彦四郎の中国生活

中国滞在記

鴨川(賀茂川)源流に行く―京都の魅力、すぐ近くの北山に入れば多くの渓流が―

2018-06-23 08:35:59 | 滞在記

 梅雨の晴れ間の6月22日(金)の夕方、久しぶりに京都の四条大橋や三条大橋付近に行ってみた。ここに来ると京都に帰ってきたという感がする。橋の下を流れる鴨川(かもがわ)の流れの澄みきった清流に、外国から来ている観光客の人たちもしばし見惚れている。三条大橋のたもとには、腰をおろして外国からの旅の疲れを癒している人たちも多い。

 午後7時頃、日も落ちて夕闇が迫った鴨川。床どこ(納涼床)の灯りが四条大橋から三条大橋に連なって灯っている。先斗町の狭い通りや白川沿いの石畳通りにも明かりが灯る。アジアンチックでありながら清流とあいまった清冽な風情は、おそらくここしかないだろう。(※中国にも台湾もいろいろな古街はあるが、ここのような清冽さはない) アジアから来ている観光客も清冽なアジアの風情に、橋の上でしばし佇んでいた。

 この鴨川を北方にさかのぼると、賀茂大橋がある。「鴨川デルタ」と呼ばれる出町柳周辺だ。ここから鴨川は北西への「賀茂川(かもがわ)」と北東への「高野川」に流れが分かれる。この高野川の主な源流域は「鞍馬・貴船」と「大原」付近の「天ケ岳788m」付近の山々だ。この山々は北琵琶湖に流れる「安曇川」の源流域にもあたる。一方、「賀茂川」の源流域は「雲ケ畑」地区にある「桟敷ケ岳896m」(京都の北山では最も高い)付近の山々だ。この山々の向こうが京北町の「周山・塔・中江・黒田地区」となる。

 京都という街の最大の魅力は「山紫水明」の清流と山々の清冽さだろうと私は思う。街の中心部から20〜30分ほど車で北山の方に走ったらそこに渓谷や渓流が多くあり、ザブントと流れに飛び込むことができる。(例えば、桂川の上流の保津峡や清滝、鴨川上流の雲ケ畑や八瀬や貴船など)

 6月18日(月)、この日の朝8時頃「大阪地震」が起きた。私の家も被災した。この日、京都市の銀閣寺近くにある娘の家に午前9時半ころに行く約束をしていたが、ちょっと行くのが難しくなった。京阪電車なども全面運休で電車は利用できないので、車で行くことにした。ところが、京都高速道路は全面閉鎖、普通の道も大渋滞だった。2時間あまりかかってなんとか娘の家に着いたのは午前11時となっていた。

 すぐに私の車に娘と孫を乗せて「鴨川の源流域」である「雲ケ畑」地区に向かった。鴨川デルタから賀茂川沿いに車を走らせると20〜30分ほどで「雲ケ畑」の集落に着いた。市内から来ていた小学生たちが橋の上から川に何度も跳び込んでいた。さらに奥の山間に行くと「洛雲荘」という料理旅館があった。渓流沿いに「床どこ」などもあったがこの日は休業日のようだった。

 源流域の川原におりて孫の「栞(しおり)」は昼食タイム。そして別の川原に移動した。ここはけっこう広くて、バーべーキューなどもできそうな川原。この雲ケ畑や清滝や保津峡などは、2009年~2012年まで在籍していた立命館大学大学院生の頃、夏の土曜日や夏休み期間中の講義が終わった後、車を走らせて「ざぶん!」と水に入った場所でもあった。

 6月20日(水)、早朝に自宅近くの水田付近を散歩する。初夏の水田や花々が美しい。特にこの梅雨時期はアジサイの季節だ。

 かぼちゃの花、もう秋に咲くコスモスも花をつけているものがあった。花畑にはいろいろな初夏の花々が。

 6月19日(火)の午前中、自宅近くの八幡小学校で「理科の授業」(授業参観での講座)を行っていた友人の野村治さんや佐武さんを訪ねた。野村さんは全国でも有名な理科教育実践者。小学校を定年退職後、京都大学の研修生となり学び続けているが、これまでにも数多くの本を出版している。京都大学の教員になっても全く遜色のないキャリアと実力の持ち主だ。この日は、八幡小学校の保護者3人が講座のアシスタントとして共同授業を行っていた。その後、被災した自宅の片付けなどに終日追われた。

 

 

 

 

 

 

 

 


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