いきなり水道の蛇口が目に入る。
毎日、茶碗洗いが終わったら、
「茶碗はやっつけたからね」と報告してくれる。
何回も事あるごとに「絵を描き、茶碗は洗い」とひつこく言われているので、
水道の蛇口のことが頭から離れなくなっているのか?と思うのでした。
しかし、どうも街の絵らしいことが見て取れる。
コーヒーカップは出てくるし、地下鉄の入り口もある。
人もいるし、1本足の女の子もいる。
どういうわけか魚も登場している。
魚は、水道の蛇口から出る水のシャワーを浴びている。
私が、魚の料理するところを見ている武内の視線を思い浮かべた。
自慢じゃないが、武内は魚なんか触ったことはない。
シュールなのか、現実感が一杯なのか、
この絵を見ていると混沌とします。
この絵は小品でサイズが小さく、測ってみると18cm×13cmでした。
マジックの線描の上に色鉛筆がのせられている。
淡いくすんだ紫色が使われているのがめずらしい。
この絵は、いつもの如く「ちょっと、来て」と言われ並べられた絵から選びました。
こんな風に。
↑机に並べられた絵の一枚を選びました。
この並べられている机は、仕事台なのですが、
ベニアの厚手のものに、白色のアクリル絵具が塗られていて真っ白だったのですが、
今は鉛筆の粉によって真っ黒になっています。
時間の経過を感じます。
↑上の方に鉛筆や色鉛筆が箱に整理されています。
写っている絵は、新しいモチーフを探しているということかもしれない。
クレヨンや鉛筆、消しゴム等もカッターで削りながらの製作をしているのも見て取れて、
忙しいのだろうと思います。
だから、「絵を描き、茶碗も洗い、俺は忙しい」という事なのかも。
そんなヒロク二さんですが、寒さに弱いという最大の難点があります。
灯油の値段が高いということで、革ジャンを着て寝ていますが、
やはり寒さが厳しいようなので、灯油を買いました。
石油ストーブを今年初めて点けると、
やっぱりこんなに違うのかと思ったのか、しあわせな顔をして言うのです。
「暖かいっていいなぁ。石油ストーブが一番いいのだよ」
「絵描きには、石油ストーブが一番なんだよな」と。
しあわせ一杯という感じが満ち溢れていた。
石油を買うとわたしが言ったら、「一缶だけでいいよ」と遠慮ぎみであった。
「じゃあ、一缶買うね」と言って、二缶注文しておいた。
あっという間に使い、今度は無くなったと騒いでいる。
「もしかして、電器ストーブと石油ストーブをうまく使いわけたりしてないの!」と、
せまってみた。
「いや、私もストーブの芯を小さくして使っているんだが・・」と言う。
「それって、不完全燃焼で身体に悪い使い方と違うの?」と私は言った。
「大体、もう少し厚着をしないと駄目なのと違うの。
そのTシャツとシャツだけの格好は何?靴下は?」
「女は目の前にあるものしか見えないとか、よく言うわよね。
あなたは合理的にものを考えられないのと違うの?」と、相手の弱みを言う私。
散々、“あなたはなっていない”を言われて、可哀想なヒロク二さんである。
(私も、君みたいな奥さんはいないよ。亭主に逆らうような・・と、
無理難題をただ逆らうにされています。まあ、お互い様な2人)
その後、「灯油は、もう一缶買ってあります。だって、それですむわけないもん」と言うと、
「さすが、さほりだ!」
「やっぱり、さほりだ!」
と、感心しきりで感激していました。
もう、私が言った“嫌味”も吹っ飛んでしまったようで、しあわせ感で一杯になっていました。
この“吹っ飛び感”もヒロク二さんの特徴で、いい所でもあるけれど、
私が言ったことの意味を理解せず、
何度も同じことを繰り返すことに通じるものがあって、怖い。
私はしあわせというものも、対比というか相対的なものだと思っていて、
最悪から抜け出せば、それはある程度はしわせな状態と思っている。
また、しあわせも絶頂が続けば、それに影を落としていく過程はちょっとした恐怖であると。
その最悪も絶頂も人それぞれなので、なんともいえないが、
自分の中で基準を1つ決めてみるのも、不幸の連鎖に陥らないで済むと思うのです。
私は、飢えていない、路頭に迷っていない、病気じゃない(身体も心も)であれば、
しあわせなんだと思うことにしています。
寒さというのも身体の機能を奪われるものなので、ちょっと辛いかもしれませんが、
あまりにも寒いだけで、文句を言うヒロク二さんを懲らしめてみました。
気分が、急降下したり急上昇したり激しい様子を見て、
あきれるやら、単純で屈託の無い人と思ったり。
そういう意味で、不幸というか最悪な事態も経験して見る価値があると。
最悪が何度もは嫌ですけど、一度ぐらいはあった方がいい。
しあわせ感が増えると思う。
しかし、ヒロク二さんは、意外と最悪をすぐ忘れる性格なよう。
これも、典型的なしあわせな人の特徴と言えるかもしれないと思うと、
なんかガクッとします。
だから、何回も結婚出来て、
絵を続けられたのかもしれない。
若い方に、個展会場で「芸術では食ってけません!」と言われた時に、
「お前、そんなに若いのに食っていけないって、そんな事考えるって・・・」頭を抱え、
「若いのに、食っていけないとか言うのだったら、やめた方がいい」と泣き声ながら言い、
「そんなことを考えていたら、何も出来ないよ」と、
涙を流して(悲しそうに)話していました。
真剣に泣いていたので、よく覚えています。
そんな事があった後に、著書で岡本太郎氏も若者から同じことを言われ、
「それだったら、家に来い。カレーぐらいは食べさせたる!」と言ったらしいですね。
その方、カレー食べに行ったそうで、アメリカで有名になりました。
今は、日本に帰ってきているのかな?
誰でしょうね。
その方の名誉もあるので、名前は言いません。
岡本太郎氏の方が男気があり、ヒロク二さんは叙情的という感じです。
まあ、やるのか、やらないのか?
そう決めたら、余計なことを考えるな!ということなんでしょうね。
そんな風なのに、ヒロク二さんは寒さに不満をたらたら言うから、
私に逆襲されるのでしょう。
↑こちらは、ガスストーブの申し子。
私に捕まっています。
このピピの毛は、ほんとうに触り心地がよくって、
近寄ってくるとすぐ捕まえてしまいます。
顔をスリスリすると、グーと言って喉を思いっきり鳴らしてくれます。
ゴロゴロも激しく、「そんなに嬉しいの」と思い、愛おしい。
保護猫だったピピは、サビちゃんなのですが人懐っこく可愛い性格です。
灯油や石油ストーブから、
幸福論のような内容に。
どうして、こんな風に文章がなってしまうのか?
このような文章を読んで下さり、ありがとうございます。
しかし、灯油の値段高い!
値段が高くなければ、
ヒロク二さんもこういう目に遭わなかったと思います。