武内 ヒロク二

このブログは、武内ヒロクニの絵の紹介や、家での出来事を妻が語ります。
日々、徒然。

わたしの前世は、武士か?(作品紹介85)

2012-04-27 17:39:09 | Weblog

絵本・山姥 やまわろ 「かんばるトマト舎」より抜粋
武内博州(ヒロクニ)の挿絵部分より

ヒロクニさんと暮らすようになってから「武士は食わねど高楊枝」という言葉がしっくりくるようになった。
質実剛健を好むようになり、ヒロクニさんが愚痴を言うたび、イライラするようになった。
わたしにしたら、「心がけがなっていない」と言うところだ。

「足る事を知らぬ奴だなぁ」と気分をいつも害してした。それに、一緒にいると頭がモワ~と常にしていて、清々しい気持ちになることがない。最近、冬の愚痴ばかり聞かされていたストレスで、怒り心頭して、すっかり食欲が落ち、食べ物もを食べず、怒りに徹していた。
まず、一週間すべてを時間にゆだね、人はちょっとぐらい食べなくても死ぬことはないだろう・・・。
そうすると、いろいろな思いや、考えが頭を駆け巡る。

日本人は駄目になったということをよく聞く。わたしも、人のモラルが落ちているのではないだろうか?と思う時もある。
昭和30年から特に駄目になったとよく言われる。わたしは、昭和37年生まれで、高度成長の気運の中で育ち、駄目になったと言われる頃からの世代だ。まずは、自分自身の点検からと思い、過去を思い出していた。

何の不自由もなかった生活から、両親の離婚で貧窮母子家庭なった頃のことをよく思いだす。小学校5年の頃は、家に帰ると妹や弟の幼稚園のお迎えや、ご飯の支度の手伝い、洗濯物の取り込み、特に弟は幼児だったので、ミルクやおしめも変えていた。洋服も着たきりすずめで、服にシミをつけると、とても気にしていた。日曜は、仕事に出かける母と祖母の替わりに、幼児の弟をおぶって、遊んだり、本を読んだり、勉強をしていた。自慢すると、貧乏をかもし出していたわたしは、「多少みじめ」と思っていたので、親に頼んで、参考書を買ってもらい自ら勉強をよくするようになり、小学校6年生の時は、塾に行っていた「お坊ちゃま」を抜かすことがあり、人目置かれることになって、みじめさがなくなり、努力する楽しさを知った。

中学校へ入ると、弟の参観日や、入学の服の採寸等に行き、あれこれ言う「一端の父兄」の役もこなし、子供PTAである。そして、母は映画「リメンバーズ・ママ」のように、絵の好きなわたしに油絵具を買ってくれた。もともと、変わりものの素質もあったので、同学年の子が欲しがるものは、欲しくはなく、すごく嬉しかったのを覚えているし、今でも思いだすと、感謝の気持ちで一杯になる。

ヒロクニさんは、わたしに言わせると「田舎のぼっちゃん」。
ひもじい思いもしていないし、よく考えたら、母親がいつも近くにいるという状況で暮らしていることが多い。
最近、ヒロクニさんの母親は、再婚したという思いもあって、やや甘やかし気味で、厳しく育てなかったのでは?物は豊かに与えていたような気がする。これって、世の奥さんがする夫についての憶測なんですけど・・・・。

ヒロクニさんの愚痴を聞いていると「お前は、足るを知らんのか」と言い、
わたしを当てにしている姿を見ると「初めから他人の助けを当てにするな!!」と言う。

「鳥の絵を描いて欲しい」と言ったら、「描く」。と返事をしながら、一週間たっても描く気配もない。一週間経って、夕食の時、聞いたら「忘れてた」と言うから、「最初から描く気がなかったんでしょう?」と聞くと「そうです」と言う。
「何で、初めからそう言わないの?何故、嘘をつく!!人が待っているという事がわからないのか?」「これから、嘘はつかないように!わかった?」と強く言い渡した。

わたしの前世は、貧乏な武士であったのではないか?とよく思う。
絵画教室や内職に励んだことを思い出しても・・・・、生徒が「今は、時代が違う」とか言うと、「人間の本質は、そうかわりません」と一笑にしたり、教材の内容で「先生は損してる」と言う子が、いると「人間たまに、損してもいいんです」「しかし、あなた達は、損得ばかり考えてるんだね~」とボロ家で言うと説得力があった。その生徒達から、時に連絡があり、美術大学に行ったと聞き、「まあぁ」と驚く今日この頃です。小学生がほとんどだったと思うけれど、「大きくなっているのね」と思い出し笑いをします。


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