京都・勝龍寺城、神足城の機能を継承 調査で確認

2014-07-31 16:19:17 | 歴 history

 京都府長岡京市教育委員会と市埋蔵文化財センターは30日、勝龍寺城跡の土塁・空堀(同市東神足2丁目)で行った発掘調査の成果を発表した。昨年 度の調査で発見した土塁構築以前の遺構を調べたところ、堀跡を確認した。中世の土豪、神足氏の拠点だった神足城の堀跡であることが濃厚で、市埋文センター は「細川藤孝(幽斎)の勝龍寺城は、神足城の機能を継承、利用していた」としている。

 土塁は1571年、藤孝が織田信長の命令で勝龍寺城を大改修した際、守りを強めるため本丸の北東部に築いたとされる。昨年度調査では、土塁が二つの時期にまたがって築かれた構造を持つことが判明、藤孝が神足城の土塁を活用した可能性が指摘されていた。

 今回の調査では、昨年度の遺構を南へ掘り広げた。南北方向の土塁から幅3・8メートル、深さ1・5メートルの断面が逆台形の東西方向の堀跡を確認した。周辺の堀跡や地割、地名などから検討した結果、神足城の堀跡である可能性が高いという。

 神足城は東西土塁を北辺、南北土塁を西辺に、一辺約50メートルの方形をしており、土塁と堀で囲まれていたと考えられている。

 勝龍寺城の大改修時、神足城北辺の土塁と堀を生かし、盛り土で土塁をより大きくしながら、さらに東西に延ばしたとみられる。

 市埋文センターは「勝龍寺城は神足城の機能を継承して利用し、北辺以外の再編に合わない堀や溝は埋め戻された実態が明らかになった」としている。

 現地説明会は8月2日午前10時から。小雨決行。問い合わせは市埋蔵文化財センターTEL(955)3622。

【 2014年07月31日 09時28分 】



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