武内 ヒロク二

このブログは、武内ヒロクニの絵の紹介や、家での出来事を妻が語ります。
日々、徒然。

ヤッホイ!(色鉛筆作品661)と お好み焼きの思い出

2022-03-04 12:52:08 | Weblog

最近作。

顔のようになった涙の形は、よく目にしていました。

メモが多くあり、1年以上この形を描いていたと記憶しています。

この形は、あまり見かけないガムの容器から発展していました。

細長い胴体に頭の部分にキャラクターの顔があって、口から四角いガムが出てくるというもの。

インド紅茶の店で見つけたらしい。

ドイツか、アメリカの製品だったような?

(忘れてしまっている)

この容器のスケッチをよくしていました。

わたしは気に入っているのねと思いながら、

そのスケッチをよく見ていたのです。

何を気に入るのか?

予測がつかないし、意外なので不思議なので印象に残るのです。

その容器の顔、頭から発展した形だと知っていると、なお不思議。

線から弾力性が感じられて、

伸び縮みして動いているような感じがあって動きを感じる作品です。

もう、完全に絵で遊んでいるという・・・。

だけど、絵を描いている時は黙々と作業しています。

この作品は、36cm×46cm。

わりと大きめな絵。

この絵を見ていた姿を見られたので、

「これって、ヒロク二センセイの真髄があるのじゃない?」と言うと、

「絵をよく見てくれるね」と一言。

そして、目の前から去っていった。

毎日、こういう風にいけばとてもいいのにと、思いました。

侃侃諤諤(けんけんがくがく)になりがちな我が家です。

2人しかいないのに・・・・。

ようするに普段は、言い合いばかりしているということだ。

 

 

ネットで、時に意外なことを知ることになる。

本当に驚くことがある。

ヒロク二さんの友人を見つけました。

その上、私が見たことがないヒロク二さんが描いたシャッターの絵を見ることが出来ました。

思い出もあります。

それは、東京、吉祥寺にあった「吉祥夢」というお好み焼きの店。

初めて、東京での個展をした時に(この時のギャラリーは、牧神画廊)、

ヒロク二さんと店に立ち寄りました。

この頃は初々しくて、ヒロク二さんの後をくっついていただけのわたしで、

オロオロしたり、ボーとしながら人に会っていたような感じでした。

ヒロク二さんは、吉祥寺に着いて、

「あ、ここだ」と言ったかと思うと、

「おー、きよし」と、手短にやり取りをしていた。

わたしは、ちらっと見えた鉄板に湯気が上っていて、

その中から気迫を感じ、「なんか・・・、凄い雰囲気」と思った。

その中からヒロク二さんが出できて、さあ行こうかという時に、

「武内さん、これおみやげ、もって帰ってよね」と、熱々のお好み焼きを頂いた。

食べる時に、「きよしのとこのは美味しいから、食べてやって」と。

それが、ほんとに美味しくって!

ヒロク二さんと会わなければ、出会わなかったものだと思っています。

そのお店の動画を偶然見つけました。

こんな風に焼いていたのだという驚きと共に、

こんな方だったのね!ということに改めて驚きました。

↓こちら

ヒロク二さんの友人という感じ。

この中で「10人来て、僕が10人に好かれると思わない」と言ってらして、

10人来て1人残ればいいと。

これって、真理をついていると思う。

お客さんに、あれこれ言っているけど、基本は気配りからきていると思う。

領収書のことも、お好み焼きって食べてもしれているじゃないですか、

そのしれている額を会社の経費で食べようというのは“なめてるん”じゃないの?と。

こういうことだと思う。わたしの解釈ですが。

ヒロク二さんも、ロック喫茶をしていた頃、あまり好かない客に

「コーヒー飲んだら、さっさと帰ってくれる」とやってたらしい。

「入り口で、君、来ないでくれる」と言って、追い返したりしてたら

「マスター、お願いですから入れて下さいよ」と嘆願されて、

しゃーないなと思ったとか、いろいろ言ってますもん。

こんな感じの口が悪い人って、優しかったりするので、

わたしはかえって安心感を持ちます。

 

あと目を引くのは、店の扉にあしらっている、白と青と茶のバティックの布。

同じものをプレゼントで頂いて、とても気に入っていた。

アトリエの日よけにも使ったし、夏にはテーブルのクロスとして。

そして、何度も何度も洗濯して使った。

布が弱ってきてからも使った。

何年も使い続けていたので、破れたりすると繕っていたり。

とてもいいものでした。

どこを探しても、これ以上いいバテックに出会えません。

バリ島で購入したものだったと聞いていました。

 

↓こちらは、武内のシャッターの絵が見れます。

ヒロク二さんからの話で、シャッターに絵を描いたのは知っていましたが、

見たのは初めて。

最所の冒頭のシーンで、シャッターが閉まっていたとかで、

偶然、絵を見つけました。

今とあまり変わらない絵柄なのに、驚きました。

もう、一瞬に近いのですが、興味があれば見て下さい。

ヒロク二さんは「あの蛇腹に絵を描くのが、難儀でねぇ」と。

そんなことばかり言っています。

シャッターというのは、店を閉めてから、夜に描かないといけないらしく、

ライトを当ててもらったりと大変だったよう。

この動画では、カメラマンだったことが紹介されていますが、

ヒロク二さんはモデルをよく頼まれたそうで、

数多くの写真が家に残っています。

印画紙自体もその頃のものは、厚くて質が違うのですぐ分るという・・・。

良人は、その写真が出てくると、

「俺、朝からキヨシにスタジオ来いって言われてねぇ、冬の寒い時に」とか、

「豚小屋で撮影するから来て、と言われてねぇ」とかの話しを聞いている。

「俺、忙しくて大変よ」とも。

ブツブツ言ってながらも、

「男が何かしようとしているのなら、協力するのが男だろ」なんでしょうね。

気障な気分の時に、ハードボイルド顔負けでわたしに豪語してました。

上記の言葉を。

セリフに驚いたから、よく覚えている。

(自分の口から、よくそんな気障な言葉を言えるなーと、びっくりよ。)

しかし、よくブツブツ文句をいう。

その文句のせいで、挙句の果てに、わたしに

「言葉はもういいから、行動せんかい!」と言われるのでした。

急に言葉少なくなる反応が面白いのでした。

(変に素直)

話は戻ります。

この店の壁にかけて下さっている絵も武内の絵のようなのです。

この時期は、こういう作風のものを描いていました。

何か、友情というか精神のつながりを感じます。

明石にいる頃、一度遊びに来て下さって、ジープに乗せてもらった思い出も。

「メカみたいな車だ・・・」と思いながら

非常に変わった乗り心地がしたのを覚えています。

今は、お元気にされているのかな?そんなことを思いながら。

 

動画を見ていたら、「お好み焼き」が食べたくなって、

いきなり焼きました。

少し、まねをして。

↑この上に天かすと菊菜をのせるのをすっかり忘れてました。

↑しょうがないから豚肉をのせ、上から生地をのせました。

この柔らかい生地は、関西風だと思います。

わたしは生地を出汁で溶いて、しょうゆを小さじ1入れます。

あれば、干し海老を砕いたものも。

山芋も適当に入れます。

「今日は、なんだかお好み焼きが焼きたくなって」と言いつつ、

ヒロク二さんを夕食に呼ぶと、不機嫌でした。

夕食は、おかずが並ぶ方が好きなんだと思います。

そんなこと言われても、

モーレツに焼きたくなったのだからしょうがない。

 

 

 

ネットというのも時折、不思議なことをもたらします。

以外なところから、

武内ヒロク二の絵を発見しました。

ヒロク二さんは店で食べたこともあるらしいですが、

わたしはありません。

あのお好み焼きは、こんな風に作られていたのかと感激しました。

とても美味しかった。

動画では、美味しかった以上のことが読み取れて、

味わいがありました。

屋久島へ行くという話しを聞いていましたので、

今は店は閉店したようですね。

とても単刀直入な方だったので、

「それ、武内さんの方がおかしいのと違うの?」とか、

「武内さん、ちょっとは働いてくれる?何寝てるの?」と言われたのを

「キヨシに言われてさぁ~」と時々思いだしたように話します。

「どうしているのか?」と動画を見て話していました。

今日は、夕食お好み焼きにしませんか?

わたしは、今は食べたいより「焼きたい」に熱が入っています。

今日は、個人的な話でした。

ブログを読んで下さった方、ありがとうございます。

 

 

 

 

 

 

コメント (2)
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