すっかり秋の日差しになり、爽やかな風が吹きます。
春と似たような気温なのですが、春は始まりを感じ、秋は一年の終わりを感じる。
こちらの「地下鉄」と題された、色鉛筆作品は、‘98と記されているので、
描かれてから、22年の月日が流れたという事だ。
左端のヘルメットを被ったような人は、「運転士」なんだそう。
差し込んでくる光は、どの季節の光なんだろうと思ってみるのでした。
22年の月日が流れたと描きましたが、その頃は私は36歳だった。
36歳の頃があったなんて!!と驚きます。
阪神大震災があったのは、1995年なので、起死回生をはかろうと宝塚に住居のを変えた頃になる。
ヒロクニさんは、まだ机も用意出来ていない状態の中、
ダンボールの箱の上に板をのせて中腰で絵を描いている姿をよく目にしている。
「この人って、凄い?」と思った瞬間があった。
私も転職をもくろんでいたので、気持ちが忙しく、ヒロクニさんのことは瞬間思うぐらいの慌しさ。
今思うと、あの必死な感じは自分ながら凄いと感心する。
そんな時、「若い時の苦労は買ってでもしろっていうことがあるからなぁ。」と言われたりもした。
言われた時は、「そんな・・・、突き放さないで~!」と思ったが、
今思うと、身になったこともあったかも?と思うのです。
例えば、「頑張りきった。」「出来る限りの行動をした。」「意外な経験を積んだ。」等、
おっとりしていて天然が入っている性格の私が、行動的になっていたということ。
子供の絵画教室を経営(大げさですが・・・。)して、いつもと違う立ち位置にたってしまった。
人の上に立つなんて、苦手なことの最たるものだったので、大丈夫かな?といつも思っていたぐらい。
こういうことも、やれば出来るんだという経験かな?
ただ、頑張る状態が何年も続きすぎて、腕がしびれるようになったり、
荷卸し欝になってしまったけれど、それを経て、ニュートラルな状態というか、
普通の状態を取り戻した。
今思うと、36歳もいとおしい私であるが、58歳になった私もいい。
そうはいうが、自分を褒める、ただのおばさんになったのが58歳かもしれない。
過去の自分も肯定すると、ちょっと力強くなれるし、
人の欠点ばかりを見るより、良い所を見るようになる。
気運だけでも前向きな感じがいい。
若い時は、若い分不安が多くて、人と比べたりして自己嫌悪になることが多いのは、しかたがないと思う。
歳とってあつかましくなったのかもしれないが、
過去の時間の清算として「私は頑張った。」という肯定感を持つことにした。
ヒロクニさんの場合は、戦中の幼少、洋画家になる前、淡路島での洋画家時代、
現代美術の頃、ロック喫茶の頃、色鉛筆作品を始めた頃、色鉛筆中期、そして現在。
こんな風にくっきりと分かれているのが、話ををきいているとわかります。
ヒロクニさんは、「俺のような我儘な人間が・・・。」という時があり、自分で認めている。
ストレスで胃潰瘍になった時も、「俺のような我儘な人間が、ストレス????」と言っていた。
ロマンスグレーではあるが、髪がフサフサなので、自己肯定型の人間だと思って見ている妻なんです。
ヒロクニさんが80代に入ってからやらなくなったことに、庭の手入れがあります。
「俺、好きなんかなぁ~。」といいながら、松の木に登って剪定していたりしたのが、
まったく庭に手を触れなくなっていった。
枯葉を熊手で集めるのもうまく、いつも感心していた。
パッチに箒をもつヒロクニさんは、異様に似合っていて、私は見たら面白くって笑っていた。
それも見られなくなった。
庭の手入れは私の役目になったようで、私がやっています。
ヒロクニさんは、絵を描く体力を温存しておきたいのだと思う。
やはり、以前より疲れるのだろうね。
ちょっと、人生の秋の訪れかもしれないと思う今日この頃です。
↑つるニチニチ草で、緑に覆われていたのを引っこ抜いたり、鎌で刈ったり。
万両の木が自生しているのを見つけました。
この木は、縁起がいいし、赤い実のつけ方が可愛いので残しています。
シュロの木の種が落ちていて、次々木になりそうなのは困るので、
小さければ引っこ抜き、木になっていたら切り倒し、切り株に石油を塗って成長をとめておきます。
庭の中央にも向かって広がりかけていたので、食い止めておく。
45ℓのゴミ袋に6個と積み上げた草も山ほどある。
玄関のところの「タマスダレ」が咲きはじめ、秋がきているのだなぁ~と思いは深くなります。
10月になると里芋の収穫です。