なども参加していた。驚くべきことに伊藤はこの3選手をことごとく撃破して優勝をしたことから、「伊藤恐るべし」という意味合いでこう呼ばれるようになった。中国メディアは「独立心が旺盛で強い。まるで、飼いならされていない野生の狼のようだ」という表現をしているものもあった。

 中国人にとって福原愛は「中国国民の妹」的存在だが、伊藤美誠は、一言で表現するならば、「とても興味のある、これからも中国を脅かす"、一目置く、認められる"強敵」というところだろうか。だから、この東京オリンピックでの混合ダブルスの敗戦は、表向きは負けた中国の許・劉ペアに批判は強かったが、まあ、敗戦はそれだけだったので仕方がないかという感じだったかと思う。ちなみに、この8月11日に世界卓球連盟が新たに発表した女子卓球の世界ランキングは、1位は陳夢、2位は孫穎莎、3位が伊藤美誠、4位・5位・6位が中国の王曼昱・丁寧・劉詩雯。日本の石川は9位、平野は12位となっている。

 中国の男子卓球もこれまた強い。男子シングルスも男子団体も圧倒的な強さで金メダルを獲得した。男子シングルスは中国の馬龍と中国の樊振東が決勝で戦い、馬龍が金メダルを獲得した。今、男子卓球の世界ランキング(東京五輪前のもの)は、1位が樊で2位が馬、3位があの男女混合で日本に敗れた許昕、4位が日本の張本智和だ。日本の丹羽孝希は16位、水谷隼は20位。中国男子卓球界において、張本もまた伊藤と同じように脅威的な存在だ。ここ数年間の対戦成績は、張本×樊は張本が4勝、樊が4勝、また、張本×馬は張本が2勝、馬が5勝となっている。水谷は樊とは0勝7敗、馬とは0勝10敗となっている。

 東京オリンピック終了後、中国では中国卓球界の選手の名前やその人の別名などの歌詞を配した歌が流行り始めている。例えば馬龍は「破壊龍」、許昕は「体力極限王」、朱雨玲は「帝国的千手観音」など。なかなか良く作られているものだと感心する。

 上記写真右から①②韓国代表の鄭選手と彼の日本語ツィツター

 日本の男子卓球団体は準決勝でドイツに2:3で敗れたが、張本はこの試合で日本のエースとして2勝をあげる大活躍をした。もし準決勝に勝っていて、決勝戦で中国と戦っていたならば、張本が中国の樊や馬とどのような戦いになっていたのか、興味深いものがある。今後、張本は日本のエースとしてさらに実力をつけていくのではないかと思われる。まだ18歳なのだ。

 団体の3位決定戦でも韓国選手を相手に張本は驚異的な勝利をおさめていた。この団体戦では、混合ダブルスに続いて水谷隼のリーダーシップが光っていた。中国の新浪体育など各メディアは「水谷が引退 目の治療方法がないため」「打倒中国を上げていた日本卓球界の名将・水谷が引退」と報道、中国のツィツターSNS微博でも「水谷隼引退」がかなり上位ニュースとして取り上げられていた。

 日本と卓球男子団体戦で3位決定戦を戦った韓国の鄭栄植選手は、自身のツイッターで「2020年TOKYO OLIMPIC おうえんしてくれてありがとうございます!日本Team良い成績おめでとうございます!👏そして試合をできるように助けてくれたボランティアの方もとてもありがたく お疲れ様でした 今後のすべての健康たい下さい!😊」(原文ママ)と、日本語でのメッセージを投稿していた。

 男女混合ダブルスで金メダル、男子団体で銅メダルを獲得した水谷隼選手が、閉会式翌日の9日のフジテレビ系のテレビに生出演し、ペアを組んだ伊藤美誠選手との関係について、同じく生出演していた柔道金の阿部一二三選手に「男女のペアは難しそう。うまくやるコツは?」と聞かれると、「僕はいつもイエスマンになります。尻に敷かれているというか‥。」と答えていたのが微笑ましかった。

 バトミントン男子ダブルス:上記写真左から①②はチャイニーズタイペイチーム、④は中国チーム

 混合ダブルスでは日本に敗れたものの、他の種目では全て金を獲得して留飲(りゅういん)を下げ、混合ダブルスでの敗北を帳消しにできた想いの中国の人々だが、こと今回のオリンピックでのバトミントンでの男子ダブルスでチャイニーズタイペイ(台湾)に決勝戦で負けたことには、中国版ツィツターの微博(ウェイボー)などのSNSコメントには「試合に格闘精神がなかった」「今年最も屈辱的なゲーム」「どうしてそんなにひどいプレーができるのか?」「このオリンピックで最も醜いバトミントンの試合だった」など批判の嵐が巻き起こった。中には「台湾は中国だから中国の勝利だ」というものもあった。

 一方の台湾では、この試合での勝利にお祝いムード一色となった。蔡英文総統は、「うれしさのあまり我慢できず、たった今、東京に電話をかけました。台湾中があなたたちの試合を見ました。みんな熱狂しました。李洋さん、王斉麟さん、ありがとう!」と投稿。"直電"で台湾ペアを祝福した様子は、台湾メディアで大々的に報じられた。

  中国男子ダブルスの李俊慧選手は台湾チームとの対戦後、微博で敗戦を謝罪し、「偉大な祖国に感謝します」とした上で、「チャイニーズタイペイチームおめでとう」と勝者を称えたが、これがさらなる批判を浴びてしまい、投稿を削除した。中国のSNS上でこの中国ペアを擁護するコメントはほぼ皆無だったようだ。中国混合卓球ダブルス決勝で日本に敗れた許・劉ペアに対しては、「中国卓球を敗戦とした非愛国者」などのSNS上での過激な批判もあったが、ペアを擁護するコメントも多くみられたのとは対照的だ。これは、政治的対立が激しくなっている中国と台湾の情勢が大きく影響しているのかと思う。つまり、国技ともいえる卓球とバトミントンにおいて、「台湾だけには負けるわけにはいかない」という中国人の感情的な世相を反映しているようだ。

 今回の東京オリンピックでチャイニーズタイペイ(台湾)は、金2・銀4・銅6の合計12個を獲得し、メダル獲得数としては世界第34位と健闘した。ちなみに韓国は、金6・銀4・銅10の合計20個で世界第16位だった。

 上記写真左から①②バトミントン女子ダブルスインドネシアペア(金)、④中国ペア(銀)、⑤韓国ペア(銅)

 バトミントン女子ダブルス決勝は中国×インドネシアの対戦となり、インドネシアが勝利した。これに対しては中国国内でのSNSではあまり激しいパッシングは巻き起こっていなかった。まあまあ友好的な政治関係にあるインドネシアと政治的緊張関係にある台湾との違いかと思われる。東京オリンピックでのバトミントン各種競技でのメダル(金・銀・銅)獲得数の上位国は、中国が7個、台湾とインドネシアがそれぞれ2個だった。

 今回の東京オリンピックで中国は38個の金メダルを獲得した。金メダル獲得競技は次のようである。

 飛び込み7個、ウエイトリフティング7個、卓球4個、射撃4個、体操3個、バトミントン2個、陸上競技2個、(カヌー・セーリング・トランポリン・フェンシング・ボート・自転車競技)はそれぞれ各1個。すべてが個人競技となっている。いずれにしても14億人いる中国人の中で、誰か一人が努力し才能に恵まれていれば戦える種目である。野球とかサッカーとかバスケットボールといった団体チーム競技に関して、中国はかなり弱いといっていいほど、個人種目と比べて極端に弱いのが中国スポーツ界の特徴だ。

 これは1980年になり初めてオリンピックという国際スポーツの舞台に登場した改革開放後の中国が、遅ればせながら国際スポーツ大会に参加した時、世界とのあまりのギャップを埋めようがなく、どういう種目なら勝てるかを研究した結果がもたらしたもので、巷(ちまた)ではこれを「小・巧・難・女・少」戦略と称している。

 「小」は例えば競技種目がサッカーやバスケットボールや野球のようにプロスポーツ化したスケールの大きなものでなく、一人の若者が特殊な才能を持っているだけで勝てる競技のことである。まずそこに注目して中国選手を育てる。「巧」は個人のテクニックをレベルアップさせればよいという種目で、「難」は難易度の高さを表す。例えば飛び込みとかウエイトリフティングなどは普通の人にしてみればやることもない難易度の高い種目だ。「女」は女性選手の育成を重点化するというもの。「少」は、競技人口が少ない(関心がそれほど高くない)種目のこと。どんな種目であろうと金は金ということだ。「金」の獲得数と国威掲揚を大きな国家目標としている。

 そんな中国の1980年代からの国際的スポーツ戦略の中で、唯一例外だったのが、中国女子バレーボール代表チームの国際的な活躍だった。中国女子バレーの第一次黄金期は1981年のワールドカップ、82年世界選手権、84年ロサンゼルス五輪の3大会すべてで金メダルを獲得したのだった。その時のエースは強烈なスパイクから「鉄のハンマー」とも呼ばれた郎平選手。その後の国際大会では低迷したが、1995年に郎平が監督として就任し、低迷していたチームを立て直し、96年のアトランタ五輪と98年世界選手権で金メダルを獲得した。第二次黄金期の到来だった。その後、長い低迷期を経て2013年に再び郎平が代表チーム監督に復帰。2015年世界選手権、16年リオ五輪、19年世界選手権で金メダルを獲得した。第三次黄金期である。当然にこの東京五輪でも金メダル獲得、悪くても銀メダルが国民から大きく期待され、また、その実力もあったのたが‥。

 予選の戦いで3連敗となり、5戦を戦った最終結果は2勝3敗で予選リーグ敗退となった。決勝トーナメントに進めないなどと、中国のみならず世界中の誰もが予想だにできない出来事だった。今回の東京五輪で中国の人々の落胆たるや想像に余りある。絶対的エースのアタッカー朱婷が手首のケガで本調子が出なかったことが予選リーグ敗退の大きな要因だった。だが、朱以外のエースアタッカーへの切り替えが2016年以降に準備されていなかったこともその敗因として指摘されている。中国の記事には「王朝落幕」という見出し記事もあった。

 「再見郎平!」(さようなら郎平監督)の見出し記事。郎平監督は中国女子バレー代表チームを去ることとなった。

■中国の国ってどんな国?と聞かれれば、私が8年間あまり目にした中国の実像は、一言で言えば「アンバランス」(不均衡)。それは外国人の私から見れば中国の魅力でもあるのだが‥。世界選手権やオリンピックなどのスポーツ分野でもそのことが言えるかもしれない。確かに、今回の東京五輪でもメダル数88個という世界屈指のスポーツ大国なのだが、そのメダル獲得種目を見ればアンバランスだ。今の中国の小中高校の教育は、大学受験の過熱のため、もともとの体育の授業を自習の形にして受験科目の勉強をさせることもけっこうある国柄だ。

 また、世界のGDP(国民総生産)では2010年から世界第二位となり、最近では日本の2倍のGDPとなっている中国。しかし、国民一人当たりのGDPでは、日本は23位だが、中国は63位に過ぎない。これもまだまだアンバランスだ。

 

 


中国のオリンピック選手育成システム—世界チャンピオンの揺りかごともよばれる体育学校

2021-08-11 11:13:02 | 滞在記

 中国の中学校や高校にはクラブ活動はほぼ存在しない。大学進学率が50%近くになった中国だが、小学校から高校3年生の卒業までの12年間は、毎年6月上旬に行われる年に1回きりの「高考(ガオカオ)—大学統一試験」でいかに高い点数をとるかということに向けての学校生活の期間となると云っても過言ではない。

 では、1980年よりオリンピックに参加を始めた中国におけるスポーツ選手育成システムとはどんなものなのか。中国には国家と市や省が運営する体育学校というものがある。この学校がオリンピック代表選手をはじめとしたスポーツ選手を育成している基幹の組織だ。体育学校には小学校の低学年から20歳くらいまでの生徒が在学するが、最も年齢的に多い入学年齢は10歳前後だ。1990年にはこの体育学校が全国で3700余あったが、現在では2200余となっている。

 中国には2800余の大学があるが、北京大学や清華大学などを筆頭に大学のレベル順位が歴然とある。それと同じようにこの体育学校も順位がある。各地の体育学校で優秀な者は、さらにレベルの高い体育学校に移籍していく。そんな体育学校の中でもトップクラスの国家重点体育学校がいくつかある。その中の一つが北京にある「什刹海(ションチャーハイ)体育運動学校」だ。

 2018年の3月、郭沫若記念館に行った時にこの学校を見た。天安門広場などのある北京の故宮の北西には什刹海(※「たくさんの湖がいりくんでいる」という意味)というエリアがある。かっての清王朝時代、皇族や高級官僚たちが暮らした屋敷がたくさんあり、現代中国でもこのエリアの中南海などには中国共産党の幹部たちが暮らす。ここのエリアにこの体育学校はあった。(※郭沫若記念館の前にある。)  学校の創立は1958年でこれまでに3000人以上の優秀な成績をおさめたスポーツ選手がこの学校に在籍をした。

 この学校の建物の中心は、地上4階地下2階建ての体育館。例えば地下2階にある体育館は卓球台30数台が並べられている卓球専用の階だ。この地下2階から中国の卓球オリンピック代表選手が多く育ってきている。体育館の屋上には、「少年強 中国強 体育強 中国強」の文字看板が掲げられていた。

 世界選手権やオリンピックなどで活躍した(している)先輩たちの名前や競技名、受賞歴などの一覧表などの看板も校門前に掲示されていた。例えば、この東京オリンピックでも活躍した中国男子卓球界のエースである馬龍(マー・ロン)や中国女子卓球界で2〜3年前まではエースだった丁寧(ディン・ニング)などの名前。馬龍などは小学校4年から遼寧省の体育学校に入学後、その省での成績が特に優秀ということで、中学生になってからこの北京の体育学校に転籍している。

 現在、この学校には800人あまりが在籍していて、午前中は、小学・中学・高校とそれぞれの年齢に応じた学業(授業)、午後からは各種スポーツの訓練に励む。全国各地にある体育学校では、地域の学校に午前中だけ授業に通い、午後以降は体育学校でスポーツの訓練を行うところが多い。世界チャンピオンの揺りかごとも呼ばれるのがこれらの体育学校だ。什刹海体育運動学校は特に、バトミントン、体操、卓球、バレーボール、ボクシング、テコンドーなどの武術などの種目での優秀な選手を輩出しているトップレベルの体育学校だが、種目によりトップレベルの体育学校は異なるようだ。

■中国の小学校・中学校・高校におけるスポーツ

 日本のような中学や高校のクラブ活動は中国の学校ではほぼないが、近隣の学校対抗などのスポーツ大会が開催される場合は、学校代表チームが作られ1カ月間ほどの練習をして試合に臨むこともある。運動会は中学や高校では毎年1回行われるが、ほとんどは徒競走やリレーや、走り幅跳びなど日本のスポーツテストに似た競技が簡素に行われるだけのもの。学校の体育の時間は、日本では1週間に2回あるが中国では1回。

 時間割の多くはほとんど大学入試に関係のある教科(国語・英語・数学・理科・社会)に振り分けられる。中学や高校には、バスケットコートはやたらと多い。休み時間や放課後によくバスケットボールが行われている。日本では「文武両道」が推奨されるが、中国の現代教育は「文」一筋、そして日本のような「知徳体」教育ではなく「知」がとことん重視の教育だ。ちなみに、中国の小・中・高にはほとんどプールはないこともあり、中国人で10m以上泳げる人は10人に1人くらいかと思う。

 中国の地方都市や町に行くとコンクリートで作られた固定式の卓球台をよく目にする。ネットもブロックを積んだだけのものもある。私が暮らす福建省の省都・福州市にある福建師範大学の体育館に時々行くと、卓球エリアで親子がよく卓球をしている光景に出会う。それは親子が卓球を楽しむという光景ではなく、卓球のスパルタ訓練という光景だ。(父親と小学校低学年から中学年の子供が多い)

 バレーボールは、中国代表のナショナルチームだけでなく、各省のチーム、大学チーム、各市チームなどが中国にはある。その省の体育学校の生徒なども含めた省の代表チームだ。中国でのそんないろいろなチームが全国大会を行う。毎年、福建師範大学体育館では、全国大会に向けての予選リーグが行われているので、よく観戦している。中国の代表ナショナルチームは、これらの大会での優秀な選手の選抜チームだ。

 ちなみに、福建省にはバレーボールの故郷と呼ばれる市がある。福建省漳州市だ。この町からはこれまでに有名なバレーボール選手が出ている伝統があるようで、私の福建師範大学教員時代の教え子の中にもこの町出身の長身の女子学生がいた。彼女は小学高学年からの一時期、地元の体育学校に在籍していて、将来はバレーボール選手を目指したが、途中で体育学校をやめている。

 2013年9月に中国に初めて赴任した頃には、中国国内で市民がサッカーをしている(楽しんでいる)というような光景はほとんど見ることはなかった。しかし、2015年ころからぽつぽつとサッカーをしている光景をたまに見かけることがでてきた。でも、その光景をみていると本当に下手だった。しかし、年々サッカー愛好者が増えてきていて、そのサッカー光景も上手になってきている感がある。さらに、2018年頃からは小学生を対象としたサッカー教室などの光景も出始めている。

 習近平国家主席がサッカーファンということもあってか、中国ではサッカーワールドカップの招致を目指してもいる。来年2022年は中東のカタールで開催され、2026年はカナダ・アメリカ・メキシコの3か国共同開催までは決まっている。中国が2030年の開催に名乗りをあげる可能性は高い。サッカーという競技は、サッカー愛好家の裾野が大きい国が強い。この点では中国はまだまだだが、2018年には、全国の小中高2万校をサッカー推進重点校に指定してこのサッカーの普及を図っている。また、2050年までにサッカーワールドカップでの優勝を目指している。

 中国女子サッカー代表チームはかなり実力をつけてきていて、この2020+1東京五輪にも出場している。(※アジアでは、開催国日本の他にオーストラリアと中国。中国は韓国との激戦ほ制してオリンピックに出場した。)  中国の男子代表チームは、南米などの海外選手の中国への帰化(国籍取得)を複数人も進め、来年のカタール大会でのワールドカップ初出場を目指して、9月からのアジア最終予選に臨む。日本とも対戦することになるが、侮れない実力をつけ始めている。

 中国でのこの8年間、街角での二人でのキャッチボールを含め、野球やソフトボールをしている光景というものを見たことはなかったが、一度だけソフトボールをしている光景を見たことがあった。それは2018年の9月、私が勤務する閩江大学の芝生広場でなんとソフトボールを男女混合チームでしていた光景だった。ちゃんとユニフォームまでそろえていた。そのようすを見学していたがとてもとても下手だったが‥。まあ、楽しんでいるという感じだった。

■中国で競技人口や愛好家が最も多いのはバトミントンだ。愛好家の数は2億人あまりとされている。卓球と並び中国の国技とも言われている。

■中国での大学進学熱(高考でより高い点数をとり、よりレベルの高い大学に進学する)の風潮を受けて、中国の体育学校への入学者も大きな影響を受けてきているようだ。かっては、体育学校に入学することは親にとっても子供にとっても大変名誉なことだったが、親や子供たちの意識の変化も起きてきているようだ。

 

 

 

 

 


花蓮咲く故郷、南越前町―再び天狗党降伏の地、敦賀市の新保陣屋を訪れる

2021-08-06 11:06:38 | 滞在記

 8月1日(日)の午後から2日(月)にかけて故郷、南越前町の実家に帰省する。日本海に沈む夕日が美しい。

 翌朝2日の早朝、近くの集落に行き水田のようすを眺めた。美田が広がっている。あと半月後のお盆に備えて、墓の草刈りに行き、墓に桔梗(ききょう)の花を供えた。墓から実家のある集落を見渡す。

 故郷の南越前町は海の河野地区、山の今庄地区、里の南条地区の3つのエリアがある。京都への帰路、南条地区にある花蓮公園に立ち寄った。里の一面に蓮畑が広がっている。

 蓮の原産地はインドとされていて、インド、スリランカやベトナムの国花は蓮の花。日本に蓮がいつ伝来されたのかははっきりと分かっていないが、2000年~4000年前の弥生、縄文時代の遺跡から発掘された蓮の種を発芽、栽培したら古代の蓮が花を咲かせた。(大賀蓮)  このことから、すでにこの時代に日本に伝来していたことが分かった。どのようにして伝来したのだろうか?考えられるのは、中国を経由して伝来した可能性だ。

 仏教ではこの蓮花は聖なる花とされる。根は蓮根(レンコン)として日本でも食されるが、ベトナムなどでは茎もサラダなどとして食されているようだ。蓮畑が広がる地区を奥に行くと水田が広がっている。向こうに見える山々は福井県と岐阜県の県境となる1000m級の山地。今庄地区で昼食に越前のおろしそばを食べた。

 吉村昭の『桜田門外の変』吉村昭の続編ともいえる『天狗争乱』を2週間あまりをかけて読み終わった。先月7月にも行ったのだが、水戸天狗党が幕府・諸藩の約1万余りの軍勢に雪中の地で包囲され、1000名余りの天狗党が降伏をするに至った地を再び訪れた。敦賀市の山間にある木の芽峠近くの新保集落。ここに今もその当時(1864年12月)の建物が残る天狗党陣屋跡地。

 7月に行った時に建物の中には入れないと思い、建物内部には入らなかったのだが、今回再び行ってみると、「建物内に自由にお入りください」という小さな貼り紙のあることに気づいた。板戸を開けて建物の中に入った。

 小さいが書院造の建物が当時のまま残っている。今から157年前にここに武田耕雲斎や藤田小四郎、山国兵部らの天狗党の指導者たちがいたのだと感慨深くもある。

 建物近くに咲く白い桔梗(ききょう)の花が鎮魂花のようにも思えた。

 

 

 

 

 

 


酷暑の日々、京の奥座敷"貴船"の川床は凉の世界—貴船神社"丑の刻参り"—再びの蔓防、禁酒

2021-08-05 17:11:06 | 滞在記

 東京オリンピックの開催に合わせて3連休となった7月22日(木)~25日(日)を利用して、東京にある日本の会社に勤めている陳さん(中国の閩江大学卒業後に上智大学大学院に留学)が京都に来た。「連休中に京都に遊びに行きますので、先生の時間がとれればどこかで‥‥」という連絡が急に入ったので、梅雨明けから連日35度前後の気温の酷暑の日々が続いてもいるので、7月24日(土)に京都の奥座敷とも言われている貴船に行くことにした。何度も京都に来ている陳さんだが、貴船や鞍馬方面は初めてのようだった。

 自宅から車で京阪電鉄出町柳駅に行き、ここで彼女と午前10時に待ち合わせをした。賀茂川沿いに北上し貴船に向かう。貴船に到着したらすごくたくさんの人や車の列でごった返していた。この連休中に、全国から凉を求めて貴船に来ているなあという感じがした。なんとか駐車をすることができ、貴船神社の"奥の宮"に向かう。ここ奥の宮には"連理の杉"がある。"連理"とは別々のの木が重なって(くっついて)一つの木ななる意で、夫婦・男女の仲睦いことを言う。ここの神木は楓(かえで)と杉が和合したもので珍しい。

 奥の宮のそばの貴船川の川原の小さなせせらぎは、最近は何度が娘や孫たちと水遊びに来ているところ。この日の陳さんのいでたちは浴衣(ゆかた)姿だった。陳さんいわく、「貴船神社にはやっぱり浴衣姿です」とのこと。中国の学生時代から、コスプレ大好き人間の陳さんである。冷気の貴船は京都市内よりもかなり涼しいためか、7月中旬を過ぎても青もみじがまだ美しい。

 奥の宮の参道の入り口近くに"相生の杉"という神木がある。"相生"とは同じ根から生えた二本の木のことを意味する。"相生"は"相老"に通じ、夫婦共に長寿の意味をももつ。ここの相生の杉の樹齢は1000年にもなる。

 貴船神社は昔から、「丑の刻参り(うしまこくまいり)」が行われ続けた場所としても有名だ。神社の創建は666年以前からで、平安時代からはさまざまな階層の人々がここを訪れている。「水の神(水神)」を祀る全国二千社の神社の総本宮だが、「縁結び」とともに、「縁切り」「呪詛」の信仰を集めていもいる。

 丑の刻参りは別名"呪いの藁(わら)人形。7日間にわたって毎夜、丑の刻(午前1時から3時)に、神社の御神木などに、憎い相手に見立てた藁人形に釘を打ち込み呪詛する。もし、その行為の場面を人に見られたら、見た人間を殺さなければ呪いの効力はなくなるとされている。日本の古来からの術祖の一つだ。

 私が初めてこれを目撃したのは、故郷の隣村の二ノ宮神社で、中学3年の夏休みのことだった。ここ貴船神社には4年ほど前の夏、地元の人に教えてもらい丑の刻参りの釘跡がたくさん残る場所へと行ってみたことがある。現在でも丑の刻参りは行われているようで、この相生の杉の木の裏にもたくさんの真新しい釘の跡が残る。今回は陳さんをここに案内した。中国でも呪詛術はたくさんあるが、中国での最強の呪詛は「蠱毒(こどく)」という呪詛法だ。このあたりのことは、大学の「日本文化名編選読」の授業の中の一コマ「日本の宗教文化―日中宗教比較」の中でも学生たちに紹介している。

 貴船川の上に床を張った川床はとても冷気があって涼しく、京都市内の鴨川べりに並ぶ川床とともに、京都の夏の風物詩。最近の猛暑日というか酷暑の日には、ここ貴船の川床の席は別世界だ。予約料理の中では最も安い「流しそうめん」を、貴船に着いた早々に予約できたが、それでも2時間待ちの予約時間だった。今年ここに来たのは初めてだったが、川床の喫茶店もできていたのには驚いた。この喫茶店に入るのには長蛇の列ができていた。

 陳さん、ここでのポーズを決めて自撮りをしていた。浴衣すがたに頭には狐の面を置いていた。他の客もそのようすにちょっと驚いていたが、私はいつもながら少し恥ずかしい。 

 流しそうめんを食べたあと、貴船神社の本宮に向かう。七夕飾りの何本もの竹に、願いを書いた短冊がたくさんつけられていた。ここもまだ青もみじが美しかった。陳さん、ここでも写真ポーズを決めていた。

 貴船をあとにして鞍馬に向かう。時間も遅くなってきたので、鞍馬寺の三門(山門)まで行き、近くのお店に入り冷たい抹茶を注文。フランスから来たという若い観光客5〜6人が、店でうどんを食べていた。店内には鞍馬ゆかりの天狗の面や烏(からす)天狗の面が並べて売られていた。天狗ソフトアイスクリームの看板がなかなかユニークで面白い。三種類あって、赤いイチゴソフトは天狗ソフトアイスクリーム、牛若丸の白い衣装にちなんだ白バニラ、烏天狗は黒バニラ。

 午後4時を過ぎたので、鞍馬から京都市内に向かう。四条大橋の近くのビジネスホテルに宿泊している陳さんを四条大橋付近で車から降ろし、「再見(バイバイ)」と別れを告げた。彼女は翌日25日(日)の深夜バスで東京に帰り、26日(月)の早朝に東京着、そのまま会社に出勤予定とのこと。

 新型コロナ感染拡大による緊急事態宣言が春から続き、その後の6月20日ころから蔓延防止措置に移行していた京都。7月12日にその蔓延防止措置もようやく終わり、久々に町に活気のようなものが戻っていた7月中旬~7月下旬だった。祇園祭りの山鉾巡行(例年、前祭の7月17日と後祭の7月24日)は昨年に引き続き今年も中止されていたが、町の通りには祇園祭の提灯が並んでいた。居酒屋などの飲食店も灯りがつき営業再開をしているところが多くなっていた。

 鴨川に架かる五条大橋、四条大橋、三条大橋、丸太町橋の間のの川沿いに100軒あまりの川床の店が並ぶ。たくさんの客で久々に賑わう光景が見られた。ひさびさの活気が戻っていたこの3週間あまり‥。

 7月31日付朝日新聞に「緊急事態宣言6都府県に拡大—北海道・石川・京都・兵庫・福岡にも重点防止措置—8月2日から31日まで」の見出し記事が掲載された。東京と沖縄だけでなく、神奈川・千葉・埼玉・大阪も緊急事態宣言となり3府県が蔓延防止措置が決定した。さらに今回のこの蔓延防止措置などは飲食店での酒類の提供は一切禁止という、この1年間半のコロナ禍下で最も厳しいものとなったのには、私も気落ちした。8月3日には、1年半ぶりに友人2人とともに3人で京都の伏見で一杯のみをしようと半月ほど前に約束していたからでもある。

 8月3日の夕方6時に京阪電鉄伏見桃山駅で待ち合わせた。鈴木さんと小林さんとは久しぶりに会った。伏見桃山の大手筋商店街の飲食店は、「8月31日まで閉店します」の貼り紙が多くあった。開店している居酒屋で、ノンアルコールビールで一杯のみのとなる。午後8時の閉店なので、その時間までいろいろと一杯飲み? をしながら話す。

 翌日の8月4日は、早朝7時に家を出て銀閣寺界隈の娘の家に行き、幼い孫たち3人の子守のサポートをする。夕方、自宅に戻る途中に、四条大橋や祇園や先斗町や木屋町界隈を歩いて三条大橋に。炎天下の1日で最高気温は37度の一日だった。夕方になっても気温は下がらず、鴨川に飛び込みたくなる。

 先斗町の通りの飲食店は7割くらいが8月31日まで閉店しますとの貼り紙が貼られていた。酒提供一切禁止の禁酒措置は、飲食店にとってはものすごくきつすぎる要請だろう。鴨川べりの百日紅(さるすべり)の花が美しい。

 昨日8月4日、全国の新規感染者数は1万4207人。東京は4166人、京都も277人と驚くべき数字となった。デルタ株感染は全国に拡大し、23都道府県がステージ4となり、新たに8県(福島・茨城・栃木・群馬・静岡・愛知・滋賀・熊本)も蔓延防止措置が追加された。この厳しいコロナ禍下、東京五輪の熱戦は続いている。もうしばらくは、居酒屋飲みを我慢して、8月8日までの昼夜は五輪観戦と孫の世話かな。

 

 

 

 

 


2020+1東京オリンピック始まる❹中国の国技・卓球と絶対王者・中国女子バレーボールは‥

2021-08-01 12:29:14 | 滞在記

 近年の中国にとって、各種の世界選手権やオリンピックにおいて"絶対負けられない"競技が二つある。これは国のプライドを賭けて絶対に負けられないスポーツ競技だ。それは、中国の国技とも言われる卓球と女子バレーボール。それほどこの二つの競技に中国は圧倒的に強いのだ。日本卓球界の近年の成長に一抹の不安を感じながらも、いまだどの卓球種目においても金や優勝を譲ったことはほぼなかった。

 そして、女子バレーにおいては、ここ数年は、中国のあらゆるスポーツ種目の中でも、卓球をも越えての、別格的な中国代表チームのスポーツとして自信と誇りをもってきていた。女子バレーボール代表チームを率いる郎平監督はまさに国の英雄中の英雄でもあった。

 ちなみに、私が2013年に初めて中国に赴任してのこの8年間、私が目にした中国人が日常的に好んでするスポーツは、「①バトミントン、②バスケットボール、③野外ダンス」がベスト3(スリー)、続いて④卓球、そして2015年頃からは⑤サッカーもよくみられるようになってきた。ジョキングや早朝の低山登山などの愛好者もけっこう多い。

 さて、この東京五輪6日目の7月26日、今回から始めて正式種目となった卓球・男女混合ダブルスの決勝戦が行われた。中国は許昕(きょ・きん)と劉詩雯(りゅう・しぶん)のペア、日本は水谷隼と伊藤美誠のペア。フジテレビ系の解説者にはなんとこの1年間、離婚問題で注目され続けていた福原愛が登場した。

 決勝戦は2:0のセットカウントで中国が先行。このまま中国の勝利かと思われる試合展開となったが、日本が2セットを連取、そして、次のセットはさらに日本が連取、その次のセットは中国が取返し、3:3のセットスコアーに。最終セットは日本が競り勝ってセットカウント4:3となり勝利した。ちなみに3位(銅)はチャイニーズ・タイペイ(台湾)のペアとなった。日本が卓球団体種目以外でメダルをとったのは初めての快挙でもあった。

 私は中国の卓球選手では長年、特に劉詩雯のファンだった。彼女の試合中の表情を変えない、しかし、その中の凛とした様子に惹かれてもいた。この決勝戦でも表情は極力ださず、小気味よいテンポで試合に臨んでもいた。しかし、激闘の末に敗者となり、その後のインタビューでは「中国のみなさんに申し訳ない」とマスク越しに涙を浮かべて消沈していた。表彰台では、共に戦った許昕に銀メダルをかけていたわる姿も印象的だった。

 試合後、中国ペアには、中国メディアから容赦ない質問が飛んだ。「大勢の国民が応援しているのに、なぜ勝てなかったのか?」「敗因は何だと思うか?」‥‥。これに対し、劉は「この結果を受け入れるのがつらい。チームにも国民にも申訳がない。実力が足りなかったと思う。みなさんに本当に申し訳がない」と涙を流しながら、やっと言葉を絞り出していた。許も「皆が期待してくれていたのはよくわかっていた。競技においては結果が全てだ。一番高いところに立った人だけが記憶に残る。チームにとっても、この結果は受け入れられるものではないだろう」と肩を落とした。中国メディアの報道も2人の健闘を称えるものは少なく、「爆冷!卓球ペア、金を失う」「恥の一戦だった。極めて遺憾だ」「中国が日本に抵抗できず、金メダルを失った」など、概ね厳しい内容のものがほとんどだった。

 中国は卓球が1988年の五輪から正式種目になって以降、ほとんどの五輪の試合で金メダルを獲得してきた。2004年のアテネ五輪での男子シングルスで、一度だけ金メダルを逃したが、それ以来、卓球のあらゆる種目で、中国選手が金メダルを取れなかったのは、今回が初めてだったのだ。しかも、中国ペアの許は2016年、リオ五輪の男子金メダリスト、劉も同女子団体金メダリストであり、2人は2019年世界選手権の混合ダブルスで優勝もしていた。そのため、中国メディアの期待も非常に大きいものがあったのだ。

 しかし、そんな中国メディアでの厳しい報道とは別に、中国人の個人が発信するSNSである微博(ウェイボー)や微信(ウィーチャット)では、「2人はすごいよ。銀メダルでも英雄だ」「2人は中国の誇りです。結果がどうあれ、もう泣かないで」「ごめんなさいなんて言わないでください」「14億人の中国人の心では、あなたたちは永遠に一番ですよ」「どうか、自分を責めないで」など、二人の健闘を称える内容が多く、二人を責めるような内容はあまりみられなかったと伝わる。

 以前の中国であれば、このように負けた選手を褒めるということはあまりなかったかもしれないが、昨今のネットの国民的普及で、国民の生の気持ちも国内で伝わるように変化してきている。これらの決勝戦に関するSNS投稿を中国当局は、さすがに検閲してまで削除することはしていないようだ。また、中国メディアの報道は、建前上、厳しいものとならざるを得ないのかもしれないが、メディアや政府がとる「建前」と、中国人の「本音」は異なる。精一杯、全力を出し切った選手に、純粋に暖かい言葉をかけているSNSからも分かるように、中国人も変わってきている面もあるようだ。

 試合翌日の7月27日付の日本の「夕刊フジ」の一面の見出しは、「卓球水谷・美誠金 中国国辱—中国SNS"国技で負けた"」の見出し記事。この新聞、時には良い記事も書くが、おしなべて品性に欠けるものも目立つ。この決勝戦については、もっと相手選手を敬う報道姿勢も大切なのではないかと思う。かなりの三文記事だ。

 そして、東京五輪の卓球種目はシングルス(個人)に移っていった。7月28日、女子シングルス準決勝で、日本の伊藤美誠と中国の孫穎莎との対戦が行われ、セットカウント0:4と伊藤は孫に完敗した。孫は伊藤の弱点を研究し尽くして試合に臨んでいた感じだった。28日の決勝戦は中国の陳夢と中国の孫の戦いとなり、陳が4:2のセットカウントで孫を下した。

 銅メダルをかけての28日の3位決定戦で、シンガポール選手を下した伊藤美誠について、7月29日付朝日新聞には「日本女子シングルスで初のメダルでも 銅では満足できない伊藤」の見出し記事が掲載されていた。中国のSNSネットでは、シングルス準決勝で完敗し涙を流す伊藤美誠への書き込みは1000万回を超え、その人気が爆発的に高まってもいると伝わる。

 五輪卓球は8月に入り、男女ともに団体戦に入ってくる。日本女子チームは伊藤・石川・平野、男子チームは張本・丹羽・水谷が挑む。

 東京五輪における大波乱は、中国女子バレーボールチームの極端なまでの不振だった。中国女子バレーボール代表チームは、2015年ワールドカップ優勝、2016年リオ五輪優勝、2019年ワールドカップ優勝と、近年はほぼ絶対に負けないチームとして国民の誇りともなっていた。2019年10月の中国国慶節式典では、北京の天安門の楼閣に習近平主席ら中国首脳らとともに壇上に郎平監督や選手たちは英雄として迎えられた。

 その中国女子バレーチームはこの東京五輪での予選リーグB組の1回戦で中国×トルコに0:3のセットカウントでまさかの敗北。絶対的エースで、開会式での旗手を務めたキャプテンの朱婷の腕のケガも影響したようだった。第二戦の中国×アメリカにも0:3のストレート負け、決勝トーナメント出場に黄色信号が灯った。第3戦の中国×ロシアではケガをおして朱もスタメンに入り活躍するも、2:3でロシアに敗れる3連敗となる。

 第4戦目が昨日の7月31日に行われ、中国はイタリアに3:0のストレート勝ちをした。しかし、この日、予選B組(6か国)で、最終戦の第5戦を待たずして、決勝トーナメント進出条件のB組4位以内に入れないことが確定し、予選敗退という驚くべき結果となってしまった。これは中国や中国国民にとっては、驚愕すべきこととなってしまった。私も、この中国女子バレーの強さには注目していただけに、この結果はとても残念ではあった。

※前号のブログのタイトル「2020+1東京オリンピック始まる❸ソフトボール、"二つの祖国をもつ"宇津木麗華監督のもの」は間違いで、「‥‥宇津木麗華監督のこと」が正しいです。訂正します。