↑こちらが案内状です。
案内状の作品は、武内ヒロクニの絵を使って下さっています。
詳しくは↓
所 ギャラリー島田
日時 2019年2月2日(土)~2月13日(水)
時間 11:00~18:00 最終日は16:00まで
住所 神戸市中央区山本通2-4-24 リランズゲートB1F・1F 電話/ファックス 078-262-8058
HP http://www.gallery-shimada.com/index.html
こちらの絵は、じ~と細かい所をみていくと面白い。
ちょっと大きな画像を↓
タイトルは、「スミレ色の脱走兵」
鉄砲のようなものがあります。よ~く見てみると、紙を止めるクリップなんです。
そこから丸い玉が飛び出しています。
ヒロクニさんによると、最上部とその下にある薄い黄土色で描かれたものは、「クプクプ」というらしい。
この絵を久しぶりに見て、「クプクプが描いてある。クプクプなんかを描いていた頃か・・・・」と。
ヒロクニさんが、40代の作品です。
ヒロクニさんも12月で81歳になりましたから35年前に描かれた絵になります。
当時は見向きもされなかったのに、この頃の色鉛筆作品に興味をもたれることが多くなりました。
企画展に参加している、旗谷吉員氏は時折、宝塚市の我家へ、「重たい油絵具」リュックに背負って
画材を分けてくださったりして、ヒロクニさんとアトリエで話したりして、何故か私にも労いの優しい言葉をかけてくれます。
優しい言葉で、頭がをほわっとなり「人が来るっていいなぁ~。」と酔いしれたりします。
ヒロクニさんと2人だけだと、お互いのなってないところを、叱咤しあうのが常の日常。
「スミレ色の脱走兵」とタイトルにありますが、戦争がどうだこうだという絵ではありません。
ヒロクニさんは、徳之島生まれで、幼少の頃、母親が教員だったこともあり、ヒロクニさんの母は、
子供達を防空壕へ引率したりする役目をしていたらしく、その関係で九州を転々とした子供時代。
引率の役目もあったけれど、教員ということで、けっこう恵まれていたとヒロクニさんは語ります。
ひもじい思いはしたことはないらしく、母親との蜜月の思い出を時折話します。
明かりの無い夜道を2人で歩いた記憶など・・・・。
また、父親からは、満州からよく手紙が来ていたとも。
事務方の仕事についていたから、手紙でハーモニカを吹いていることなどが書かれていたそうだ。
「けっこう気楽な方だったんじゃない?」と言っています。
私が、「何を使って手紙を書いていた?」と聞くと、「全部、鉛筆で書かれていたなぁ~。」と。
また、「父親が帰ってきた時、飯盒をぶらさげて帰って来た姿を見て、その飯盒ちゅうヤツに目が釘付けになって・・・」とか、
私の家と随分違うので、なんか面白く聞いています。(私の家は、貧しい食料の話ばかりなので)
疎開、疎開と転々と居を移した生活と、母親との蜜月、疎開先での自然が育んだ感性。
そんなものが、詰まった作品だと思います。
他10点ぐらい展示します。
作品選びは、これから2人でします。大体は意見は一致するのだけど、2、3点必ず揉めるのです。
我家にやってきたピピちゃんは、確実に慣れてきてくれています。
以前飼っていた、キタハマもジルもひざにのるということは、まったくしませんでした。
夜、布団を引いてストーブの前にいると、ピー、ピーと鳴きながら、ちょこっとひざに座りにきます。
ゴロゴロと喉を鳴らして、ピタッと収まってしまいます。
座るプロという感じ。
こんな感じよ。↓
猫ちゃんも、それぞれ性格があって、人格ではなく、猫格というものがあって不思議。
こわがりやさんですが、遊ぶ時はかなり激しいピピちゃん。
羽根布団の上にダイビングする姿は、かなり激しくムササビのよう。
布団が凹むのが楽しいらしく、布団からパシャ、パシャという音が・・・・。そして、時々連打です。
無邪気さが可愛い!