彦四郎の中国生活

中国滞在記

2020+1東京オリンピック始まる❹中国の国技・卓球と絶対王者・中国女子バレーボールは‥

2021-08-01 12:29:14 | 滞在記

 近年の中国にとって、各種の世界選手権やオリンピックにおいて"絶対負けられない"競技が二つある。これは国のプライドを賭けて絶対に負けられないスポーツ競技だ。それは、中国の国技とも言われる卓球と女子バレーボール。それほどこの二つの競技に中国は圧倒的に強いのだ。日本卓球界の近年の成長に一抹の不安を感じながらも、いまだどの卓球種目においても金や優勝を譲ったことはほぼなかった。

 そして、女子バレーにおいては、ここ数年は、中国のあらゆるスポーツ種目の中でも、卓球をも越えての、別格的な中国代表チームのスポーツとして自信と誇りをもってきていた。女子バレーボール代表チームを率いる郎平監督はまさに国の英雄中の英雄でもあった。

 ちなみに、私が2013年に初めて中国に赴任してのこの8年間、私が目にした中国人が日常的に好んでするスポーツは、「①バトミントン、②バスケットボール、③野外ダンス」がベスト3(スリー)、続いて④卓球、そして2015年頃からは⑤サッカーもよくみられるようになってきた。ジョキングや早朝の低山登山などの愛好者もけっこう多い。

 さて、この東京五輪6日目の7月26日、今回から始めて正式種目となった卓球・男女混合ダブルスの決勝戦が行われた。中国は許昕(きょ・きん)と劉詩雯(りゅう・しぶん)のペア、日本は水谷隼と伊藤美誠のペア。フジテレビ系の解説者にはなんとこの1年間、離婚問題で注目され続けていた福原愛が登場した。

 決勝戦は2:0のセットカウントで中国が先行。このまま中国の勝利かと思われる試合展開となったが、日本が2セットを連取、そして、次のセットはさらに日本が連取、その次のセットは中国が取返し、3:3のセットスコアーに。最終セットは日本が競り勝ってセットカウント4:3となり勝利した。ちなみに3位(銅)はチャイニーズ・タイペイ(台湾)のペアとなった。日本が卓球団体種目以外でメダルをとったのは初めての快挙でもあった。

 私は中国の卓球選手では長年、特に劉詩雯のファンだった。彼女の試合中の表情を変えない、しかし、その中の凛とした様子に惹かれてもいた。この決勝戦でも表情は極力ださず、小気味よいテンポで試合に臨んでもいた。しかし、激闘の末に敗者となり、その後のインタビューでは「中国のみなさんに申し訳ない」とマスク越しに涙を浮かべて消沈していた。表彰台では、共に戦った許昕に銀メダルをかけていたわる姿も印象的だった。

 試合後、中国ペアには、中国メディアから容赦ない質問が飛んだ。「大勢の国民が応援しているのに、なぜ勝てなかったのか?」「敗因は何だと思うか?」‥‥。これに対し、劉は「この結果を受け入れるのがつらい。チームにも国民にも申訳がない。実力が足りなかったと思う。みなさんに本当に申し訳がない」と涙を流しながら、やっと言葉を絞り出していた。許も「皆が期待してくれていたのはよくわかっていた。競技においては結果が全てだ。一番高いところに立った人だけが記憶に残る。チームにとっても、この結果は受け入れられるものではないだろう」と肩を落とした。中国メディアの報道も2人の健闘を称えるものは少なく、「爆冷!卓球ペア、金を失う」「恥の一戦だった。極めて遺憾だ」「中国が日本に抵抗できず、金メダルを失った」など、概ね厳しい内容のものがほとんどだった。

 中国は卓球が1988年の五輪から正式種目になって以降、ほとんどの五輪の試合で金メダルを獲得してきた。2004年のアテネ五輪での男子シングルスで、一度だけ金メダルを逃したが、それ以来、卓球のあらゆる種目で、中国選手が金メダルを取れなかったのは、今回が初めてだったのだ。しかも、中国ペアの許は2016年、リオ五輪の男子金メダリスト、劉も同女子団体金メダリストであり、2人は2019年世界選手権の混合ダブルスで優勝もしていた。そのため、中国メディアの期待も非常に大きいものがあったのだ。

 しかし、そんな中国メディアでの厳しい報道とは別に、中国人の個人が発信するSNSである微博(ウェイボー)や微信(ウィーチャット)では、「2人はすごいよ。銀メダルでも英雄だ」「2人は中国の誇りです。結果がどうあれ、もう泣かないで」「ごめんなさいなんて言わないでください」「14億人の中国人の心では、あなたたちは永遠に一番ですよ」「どうか、自分を責めないで」など、二人の健闘を称える内容が多く、二人を責めるような内容はあまりみられなかったと伝わる。

 以前の中国であれば、このように負けた選手を褒めるということはあまりなかったかもしれないが、昨今のネットの国民的普及で、国民の生の気持ちも国内で伝わるように変化してきている。これらの決勝戦に関するSNS投稿を中国当局は、さすがに検閲してまで削除することはしていないようだ。また、中国メディアの報道は、建前上、厳しいものとならざるを得ないのかもしれないが、メディアや政府がとる「建前」と、中国人の「本音」は異なる。精一杯、全力を出し切った選手に、純粋に暖かい言葉をかけているSNSからも分かるように、中国人も変わってきている面もあるようだ。

 試合翌日の7月27日付の日本の「夕刊フジ」の一面の見出しは、「卓球水谷・美誠金 中国国辱—中国SNS"国技で負けた"」の見出し記事。この新聞、時には良い記事も書くが、おしなべて品性に欠けるものも目立つ。この決勝戦については、もっと相手選手を敬う報道姿勢も大切なのではないかと思う。かなりの三文記事だ。

 そして、東京五輪の卓球種目はシングルス(個人)に移っていった。7月28日、女子シングルス準決勝で、日本の伊藤美誠と中国の孫穎莎との対戦が行われ、セットカウント0:4と伊藤は孫に完敗した。孫は伊藤の弱点を研究し尽くして試合に臨んでいた感じだった。28日の決勝戦は中国の陳夢と中国の孫の戦いとなり、陳が4:2のセットカウントで孫を下した。

 銅メダルをかけての28日の3位決定戦で、シンガポール選手を下した伊藤美誠について、7月29日付朝日新聞には「日本女子シングルスで初のメダルでも 銅では満足できない伊藤」の見出し記事が掲載されていた。中国のSNSネットでは、シングルス準決勝で完敗し涙を流す伊藤美誠への書き込みは1000万回を超え、その人気が爆発的に高まってもいると伝わる。

 五輪卓球は8月に入り、男女ともに団体戦に入ってくる。日本女子チームは伊藤・石川・平野、男子チームは張本・丹羽・水谷が挑む。

 東京五輪における大波乱は、中国女子バレーボールチームの極端なまでの不振だった。中国女子バレーボール代表チームは、2015年ワールドカップ優勝、2016年リオ五輪優勝、2019年ワールドカップ優勝と、近年はほぼ絶対に負けないチームとして国民の誇りともなっていた。2019年10月の中国国慶節式典では、北京の天安門の楼閣に習近平主席ら中国首脳らとともに壇上に郎平監督や選手たちは英雄として迎えられた。

 その中国女子バレーチームはこの東京五輪での予選リーグB組の1回戦で中国×トルコに0:3のセットカウントでまさかの敗北。絶対的エースで、開会式での旗手を務めたキャプテンの朱婷の腕のケガも影響したようだった。第二戦の中国×アメリカにも0:3のストレート負け、決勝トーナメント出場に黄色信号が灯った。第3戦の中国×ロシアではケガをおして朱もスタメンに入り活躍するも、2:3でロシアに敗れる3連敗となる。

 第4戦目が昨日の7月31日に行われ、中国はイタリアに3:0のストレート勝ちをした。しかし、この日、予選B組(6か国)で、最終戦の第5戦を待たずして、決勝トーナメント進出条件のB組4位以内に入れないことが確定し、予選敗退という驚くべき結果となってしまった。これは中国や中国国民にとっては、驚愕すべきこととなってしまった。私も、この中国女子バレーの強さには注目していただけに、この結果はとても残念ではあった。

※前号のブログのタイトル「2020+1東京オリンピック始まる❸ソフトボール、"二つの祖国をもつ"宇津木麗華監督のもの」は間違いで、「‥‥宇津木麗華監督のこと」が正しいです。訂正します。

 

 

 

 

 


2020+1東京オリンピック始まる❸ソフトボール、"二つの祖国をもつ"宇津木麗華監督のもの

2021-08-01 07:53:21 | 滞在記

 2020+1東京オリンピックの競技では、7月23日の開会式に先立って7月21日より始まった男子・女子のサッカーとソフトボール。半月間余りの五輪大会では、約50の種目が世界の頂点を巡ってスポーツの祭典が繰り広げられてきている。

 私は小学生時代はソフトボール(学校代表チーム、ポジションはキャッチャーだった)、中学校では卓球部、高校ではバレーボール部に所属していた。大人になっての40歳代になってからは10年間ほど地域の社会人サッカーチームに所属していた。このようなスポーツ歴もあって、東京五輪の競技の中では、特にサッカー、バレーボール、卓球、そしてソフトボールでの日本代表チームの試合の行方に大きな関心をもって、この10日間あまりのオリンピック競技観戦をして過ごしている。他の競技としては、体操や新体操、陸上やマラソン、水泳、バトミントンなどの競技の行方も気にかかる。

 7月21日に始まったソフトボール競技の予選リーグ。全ての競技の中で最も早く始まった競技だった。日本代表チームはオリンピック大会においては近年、2000年のシドニー大会で銀メダル、2004年のアテネ大会では銅メダル、そして2008年の北京大会ではピッチャーの上野選手を擁して金メダルに輝いた。北京大会以後の2012年のロンドン大会と2016年のリオ大会ではソフトボールは競技として採用がされなかったので、13年ぶりのオリンピックでの試合となった。

 —宇津木麗華(ソフトボール日本代表監督)のこと—

 宇津木麗華は中国北京市に中国人の両親のもと、3番目の末っ子として1963年に生まれ現在58歳。両親が付けた名前は任彦麗(ニン・ヤンリー)。幼少期は文化大革命の混乱期だったが、きまじめな軍人の父から厳しい教育を受けた。スポーツ好きの父の影響もあり、小学校時代から中学校にかけてのころは陸上競技のやり投げに没頭していたが、14歳の時にソフトボールを始め、やり投げで鍛えた腕力にも注目され、ソフトボール北京市代表のメンバーに選ばれた。

 ソフトボールに転向して1年後、のちに家族同然の間柄となる宇津木妙子と出会った。1979年、中国の文化大革命終息後、開放改革路線に舵をきった中国に日本代表ソフトボール代表チームは遠征し、中国代表チームと親善試合を行った。三塁を守っていた宇津木妙子選手(グラブさばきや小柄ながらも強い打球を飛ばす姿)に任彦麗は魅了され憧れをもつようになり、「宇津木さんと一緒に、ソフトボールをしたい」と思い始めた。任はその後、中国代表メンバーに選ばれ、1986年のソフトボール世界選手権などで本塁打王と打撃王の2冠を獲得。キャプテンとしてチームの主砲となり準優勝、カナダやオーストラリアなどのソフトボールチームからのオファー(移籍)の話も出るようになる。

 しかし、任は「宇津木さんと一緒にソフトボールがしたい」という気持ちを持ち続けていたのだった。1980年ころから宇津木妙子と手紙のやりとりをしてきた任と宇津木。宇津木は中国に行き、任の父に日本行きを説得したこともあった。日中戦争の時代に日本軍と戦った(抗日戦争)軍人の父は反日感情も少しあり、娘の決断に強く反対した。彼女が17歳の時に、母とは死別していた。中国ソフトボール代表の李監督は、宇津木からの「任を日本のソフトボールチーム(日立高崎)に移籍させてほしい」との要望に熟慮をした結果、それを認めることとなった。あとは、任の父の了承のみだった。

 そして、父が娘の日本行の熱意に根負けし、不承不承に日本行を認めることとなり、任彦麗は1988年に日本に渡り、宇津木のいる日立高崎のソフトボール部に所属。初来日時には24歳となっていた任は、日立高崎の主砲として活躍しながら、群馬女子短期大学に入学もし卒業した。任は日本に渡った後も、時には祖国に呼ばれ、中国代表として試合に参加していたこともあり、日本国籍をとって日本に帰化することは全く考えてはいなかった。

 日本代表監督に就任していた宇津木は1995年に、任に「1996年アトランタ五輪に日本代表として出場してほしい」との希望を伝えた。任は悩んだ末に日本国籍取得を決断、1995年に日本名として、「宇津木麗華」とした。「宇津木」は宇津木妙子の宇津木、麗華の「麗」は中国名の任彦麗の麗、「華」は祖国・中国を表す中華の華。宇津木妙子の家族との養子縁組ではなく、あくまでも宇津木という名字をもらったものだった。しかし、1996年のアトランタ五輪への宇津木麗華の出場はかなわなかった。五輪憲章の国籍年数要件に間に合わなかったのだ。妙子と麗華は共に泣いた。宇津木麗華の日本国籍取得は、中国ではさまざまな非難の対象ともなった。

 そして、その4年後の2000年のシドニー大会(銀)、2004年のロンドン大会(銅)の2五輪大会で日本チームの主砲として活躍することが叶った。上野由岐子投手はこの2004年のロンドン大会から日本代表として参加していて、2008年の北京ではエースとして登板した。宇津木麗華の父は2004年に死去した。ちなみに、宇津木妙子は1953年生まれで現在68歳。宇津木麗華とは10歳違いで姉妹のような年齢的関係にある。宇津木麗華にとっては、師であり姉のような固い絆で結ばれているようだ。2008年の北京では、宇津木麗華は中国チームの監督を務めた。そして、2011年からは日本代表監督に就任、その後一旦は代表監督を退いたものの、2016年から再び日本代表監督になり東京五輪に臨んだ。

 宇津木麗華監督は、日本の選手から「監督」以外にも、「任さん」と呼ばれ、慕われているようだ。麗華氏は「私には二つの祖国がある」と語る。でも、"自身は中国人"との意識は変わらないとも語る。 

 そして迎えた2021年7月21日の緒戦、「日本×オーストラリア」は打撃陣の活躍もあり8:1で勝利した。上野は初回は投球が乱れ失点したが、2回以降は安定したピッチング、最終盤に疲れの見えた上野の代わり登板した後藤のピッチングはとてもよかった。続く7月22日の第二戦、上野のピッチングは前回よりも初回の立ち上がりがよく、いいピッチングが続いたが最終盤でメキシコチームにつかまり、後藤がリリーフ登板。圧巻の連続6三振をとり、この日本×メキシコは3:2で激闘を制した。第三戦の7月24日、日本×イタリアは5:0と日本が勝った。

 続く7月25日の日本×カナダは1:0での厳しい試合となったがこれも勝利。予選リーグの1・2位通過が決定した。26日の第五戦アメリカ×日本の結果は1:0と負けたが、これは消化試合なので、勝敗結果にこだわらずにさまざまな選手を起用。

 いよいよ7月27日、日本×アメリカの決勝戦の幕が下りた。先発の上野は好投し0:0が続く中、終盤になりアメリカ打線につかまった。この時点で、ピッチャーは後藤に代わる。後藤はここでもまた圧巻のピッチング、でもアメリカの打線もあたり始め、ピンチを迎える。しかし、内野手のファインプレーに助けられた。延長戦の最終盤、宇津木監督は再び上野をマウンドに立たせた。そして、2:0でアメリカに競り勝ち悲願の優勝。

 初戦から決勝戦までの6試合を全てテレビ生中継で観戦したが、選手交代の時期など、宇津木監督の采配が全て効果的に的中していたのには驚きだった。この日本代表ソフトボールチームの試合、日本でのテレビ観戦の全試合平均視聴率は23%にのぼり、特に決勝戦での瞬間最高視聴率は46%にものぼった。初戦から決勝戦までのこのテレビ放映時の解説は宇津木妙子だった。解説は物静かだが的確なコメントをし続けていたいた彼女も、この優勝した瞬間には感動の叫び声をあげた。

 7月23日の東京五輪開会式では、宇津木麗華監督と日本男子柔道の井上康生監督の五輪に二人は出場するチーム監督(コーチ) を代表して、選手代表の陸上の山県選手・卓球の石川選手とともに宣誓に臨んだ。

 五輪でのソフトボールは2024年のパリ大会では種目として採用されなかったが、2028年のロサンゼルス大会では再び復活する可能性はある。

 宇津木麗華(任彦麗)は、17歳で母を亡くし、2004年には父も他界。軍人でスポーツ好きだった父の教えは「夢中になれるものを持ちなさい。夢を持って生きれば人と人が結びつく。縁から始まる人生があるよ」だった。含蓄のある言葉だ。