武内 ヒロク二

このブログは、武内ヒロクニの絵の紹介や、家での出来事を妻が語ります。
日々、徒然。

柿、柿、柿 と西行と月

2017-11-22 10:52:17 | Weblog


我家にある1本の柿ノ木です。
昨年は、数える程しか実をつけませんでしたが、今年は豊作。
この木は、大家さんのお父様の自慢の柿ノ木だったらしく、美味しい柿がなります。

かなり生っていますので、多くの人のところへ渡っていくと思います。



こちらは、近所の方から頂いた「渋柿」を干し柿にしている所です。
ハンガーにつるして干します。

今年は、秋があるようなないような・・・、寒さが早くやってきたように感じます。

ヒロクニさんは、今年2回の個展を、神戸、東京とこなしたせいか、ややゆっくりと日常を送っています。
私も、つられてなんかのんびりぎみ。

のんびりしていたところへ、電化製品が一気に壊れてあわくっています。
それも、ヒロクニさんの照明2台、高枝バサミと必要なものばかり。
さっさく、近所へ買いに行きました。
ヒロクニさんのアトリエの照明は、コンセントが天井を行き交い、複雑な線の引き方をしてあり、
無駄が多い状態に、「あれまー!」と思うが、もう好きなようにさせています。
照明の笠は、とっぱらって使用。「なんかなぁー、変」と思うが、自由にさせています。
最近、逆らうエネルギーが不足している私・・・。
パワー不足を感じます。



路傍に咲く菊の花。
ほんのりピンク色をしているのですが、白っぽく移ってしまいました。
着物の柄や帯の柄を目にする機会が多く、又古典を読んでいるせいか、菊の花もとても好きになりました。
食卓には、頂いたり、庭に自然に咲く菊を飾っていますが、
ヒロクニさんも「菊の良さをはじめて感じたよ」と食卓を前にして語ります。



古典は、西行を読み終えたところ。
西行は、花と月を愛したといわれますが、今回は「月」の句を3句紹介します。

■この間洩る 有明の月の さやけきに
          紅葉をそえて ながめつるかな

意味:木の間を洩れ来る有明の月の光のさやけきに、照り映える紅葉の色をそえて、
   心づくしの秋のあわれをながめたことだよ。

   紅葉が木漏れ日のようにもれてくる月の光に照らされて、浮かびあがるようすがとても美しいと、
   感じる句で、視覚的で優美な紅葉の赤が浮かんでくる句だと感心しています。

■ながめおりて 月のかげにぞ 世をば見る
          すむもすまぬも さなりけりとは

意味:月をながめていると、その月の光に人生そのもの姿を見るような気持ちがする。
   月の光が澄んでいるか澄んでいないかは、澄んだ心で生活しているか否かによるものであると・・・。

   月の光は清らかなものと平安時代の人は思っていたということがよくわかる句。
   月の光と澄んだ心の情景を思い受かべると、いかに自分が汚れた所へいるのが対比され、
   西行の境地を想像し、心が澄んだ状態とは?と思いをはせました。

■ 何事か この世に経たる 思い出を
          問へし人に 月を教えん

意味:あなたがこの世に生きたことの思いでは何ですかと自分に問いかけてほしい。
   そうしたらその人に、それは月ですと教えよう。

   西行は、尋ねてくる人のない山里の草庵で、月を友に。
   又、月は昔のことをよく知るものであり、昔をよく思いださせるものであるので、
   このような句を詠った。と解説にあります。この句以外に、恋を思い出す句にも
   必ず月が出てきます。月が出で来る句を全部書き出すとかなりの量。
   平安時代の人が月をどのように思っていたかを感じることができるのが西行のようです。

 
しかし、平安時代後期なので、優雅な句が詠まれている背景には、武士の時代のはじまりの頃であり、
都は荒れ、末法思想が広がる前夜であり、世を憂いて「出家」した西行であるが、
その優美で自由な句は、今も親しむことができるのは素晴らしい。
やはり、全句を読まないと作家の持つ、味わいはわからないのだなと、痛感します。
ある種の「自由人」と西行のことは思いました。

あと、瞬間でいいから透明な心にもなりたいものだと思いました。
電化製品が壊れたら、一気に心はどんよりよ!トホホ・・・・。

   

コメント
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