武内 ヒロク二

このブログは、武内ヒロクニの絵の紹介や、家での出来事を妻が語ります。
日々、徒然。

骸骨の遊戯(作品紹介379)

2015-04-15 15:34:50 | Weblog


「骸骨の悪戯」は、いつまで続く・・・。
この絵を見ていると、子供の頃にした嬉々としてした悪戯を思いだす。
まあ、しかしこの骸骨は楽しそう。

私がした悪戯といっても、子供だから「この土地に入るべからず」と書かれた札を無視して、
蓮華が咲く田んぼにいすわり、蓮華の花の首飾りを嬉々として作っていた思い出や、
基地作りと称して、稲が刈られた田んぼに木切れで骨格を作り、藁を乗せて、入れない小屋を作ったり、
排水口?川と陸の橋渡し代わり(円柱のコンクリート)を渡らないといけない空き地に侵入し、
大きなススキの後ろに穴を掘り、秘密基地と称して大切なものをお互い自慢し、そこに置いておく。
なにより円柱を渡れるものだけが、そこに集まれる。
それを、渡る時の快感。
不思議だけれど、土の匂いを一番に思いだします。
あとその時の空気の匂いも。私の子供の頃は、田んぼがたくさんあった。
藁っていうものも、干してあっていい匂いがした。

ヒロク二さんは、坊ちゃん育ちらしく、こういう遊びはしなかった人のようです。
子供の頃から思索的な要素があるらしく、ある日電線を触ったらビリビリとした体験を語り、
その驚きを哲学的に思索し、情緒に置き換えるのに時間を費やしたりする子供だったりするのです。
「畳みの上に紙を置き、こすってフロッタージュすることに興奮を覚えた」と言う話もよくします。
小学生の頃から(ヒロク二さんだけ他の学校に行っていたらしい)汽車通学だったらしく、
見知らぬ土地の学校へ通うなどがあり、友達と会うには汽車に乗らねばならず、日常的に友人と会えなかったみたいです。
そのせいか、景色や情景の観察がするどく、その時の日差しや、風景、心情まで丁寧に話してくれるので、
その情景が私にも伝わってきます。

鹿児島で暮らしていた頃は、土間がある田舎の家で暮らしていたそう。
水くみがヒロク二さんの仕事らしく、家に着くと水の半分が減っていたそうだ。
ヒロク二さんと子供の頃の話をすると、お坊ちゃんと貧民の私という構図が浮き上がってくる。
私は、小学校高学年の頃、一番下の弟をいつも「おぶい紐」でくくりつけ、遊んでいた時期があり、
遊ぶときも、家事手伝いの時もいつも弟が背中にいた。
その話をすると、ヒロク二さんは、「ヒロク二さん子守りのみよちゃん」を思いだすらしく、
その「みよちゃん」が大好きだったそう。そして「そういうさほりが好きだ」と言うのです。

なんか、その道まっしぐらに進んでいる私です。
みよちゃんと私って、ヒロク二さんにとって同じかもしれない。
潜在意識でお互いくっついちゃったのかしら?と考察します。

この絵を見ていると、童心に返ってしまったようで、たいしたことない思い出話しを書いてしまいました。



こちらの絵は、ただのメモなんです。
雨続きが続く日々の中、アトリエに貼り付けてあるこのメモに目がいきました。
メモは、その時のことが一番リアルに出るのです。
雨で咲いていた花が、びしょびしょになって溶けてしまって庭は青々してきました。
なんかその感じがよく出ています。
ヒロク二さんって、その時の空気とかを吸収してしまうスポンジ体質なのかも?



今は、4本のチューリップだけが庭でめだっています。
昨年買ったチューリップですが、今年も咲いてくれています。
チューリップ・マッチという種類。
手前のパンジーは、雨で花が減り、その上、虫が食べちょっと悲しい状態。


侘び然び幽玄のこころ─西洋哲学を超える上位意識─
クリエーター情報なし
星雲社


雨降りの日に読んでいる本。
日本の文化の代表である「侘び・然び」について知りたいなぁ~と思っていたら、
この本を見つけました。
この感覚が発達する背景には、日本の梅雨という季節に大いにかかわりがあるらしいという事に突き当たり、
和辻哲郎氏の「風土」を読もうかな?と思っていたが、こちらの方を先に読んでいる。
森新逍遥氏の本の中に、侘び、然びの話の序章として、作者の子供時代の思い出の描写がとてもいいのです。
まだ、途中なのですが、一休禅師の話も面白くて興味深い。
この著者が言うのですが、「侘び・然び」の意味を明快に答えられる日本人がいないと言うのです。
たしかに、「お茶」とか「能」とかしか答えられない私は、一撃をくらっています。


コメント (2)
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