平家物語は、とても面白い。
しかし、今現在に何か共通するものを感じる。
この平安時代の末期は、武士階級が強くなってきた時代で、武家社会の始まりの一歩という時代の変化が見られた。平清盛がその始まりを築き、鎌倉幕府はさらにそれを推し進めた。そうやって築かれたことで江戸時代まで武家社会が続く。そういう意味で、平安末期は激動の時代だった。
この頃、地震もよく起こっている。飢饉の上に地震で、巷は阿鼻叫喚の怨嗟の念に包まれながら、浮浪者や盗賊の増加で治安も乱れ、世の乱れが目に付くようになる。
朝廷内でも、揉め事が多く、そのことが原因で「後鳥羽天皇と崇徳上皇の戦い」保元の乱が起こる。
その後、清盛は叔父の首を斬り、それが忠誠の証しとして平家は重んじられたが、源氏は謀反に加担した実父を斬ることが出来ず、助命を乞うた為、あまり重んじられなかった。
清盛が京を留守にする。熊野詣に出かけた清盛の留守を見計らって、源氏(一部の人間)が朝廷に対して謀反を起こす。そして、討伐に向かった平家と源氏の戦いが、「平治の乱」という。清盛は、それにも勝ち、平家は栄えていく・・・・。
すごく単純に書きましたが、朝廷内の心ない行為が、争いを招き(保元の乱)、実父を殺せなかったが為に待遇に不満をもった源氏方。しかし、実父を殺せという無理難題。実の父(為義)にしても、争いの為の戦には参加を最後まで否定していたが、恩のある家からの嘆願とあって、どうしても断れなくなっての戦(平治の乱)。なにか、見えない糸で操られているようにもみえる。
何故、平家物語を読んで、平成を思ってしまうかと言うと類似がたくさんあるのです。
阪神大震災、東北太平洋沖大地震、フクシマ原発の問題。
フクシマ原発の問題は、誠実な答え(正しい情報)は国民に知らされない。誠実な対応もされていない。
官僚の天下りを受けている人は、絶対その立場を放したくない。
放射能は、なくても福島産と見たり、聞いたりしただけで、ワーワーいう。(添加物の方は気にならないのかしら?といつも不思議に思う)
わたしも愚かな人間ですが、全体的に日本人が愚かになっているのであれば、世の中は乱れて当然のような気がします。
自分自身の生活でも、只の欲得での「争い」を慎むというのを心がけようと思いました。
こんなわたしの文章より、面白い観点で文章を、人形作家の辻村寿三郎氏が書かれています。
(辻村寿三郎さんの人形劇、素敵ですよ。一度しか見ておりませんが、その一度の舞台、今もなお感動を忘れることができません。それぐらい、素敵なのです。)
↓以下引用文
昔から、年号に「平」「治」(※)がつくと世が乱れるといわれています。崇徳上皇の呪いがいつにも増して強くなるからです。
明治の御代が始まったと同時に明治天皇が、崇徳上皇の御霊を讃岐の白峯から京都へお移しになっていますが、「明治」という年号と無関係ではないでしょうね。
明治には『治』がつきます。だから明治天皇は崇徳上皇を白峯から京都へ戻し、御霊を慰めてお祀りしたのにちがいありません。
ところが今は「平成」。なるほど、平成になってからいろいろ世間が騒がしいじゃないですか。ふと考えたら年号に「平」がつくでしょ。なんで年号が崇徳上皇の、いまさら「平」のつく年号なんだって思うじゃありませんか。平治の「平」、平家の「平」ですよ。気になるよねぇ。符号みたいなものなんです。
現代は、平治の世から数えておよそ千年。これが時の糸車なら、平安時代が真下にあって、その真上に、平成の現世が来ているってことじゃないでしょうか。
ご存じの通り、平安には百鬼夜行が跋扈(ばっこ)していました。平成の世は目に見えないだけで、たくさんの魑魅魍魎が飛んでいます。だからワケのわからないことがいろいろ起こるわけです。
今みなさんがスピリチャルなものに惹かれているのも、とても偶然とは思えない。平安時代もサイキックの陰陽師が活躍した時代です。そういえば陰陽師は、平成になってから映画で、見事に現世へ甦ったじゃないですか。
そう、気付く人だけが気付くのです。
今の困難な時代をとくヒントが、平安の世に、そして平家物語のなかにあるのかもしれませんよ。
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※「平」「治」:
崇徳上皇が亡くなったときの年号が「平治」。平安末期の動乱は、保元の乱、平治の乱と続き、これが平家物語の序章になる。ちなみに、平治以降、年号のあたまに「平」が付くのは、平成が初めて。
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