画像を接いだので、線が入ってしまいましたが、1枚ものです。
最近作。
この絵を出来た頃、現代美術家の方が我家に来まして、ヒロクニさんはこの絵を見せた。
「これどう?」とヒロクニさん。
美術家の方は、「う~ん。よくわからないかな・・・・」と困り顔。
正直な方だ。わからんものは、わからんでいいと思う私なのでした。
しかし、私は、その方の作品の方がわからないので、いろいろだなぁ~と美術事情を考えたのでした。
ヒロクニさんの絵も現代美術のカテゴリーに入るのか?私が現代美術家と思っている画家を浮かべてみる。
マルセル・デュシャン、ジャン・フォートリエ、ジャン・デュビュッフェ、マーク・ロスコ、イサム・ノグチ、
ジャクソン・ポロック、ジョン・ケージ、 ヨーゼフ・ボイス、ロイ・リキテンスタイン、 ロバート・ラウシェンバーグ
アンディー・ウォーホル、イヴ・クライン、サイ・トゥンブリー、草間 彌生、ニキ・ド・サンファル、ジャスパー・ジョーンズ
フランク・ステラ、キース・ヘリングなど。
マルセル・デュシャンは、現代美術の創史者のような存在だ。
ジャン・デュビュッフェは、今よく耳にするアウトサイダー・アートの創史者のような人。ヒロクニさんも私も好き。
マーク・ロスコも優雅である。
イサム・ノグチは、日系のアメリカ人で、彫刻家であるが建築、特に造園家としての日本庭園が有名です。
ジャクソン・ポロックは、アクションペインティングの創史者た。
ジョン・ケージは、ヒロクニさんがとても好きで、その関係の本やら、CDなどもたくさんあり、肖像画なんかも描いている。
ヨゼフ・ボイスは、ヒロクニさんの絵のコレクターの方が作品を収集していらして、見せて頂いたことがある。
ロイ・リキテンスタイン、 ロバート・ラウシェンバーグ 、アンディー・ウォーホルは、アメリカのポップアートの大御所だ。
ニキ・ド・サンファルのオブジェの大量生産の張子は、我家にある。
フランク・ステラは、優雅で精神の大きさを感じさせるアーティストです。
この辺が、私の思う現代美術なのですが、今はもっと変容しているようです。
ついこの前、今の美術手帳を久しぶりにみていて、現代美術も私には分かりにくい作品が増えた。
もう、時代について行っていないというか、ついていこうともしていない私になっている。
私の作品の見方は、自分の中で意味をなすものとなさないものに分ける。この時カテゴリーなどはいっさい無い。
この自分の中というのを説明したいが、簡単にいえない。
いろんな絵を見てきて、感動した絵と、無視して通り過ぎた絵の振り分けが凝縮したものが、
私にに集約されていると、説明したらいいだろうか?
そんな私が若い頃、武内ヒロクニ展を見に行って、ヒロクニさんの絵画は、私が求めていた1つの絵画だったのです。
今回、取り上げた「顔の絵」。私は、好きなのです。
フォルムの広がり方とか、ちょっとした静けさが感じられるところとか、感覚だけになっているところとかが。
とっかかりというのがあるのです。
ヒロクニさんも美術のブームにのったりして、「グループ位」のメンバーだったりしたことがあるけれど、
今はそんな事もそぎ落とされてしまって、ただひたすら色鉛筆を握っている感じなのです。
そんなひとですが、やっかいなことを言い出すのが常。
ヒロクニさんは、「俺はひきこもりか?」と急に言い出し、
「俺が引きこもりかどうか議論しようぜ!!」とノリノリな感じで言い始めた。
テレビで引きこもりが50万人~60万人いるというのを見てから、自分の事を思ったのでしょうね。
その会話。
私「あなたは引きこもりではないと思うよ。」
ヒロクニさん「ここまで、外に出なくなっているのは引きこもりと同じじゃないのか!」
私「あなたは、めんどうくさがって外にでないだけです。」
ヒロクニさん「それが、引きこもりだっていうのだよ。」
私「あなたは家で仕事をしているのだから、家にいるのが仕事になってしまっているでしょう?」
ヒロクニさん「宝塚、この眠った町にいるから、俺もここの空気に同化してきてしまっているのだ!
クソッ、この腐った昼寝の町め!いまいましい!」
「こういうことは、妻が気を利かすもんなんだ!」
私「自分が外に出ないことを、宝塚のせいにするな。」
(イライラしてくる)
ヒロクニさん「なんだ!偉そうに!」
私「前、出かけようっていった時、何回も、今日はやっぱり制作するからやめとこうって、何回機会をおじゃんにした?
自分が悪いのだろうが!!!!」
いつものパターンで、口論に・・・・・・・。
「妻が気をきかすものだ」のくだりで、責任を転嫁してくるから、跳ね返さなくっちゃ!と躍起になる私。
確かに、宝塚も田舎でのんびりした町で、ヒロクニさんの育った街中(神戸の街)とは、違うだろう。
宝塚で、ジャズをかけている店に入っても、神戸の街のジャズ喫茶のように、話が弾む人はいないし、寂しいのだろうね。
確かに、ぼんやりした人は多いような感じではある。
会話をしながら、ジャズのセッションのように、頭脳を刺激するような感覚的な快楽はやはり都会でなくっちゃと。
ヒロクニさんのの感覚をうけとめてくれる感性のある場所を求めているのだろうと思います。
なにもかも私ですまそうとするから、無理がくるのだ。
さらに、「愛の形成について語ろう。」とも言い出し、
「俺、愛は科学みたいなものだと思うんだ。」と。
「だけど、都合、不都合っていうのがあって・・・・・・」と。
ああ、もうやめてくれい・・・・・・。と私は内心思う。
夫婦で愛の話をするのは勘弁して欲しいと。
なんか、ねちねちとお話を延々とするのが好きなんでしょうね。
やっぱり恐るべし、武内ヒロクニなのでした。
そんな夫婦の横で、マイペースなピピちゃんです。↓
ピピちゃんは、顔がユニークなんです。
まん丸な目で写っていた写真が可愛くって里親になりましたが、やっぱり目が可愛いのです。
今は、座布団が好きで、廊下にある座布団と台所にある座布団の上を行ったり来たり。
目の前に来て座る時は、身体を撫ぜて欲しいみたい。
撫ぜるとゴロゴロのどを鳴らして、お尻をグッと上げてご機嫌のよう。
ヒロクニさんのお話攻撃があっても、ピピによって癒され、立ち直るのでした。
また、ヒロクニさんがピピに「ピー、何しているんだ。」と語りかける姿を見ても微笑ましくて癒されます。
いつも同じことを言うのですが、「こいつは、目が可愛いねぇ。」と言います。
なんか、ホッとします。