武内 ヒロク二

このブログは、武内ヒロクニの絵の紹介や、家での出来事を妻が語ります。
日々、徒然。

おいなりさん

2009-01-16 20:35:08 | Weblog
毎日新聞夕刊(東京都内版)2008年1月8日(火)掲載のえ

三つ並んだおいなりさん。どこへ行く?

俳優のイッセー尾形さんは、ひとり芝居を続けながら、「一挙にてっぺんまで登らなくていいんだ。またコツコツ登るべえ。」と小さな悟りを開いたときに、「小さくてもクリアにできるものがあればいいんだ。」と考え方がかわって、お客さんに余白を残して想像してもらうんだと、心に余裕ができた時、身近にあるおいなりさんの存在に気がつくことができたと語ります。また、地味だけど、おいしいし、食べると、うれしいおいなりさんみたいな芝居を目指しているとも語ります。

家では、時々「一口いなり」というのを買います。ちょっと小腹がすいたときに食べます。今回のおいなりさんは、そのいなり寿司を描いてもらいました。ヒロク二さんの食欲は、これもまた機嫌のように、食べたり、食べなかったりするのでとても悩ましいときがある。絵を描くのに、満腹では絵がかけないそうで、やや少食な人です。そう思っていると、今度は、「絵を描いてるから、腹がへってしかたがない、サホリ!」と言ってきたり・・・。その度、わたしは、「米を食べなさい。」と必ず言うのでした。また、ある時は、「腹がへっては戦はできぬ。米を食べなさい。」とかとも言う。急に困った顔で考えこんでるヒロク二さんを見ると、「さあ、とにかく食べてから考えようか?」と掛け声をかけるのでした。ご飯はパン食より腹持ちがいいので、いなり寿司をちょっこと買うのは、わたしの作戦なのです。わたしは、四六時中一緒にいるのだからいろいろ作戦を練らないといけない。ヒロク二さんは、絵を中心に生きてる人で、そちらの作戦を練るのに懸命で、わたしに対して作戦を練ったりしないのが、救いです。

巻き寿司といなり寿司を詰め合わせたものを「助六寿司」と呼ぶのは、歌舞伎十八番のひとつ、「助六所縁江戸桜」の主人公の名前だそうです。ずーと不思議だった。ある時、教養のある奥様から、助六の恋人が、揚巻という名前で、揚巻は油あげで、いなり寿司と連想され、助六はハチマキを頭に巻いている、つまり巻き寿司を連想されて、揚巻寿司ではなく、助六寿司となった由来は、江戸っ子の洒落らしいと伺いました。演目の中での二人は切っても切れない関係ということです。テレビで歌舞伎を見ていると、ちょうど助六と揚巻の二人が出ていて、助六寿司の由来のことを考えながら見ていました。ヒロク二さんが「心気臭いから、消してくれ。」と言ったので消した。「どうして、江戸文化とか、和のものが嫌いなのォ。やっぱり琉球文化の中の中国の文化圏の影響があるのよう、あなたは。そんなに、和の世界を受け入れないなんて。」と憤慨しつつ、ヒロク二さんイコール、西アジアの文化とむすびつけて、島々の交易のロマン説を確信したのでした。

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