彦四郎の中国生活

中国滞在記

京都の桜❷祇園白川と高瀬川・木屋町、居酒屋街の灯りに浮かぶ夜桜―日本の200品種の"桜"とは

2021-03-28 11:30:01 | 滞在記

 10年ほど前には、京都祇園には6000軒ほどの居酒屋やスナック、クラブなどが立ち並んでいた。鴨川に架かる四条大橋や三条大橋などの橋向(む)こうの先斗町や高瀬川沿いの木屋町の飲食店を合わせるとさらに数は多くなる。昨年から続く1年以上のコロナ禍下、営業を断念し閉店した飲食店もかなりの数にのぼるかと思われる。

 京都の街中や周囲の山々の山麓の寺院や神社など、京都市には桜の名所といわれるところはとても多く、見て廻るだけでも少なくとも3~4日はかかる。そんな京都で、居酒屋などの飲み屋街の灯りの中にうかぶ夜桜の名所が高瀬川沿いの木屋町の夜桜と祇園白川石畳通りの夜桜だ。

 3月26日(金)の夕方6時前に高瀬川沿い・木屋町通りの桜を見に行った。ほぼ満開にちかい開花状況だった。ここも例年より1週間ほど満開時期が今年は早い。

 夕暮れが迫り始めた高瀬川の桜。そのほとんどが染井吉野(ソメイヨシノ)種の大木だ。夜になると飲み屋街の灯りに照らされた夜桜が見事となる。飲み屋街と川と桜のこのような光景は、桜の国・日本でも屈指のところだろう。先斗町や鴨川べりの光景ともに、世界文化遺産的に指定されてもいい光景だと思う。

 2月下旬に1年ぶりに京都を訪れていた閩江大学での教え子陳佳秀さんが、再び3月下旬に京都の桜を見に京都を訪れていた。26日(金)の午後6時、京都南座前で待ち合わせて、祇園白川石畳の通りにある赤提灯居酒屋「侘助(わびすけ)」に行く。1カ月ぶりの外での飲食となる。夕暮れが近づく中、ここの桜も満開となっていた。茶屋の灯りがともり始めた。

 乾杯のあと陳さんや初めて会うとなりの席の人たちとと会話をし、一品の日本料理をいただく。陳さんのこの日の服装は中国の伝統服・漢服風。店の前の赤い毛氈を敷いた長椅子に座り、時々、煙草を吸って夜桜を眺める。この日、店で初めて話した老年の人も煙草を吸いに縁に座る。この人は、中国の上海に種販売関連の会社を営業していたという。今は息子さんに会社を任せて、時々は会社の手伝いもして、月々の飲み代程度のお金をもらっているのだと言う。日本の野菜の種などを中国で販売し、その種で育った野菜は中国国内だけでなく日本にも輸出されていると話していた。また、他の店の客は、中国の上海に衣料関連の工場(こうば)があるようだった。今は、息子さんが単身赴任で家族を京都に残し、工場を運営しているようだ。

 午後8時頃、店を出ると、柳や桜の上の夜空に満月に近い月が浮かぶ。

 白川沿いの茶屋のほのかな灯りに、川と桜が浮かび上がる夜桜の光景。

 この日、陳さんともう一軒、カラオケスナックに河岸(かし)を変えて飲みに行く。10時半頃に四条大橋のたもとで陳さんと「再見(さようなら)」をして、私は自宅に帰るために京阪電鉄の祇園四条駅へ。特急電車に乗り、熟睡してしまい、終点の大阪・淀屋橋駅で車掌に起こされた。時刻は午前0時30分、京都淀ゆきの最終普通列車に乗り車中に。またここで熟睡し、自宅のある石清水八幡宮駅の手前の駅で目がはっと目が覚めた。午前1時半、駅前のタクシーはすでになく、しかたなく自宅まで30分ほどをかけてたどりついた。午前2時すぎからまた熟睡する。久しぶりによく飲んでよく歩いた。

 上記の桜は、左より①染井吉野(ソメイヨシノ)、②③江戸彼岸桜(エドヒガンザクラ)、④豆桜(マメザクラ)、⑤河津桜(カワヅサクラ)

 桜は万葉集では40首ほど詠まれ、古今和歌集などでもたくさん詠まれているほど、古くから日本で愛され続けた花。桜といえば日本をイメージする人が多いほど、今や世界でも有名になったが、桜は北半球の温帯地域に広く分布している。日本には接ぎ木などの品種改良などで新種の桜も育ち、現在200品種ほどの桜があるとされるが、基本の桜は10品種ほど。

 その10種とは、ヤマザクラ、オオヤマザクラ、カスミザクラ、オオシマザクラ、エドヒガンザクラ、チョウジザクラ、マメザクラ、タカネザクラ、ミヤマザクラ、クマノザクラ。この10品種をさまざまにかけ合わせて新しい品種ができたり、自然交配で誕生したとされる。特に徳川時代から明治時代にかけて、庭師・植木職人などによりさまざまな今ある品種が誕生した。

 代表的なものが、現在日本の桜の8割を占めると言われるソメイヨシノ。この桜は江戸期に江戸の染井村の庭師・植木職人によってつくられた。咲き始めは赤色で、満開になると白色に近い色となる。オオシマザクラとエドヒガンザクラをかけ合わせた品種で、今日各地にあるソメイヨシノの樹木は、全て、このクローン(挿し木や接ぎ木などでの繁殖)だ。

 上記写真、左より①②山桜(ヤマザクラ)、③オオヤマザクラ(大山桜)、④寒緋桜(カンヒザクラ)、⑤大島桜(オオシマザクラ)

   早咲きの桜として知られる河津桜(カワヅサクラ)は、寒緋桜と大島桜の自然交配でできた桜とされる。

 最近では中国でも桜の花を観賞することに熱心になってきている人が多くなってきている。10年ほど前にはあまり桜の花には注目してこなかった中国なのだが、2015年以降からたくさんの人が日本を訪れ、桜を見てSNSで発信したことの影響もある。

 中国では武漢市が桜では最も有名な都市だが、日本より少し早く3月中旬ころから満開となる。昨年は新型コロナウイルスの感染拡大で、桜の鑑賞地は閉鎖されていた。もともと1930年代に武漢を占領し日本軍がここに植えたのが始まりだ。ここの桜は日本発祥のソメイヨシノ。江蘇省などにも桜の名所がある。福建省福州市の私のアパートの建物の下には沖縄と同じ寒緋桜の桜の木が1本あり、毎年2月中旬~下旬には満開となる。

 

 

 

 

 

 

 


京都の桜❶―130種類もの桜の品種・京都府立植物園―日本の道100選・疎水沿い「哲学の道」の桜

2021-03-28 06:02:23 | 滞在記

 日本には約200品種の桜があるとされるが、1924年に開園された日本を代表する植物園の一つ京都府立植物園には約130品種、約450本もの桜がある。園内の桜もまた見事だが、園の西側の賀茂川沿いの堤防に約70本ほどある枝垂れ桜の並木道「半木(なからぎ)の道」もまた見事だ。枝垂桜並木と賀茂川、そして丹波山系の山々の光景が一幅(いっぷく)の絵となる。「そうだ 京都に行こう!」のポスターにもなった光景だ。

 3月22日、昨年に引き続き、今年も娘や孫たちと植物園に一日遊びに行った。植物園の桜は、3月上旬頃から4月下旬ころまでの約2カ月間、さまざまな品種が順次見ごろを迎える。ここ京都市の桜もまた、3月上旬の寒緋桜や河津桜から始まって、約2カ月後の5月上旬頃になると比叡山山系の山々の八重桜並木が見ごろを迎える。

 園内には春の草木の花々が咲き誇る。木瓜(ぼけ)、レンギョウ、ミモザ。

 スモモ、種々の椿、土佐水木(トサミズキ)、山茱萸(サンシュユ)。

 石楠花(シャクナゲ)の花の蕾が膨らみ始めていた。開花している白い石楠花が一輪見られた。時折、雨雲がきて
「狐の嫁入り」の天候のこの日、4時間ほどをここで3人の小さな孫たちと過ごした。

 この日の夕方の5時すぎから、娘の家から近い哲学の道に桜を見に行った。今年の桜の開花は例年よりも1週間以上早い。例年だと4月上旬ころに見ごろを迎える哲学の道の桜もこの3月22日には、すでに5分咲きとなっていた。3月下旬には満開となりそうだった。

 今出川通りと白川通りが交差する京都疎水沿いの橋や銀閣寺西の銀閣寺橋を北端として、熊野若王子神社前の若王子橋を南端とする約1.6km疎水沿いの道が「哲学の道」。沿道のそばには神社仏閣が多数点在、銀閣寺、法然院、安楽寺、霊鑑寺、大豊神社、熊野若王子神社があり、南端をすぎると永観堂や南禅寺の古刹に至る。哲学の道界隈のノートルダム女学院中高等学校や東山高校、京都朝鮮中高級学校などの生徒たちの制服姿も。

 哲学の道の桜もまた品種はけっこう多い。サクランボ🍒の実をつける品種は、例年4月中旬ころに満開となり、4月下旬頃には実は食べごろとなる。4月10日頃、疎水に散り落ちた桜の花びらが疎水一面を埋め尽くす「花筏(はないかだ)」を哲学の道北端あたりで見ることもできる。

 疎水沿いの山側の大文字山や如意が岳の自然の森の山々には狐(きつね)やイノシシ、狸(たぬき)などが生息している。ここ哲学の道は、春は桜、初夏は木々の緑、秋は紅葉が美しいが、春から初夏にかけては桜だけでさまざまな草木の花々(椿、雪柳、山吹、レンギョウ、石楠花、土佐水木など)が桜とともに咲き誇るのもまた魅力だ。 

 「哲学の道」はもともと、1890年(明治23)に滋賀県大津市から京都市蹴上にかけての琵琶湖疎水が完成した際に、疎水の分線としてここにも疎水が延ばされた。分水のためのヨーロッパ風の水道橋が南禅寺境内にある。その疎水分線沿いの管理用道路としてつくられた小道が今の哲学の道だった。

 景色や風情があるので、この小道を散策する人が増えていった。そして、文人や学者らがこの付近に多く住むようになり「文人の道」とも称されるようになる。その後、京都大学の哲学者・西田幾多郎や田辺元らが好んで散策し、思案を巡らせたことから「哲学の小径」といわれたり、「散策の道」「疎水の小径」「思索の道」などと呼ばれた。西田幾多郎が詠んだ「人は人 吾はわれ也 とにかくに 吾行く道を 吾は行くなり」の句碑が道沿いに今ある。1972年、地元住民たちの相談によりこの小径は「哲学の道」と決まりその名前で現在に至るまで親しまれるようになった。

 哲学の道の桜は、近くに居を構えた日本画家・橋本関雪と妻・よねが、1921年(大正10年)に京都市に300本の桜の苗木を寄贈したのに始まる。当初の桜木はほぼ樹齢が尽きたと思われるが、庭師の桜守(さくらもり)佐藤藤右衛門らの手により植え替えられ手入れされ現在に至っている。代替わりをした今でも、桜並木の名称として「関雪桜(かんせつざくら)」とも呼ばれている。1987年、廃止された京都市電の軌道敷石を転用して、ここ哲学の道に敷石が並べられた。この年、「日本の道100選」の1つに選定されている。京都府では他に、丹後の天橋立の松林沿いの道も100選に選定されている。

 3月22日、陽の暮れもずいぶんと長くなり午後6時すぎに西山の山系に夕日が落ち始めた。吉田山にある真如堂や黒谷(金戒光明寺)さんのゴーンという鐘の音が聞こえてもくる。1970年代、哲学の道北端に近い銀閣寺隣の大学生時代の下宿から、哲学の道沿いに歩いて南端の若王子神社近くの叔母さんの家にときどき晩御飯を食べにいった。往復約3キロとなるが、6月になると哲学の道の疎水には夜にたくさんの蛍(ほたる)が乱舞していたのを思い出す。

 今朝、中国人留学生の陳さんから中国版QQメール(日本のLINEのようなもの)でたくさんの写真桜画像が送信されていた。「昨日27日(土)、哲学の道に行きました」とのこと。哲学の道は7分咲きとなり、31日頃には満開となりそうですとのコメントが。

  今日28日(日)、天気予報では、爆弾低気圧が日本列島を横断し、「春の嵐」が吹き荒れる一日となるとの予報。哲学の道の桜もほぼ満開となるようだが、春の嵐で散り落ちるかもしれない。昨年は4月11日に哲学の道に行った時に花筏を見た。今年の花筏は早まりそうで、4月3・4日ころからは見られそうだ。